第29話
「あのクロエさん……僕、こういうの初めてで緊張してるんですけど」
「大丈夫ですよ……私上手なんで」
僕の肌に直接彼女のひんやりと冷たい手のひらが触れた。
ゆっくりと首元から肩までを撫でる彼女の細い指先は女性らしく柔らかい……指紋の窪み一つ一つを今なら感じ取れる気がした。
そして爪で僕の体にできた傷を触れる。
「痛ッ……!!」
「我慢してください化膿しますよ」
傷を慣れた手つきで消毒すると針で傷口を塞ぎ始めた。麻酔もなく縫われる傷口は一針一針痛みが神経を通り嫌でも体をくねらせたくなってしまう。
本当は医者に頼むのが一番であるが近くの病院は今回の戦闘による負傷者で既にベッドが満員で受け入れてもらえなかった。それに怪我人の手当てに長けているという彼女に頼んだのは僕の方であって今更やめてくれとは言うことができない。
歯を食いしばって拷問に感じる時間も彼女の触れる指先の感覚で我慢することにした。
「それにしても怪我凄いですね……右腕は胸の辺りから指先まで火傷の跡ができちゃっていますし、古い傷もこんなに……。能力を手に入れたのは最近だと聞きましたが、一体どんなことをしたらこんな傷ができるんですか?」
「それがよく覚えていなくて……気が付いたときには体がボロボロで」
「そんなことあるんですか?」
そんなことがあるわけがない。だが、本当に僕は古い傷のほとんどを覚えていない。
「そう言えばこの蛇の刺青は前から入っていたんですか?」
「蛇の刺青?」
彼女の指が背中の中心に沿ってその刺青らしき何かに触れているのがよくわかる。三つに分かれているのは頭の部分だろうか?僕の体には記憶にないモノが多くて困る。
そう言えばシャドーに体を渡すときいつも蛇に締め付けられている感覚を覚えるが、それと何か関りがあるのだろうか?しかし、彼を何度呼んでも反応がないため確認することができなかった。
「失礼するよウッド……おっと、邪魔したかな?」
治療が一段落したところで部屋の扉が開かれロムさんと共に入ってきたのはモモカさんの秘書兼この国の政治家であるウエムラさんだった。
今日もトレードマークである赤いネクタイをピシッと結んでいるが、その表情はいつも以上に苦労の色が現れている。ソレもそのはず、モモカさんが先日から……丁度僕らが護衛の仕事に入った時から宮殿に来ていないようで彼女の仕事のほとんどを彼が任されているようだ。
そして今回の件をまとめるのも彼に回ってきてしまった。
「ウッド……ロムから話を聞いたのだが、あの木のことでキミがアレの中に入ったというのは本当のことなのか?」
「恐らくそうなんだと思います……気が付いたら僕はどこかに居てそして帰ってきたんですよ」
「どこかに居た?」
「ええ、光に飲み込まれたと思ったら扉があって、その扉の向こう側の誰かと会話したり……」
僕はありのままに世界樹の中で見た世界を報告したかったが、僕はその話を詳しくすることは今後ないだろう。
ある男の声が僕の報告を妨害するように会話の中に乱入してきた。その男はこの大陸で王の次に権力を持っていると言っても過言ではないだろう。
「ほほぉ……あの木の中に入った者がいるとは……ぜひ私にもその話を聞かせてくれないだろうか?」
サカイ議長、イリニインゼル島の中央政府老中院が東大陸に派遣したその男はヨボヨボの老体に杖をつきながら両脇に厳つい男二人を連れて部屋に入ってきた。
部屋の中、彼が入ってきた扉からすぐ近くの椅子に座ると折れ曲がった背中をさらに折り曲げ僕の方に顔を向ける。
荒野で獲物を狙う年老いたハゲタカ。グロテスクな丸いガラス玉の様な目玉を堕としてしまうのではないかと思うほど見開き僕を見ている。
今すぐ僕から視線を外してほしい。
間違いなくこの部屋の空気は彼が入ってきたことで緊張したモノに変化したのは誰にでも理解できる。
老中院とは対立関係のタカ派と呼ばれる側であるウエムラさんは勿論、関係がないようなロムさんやここのメイドであるだけのクロエさんも何か殺気の様なモノを出していた。
僕も正直この老人だけは生理的に受け付けないモノがあった。
「サカイ議長、今回の件は私がまとめた資料を使用して評議会を行うとアナタが決めたはずでしょう……。何もアナタが動く必要ないんですよ。いつも通り椅子に静かに座っていたらどうですか?」
「民から選ばれた者が自ら動かずして政治家を名乗れるか……?私は彼らの期待に沿うようこの体で動くことを選んだのだよ……」
彼らの戦いの場は議場だ。僕のようにバケモノと戦うことは無いと言え、彼らの戦いには違った緊張感がある。
僕の発言一つで何かが変わる……。
「で、少年よ。キミは何を見たというのかね……?」
「…………それが、よく覚えていないんですよ」
「覚えていない……?扉とやらがあったのだろう」
「ええ、扉があったことは覚えていますけどその先のことは一切僕の脳みそには記録されていないんですよ。すいませんね……アレを知る為の情報が無くて」
咄嗟に口から出たのは嘘であった。しかし、実際に僕以外あの世界を見ていないのであれば僕の言った嘘を嘘として断定することは誰もできない。僕の言うコトが全て本当であるとも嘘であるとも証言できるのは僕だけであり、この部屋で僕の話を聞く者に判断を委ねている。
僕は平等に可能性を見せただけだ。
だが、老人もただただ時間と共に長生きしているわけではないようだ。
流石と言うべきだろうか。僕の仕草、表情、そして瞳に宿す何かを見てそれを瞬時に嘘と見抜いているようで、彼の表情は張り付いたままであったが何かを察している様子だった。
僕のわがまま、子供の気まぐれに彼は付き合ってくれている。
「そうか……まあ、人間の脳には容量がある。ソレも一つの貴重な情報として大切に扱うとするよ……少年」
そう言って老人は椅子から杖をつき厳ついボディーガードの男に支えられながら部屋から退出した。
僕はあの老人にマークされている。
あの老人は反応的に世界樹について何かを知っている……だが、彼自身まだ世界樹との接触は果たせていない……。
世界樹に接触した人間と言うのは恐らく貴重であるはずだ。あの男ほどの存在が世界樹が願いを叶える物であることを知らないはずもなく、当然知っていると仮定すると僕のやった事は正しいはずだ。
なんでこの宮殿に世界樹が出現したのかここに居る誰も知らないだろう……知らないと断言してもいい。ソレを決定する証拠としてはここの調査がされていないこと、そしてヤツが世界樹に接触した僕に直接会いに来た。
ここに世界樹が現れたことはヤツにとっても予想外だったんだ。
まてよ……?世界樹がなんでここに現れたんだ?
「サカイ議長……あの少年を野放しにしていてよろしいのですか?」
老体を支える屈強な男は彼にそう問う。少年とは勿論ソラのことであり、彼はソラのことを危険視していた。だが、あの場面そして彼の経歴などを見ればその問いも自然なモノである。
どこからともなく現れバケモノと戦う謎の少年、数か月前から特科に所属していると言っても彼が何故戦うかなど動機も不明で不気味な存在であった。
何より政府間の秘密であったバケモノと彼ら能力者の存在を世間に認知させてしまったのは政府にとっては予想外の出来事だ。火消しに善処するもマスメディアによって広まってしまった情報とは簡単に消すことはできず、既に拡散されてしまったものを削除するということはこの大陸で約束されている『表現の自由』の侵害で政治家にとっては任期に関わる問題へと発展する。
皮肉なことに彼らの作り出した「素晴らしい自由」によって彼らは大胆な行動ができずにいた。
「何を焦っているのだ……私は彼から貴重な情報を受け取っているのだぞ。彼に言った通り私はその情報を大切に使わせてもらおうじゃないか……」
「し、しかし……」
「なんだお前はその図体の割には慎重な奴だな……私が大丈夫だと言っているのだから大丈夫なのだ。それにあの場で私が積極的になればどうなるか慎重なお前ならわかるだろ?」
それはあの場に居たメンバーを考えれば理解できる。
この宮殿の主である救世教の教祖の娘でこの大陸の王女カレン・アルナート専属メイド、特科のリーダーで世界最強の男と言われるホムラの右腕ロム、そして特科最高責任者モモカの秘書兼タカ派でも有力な政治家であるウエムラと全員が重要人物の側近であった。
あの場で起こったことは必ず自分の従う者へ届く。
「あの場で我々が世界樹についての情報を掴んでいないと宣言すればモモカがどのような動きをするかわかったもんじゃない……あの女狐は常に我々を出し抜こうと画策している。今だってヤツはこの宮殿には居ない。まるで世界樹が現れることを最初から予測していたかのように一昨日からな」
「確かにあの女を見ませんね」
「とにかく世界樹はこの大陸だけでなく世界のバランスを崩す兵器でもある……リッパーとモモカ、あの二人がどこまでアレを知っているかは知らぬがヤツらにアレを利用されればこの世界は終わる」
「彼をこちら側につけるというのは……?」
「それでは何も解決しない。例え少年が鍵であったとしても鍵の使い方を知らぬ者が持っていては何の価値もない……彼がモモカの下に居ることで下の連中への抑止力となる。だが、少年の存在はいずれ我々にとっても大きな障壁となる可能性がある」
議長は彼にも予想できない未来を計算していた。それは素直に自分たちが世界樹についての情報がないと認めているが故にできることだ。
「少年を危険度指数Aクラスに上げる準備をしろ……中央に申請する際、決してあの女に悟られるな。干渉されれば先を越される可能性がある」
宮殿の復旧作業はその日のうちに着工される。大陸中の建設業者が集まり宮殿とその周囲、戦闘によって巻き込まれた街の復旧までもが行われていた。
戦闘を行った大陸軍人、機動隊や警察、そして地下に雇われた薔薇の傭兵の死傷者は数千人。僕とサワベさんが戦ったカインには逃げられたがお嬢さんを狙う傭兵17名を拘束できたことは成果としては良い方だと思う。
薔薇の傭兵についてはよくわからないが統率された少数精鋭だというのは戦闘で拘束した隊員とボートで自害した彼らを見ればよくわかる。警察ではなく軍隊によって尋問が行われているようだが、未だ誰一人その口を割っていない様子でロムさんの仕事が増えそうな予感がする。
多分ロムさんはその仕事が増えることを悪いこととは思っていないだろうけど……。
「あの……ウッド」
この大陸の王女様はなにやら気まずそうに夜景に変わる街を見下ろす僕に物陰から声をかけてきた。宮殿の屋根まで彼女は護衛を付けずに自ら登ってきたのだ何かしらの要件があるのは間違いない。
「どうしたんですか?」
僕は必死によじ登ろうとする彼女の腕を引っ張り上げる。
彼女は凄く軽かった。
「二人きりで話がしたかった……だからクロエは置いてきた」
「で、話ってのは?」
「あなたの名前……ソラって言うんでしょ?」
「なんでそれを?」
僕は一度も彼女に名を名乗ったことは無い、あるとすればクロエさんにだけだ。ならばクロエさんから聞いたというのが自然な流れであったが、彼女が誰かに僕の名を教える必要性があるのだろうか?
「世界樹があなたのことを教えてくれた……」
「世界樹が?」
「そう、世界樹があなたについて沢山教えてくれた。クロエに好意を持っていることとか……プライバシーは保護されていないようね」
思わず世界樹に向かって怒鳴りたい衝動に駆られたがそれでは本当に僕が彼女に対して好意を持っているという証言になってしまう。僕はここでいったん深呼吸を挟み冷静になる。
だが、世界樹の光に取り込まれたのは僕だけではなかったようだ。彼女も世界樹によって何かしらの知識を得ていたようだが、なぜ僕のことを教えられたのだろうか?
「世界樹からあなたの過去についても見せられたわ……綺麗なお母さんだね。最後にあなたの見たあの人の顔は私のお母さまよりも慈愛に満ちた優しい笑顔だった」
「僕の母親?」
「貴方は何も見ていないの?」
「ああ、僕は自分の過去もキミの過去も見ていない……なんたって僕の記憶を本人には見せてくれないんだ」
僕は彼女がうらやましかった。僕よりも先に母親の顔を見れているなんて……世界樹にはやはり怒鳴らなければ気が済まない。
なぜ僕には家族の記憶を見せてくれないんだ……。
「落ち込まないでって言うのは無理な話かもしれないけど……その世界樹からお告げがあったのよ。次の道しるべが」
「どういうことだ?」
「私と出雲の島に行かない?何かわかることがあるかもしれないの……」
そうして僕は出雲の島へと向かっていた。
東大陸と北大陸のちょうど中間海域に存在する小さなその島には人口約12万人が住んでいる。北大陸と東大陸の中間海域に存在するということで両大陸の政治的所有権争いが無ければ治安もそこそこ良い場所で、一年の四季がはっきりしているこの島は非常に住みやすい場所として人気だ。
なによりご飯と水と空気が美味しい場所はここぐらいだろう。
東大陸の政策で各島には自治権がそれぞれ与えられ可能な範囲でその島独自の政策を尊重されている、この島のインフラは大陸内でどこを探してもここまで管理されている場所はないくらい完璧で活気のあるいい島だ。
「セナ様、お飲み物のおかわりは如何ですか?」
「あ、お……お願いします」
僕は初めて自家用ジェットなるモノに乗り、初めて東大陸の地から足を放した。実際飛行機すら乗ったことがない僕にとって空というのは憧れの場所でもあったが、初めて乗る物が大陸の権力者しか乗れないという最高級のジェット機……落ち着かない。
足を伸ばそうにも体の動きをシートが検知し僕の動きに合わせて座りやすい角度を保とうと勝手に動き始める。ハッキリ言って気味が悪い……。
そして僕はまだ慣れないことが一つあった。さっきCAさんに呼ばれたように僕は偽名に英雄の名前が使われているということだ。英雄がどんな人間であったかは誰にもわからないが英雄と呼ばれる程の功績を残した偉大な人間の名を語るのには少々気が引ける。
僕はお嬢さんの信者たちへの挨拶回りの付き添いとして出雲の島へと招待されたが、僕自身無神論者でハッキリ言って関係のないただの部外者であった。
そんな僕だが彼女に出雲に存在するもう一つの世界樹を(世界樹のことは伏せられていたが)探せと命令が特科に直接名指しで届いた。
だからホムラさんは連勤中の僕に許可を出さざるを得なかったのだ。最初は彼も反対していたが、大陸のトップから名指しで命令が出れば誰も逆らえない。
正直僕も休みが欲しくて行きたくなかったが、飛行機に乗って考えも変わった……。それに世界樹を狙っている人間がリッパーだけでなくあの老人もだとわかったからにはどうにか出し抜くために行動をしなければいけなかった。
出雲の島に到着するとまずは客人をもてなすこの島独自の習わし、歓迎の儀を受けた。
彼らは人間の形をした神である救世教の教祖、お嬢さんの父上ともう一つこの島の守り神、万物の創造主と崇められる
この歓迎の儀とは客人の無事を祝い炎の神によるご加護に感謝するという儀式だ。
そして到着して早々に僕は一人やることがなくなったので島の散策に出かけた。それが目的であるため早めに終わってくれて助かった。
この島は12万人と多くも少なくもない人口を抱えているが、自然を中心とした生活が大切にされていることで街の景色はハッキリと違う姿を見せてくれる。今は丁度紅葉の季節で島のお屋敷から出ると紅葉のレッドカーペットが一面に敷かれていた。
大陸ではなかなか見られないこの島固有の珍しい植物は興味深い物が多い。他の植物の美しさを殺さずに自らの可憐な姿を主張する植物にはこの島独特の調和が感じられた。
やはり来てよかった。
東大陸の法律上この島は東大陸であるのだが、その景色からは異国の魅力の様なモノを感じ未だに慣れない。
風景を害さないよう自然に溶け込むように考え設計されたこの島の街は高い高層ビルが存在せずどこも平屋の古風な店ばかりが立ち並んでいる。ごく稀に七階建てのマンションや雑居ビルは存在するがそれすらも自然に溶け込めているのは思わず驚いてしまった。
和を感じさせる喫茶店に入り僕はココアを注文する。炭酸や年齢制限で酒類を飲めない僕はいつもお子様メニューを注文せざるを得ないが、それで困ったことは一度もないためこれからも炭酸に挑戦することは無いだろう。
見晴らしのいいテラス席に座って秋に染まる景色を眺め手に持った新聞に目を通すと見出しには『議会議員総解散と野党共闘マーサス有利』と一面を飾っていた。
誰も世界樹に関しての疑問を持っていない。それどころかここに来るまでソレに関する噂すら僕の耳には入ってこなかった。あの光を見たのは僕ら宮殿に居た人間だけなのかと不安になるくらいその噂には煙も立っていない。
「議会解散は妥当だな……学校での爆発の件と言い宮殿でのことはそろそろ事故では済ませなくなったんだろうな。一度リセットして国民の支持を受ける政治を行うことが目的なら賢い判断だ」
「よくやるよあのご老人は」とボソッと付け足すのも忘れなかった。今回の解散は恐らくサカイ議長が手引きしていることなのだろう。老中院による直接の支配を可能にするためには国民からの支持を得ているとアピールする必要がある……今回はそのためのパフォーマンスに過ぎない。
民意とは報道を利用できる者が支配することのできる武器だ。動かざる神の意思を取り込むことができるのは残念ながら野党ではなく現与党である。だからパフォーマンスなんだ。
「なあシャドーお前はこの景色を見て何を感じる……?」
僕は一緒に観光をするもう一人に問いかける。彼は僕の影を使ってその質問に答えてくれた。
『懐かしい……いつ、どこでこの景色を見たかは覚えていないが懐かしいってことはわかる。あとは美人さえいれば完璧なんだがな』
世界樹に取り込まれ一時は彼との接触ができなかったがいつの間にか彼は当たり前のように僕の下へと帰ってきた。自由な奴なのか、本当に何かあったのかは知らないが、彼が何も話さないなら僕が深く追求する必要は無い。
だが、彼の言うようになぜか僕もこの景色に懐かしさを覚えていた。ソレがなんでかは理解できない、この景色がそう錯覚させているだけかもしれないが確かに懐かしい。
「最後の品のない答えは置いておいて……確かに懐かしいな」
『品がないだと?男なら絶景と美女で飯が食えるだろう』
「いやそれは無理だ」
僕はだいぶ彼とも近づけた気がする。あの時は世界樹の発する光に魅了されて彼の声が聞こえなくなったが、今は僕の中で彼を感じることができている。
一人自分の世界に浸っているとテラス席に相席者が現れた。
彼女だ。
「ここに居たんですね……確かに眺めはいい。お嬢様も気に入ったようですよ」
「ねぇ聞いてよクロエ!美人さんだからってアイスおまけしてもらったんだけど!やっぱり美人は得だわねぇ」
サングラスと麦わら帽子によって完全にお忍びスタイルのお嬢さんは誰よりもこの島を満喫しているだろう。今だって両手に持ったメロンソーダの上にはおまけのバニラアイスが乗っていた。彼女がそれで無邪気に子供の様な笑顔を顔いっぱいに咲かせている。
「楽しそうだね」
「今は仕事じゃないから楽しまなきゃ損よ。いつまでも肩に力入れてないであなたも楽しめばいいのに」
確かにそれもそうだ。この島に行くための飛行機代は自分で払えば大陸の労働者数か月分の給料に値する。それを無料で来て楽しまないってのは損以外の何でもない。
だが、気が抜けないのにも理由がある。
何かを感じるんだ……ずっと監視されているような不愉快な感覚……。恐らくクロエさんもソレをよく感じているはずだ顔は笑っているが瞳は殺意を孕んでいる。
敵が出れば必ず彼女が動くだろうという安心感があるのは良いが、どうも彼女だけでは対処できない気がする。
どうか杞憂であって欲しいモノだ……。
「セナったらサングラスで新聞なんか読んじゃって少し背伸びしすぎじゃない?ココアを飲んでなかったら完璧なのに」
そう言って彼女はさっき注文したばかりのメロンソーダを完食していた。驚きのスピードに目を疑ったが、確かにメロンソーダの上に乗せられていたアイスも綺麗になくなっていた。
「炭酸は飲まないの?」
「僕はそのパチパチした感覚が小さい頃から嫌いなんだよ。コーヒーの苦いアレもね」
「…………お子ちゃま」
「何か言ったか?」
その気配は次第に近づいている。軽口を叩き合う間に僕はクロエさんに視線を送ると彼女の方は既に準備万端の様子だった。だが、僕はここで騒ぎを起こすことは避けたかった……お嬢さんの楽しみを壊したくないってのもある。
それを彼女はしっかり察してくれた。
「お嬢様……海に行きましょう」
「え、どうしたの」
「私、海が見たかったんですよ。お嬢様と浜辺を走ってみたかったんですよ」
「え、ああ……うん良いけど」
なんだか不自然な誘い方だったがお嬢さんは彼女の誘いに乗ってそのまま喫茶店を後にした。
お嬢さんが居なくなってもその気配はこの近くに残っている。つまり目的は僕と言うことだ。
「シャドーいつでもいけるか?」
『ああ、任せておけ……』
まだ彼の力には謎の部分が多く使うことは慎重になった方がいいとも思うが、使えばどんな敵でも倒せるという信頼があった。だからもし気配の主が強かった場合、僕だけでは対処できなかった場合には彼の力を使って戦うつもりだ。
そしてその気配は段々と僕の近くまで接近し立ち止まった。
なぜ動かない?何かを見ているのか?
僕の頭の中はその不気味な気配の動きを敏感に察知してその時に備えていた。
「相席いいかな?」
頭の頂点から全身に掛けて何かが迸った。肌が粟立ち無意識のうちに肩が小刻みに震えている。
気配だけを残して僕の目の前にその男は現れた。そんなことは可能なのか?いや、実際にここにその男が居るってことは可能なのだろうが、どうやって音もなくここへ?
男はガラガラに空いている他のテーブルには目を向けることなく僕の所へ一直線に来たのだ……目的は僕で間違いないだろう。
座った男は手をテーブルに乗せたのだろうカンッと小さく金属音が聞こえたが、指輪か?その小さな音からだが位置的には大体左手薬指から人差し指のどこかに指輪をはめている……既婚者なのか?
「ご自由に……」
新聞が無ければ僕の顔色の変化を知られるところだった。恐らく僕は今、顔から血の気が引いて死人のように真っ青な顔をしているだろう。
その男が誰なのか名を名乗らなくても分かる気がする。当たっていてほしくはないがその男でなければソレはそれで問題になってしまう。
こんなに早く僕はこの男と出会って良かったのか?
「アンタの部下にはいつもお世話になっているよ……」
「ああ、私の方こそ二人の相手をしてもらって助かっているよ。二人とも地下じゃあ負けなしだから互角の相手が現れて嬉しがっている」
初めて聞くヤツの声には上品な育ちのいい雰囲気が隠しきれない良さが感じられた。
コイツが僕の狙う男で、僕を狙う男がコイツなのか?人は見た目と雰囲気だけで判断するのは危険だということがよくわかった。
「目的は僕か?部下が二度も殺し損ねて、アンタが雇った悪魔も逆に返り討ちにされたことで自ら会いに来てくれたのか?」
「いや、私も実はキミと同じくこの島で戦いたくないんだ……。だからお話をしようかとね」
「お話?」
「ああそうだ。我々は敵対同士で同じテーブルにつくことが中々ない……今日はいい機会だと思わないか?」
僕は大人しく彼の言うコトに従うことにした……。
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