第25話

 爆発に気が付いたジードは宮殿内に隠れるカレン・アルナートを探していた。神経を集中させ宮殿中を走りながらその気配を追いかける。

 戦闘に不向きな能力を所有する彼はソラやサワベとは違い戦闘のセンスは皆無で敵と出会えば勝つことも逃げることもできない、敵を探すことだけに特化した力で敵を探し迂回ルートを決めていた。戦闘を避けるために敵を避ける、当たり前のことだ。

 今回も敵を探しながらカレンを探せていればこんなことにはならなかっただろう。宮殿内、敵が入ってきていないと判断した彼はカレンの気配だけしか追っていなかった。

 だから、ヤツと出くわしてしまった。


「な、なんで……お前がここに」


 彼女の気配を追っていたら必ず通らなくてはいけない宮殿の宝物庫入り口にアタッシュケースを持って立つ狐の面を着けた男は居た。厳重な警備で宮殿の中に部外者が入れるはずがない、ジードの探知に彼は引っ掛からなかった……彼は男に気が付いてもいなかったのだ。

 狐の男は既に警備員を血祭りにあげて彼らの一部を壁にぶちまけていた。それが意味するのはヤツが敵だということ、そしてその狐の面は特科で危険人物として危険度指数Aクラスに指定されていた男……アベルだ。

 リッパー直属の部下として危険視されている彼に出会った場合はすぐリーダーやロムさんライヤさんへの報告が必要となっていた。

 ジードは決まり通りにポケットに入れたボタンですぐにロムへ合図を送る。


「貴様は探知の男か……何を押したのかと聞きたいが、先にどうやって私を見つけた?私は気配を完璧に消していたと思うのだがな。もし、貴様がそんな私を追えたというなら注視しなければいけない」


 「偶然だ」と、そんな言葉もジードは声に出せなかった。

 アベルの迫力に圧倒されていた……ただのバケモノに恐怖の感情を持つ彼にとってそれ以上の脅威が目の前に居るのだ返す言葉も出るはずがない。

 ジードは膝が震え緊張感に押しつぶされそうになっていた。

 戦うこともその場から逃げることもできない。彼は臆病であった、だから彼は能力を伸ばすことができた。そして自分の力が戦闘に一切使えないことを誰よりも理解している、だから怖いのだ。


「な、なにが目的……なんだ?」


 カレン・アルナート姫の誘拐がヤツらの目的のはずであるが、彼の居る宝物庫には彼女の気配はない。彼女は今、自分の部屋に護衛と一緒に居るのだから……。

 それをヤツは知っている、目的の人物が宝物庫に居ないことぐらい知っているだろう。だが、彼は宝物庫警備を殺して現在進行形で宝物庫の鍵を開けようとしている。

 それは誘拐が目的ではなく混乱に乗じた火事場泥棒が目的である様にも見えたから当然の質問だ。


「…………貴様は気の利いた上手い返しもできないか。まだあの小僧の方が戦える分、強気で居られたということか」


 図星だったが、何か下手に相手の地雷を踏むような発言をするよりはヤツに好きなだけ言わせている方が安全だった。

 強い敵の地雷を踏み抜けば自分の死を近づけるだけで、そうやって死んでいった仲間は何人も見たことがある。みんな自分の力に、戦える力にかまけて力の差が測れなず威勢のいいことだけ言って死んだ。

 天狗になっては状況を上手く把握できないと言うのに……。

 戦えない分いかに長生きするかを考えるジードは賢かった。だから交代の激しい特科で何年も生き残っているのだ。


「貴様は退屈だが、そんなヤツに時間を掛けてしまったことで私は会いたくない男に会わなければならなくなってしまった」


 外の喧噪、戦闘などの騒ぎを一切感じさせない宮殿の静かな廊下に響く彼の足音。一歩一歩そこに自分が居ることをわざと知らせるその音に、今まで彼を目の前にした者たちは正気を保てたことは無い。上品な歩き方は死神の死刑宣告、歩いている間に自分の値踏みをされている気分になる。

 地上だけでなく地下でも彼の存在は広く知られアベルも生涯会いたくはないと願っていたが、悲しいことにその願いはどこにも届いていなかった。

 不気味なペストマスクは何かを制御するためだと噂されていたが、実物を見るとその噂が本当なのではと納得させられてしまう。


「これはこれは……。神聖な宮殿で土の臭いがすると思ったらどこからかモグラが入り込んでいたようだ。それも悪魔を自称する魔人デルマとはな」


 その男も傭兵のハンクと同じく魔人デルマを知っていた。


「ジード……ソイツの狙いはどうやらお嬢さんではないようだ。宮殿の混乱に紛れてコソ泥とは如何にも醜く卑しい地下に籠るモグラらしいな」

「フン、なぜそう言いきれる?私のこの行動が陽動であったらどうするのだ」

「外では新人とサワベがお前さんの片割れが戦闘を始め、そして宮殿を囲むように薔薇と大陸の軍隊が動いている。そんな状況で貴様が目的の場所に行かないなんてことがあるのか……?」

「それは貴様の推測だろう」

「ならばジードに気配を悟られないよう動いていたことの説明が欲しいモノだな」


 お互い被り物で表情や視線を隠しているがその殺気は隠すことができていなかった。戦うことのできないジードは二人の戦闘に巻き込まれないことを願いながら二人の次を警戒する。



―みんな、ここだよ……



 一触即発の緊迫した空気をぶち壊す少女の声がロムの頭の中を電流と共に通過した。最初は幻聴かと思った彼であったが同じ空間に居る二人に違和感があったことでソレが自分だけではないことに気が付く。

 予想外、ソレはアベルも同じで初めて聞く声に彼も戸惑っていた。

 三人が同じ幻聴を聞くとなるとソレはもう幻聴ではなくちゃんと聞こえた言葉だ。誰かが同じ空間に存在して、そして三人にしゃべりかけた。これで結論付けても良かったが、ジードの顔はみるみる蒼白し始めこの空間に他の生命は存在しないことを彼の言葉も聞かずにロムは感じとった。


「ろ、ロムさん……今のって」

「誰の声だ……私の中に入ろうとするこの無邪気な気配。ハッキリ言って不愉快だな」


 少女の声と共に体を疾走した電流は脳をいじくる様に通過していった。先刻の言葉通りにソレはまるで自分の記憶を探られているような不愉快なモノで、少女の免罪符のような子供らしい気配が余計腹立たしかった。

 自分の知らない過去の記憶を誰かわからない者、それも子供の無邪気さを盾にすればなんでも許されると思っている少女の気配をロムは追いかけるがすぐに彼女は消え去った。

 宮殿の丁度中央の広場に住みつく妖怪であろうか……。彼女の気配はそこで途切れた。




『久しぶりだなァ小僧!ちッたァいい顔になったじゃないか!』


 ひび割れて歪んだ人間とは思えない形相だったがヤツの特徴はよく覚えている。工場で戦ったアベルとカイン、コイツはたしかカインの方だ。

 あの時はなんとか勝てたが、今回はお互い正面からのぶつかり合いで重なったヤツとの拳はあの時よりも重たい。まるであの日とは違う手加減なしの本気の戦いを望んでいるようだった。

 僕の体は人間を超えたバケモノの腕力によって体勢を崩し宮殿の方向へと弾き飛ばされた。石造りの汚れ一つ見えない白い宮殿の壁は僕がぶつかった衝撃によりウエハースのように砕け瓦礫が散乱する。


『これで貸し借りなしの正々堂々勝負ができるな……!俺はお前に負けれから気に食わねえ野郎のモルモットになったり、兄貴にどやされたり散々な目にあった。だが、それも今日恨みが晴らせると思ったら最高な気分だゼェ!』


 壁に頭を打ち付けたことによっての脳震盪が原因なのか視界が朦朧としていた。全神経が動くことを拒み体を動かそうにも体がそれを拒否している。

 耳鳴りでカインの話している言葉の半分も聞こえなかったが、僕に復讐をしに来たということだけはなんとなく理解した。

 カインは本気だった。タツキの体を乗っ取った悪魔、ガリュートとか言ったアイツよりも重たいパンチで一発を貰っただけで僕の右腕は骨にひびが入っている。触らなくても確認できるほどにそのダメージは深刻であった。

 正直、今回の彼に勝てる計算は無かった。

 だが、初めて戦ったあの日とは違って僕には助っ人が居る。


「新人くん、立てるかしら?」


 その人はカインに構うことなく一直線に僕のもとへと来ていた。身に纏う旗袍の布が視界に入ってきて彼女であることがすぐに分かった。


「だ、ダメだって言ったら僕は……逃げていいんですか?」

「……私は許すけど特科の怖い人は許さないと思う」


 それもそうだ。僕は昨日お嬢さんに命を預けられクロエさんと約束した……僕は負けられないんだ。

 だが、僕の精神に反して体は正直だった。もう動きたくないと体は僕の精神に対して必死に抵抗する。

 彼女はそれを見て僕に何かを手渡した。僕が握っていたのは小さい鉄の塊、いや泥棒時代に何度か僕の体にぶち込まれた事のある馴染み深い鉄の塊だった。一発の空の薬莢を握らされた僕を放置してサワベさんはカインにようやく顔を向ける。


「ソレ握ってて、握ってれば骨折治る」

「サワベさんは、どうするつもりなんですか……アイツに勝つのはいくらサワベさんでもム……」

「無理じゃない」

「アイツは強いですよ……僕が囮になっている間にロムさんへ報告するのが一番だと思うんですが」

「あの人も多分、今忙しい。だから私があの気色悪いバケモノを足止めする。そして、あなたに私の覚悟を見せるわ」


 ソラは体格も運動神経もかけ離れたバケモノに一人立ち向かうサワベに無理だと言いかけていた。

 一度戦っているソラだからわかる、他のバケモノとヤツの違い。先日の学校を襲撃したガリュートのように知性を持つバケモノは遥かに強いことをソラは知っている。だから彼女には自分が囮になっている間にロムへ報告してもらおうと思っていた。

 だが、彼女の覚悟を見せるという言葉を聞いてそれ以上は何も言わなかった。ソレが合図で彼女の覚悟によってヤツを倒すことができる気がしたからだ。

 根拠はない、彼女を信頼する程の素材はない。だが、信じようと思ってしまった。

 だから動けないソラはサワベが覚悟を見せるのをただ待った。


 ようやく女が俺の方を向いた。

 初めて相手をする女だが、その噂は耳にしている。ヤツは親衛隊の能力者部隊を一人で倒したとか言うサワベだ……ヤツと戦った野郎どもは全員首の骨を折られ何人かは死んでいる。

 女らしい華奢な腕で鍛えられた成人男性の首を折れるのか、その情報の真偽のほどは定かではないがカインは一度戦ってみたいと思っていた。

 親衛隊の能力者に女は居るが、サワベのように前線に出て戦うような奴は居らず腰抜けばかりだ。だから、彼女のようにバケモノである自分を目の前にしても堂々としていられる女と戦いたかった。

 女の武器は何かを探るが、自分の部下の首を折られているということは普通に格闘に特化した強化系の能力である可能性がある。

 冷静に観察をするカインであったが、彼は痛みなく既に彼女の攻撃を受けていた。


『テメェの能力はなんだ女……』

「当ててみてよ」


 カインは冷静に観察をしている間に胸部に突き刺さされたナイフを抜き取り投げ返すが、サワベはそれを瞬きをする間に避けていた。虚空を貫くナイフはやがて宮殿の壁に突き刺さり一切の音を立てることなく静止した。

 何が起きたのか理解できなかったカインであったが、理解する時間も与えられず次の攻撃が彼を襲う。

 腹部三カ所が同時に激痛を脳と神経に伝える、銃声が聞こえたのは痛みが体中を走り抜けた後だった。

 いつ攻撃されたのか、視力のいいカインにはサワベの動き一つ見逃すことなく観察していたというのに気が付いたら攻撃を受けていた。それもバケモノには利かない弾丸によって。

 バケモノの体になると痛みに鈍くなるがソレでも隠せない痛みに彼は初めて後退りした。


「あらあら、筋肉だるまさんがヨタヨタ動く姿がこんなに面白いとは思わなかった。いつも私は人間相手だと数秒でケリがついちゃうから退屈してたのだけど……バケモノの耐久力だともっと面白いモノが見られそうね」


 すると次は肩から連続して痛みが体中を疾走する。遅れて聞こえた銃声が計六回、察するに六発の弾丸が撃ち込まれて内の一発が肩を貫通した。

 金属のように固くなった筋肉が小さい弾丸によって傷つけられる経験自体初めてだったカインはようやくサワベの能力に気が付いた。


『テメェ……!加速しやがったな?』


 それは痛みより遅れて聞こえる銃声が何よりの証拠だ。

 そして動きなしで手に持つ拳銃、旧式のリボルバーだったが使用した三発をいつの間にか装填していた。視界からヤツを外していなかったはずなのに、俺はヤツの細かい動きを見逃していたことになる。

 そしてまた俺の体には銃弾が撃ち込まれた。射撃の精度は完璧で先程の貫ききれなかった肩に残った弾を狙い撃ち見事、肩にトンネルが出来上がった。

 銃声が聞こえてからでは遅いことが分かったが、どうやったらヤツの加速を超えられるのか。考えている間にもヤツは一度目の加速で弾を装填している。

 そうか……。

 カインは腕に全ての筋肉を集中させて体全体を覆う盾を作り出した。盾からは一切体のパーツが正面から露出することは無いが、盾を作り出すために各部位から筋肉を移動させている。当然足からも筋肉は移動していて本来のスピードは出ない。

 だが、加速によって物体の運動エネルギーは増えている。それは通常の状態で金属と同じ強度を誇る筋肉の鎧を弾丸が貫いていることから容易に考えることが可能だ。ならば壁を厚くして近距離戦へ持ち込むというのが彼の作戦だった。

 次弾が装填され撃ち込まれるがカインの強度に固められた盾は傷つくことはない。


「あ、ヤバいわね……」


 彼女がそう声を出したときには二人の距離は僅か数メートルの距離へと詰められていた。

 能力を連発したことによって体力の消耗が激しかった彼女はカインの耐久力と初めてのバケモノとの戦闘で感覚が狂っていた。彼女は近づかれて初めてバケモノの耐久力は自分の想像をはるかに超えていることに気が付く。

 近づいたカインはまた筋肉の移動を開始し、体を動かすエネルギーを拳に集中させる。


『この距離でも躱せるなら躱してみなァ!俺はお前の力を見切った!』


 リミッターを外したカインの速度はサワベの加速に追いついたのだ。リボルバーの装填までもが視界の内で確認できるまでに。

 次の動き、サワベがカインに銃口を向けるその瞬間を予測する。

 勝った。彼は心の中、いつもの慢心を抱く、それは集中力に綻びが生まれた瞬間で他種族へ優越感を抱くよう遺伝子に組み込まれていたされた魔人デルマの宿命であった。

 戦いの中で慢心を抱いていたカインは気が付かない。もう一人、サワベとカインの加速に追いついている者がいた。直前にサワベから能力の付与を受けていた白髪の少年。


『喰らいやがれ女ァ!』


 カインの雄叫びと拳がサワベのガードする腕の骨を粉砕する音が同時に彼の耳へと届く。

 例え戦闘狂いのサワベであっても骨を粉砕された痛みは感じる。腕の一本失う覚悟を持っていても痛みはその表情に現れた。だが、彼女は声を出さなかった。最後の瞬間までカインの意識を自分に向ける為、彼が近づいていることに気が付かれない為に耐える。


「覚悟を見せた……あなたの覚悟を見せてちょうだい」


 彼女の覚悟に応えるようにウッドの棘を巻き付けた拳はカインの顔に突き刺さる。鋭くも全身にゆっくりと伝わる痛みによって自分は最初から二対一の不利な状況であったことを思い出した。




 エレンはまた夢を見ていた。

 ペストマスクによって素顔を隠したロムから一時的であるが解放され牢の中からでも聞こえる外の戦闘音などが妙に心地が良かった。彼女はいつも戦場に身を投じ、命令通り彼女は命ある限り戦いを続けた。だから彼女にとって銃声や爆発音は故郷で聞こえた自然の音なんかよりも身近で安らぎを感じられている。

 彼女は狂っているのだ。

 そして初めて自分を大切にしようと思っていた。少年が彼女の心を動かしたのか、それとも戦っている間にいつしか生まれた感情なのかもしれないが彼女はもう戦いを終わらせたかった。

 金がなく貧しい父親を助ける為、故郷である北大陸の長い内戦を終わらせるために始めた自分の戦いに終止符をつける日が来た。

 彼女は宮殿の牢の中で蹲りうめき声を出す。


「う、うぅ……」


 東大陸は自分の生まれた大陸よりも老中院の政策が良くも悪くも影響している。人間に優しい世界、人間を人間として扱ってくれる良い世界であった。その為、牢役人は呻きをあげながら苦しそうにする私でも救わなければいけなかった。


「お、おい……どうした?」

「か、体が熱いの……く、苦しい」


 彼らは二手に分かれ一人は自分より偉い立場の上官を呼びに行き、もう一人は私の牢を開け私の異常を調べようとする。

 人をだますってのは心が痛いことであるが、私の生まれた故郷では騙された方が悪い。

 心配をしながら私の体に触れようとした役人の腕を素早く拘束し、声をあげないよう口元を塞ぎながら私は彼に囁く。


「お嬢ちゃんはどこにいる……?私はイカレた尋問を受けてイライラしているんだよ。わかるね……?」


 男の息遣い、荒い呼吸であるが手元に当たる生暖かいその息と全身を震わせて死にたくないと訴えかけてくる彼は私の言うことを聞くと確信した。

 背後から彼の首元に回した私の腕はゆっくりと締め付け始めると彼は私以外には聞こえない声で自室に居ると答えた。

 彼女の自室とは宮殿の最上階、一番警備が堅い場所であったが私は何も考えずメイドとして潜入したわけではない。宮殿内に張り巡らされた普段は隠されている通路、政治家専用や他大陸の要人専用、そして王族専用など全ての道を覚えている。

 カレンの位置と鍵を入手したエレンは牢役人の首関節をキレイに外し気絶させるとまず一つ目の通路に侵入する。一つ目は自分の入れられていた牢の近く、長い間使用されていなかったため木製の扉は独特な臭いを放ち溜まったカビと埃を開扉で吐き出した。

 マスクを持っていなかったことが痛手になった。舞い始めた数十年いや、もっと古くから溜められていたであろう埃を吸い込んだことで口内の唾液に混ざり砂を噛むようなザラザラ感……とっても不愉快だ。

 通路は165㎝と少し大きいくらいの私が屈んで歩くのがやっとなくらい狭く、蜘蛛の巣やネズミの鳴く声が響き、そしてどこかから入ってきた風の音が静かに反響している。それだけが出口への道しるべ、私を戦いの世界から救ってくれる……手を差し伸べてくれる音だった。

 彼が、あの少年が私を褒めてくれたように私は力が出た。カレン・アルナートを殺せば私は自由になれる。

 大陸の姫様を殺した私を誰が味方をしてくれるだろうか?

 誰もいなくていい。故郷に帰って一人静かに生きていこう。

 長く傾斜や平坦な道が交互に辿ったとき、ようやく彼女の目指す光があった。警備を躱し目標の喉元へ彼女は噛みついている。

 通路は彼女の部屋へ繋がっている。私は光の差し込むその先へ飛び込んだ。胸元に隠した牢役人から奪った刃物を振りかざしながら私は大陸の姫の美しい肌、傷一つない私とは違う幸せな肌にナイフを一突き。

 真っ赤な鮮血が飛散する。固いモノが柔らかく感じた……人を刺すことで感じるアレだ。

 だが、その血は私と同じ匂いがした。汚れた人殺しの腐った臭い。

 あのメイドだ。


「クロエ!」


 私が刺したと思っていたのはお姫様専属メイドがナイフから守る為、咄嗟に防いだ手のひらだった。刺され貫通した手のひらの傷が広がることなどお構いなしにナイフを握りこれ以上動かないようその位置に固定する。メイドの握力だけでナイフはもう動かなくなっていた。

 流石だと褒めるべきだろうか……例え主人が私を許しても彼女は私を生かしておくつもりはないだろう。

 私を睨むメイドの瞳は深紅に染まっていた。つまり、コイツも能力者だ。


「お嬢様に何をするつもりだった……

「覚えていてくださったんですね。アナタ、メイド同士とのコミュニケーションを避けていたからてっきり新人として潜り込んでいた私を知らないと思っていたわ」

「クロエ!血が出ているわ」


 そんなお姫様の声を聞いていながらメイドはナイフから手を放さない。本当に私を殺すつもりなのだ。


「お嬢様を狙った者は誰であろうと殺す。ソレが私が生きる理由、ソレが私の使命」


 メイドは長いスカートであることを感じさせない鋭い蹴りで私の顔を狙って来た。

 その蹴りを紙一重のところで避けられたことが幸運だった。もし当たっていたら皮膚だけでなく筋肉と頭蓋骨を頭から剝がされていただろう。

 実際、クロエの音を置いていく蹴りは大地に根を張った丈夫な大木をへし折ることが容易であった。

 そんな彼女からいつの間にか自分から離れていた。今まで潜入中に彼女は他のメイドたちと会話することなく、不愛想な奴だと思っていた。メイド長からもその性格を何度も叱られ他メイドたちの陰口の餌となっていたが、彼女はそれを気にも留めずにずっとお姫様の脇に立っていた。

 この時のためだったと考えると納得もいく。メイド長が彼女を叱るが決して辞めさせない、他のメイドたちが彼女へ直接嫌がらせしない理由が。


「私は使命を全うする。命ある限り私はお嬢様を守る……それが私の存在意義」

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