第22話

―天井を見上げる者たちの怒り。


 それは父が持つコレクションで私が一番好きな天井画だった。土のようなモノが描かれ一つの小さな穴から一筋の光が差し込んでいるだけの絵、それはその絵を見ている人間が居て初めて世に何かを訴えかけられる作品であった。

 しかし、その絵はもうなかった。

 天井に空いた穴には彼らの見たがっていた空が存在していた。これがジョークであるなら中々にブラックで彼女好みの笑いだった。


「敵はなんなの……」


 私は同じ空間、絵の消え去った長い廊下に護衛として用意された少年に問う。


「あなたを殺そうとする人間」


 何の捻りもない退屈な答えだったが、これ以上ないくらい一番ハッキリした答えだった。彼はクロエと違ってユーモアもセンスもあるが、敢えてそう言ったということを彼女は知っている。

 彼女はもう一度自分の居る爆発によって穴だらけになった廊下を見てみるとそこから感じ取る誰かの怒りと殺意。それは恐らく彼の言う通り自分に対するモノであることを理解している。だが、彼女にも納得がいかない点もいくつかあった。

 なぜ、自分が殺されなければいけないのか。

 上流階級への怒りなのか、アルナート家への怒り、それとも私個人への怒り?

 常に民を優先するように父から教えられ住む場所のない人間に住居と職を与えた。自分より民を優先するように心がけていたが、それでも私に恨みを持つ者は存在したようだ。

 悲しかった。恐怖ではなくそんな感情を抱く人間に思いやりを与えられなかった自分を悔いて、そして自分を苦しめる自分が生まれた。

 全て吐き出したかった。胃の中だけでなく私の中に存在する全て、私と言う私をも吐き出したかった。


「ここから飛び降りたら、死ねば楽になるのかな……」


 それは自暴自棄になりかけていた彼女の弱い部分が呟いた一言だった。

 いっそのことここで命を絶てば私を狙った者も私も幸せになれると本気で考えてしまった。


「そこから飛び降りたら痛いだけかもしれないよ……もっと確実に死ぬならあと一階は上に行かないと」


 伊達メガネをかけた少年は私よりも二つ年下だ。生意気にも私を慰めるわけでもなく、もっと確実性の高い死に方を私に教えてくれる。

 包帯だらけで動かない左腕を気にしながらバラバラに砕け散らばった父のコレクションである壺などの破片を回収し、なんとかくっつけられないか努力していた。


「なんで助けたの……私はあの場で死んでいた方が私を狙った人の為であり、私の為だった。なのにあなたが私を生かしたのはどうして?」

「……キミの言っていることを僕は理解できない。なぜ助けたか?それはからキミを守ることが僕の仕事だからだ。それ以外に理由は必要かい?」


 それ以外に理由は必要か、それは冷たい言い方であるがその通りであった。彼の仕事は私を守ることで、その対象が死ねば彼の生活に関わる問題になってしまう。

 彼女は改めて自分が多くの人間の中心にあって、多くの人間によって自分が構成されていることに気が付かされた。

 しかし、彼女はソラの反論することのできないその事実に子供らしく腹を立てていた。


「あなたって私と違ってオトナなのね……自分のやるべきことをしっかりと見極めて今も私を守る為、ずっと監視している」

「……本来ならここで僕がキミの心にグッと刺さるような名言を残すべきなんだろうけど、残念ながらそれは上辺だけの誰かの押し売り言葉だろうし、なによりソレをキミは望んでいないだろ?」

「じゃあ、私を救ってはくれないの?」


 私は彼を困らせようとした。二つも年下の彼を本気で困らせようとしている私は本当に子供だ。だから腹が立つのだ。

 私よりも歳が下なら年下らしく年相応な生活をしてほしかった。それができる彼が自らこの棘の道を選んだことが何より納得いかなかった。

 カレンはボッカリと爆発によって穴の開いた壁の外へ背を向ける。


「僕の仕事はさっきも言った通りからキミを守ることだ。キミが望むならここで助けるが、キミが死ぬと言うなら僕は止めない。自ら死を選ぶ者の決意を僕に止める資格はない」

「それは私が死を望んで飛び降りたら見なかった振りをするってこと?」

「言い方は悪いけどそういうこと……」

「案外冷たいのねヒーローさんってのは」

「僕はヒーローになった覚えはないよ。誰かがそう言っただけだし、真逆のことを言う人もいる。僕が怪物だってね」


 カレンも何度かウッドのことをテレビで見たことがあった。

 突如現れてバケモノを倒す彼という存在は良くも悪くも人間の持つ何かを動かした。その何かはわからない、自分を守ってくれるかもしれない存在への期待か、それとも自分たちの脅威となる力を持つ彼への恐怖か人によって反応は違うであろう。

 カレンは特科の存在を小さい頃から知っている、それに彼女のメイドは彼らと同じ能力者で世間の評価が二分されるソラは身近な存在であった。彼に対しての感情は特別良いモノでも悪いモノでもない。


「ねえ、もう一度聞いていい?貴方は私がここで死にたいと言ったらどうするの?」


 彼は今までやっていた行為、父のコレクションであったモノたちを直すという行為をやめこちらに初めて顔を向ける。

 黒縁伊達メガネの彼は私なんかよりもずっと大人な雰囲気があった。


「僕はこの世界に住む誰よりも死について詳しいと思っている。確かに死ぬってことは幸福であり、気持ちがいいことだ。キミが楽になりたい、生きているだけで命を狙われる理不尽を理解したくないってこともよくわかっている」


 彼は私の胸ぐらを掴むと私の体は穴の開いた壁の外へとはみ出ていた。


「僕はキミを止めない。キミは僕に放せと命令するだけで誰かのために死ねるんだ……さっきキミが言う幸福とはそういうことなのだろ?遠慮なく命令してくれ、その汚れた手を放せと」


 今、私の命を握っているのは彼であり、そして私の今後を決められるのは私だ。生きるも死ぬも私の全体重を掴む傷だらけとなった彼の腕に委ねられていた。

 黒髪は完全に脱色し、白髪の間から覗く深紅の瞳は私を睨み今にも噛み殺そうとする白虎であった。


「死ぬのは怖くないの?」

「死ぬのは誰だって怖い。怖くないって言えるヤツはネジが飛んだ阿呆か、必死に強がっている惨めなヤツだけだ。力を持たず何も変えることのできない弱い人間ほど怖くないと強がる」

「では、貴方はどちらなの」

「僕は死ぬことが怖い。何度死んでも死には慣れることは無い、慣れてはいけない」

「なぜ貴方は命を懸けられるの……貴方には私を守る義理は無い。今すぐこの仕事は降りなさい」


 ソラの生き方に口を出すのは誰であろうと許されることではなかった。それはこの大陸でもっとも偉い彼女であっても例外ではない、彼女の優しさは生半可なモノであり彼の抑えていた感情を逆なでする結果となる。

 立場の違う二人、何不自由なく他者を優先し、人に何かを施すことで己の存在意義と地位を確立してきた姫。そして、自分を優先し時には誰かから何かを奪うことで己の腹を満たし明日を生きることだけが生きがいの泥棒。

 お互い最初から理解し合えない対極の存在であった。


「僕は生きるためにこの仕事を選んだ。時には何かを切り捨てる勇気が必要となるこの仕事で僕はまず自己を切り捨てた。アンタにもこの大陸の人間にも僕が命を懸ける価値はないし、義理は無い。だが、僕はこの大陸の駒になることを選んだ時点で僕に権利は存在しない……この言葉の意味をいずれわかってくれると信じている」


 少年は私を安全な廊下に私を放り投げると穴の開いた壁から外を見つめながら床に座る。彼の見る方向には続々と集まり始めた大陸の軍隊や警察、治安部隊など幅広い分野で活躍するプロフェッショナルだった。


「ここの下に集まっている人間はアナタを守る為、アナタの為に命を捨てる覚悟をもって来た人たちだ。彼らも僕と同じく自己を切り捨てている……」

「なんでみんな私を守ろうとするの……私は助けてなんて頼んでいない!」

「それはアンタの“我”だ」

「じゃあ何、私は死ぬことが許されないの!?貴方達はいつでも戦いで死ぬことができる。私は貴方達がうらやましい……誰かのために命を捨てる覚悟をもって戦える貴方達が羨ましいのよ!」

「そうだキミは死ねない!死んではいけない人間なんだ!キミの死によって世界が動く可能性がある、キミが居なくなるだけで未来が変わってしまう。アンタにはそれだけの影響力があるんだ」


 彼は血相を変えて今までの穏やかさは嘘だと思ってしまうほどに怒りを表に出した。


「みんながアンタの為に命を懸けるとは言ったが、それはアンタが死ぬことによって引き起こされる問題に自分の家族、友人、彼らが大切に思う存在が巻き込まれないためだ!それが政治だ!それが自衛だ!それが僕らの“我”だ!」


 彼の言葉には力があった……それで私は何も言い返せなかった。


「アンタの自己犠牲というのはアンタの自己満足でしかないんだ……アンタが死ねば相手が大陸であれ、どこかの帝国であれこの大陸の王が決めたら報復戦争が始まる。多くの人間が徴兵されアンタの自己満足から始まった戦争に命を投げることになる……みんなが巻き込まれるんだよ」

「じゃあ、どうすればいいの……」

「僕たちに命を預けるんだ。僕でもロムさんでもクロエさんや下の警察公安誰でもいい……キミの命を預けてくれ」




「ロムさん、それ……なんですか?まさかソイツが犯人?」

「拾った……」


 目隠しと猿ぐつわを咥えさせられ藻掻き必死に抵抗する女を肩に乗せて、さも当然な雰囲気を出すロムに常識を兼ね備えたジードはソレをスルーするスキルは持ち合わせていなかった。


「拾った……拾った、ですか……?」

「ああ、拾ったんだ。とれたて新鮮だ」


 二人の間には不自然な間ができた。

 ジードは自分が一番慕う上司の悪趣味を始めて目の当たりにして動揺している。キャンベラ部隊は特科では比較的まともな部隊として同僚に自慢していたが、自分はまだ全てを知らなかったという悔しさも感じた。


「ねえねえジード!これ見て!金持ちの耳~人間って美味しいのかな?」


 ジードは先程から瓦礫をいじりながら何かを楽しんでいた女のその声に顔を手で覆い隠す。

 狂人はこの部隊に彼女だけで十分だった。動きやすいという理由で旗袍を毎日着ている彼女サワベは戦闘のしすぎが原因なのかどこかネジが外れている。それを止めるのはいつも同期のジードで二人はそれなりの関係があった。しかし、耳を咥えるなんて奇行を平然とできる彼女を好きになれるかは別だ。


「サワベ……そんな不気味なモノを口に入れるのはやめておけ。悪趣味がうつるぞ……」


 部隊リーダーで皆をまとめる役割のロムはそれを本気で止めるつもりはなかった。


「ろ、ロムさん!あいつを止めてくださいよ~」

「新人にでも頼んでみたらどうだ……」


 彼は視界に入ってきたソラの姿を見てすぐ責任を放棄した。ジードは藁にすがる思いで新人にサワベの奇行を止めてもらおうとしたが、彼はまだソラのことをよく知らなかった。

 これはサワベも同様で、特科に所属する能力者でソラを知る存在はホムラの他、特科幹部であるロム、ライヤ、ルカの四名しか知らない状況であった。ジードとサワベは今回初めて顔を合わせ初めて彼の存在を知ったのだ。

 なぜ特科に彼が居るのか、能力は新聞などのメディアで入手できるモノばかりで先日の事件、彼の通う学校での事故の日は協力者がいるから彼の援護を頼むと言われ駆り出されたが、その協力者が彼だったというのも事件が終わってから初めて知らされた。

 なぜここまで彼のことを秘密にしていたのかジードは不信がっていたが今ではそれもどうでも良くなっていた。


「ウッドくん……助けてくれぇ……」

「どうしたんですかジードさん?」

「彼女を止めてくれェ」


 少年性愛者であるサワベにソラをぶつけるのは愚策であると気が付いたジードだったが、耳を咥えているところを誰かに見られているよりは断然いいと判断しソラに全てを託した。

 だが、彼も彼でジードとは違う人間だとすぐに気づかされることとなる。


「サワベさん……それ汚いんでペッしてください。みっともないですよ」


 ジードは自分と同じく耳を咥えたサワベに対してあたふたするソラをイメージしていた。

 しかし、ソラはジードの考えていた反応を見せず普通に対応したのである。これは予想外でとんでもないイカれた新人が入ってきたことを彼は察した。


「ウッドくんにそう言われたらやめるしかないねぇ。嫌われたくないから」


 彼女は常識や人間の作り出した普通という枠にとらわれない自由奔放な性格をしている。ジードの命令は一度では聞かずそれは例え部隊隊長のロムであっても特科のリーダーホムラでも例外ではなかった。

 だが、彼女の付け加えた「嫌われたくない」というのは本心で、今まで年上や同い年の人間を性の対象と感じられなかった彼女はソラという貴重な存在を放すわけにはいかない。彼女はソラに言われた通り咥えていた誰かの一部を捨てた。

 ジードは複雑な感情を抱いたが同時に優秀な新人に感謝する。


「ジード……付近に増援などの動きはみられるか?宮殿警備ではなく敵かそれ以外の団体さんとかな……」

「基本的には敵の動きは変わらず宮殿に近づく様子もありませんよ。宮殿内では忙しそうに警備を任された軍や警察の入れ替わりが激しくてどの気配を追っても最後は皆同じ車に乗ってます」

「何か強いモノは?」

「一つだけ感じられましたが、ここに住まう議長と接触して何も起きていないので大丈夫ではないでしょうか?」


 ロムは釣り針に引っかかった獲物に内心静かに歓喜する。だが、それは内心に沈めているため他の三人と肩に担いだ一人には悟られていなかった。

 相手の方から動いてくれるのだからこちらも何か準備をしなければいけない。


「新人……ホムラに連絡してくれ。月が昇り始めるとな」

「月が昇ですか?」


 月は既に昇っていたためロムの言葉の意味を理解する者は居なかった。

 ソラは頭に疑問符を浮かばせながら言われた通りにホムラへ連絡を行う。連絡を受けたホムラはひどく残念そうに普段より声色が低く感じたが、それが何故なのかはソラには予想も考えることもできなかった。

 だが、自分たちの仕事と同時進行で何かが起こるという胸騒ぎだけは彼も感じ取ることができた。


「どうだって?」

「なんだかひどく残念がってましたよ?アレどんな意味があるんですか?」

「それは言えぬな……どこで誰が聞いているかわからない。さて、お前たち……私はこの女から少し情報を抜き出すつもりだが、敵襲が無ければ予定通り順番に宮殿警備を行え。どうも大陸の役人だけでは無理そうなのでな……」

「ロムさぁんアタシ、彼と警備したいなぁ……ダメ?」

「ダメだ。もしものことがあったら対応ができない」


 その対応ができないというのには二つの意味があったがソレを理解できたのはサワベ本人ではなくジードだけであった。


「では、解散だ」


 こうして僕は月灯りが地上を照らしている中で、真っ暗な宮殿の灯り一つない長い長い廊下を見回っていた。

 外を見回る大陸政府が派遣した軍や警察と違って特科は一人行動が原則だ。一人は寂しいモノだったが、逆に一人で助かったこともあった。

 懐中電灯一つ持って僕は警備よりも優先することが一つある。それは宮殿宝物庫の物色だ。

 宮殿には東大陸の各地域や親交の深い他大陸、特に南大陸から送られてきた宝が存在すると噂に聞いたことがある。警察がいっぱい居る中で盗むのは心臓の強い者にしかできないが、僕はこの宮殿内を好きに動き回るチャンスを貰っている……これを利用しなければ勿体ない。逆に失礼だと勝手に考えていた。

 そして宮殿の宝物庫、扉には金でできた豪華な彫刻が嵌め込まれ素人にも隠せない高級な匂いが中から溢れ出ていた。

 僕の口角は自然と上がってしまっている。

 宝物庫の警備員には少しの間眠ってもらっているおかげで鍵の解錠に必要な労力を抑えることができた。鍵も簡単に開きようやく夢にも何度か出てきた大陸が大切にする宝物庫の中に潜入することに成功する。


「うはぁぁ!」


 それは財宝の数々を視界に入りきらない量見てしまった僕から自然と出た喜びの声だった。

 大陸の宝刀と呼ばれるダマイレスの剣やバルクの盾など展示されることのない貴重な武器の数々が壁いっぱいに飾られていた。男ならこれに興奮しない者は居ないだろう。


「なんだここ天国か!?」


 僕は興奮を抑えきれず壁にかけられた絵画や大陸の宝典に触れようとしたときだった。


「泥棒さんに天国へ行かれてしまったら困ります……」


 一人興奮した僕は警備の異変に気が付き背後に近づいていた彼女の気配を見落としていた。

 そのおしとやかな優しい声には少し棘があって場合によっては僕を敵と認識するほどにこの宮殿に住む主に忠誠を誓っている。興奮したまま何か彼女の主の大切な物にでも触れていたら警告なしに殺されていたかもしれない。

 戦場に咲く一輪の花は薔薇のような棘をもっていた。


「ウッドさん……私は貴方を傷つけたくはありません。貴方のおかげでお嬢様は元気を取り戻しましたから……少々手荒でしたが、感謝しています」

「では、それに免じて見なかったことにしてもらえませんかね」

「それとこれとは別問題です。私はお嬢様に大陸の宝を盗もうと者を消せと命じられています……それは貴方のように命の恩人であっても例外なく」


 彼女の短刀やナイフを投げる精度の良さは燃える宮殿脱出のとき目の当たりにした。一直線に狙った場所へ飛ばせる彼女は僕を簡単に串刺しにできるだろう。

 未だ背中を向けている不利な状況に僕は唇を擦り不安なときの仕草をしてしまった。誰かに僕の弱さを知られない為に人の目の前でこの仕草はしないと決めていたが、今回ばかりは体が勝手に動いてしまっていた。

 だって、逃げ場のない宝物庫で宮殿を守る最強に狙われているのだから。


「ウッドさん、目的はなんですか?場合によっては覚悟をしていただきます」

「僕はこの宝物庫にあると言われる宝……CS4。なんでも身につける者に全ての真実を教えてくれるっていうネックレスを探しているんですけど。それは事実なんですかね?」

「真実は知らなくていいこともある、私はお嬢様にそう言われました。あるかないか、それこそ……そのネックレスの出番と言えますね」

「ははっ、僕はやっぱり知的なあなたの方が好みだ……」


 彼女の返しにふと心の中思った言葉が口から出てしまった。偉そうに好みだなどと口走ってしまったことで彼女の顔を見る勇気がさらになくなってしまった。

 恐る恐る振り返ってみると彼女は掛けていた丸眼鏡を外しエメラルドグリーンの瞳で僕を睨みつけている。

 変わった。比喩ではなく本当に彼女は変わったのだ。

 人間とは思えない運動神経によって一息で僕を床に抑えつけ拘束していた。一瞬の出来事に僕は何が起きたのか理解するのに困ったが、足を払われ宙を一回転したことは覚えている。

 僕の体重は重くはないが、華奢な彼女の体で投げ飛ばせるはずもない。鍛えられた戦士だ。


「乱暴者で知性の感じられないアタシじゃ満足で気ねぇってか?なあガキンちょ」


 僕の背中に腰を下ろしたもう一人のクロエは先刻まで感じられた上品さの欠片もない彼女の言う通り知性を感じられない乱暴者だ。

 さっきまでの人格を勝手に表と定義すると、表は例え誰が自分と敵対しようと相手に対してある程度のリスペクトなどを感じるが、彼女からは何も感じられない。無邪気な殺意のような半熟の何かを感じる。だが、彼女の体は既に出来上がっていた。


「誰から戦い方を習った……キミの呼吸は誰かに似ている気がするんだ」

「なぜお前にそんなことを言わなければいけない。それにアタシがお前に聞いているんだ……アタシじゃ満足できないのか?」

「はぁ……?何言ってんだ?」


 なんてめんどくさい奴なんだ。心の中でそう考えるが彼女はその思考を読んだのか僕の右腕を締め付ける力を強めた。そこは怪我が治りきっていない箇所で関節が外れる音や治りかけの傷口がまた開く。

 拷問だった……彼女の満足する答えを探さなければいけない。だがしかし、僕の脳内には彼女に対するベストな答えが無かった。


「聞いてんだろ?アタシよりあの大人しい清楚系美人が良いのかってよぉ」

「だからなんでキミはそんなことを気にするんだ!キミと僕はそんな関係じゃないだろ」


 彼女は舌打ちをしてとりあえず僕の右腕を解放するが、僕の背中に座ったままだ。そしてあのときの煙草に火をつけた。


「アタシとアイツ、どう違うってんだ。同じ体、同じ顔で同じ声だ……なのにアイツばかりが好かれる。いまだってアタシの気に食わない何かを感じ取って入れ替わった」

「キミと彼女の違いなんて短い付き合いの僕でも沢山あげられるぞ。口調や性格、仕草、知識の他にも沢山な」

「いい……もういい。それ以上アイツを褒めるな……ここがムズムズするんだよ……」


 彼女は胸元に触れて、僕に聞こえない声で何かを呟くと彼女は僕の背中を枕代わりにして横になる。いったい何が目的なのか、彼女の行動に何の意味があるのか僕には一切読めず困惑していたが、ただ彼女が満足するまでその場から動かないことを選んだ。下手に動いて機嫌が悪くなられても困るからね。

 もしかしたら二つの人格同士で話し合っているのかもしれない。そこに僕が介入することは許されない。

 そして彼女は数分の沈黙を破り口を開いた。


「ごめんなさいウッドさん。彼女が取り乱しちゃったようで……今日の宝物庫侵入の件は黙ってあげるので、その……もう少しこのままで居ていいですか?」


 表の彼女だった。彼女の要望に僕は何も返事をしなかったが、彼女は独自の解釈で僕に感謝する。

 解放されたままの宝物庫の扉から見える綺麗な球体に輝く月はいつも以上に美しく見えた。

 僕の胸の激しい鼓動を彼女は感じているのだろうか、女性に慣れていない僕の情けない悲鳴を聞かれていたら恥ずかしい。


「…………クロエさん。失礼なことだと思うので答えたくなければ答えなくて構わないんですが、メイドを仕事にする前はいったい何を?」


 昼間のナイフの使い方を見てから、いやモモカさんに彼女の写真を見せられた時からずっと彼女が何者なのかを知りたかった。

 僕は写真に写っていたのは彼女ではないという証明が欲しかったのだ。

 僕の質問から数秒の短くてとても長い間ができたが、僕は気にしていない。

 彼女には言いたくなければ言わなくていいと言ったのだ、ここで執拗に問うことは彼女にとって迷惑だ。

 それに誰だって思い出したくない過去の一つや二つあってもおかしいことはない。僕だって秘密は沢山ある。

 だが、そんな僕の質問に彼女は何かを決意すると話を始めた。


「沢山、人を殺していました……」


 戦場での写真は事実だったようだ。

 僕は認めたくはなかったが、アレが彼女で間違いないならなぜあの内戦に参加したのか。決して口にはできない疑問が生まれてしまった。


「私は北大陸の革命家によって育てられました……兄と死んだ妹の三人で」


 北大陸内戦の話は孤児院で聞いていたが、完全に外の世界から隔離された閉鎖空間だったため詳しい話は知らなかった。モモカさんに彼女の映る写真を見せてもらって必死に勉強したよ。

 北大陸は世界が四つに分断された原因である100年戦争(通称:神姫大戦)以前では古い仕来りに重きを置く王族貴族によって支配されていた。

 しかし、100年戦争終結と四つの大陸の作り出した中央に住む者たちイリニインゼルの力の拡大により次第に四大陸の内政は中央政府老中院によって干渉され、彼らが実質的な地上の支配を行うこととなった。

 四つの大陸は中央政府に支配されていたのだが東西南の大陸は柔軟に順応していた。中央の力が強まってもそれに対応できる者たちでなければ政治は上手くいかない、その結果が顕著に出たのは北大陸だ。

 そう、政治が老中院に委ねられたことにより彼ら北大陸の政治は崩壊したのだ。

 政治を任されたのは中央の用意した自分たちに都合のいい議員、いわば近代的な思想、人権の尊重や人種差別の排除、奴隷の解放を掲げた人間に優しい世界を創ろうとする者たちであった。

 中央はその頃から人間は人間らしく近代的な暮らしをして生きるべきだと考えて彼らに支援を行っていたのだ。

 しかし、彼らの掲げる公約とは完全に貴族主義の支配者たちには到底受け入れられるものではない。

 両陣営の食い違う思想で、より対立の深まる支配者と近代派議員によって大陸内は分裂する寸前であった。

 するとある日、中央によって支援を受けた近代派のアスタイトによるクーデターが発生しそれは見事一滴の血が流れることなく一日で成功……政変は行われ北大陸に続く長い貴族主義は終わった。この無血開城が北大陸のは消えてしまったアスタイトの奇跡というやつだ。

 一時期は彼ら近代派の政治によって平和と皆が平等に裕福になる為の時間が与えられたことだろう。だが、大陸の治安は安定しなかった。

 アスタイトはクーデター後急死した為、北大陸にはトップが居なかった。そこで問題に介入したのは全世界の近代化を推し進める中央政府老中院だ。

 中央政府の介入により完全管理社会から脱した民はそれぞれ自由に働き、何をするにも自由になった。畑で何を作るか、工場で何を作らなければいけないのか、大陸に申請をする必要がなくなり確認をすることがなくなった。

 そう、彼らは自由になったのだ。

 自由を知って平和になった彼らの意識は緩んでいた……法は甘くなり論理より感情を優先するようになっていた。

 そんな彼らがどうなるか……政変より数年後の西大陸と領土問題によって両大陸軍の衝突、そして南大陸から密輸された違法薬物の蔓延、戦争によって失業者が溢れ不景気からの犯罪率の増加。

 中央政府が間接的に支配していた北大陸は彼らの許可なく政治をすることは困難となっていて、傀儡に成り下がった北大陸はまたまた完全に崩壊寸前にまで陥っていた。

 そこで立ち上がったのは反中央政府派である旧支配者たちだ。

 彼らは政変以前の完全支配によって大陸を治め身分制度、奴隷制を復活して経済を建て直そうとしていた。

 そんな動きに中央が黙っているはずもなく彼らの持つ軍隊と癒着の激しい東大陸の所有する能力者組織を派遣。北大陸を戦場とした旧支配者率いる革命軍と中央政府から支援を受ける近代派政府の数年に渡る内戦が始まったのだ。

 両陣営の死傷者数は未だ正確な数字が出ていないが、どれも大陸人口の半数が消失したこととなっている。当然民間人も沢山死んでいた。

 革命家に育てられたというなら彼女も革命軍側で利用されていたのだろう。


「父は革命家でしたのですぐに戦死して、戦争が終わるまで東大陸から派遣された女性にお世話になっていました。戦いはそこで……」

「やっぱりあのナイフの扱いの上手さは習ったもの……」

「ええ、彼女は厳しかったです。でも母親のような愛があった」


 彼女は体を起こして顔をエプロンで拭う。僕も上半身だけを起こして彼女の話を聞くことにした。


「沢山、人を殺した。生きるために沢山、沢山。兄さんは私が手を汚すのを一番嫌がった……でも私は止まらなかった」


 そして彼女は今までに殺してきた人間の特徴を呟いていくが、どれも敵である中央の用意した兵士たちであった。


「私、今でも気を抜いたらあの人たちの顔が浮かぶんですよ……最期の私を呪うような眼つき、私は自然と笑ってしまう……」


 彼女の言葉通り、彼女は頬を赤らめ笑みを浮かべていた。


「私は彼らに追いかけられている。彼らは私の足に枷となって地獄へ引きずり込もうと企んでいる……」


 彼女は肩を震わせ涙を流しながら笑みを浮かべる。戦争の後遺症、感情のコントロールが上手くいかなくなってしまった彼女は混濁した感情に飲まれていた。

 笑いたくないのに笑ってしまう、意思に反して勝手に流れる涙に彼女は怒りを露わにする。

 彼女が戻ってきたのだ。


「アタシは快感だった!だが、私はそれを認めない。なあ、お前……お前もこの気持ちわかるだろ?」

「僕はソラだ……お前じゃない」

「どっちでもいい!アタシを助けてくれ……この感情は抑えられない、お嬢さんはのんきにいつも困ったときアタシを呼ぶが、アタシは彼女に助けを求められない」

「信頼していないのかお嬢さんを」

「違う……違う、違う。アタシ、いや私がそれを拒んでいるんだ。私はお嬢様に頼られたい……戦うこと以外で頼られたことが無かった。でも、もう戦いたくない……」


 「戦いたくない」それが彼女の本音だった。左目を縦断する傷を塞いだ縫い目を見れば僕も彼女の立場であればよくわかる気がした。

 僕も痛いのは嫌だ。バケモノと戦うたびに新しい傷ができて今も治らない傷もある、死にそうになったことだって沢山あるし、実際に死んだことだってある。

 彼女の気持ちはよく分かった。僕も正直戦うことはやめたい、だから一緒に戦いから逃げようと言いたかった……なぜだか僕は彼女に戦ってほしくなかった。

 だけど言えなかった。言ってしまえば彼女という存在を殺す事にもなり得たから。


「なぜソラさんは戦うんですか……お嬢様はそう聞きましたよね。私もあなたに聞きたい。なぜあなたは戦うの……なぜ知らない人の為に戦えるの、特科に居るってことはそういうことでしょ……?」


 その質問は僕にとって模範解答のない数学くらい難しいモノだった。

 僕は人の為に戦う義理は無かった、お嬢さんの質問に答えなかった理由は誰も納得のできない答えだったからだ。

 一本の木に魅かれて導かれてアレを知るまでは死ねないから。

 どんな犠牲を払ってでも僕は世界樹を知るつもりだった。その為にはあの崩壊した世界で男と約束したようにヒーローになる必要があった、だから僕は戦っている。

 僕は好奇心で動いていた。


「さあ……僕はなんで戦っているんですかね?誰かに認められたいのかもしれない、どこに居るかもわからない両親のところに僕の名前が届いて見返したいのかもしれない。どうだアンタらの力を使わなくても僕は生きていけるんだって……」


 しかし、出てきた言葉は僕の考えとは違っていた。どこに居るかもわからない両親に対する反抗、これが本音であれば僕もまだ自分のことを全然わかっていいない。

 僕はいったい……何者なんだ。

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