第20話
「ガンマーズ部隊……通信、途絶えました」
最後に聞こえたガンマーズ部隊を壊滅させたであろう少年の声、連絡用ワゴンの中で少数の部下に囲まれハンクは久しく動揺していた。
彼の元に届く報告はいつも作戦成功の吉報のみであり、今回初めて彼の元に失敗の報告が入ったのだから。
計算が全て崩れた。一つの失敗が全ての歯車を狂わせる。
「そうか、あのガンマーズ部隊が……」
特殊作戦で常に前線で戦果を挙げてきた精鋭である彼らが失敗した。それは今後の作戦を遂行する中で必ず部下の士気に関わってくる。
ハンクは頭をかいてガスマスクの吸収缶を回す。彼が悩んでいる時の癖で、吸収缶とマスクの接続部が擦れる音が聞こえた時部下は彼の好きな紅茶を差し入れする。
目標は俺達と同じかそれ以上の傭兵を雇っている……いやもしかしたら作戦が外部に漏れていた可能性も……。あの男が我々をはめた可能性も残っている。
本来はターゲットが渡り切った橋を爆破し後方の護衛と逃げ場を無くし、残った護衛を各個撃破してターゲットを確保する流れだった。
しかし、橋を爆破することも護衛を減らすこともできなかった今、突っ込んでも返り討ちになるだけであった。ハンクの脳内に映し出されるシミュレーションは彼の脳内であるにも関わらず、彼にとって常に最悪の結果だけが選抜される。
「ハンクさんどうしますか?今突っ込んでも返り討ちになるだけでしょうし……」
補佐のマイヤーはいつも通り落ち着いていた。彼もまた第二第三の作戦を頭の中で整理している。だが、ハンクと同様に彼の脳内も最悪の結果だけが浮かび上がっていた。
「どんな傭兵を雇ったか知らないが、あのメイドも居たら今回は勝てないな」
クロエ・キルアイ。アルナートのお嬢ちゃん専属メイドのことだ。
戦闘能力が高くあの女一人で戦車2両を破壊した実績もある。ガンマーズ部隊を壊滅させ最後に無線を使用した小僧とあのメイドが居たら……。
「よし。プランBだ……合図の花火を待て」
おいて行かれた僕はシャドーによって壊滅させられた部隊の生き残りである男を拘束してカペストラ宮殿を目指していた。
ボートの運転免許は持っていないが、なんとかマニュアルを見て今頑張っている。
Rose mercenary:薔薇の傭兵。この男たちは誰に雇われたのか死んでも口を割らないだろう。でも、ロムさんには殺してでも情報を聞き出せって言われてるので、彼には死んででも何かしらの有益な情報を吐いてもらう。
「おいおっさん。アンタ誰に雇われたんだ?」
仲間を一人の悪魔に目の前で蹂躙され憔悴しきった表情の男であったが、予想通り口を開くことなく僕から視線を逸らす。
どんな光景を見ようと彼は受け入れていたようだ。僕がボートに着陸したときより彼は何か覚悟したように先刻とは打って変わって瞳には魂が残っている。
彼は面倒なタイプだ。それが分かったソラは腹を括る。
「おっさん、答えた方が身のためだ。僕は今アンタの命を握っている。いつでもその頭と胴体をさようならすることもできる」
「小僧、お前こういうの初めてだな?力が抜けているし、声が弱々しいな。本気で殺す気の無い脅しなど通用しないぞ」
ジリジリと男の首元に巻き付けた植物をきつくするが、このおっさんは動じない。それどころか死ぬことを素直に受け入れている。
動けない男の最後の隠し刀である魂を乗っけた言葉には重みがあった。彼もまた僕と同じ立場であったが為に言える言葉なのかもしれない。
そして男の口元でパキッと何かをかみ砕いたような音が聞こえた。
「まさか!?」
気づくのが遅かった。
男は隠していたカプセルだろう毒性の強い薬を既に飲み込んでいた。血と唾液が混ざった液体が口からあふれ出て目の焦点がぶれている。
「おい!ソイツを今すぐ吐き出せ!」
おっさんは体を痙攣させながらしぶとく生きているが、決して吐き出そうとはしない。胸ぐらを掴み揺さぶるが男の唾液が飛び散るだけで口を開くことも嘔吐することもなかった。
これが覚悟……。
「小僧……俺たちは捕まった時、失敗したときは死ねと言われている。我々は家族も家も国もない……あるのは命令だけ。小僧、我々を一人で拘束したのはお前が初めてだ……褒美に一つ教えてやろう。俺たちを雇ったのは、下の連中だ」
僕になにか遺言を残そうとしているのか?おっさんは喉に血が溜まらぬよう血を吐き出しながら必死に話す。段々と呼吸が二重に重なり細くなる。血管の浮かび上がる男の腕を握ると脈が弱くなり始めていた。
彼の命はもうすぐ尽きる。ソレが分かると彼からあふれ出る感情を僕は強く感じ取る、視線を外したくなるほど彼からの感情は口に出さずとも伝わる。
その憎しみはいったい誰に、僕ではない誰かに向かってそれは伸びていく。
そしてソラにはわからなかった。その憎しみの中に微かな幸福のような負に紛れる優しさの意味が、同時に抱いた彼の複雑な感情が理解できなかった。
「おいおっさん!アンタに死なれると情報が聞き出せなくなるんだよ!勝手に死なせないからな!」
自ら死を選択した人間に「死なせない」というのは残酷なものだが、男たちの目的を知る為にはこのおっさんが必要だ。
「ま、マリー……」
おっさんは遠く離れ始めた意識で必死にしがみ付きながら女の名前を呟いた。
胸元の金色に輝くネックレスに触れると少女の写真が嵌められている。返り血によってか少し赤く汚れていたが、金色のカールヘアがお似合いの古代十九世紀に流行っていたと言われるフランス人形そっくりな少女だった。
「こ、今回……。アルナートを狙っているのは、地下だ……。狐とさ、サングラスだ……」
狐とサングラス!?あの二人が、工場で戦ったあの二人組がアルナートのお嬢さんを狙っているのか、でもなんでだ?彼女はなぜあの二人に……。
「おいおい、ほんとにそんなこと言っていいのかよおっさん!アンタ傭兵だろ?口が軽いんじゃないの?」
「なんだ……?お前は情報が欲しいんじゃないのか?ありがたく受け取っておけ。俺は下の奴らが嫌いだ……」
「だ、だからって……そんな簡単に吐かれても僕はもう……あんたの命は救えないよ……」
「ハ、ハハ……死ぬ前に昔話をさせてくれや……」
僕は何も答えなかったが男はその無言の意味を理解し話を続ける。
僕は今にも気を抜いたらあの世に行きそうな男の手を握り最期の話を聞くことにした。
これは、もうこの男からは何も情報を得られないと判断したソラによる慈悲だった。
「俺はなぁ……昔、娘をヤツらに殺されたんだ……。目の前でだ。ヤツらはたった一人の子供を殺しただけとしか思っていないだろうが、俺は死んでもヤツらのやった事は忘れねえ……。俺は復讐をしてやると可愛い娘に誓いこの世界に入ったんだ……。俺もヤツらと同じく人を沢山殺めた。目の前で親を殺され、泣き叫ぶ子供の声を聞く度に胸が痛くて、痛くて……耐えられない仕事でもあった」
男は涙を流しながら胸元のペンダントをそっと太陽に掲げる。
写真の嵌められた飾りは太陽の光を浴びて黄金をさらに輝かせていた。ペンダントは何十年も首に下げられていたとは思えないほどに美しい輝きだった。
「マリー……。父さんは勝手にお前の仇をとると約束しちまった……お前はこんなこと望んじゃあ、いなかったかもな。ごめんよ、マリー」
「おっさん、彼女を殺したのはどいつなんだ?地下のヤツって言っていたけど……」
「ああ、忘れはしねえよ。傷だらけのあの顔を……地下帝国シェフレラのリッパー、ヤツだよ。ヤツは俺たちの村に居るある男を探していたが、男はリッパーの行動に気づいてだか既に村を出ていた。それに気が付いたリッパーは男に激怒して村の人間を殺しまわっていた……ヤツはなにかに憑りつかれていたようだったな……」
このおっさんも被害者だったのか。娘を殺される、家族を持たない僕には想像もできない程の苦しみなんだろうな……。
男が僕の手を握る力を強めると口からは大量の血を吐き出す。いよいよ迎えが近づいてきて急いでいるのだろう。
「俺は、最後くらい娘に顔を会わせられる人間で居たい……。隊長は俺に残った最後の家族だ、
「おっさん、アンタ達は何者なんだ?隊長って誰だ?」
「お、俺たちは薔薇の傭兵。隊長のハンクは地下帝国に弱みを握られていてなぁ……今回の作戦に俺は断固反対だったんだが、金を出されたらなんでもやるのが俺ら傭兵の仕事。つまり、仇だろうが報酬があれば俺たちは従う。その仕事が例え不可能なモノでもだ……」
「アンタは他人の子でも愛せるのか……?」
「人は皆、神の子だ……。俺は神の作った道から外れた者を己の正義で、いや己に正義と思い込ませて罰してきた。それが俺の仕事だ……。しかし、子供は殺さない。彼らにはまだチャンスがある。もしかしたら世界を変えてくれるかもしれない。争いを無くしてくれると信じている。私は無限の可能性を秘めた子供たちを愛している……」
「そうか。ああ、ごめんよマリー。お前はこんなに汚れてしまった父さんを許してくれるかね……?」
ここで男の糸が切れた。男が最後に何を悟ったのか、何を見たのかは現在のソラにはわからなかった。
地下の人間が嫌いだが、薔薇の傭兵は報酬を貰えば何でもしなければいけない。例えその依頼主が自分の愛する家族を殺した人間でも。
ソラは川に沈む男たちの遺体を一人一人潜って回収し綺麗に並べ、本来爆破予定であったであろう橋の下に薔薇で彼らの遺体を覆う。全ては回収できなかったが、彼らがそれを望んでいたかはわからない。
そして、本来敵である彼らになぜこんな丁寧なことを自分がしているのかソラにはわからなかった。
国の姫を暗殺あるいは拉致しようとしていた彼らは晒されても仕方がない存在だ。しかし、ソラは自分のように陰でしか生きられない、彼らのような陰で生きてきた哀れな漢たちの姿を太陽の光を浴びて生きてきた人間には見せたくなかった。
例え仏やキリストのような聖人であってもだ。
一方カペストラ宮殿皇帝住まいの東棟にソラより先に着いたロム達はソラの報告を待っていた。最後に船からの連絡から数十分は経っていて徒歩でも無線が十分届く範囲についていてもおかしくない時間だ。
「彼遅いですね。もしかして新手の敵を見つけて突っ込んだら返り討ちにされちゃったとか?」
「サワベ……もし彼が負けてたら我々はなんの損害もなしに到着してないだろう」
「縁起でもない」と言うジードとは違いロムは冷静にサワベのジョークをスルーする。ロムの目的はカレン・アルナートの護衛であったが、他にも別の仕事があった。
「今回は忙しいな。姫を狙う薔薇とタカ派議員を狙う月影の調査か……」
ロムのもう一つの仕事は『月影の騎士団』の調査で、これが一番厄介であった。
最近になって名前が噂の風に乗り始めた謎の組織月影の騎士団。一部の噂では
存在は10年前……丁度サカイが東の議長になり始めたころからあったらしいが、奴らが何をしているのかなどの情報は無くどこで何しているかもわからなかった。
しかし、最近一人の議員が死んだことにより事態が大きく動いた。
今から5か月前。地下と議長を嫌うタカ派議員ホン・マキが会議後に駐車場において複数の男に囲まれ刃物で刺され死亡した事件。
ホン・マキ議員は現議会上層部のサカイ一派の腐敗と地下への消極的な態度に不平不満を抱きマーサス議員と共に声を上げてきた。
そんな反サカイの男が殺害され警察には謎の圧力がかかり、我々特科には捜査権すら与えられないという結果には皆が不審に思った。なぜ捜査できないのか。なぜマスコミは報道しないのか。
特科に任せてくれれば血液から記憶を辿ることのできる者も居る。だが、サカイ一派はこれを拒んだ。
奴らは「犯人が捕まることを祈っている」と言うが、我々ならすぐに解決できる。
いったい何故なのか。
これだから私は政治家が嫌いだ……。
「ロム、話がある……今回の作戦についてなのだが」
数日前、東大陸アルナートのお嬢さん護衛の内容説明後、ウエムラくんが私一人呼び止めた。恐らくはこのとき既に誰がこの作戦の指揮を執るかは計画されていた。
無論、それはロムであった。
「なにか……」
「キミにはもう一つ追ってほしい組織がある。モグラではなく、こちらは地上を徘徊するヤツらなのだが」
「それは空に浮かぶモノであっているか?」
「話が早くて助かる。キミの察しの通り月影の騎士団ことだ」
ロムはこのとき彼らの存在を噂程度でしか掴めておらず、初めて存在が明らかとなった。中世的、実に古臭くて彼には少々むず痒い名であったため記憶の片隅に残っていた。
「月影の騎士団とは仮の名だが、ヤツらのやった殺人暴行窃盗の全てはサカイ派によって抹消されている。起訴内容も同様にだ……。大陸軍人の動きは全て管理されており、思想的には強硬派なので騎士団とやらは民間なのだろう……」
「どうやって組織化したのだ……武器やその他は?」
「それは今回わかることだ。モモカさんには許可を得ている……あとはキミにかかっているよロム」
ウエムラくんが言うにはサカイ派は黒で確定なのだろう。
そこで今回ウエムラくんは特科を使いヤツら騎士団の存在を世に報道し、地下と一緒に存在を国民にバラしてやろうという考えであった。
騎士団がもし存在しなければサカイ議長の疑いは晴れる。本当に存在していてサカイ一派の私兵であると確定すれば印象は悪くなる……。どっちに転んでも我々には影響がないが、今後の東大陸の政治の方針などは180°変わることだろう。
「騎士団は愛国心で動いてるから立ち悪いっすねぇ……僕は他人の思想とかどうも思わないんですけど……彼らのような己の思想を正義として、他は全て悪と決めつけるのが生理的に受け付けないっていうか」
「ああ、あれは行き過ぎた正義だな……」
そうだ。騎士団メンバーが民間、軍人どちらであっても行動原理は思想。行き過ぎた愛国心だろう……。
「愛国心」それはロムにとっては反吐が出るような薄気味悪い言葉であった。反射的にその言葉を嫌い、そしてそれを語る人間を憎んでいた。
彼はマスクの下で静かに笑った。
それからの長い沈黙の時間。ロムはどこに敵が潜んでいるかわからないこの緊張感を楽しんでいた。
全てが敵に見え、自分を惑わせる。もしかしたら、自分の部下も雇われた敵……。彼は次に誰が派手な動きを見せてくれるのかが楽しみだった。
『ロムさん……こちらウッドです』
「ウッドか……無事でなにより。では報告を」
『ハッ!怪しい小型船は先程の報告通り、薔薇の傭兵を名乗る者たちで、尋問中に隠していたカプセル……たぶん毒性の強いヤツでしょう。それを飲み込み全員自害しました』
最初に自分で立てた仮説通り今回の作戦に薔薇が関わっていた。肝心なのはその薔薇が、金を払えば何でもやる彼らが誰の命令で動いていたかということだ。彼らが独断と思想で動くはずがないというのはロムが一番よく理解している。
「なるほど、報告ご苦労。気を付けて来るんだぞ……。それと、尾行されているなら気づかないふりして連れてこい」
『え?あ、はい!了解です!』
この際沢山ついて来てもらった方が探しやすかった。
彼らからする血の匂いはロムと同じものだった。
「ロムさん……ウエムラさんが『落ち着いたら報告待っている』とのことですが、どのタイミングで行きます?」
「そうか……」
全神経を極限まで解放しながらウエムラと連絡を既に取っていたジードに感心しながらロムは宮殿の屋根から見える景色を全て見渡す。宮殿の下には政府の要請により警察や機動隊の防衛線、宮殿に入ろうとする傭兵を警戒していた。
宮殿の守りは特科の仕事ではなかった、こちらの警護は警察機動警護隊引き継ぐことができる。と、なると今自分たちは手が空いてるとも言えた。今行かなかったらなんだかんだ忙しくなって行けなくなるだろう。今がチャンスだ。
「軽く顔出しに行くぞ……」
ロム達は受付窓口に要件を話し、ウエムラに会うまで約2時間。
窓口は先日のテロの詳細を聞きたがっているマスコミの電話で大忙しで、三人は窓口お姉さん達に同情しながらやっとカペストラ宮殿西棟の軍事専用会議室に招待された。
そこは盗聴器も監視カメラもない宮殿内唯一の場所であった。
「すまないねロム。ちょっと忙しくてスムーズに誘導できなかったよ」
「いえ。何時間であろうと我々は待ちますよ。どうも忙しそうでしたし、もしかして先日のことですか……」
ロムの質問は正解だったらしくウエムラは右の口角を上げ、鼻からフッと空気が抜ける笑いで頷いた。
「我々は事故と判断し、記者会見も開いたのに……どこの誰か。正義でやったのか、それとも我々への挑戦なのか。会見のあとゴシップ誌にネタを売り込み、この事故が例のバケモノ……いや、ウッドくんの同級生絡みということがバレてしまったよ。本当に面倒なことしてくれたもんだ……」
「ま、まあ。遅かれ早かれいつかはバレてましたよ……」
「そうだな……ジードくん。遅かれ早かれバレてたんだ……バレるのはいいんだが、タイミング。タイミングは今じゃないんだ。ま、こんなところで愚痴を言っててもしょうがないな。報告を聞こうか?あと新人はどうした?」
ロムは薔薇の傭兵による襲撃未遂など事細かに説明をした。ウエムラは長い机に行儀悪く腰掛けて紅茶を飲みながら報告を聞くが、三人は気にしなかった。
ただ一つ気になることはなぜモモカが居ないかということだけだ。このことを一番知らなければいけない女がこの部屋に居ないのはおかしいとロムは訝しむ。だが、誰もそのことを口にすることはない。
「そうか。今回は薔薇が関係してくるのか……新人はよくやっている一人で制圧できてしまうのだから」
「ええ、彼はよく働いてくれている……」
「とにかく情報提供感謝するよロム。後は俺に任せてくれ」
「我々は騎士団の調査もあるので…今日、明日はお互い寝れないな」
この時顔は誰にも見えないがロムは笑っていた。
「アレ?おかしい。なんでロムさんも誰も居ないんだ?」
ソラは一人宮殿東棟を彷徨っていた。
一度来たことがあったため宮殿の大体の構造はわかっていたつもりだったが、いざ一人で宮殿を歩き回ると迷子になりそうだ。いや、もう迷子になってしまっている。
「流石上流階級の王族、皇族の住む場所は違うなあ……部屋が多すぎるよ」
一本の長い廊下に敷かれた全ての足音を吸収する絨毯に描がかれた獅子の大陸国章を踏まないように避けて歩くことを心掛ける。
ここは貴族の住む場所でもあって、僕のような一般人に踏み入られるだけでも気分を害す人間だ。僕は彼らを刺激しないよう僕なりの気遣いをしてあげているのだ。しかし、赤い高級そうな絨毯の上を歩いているだけで一般市民である自分の場違い感を感じていた。
現在、僕のいる場所は宮殿の公開スペースで誰でも入れると言うが、僕のような一般人の姿は無くタキシードを着た資産家やキラキラと派手に着飾る夫人が出入りしている。
彼らの目的は一つだ。宮殿内の美術フロア、現在僕らが住むこの大陸で起きた数百年以上も前の戦争の歴史を見るためだろう。公開エリアの中には数百年前の戦争の歴史美術品、つまり西暦の時代に描かれた美術品やレプリカが沢山飾られていた。
四大陸にはそれぞれ戦争の歴史がある。ずっと前の歴史を見れば神と悪魔と戦ったなんてタイムリーな歴史もあった。そんな重要な歴史を紐解く展示品が飾られているということで一部界隈にはすごく人気な場所だ。
僕は泥棒をやっていたが流石に宮殿に潜入したことは無かったので、これを機に中で本物があるのか採点をしてやろうとそこへ足を踏み入れてみる。
美術館のような大広間に入ると天井にぶら下がるシャンデリアと、約2000年以上前の天井画が来場者をもてなす。たしかあの絵は……。
「『感情なき鋼の巨人の戦い』のレプリカでございます……」
その声が言う通り槍を持った巨人同士の殺し合いの絵だった。表情のない白亜に染まった鋼鉄の鎧を身に纏った巨人は敵を殺す。これの作者がどんなことを思い、そしてこれを見る人間に何を訴えようとしているのかなんて僕にはわからなかった。
だが、作者の見たその先……そこに残ったのは恐らく真の勝者の居ない世界だろう。それが争いであり、戦争だ。
僕はそのレプリカを見ながら改めて声の方に耳を傾ける。
「どうです?お気に召しましたか?」
背後からかけられた優しい女性の声のする方を振り返ったとき、僕の体を電流がメロスのように走り去っていった気がする。聞いたことのある声だった。いや、正確にはまだしっかりと顔を見ていないからわからないが、知っている。口調は違ったがあの女だ。
「あの、いかがなさいましたか?」
「いや……レプリカとは思えない精巧な作りに魅了されていました。これが戦いなんですね」
お洒落な丸眼鏡を掛けた宮殿のメイド。
金色の細い糸を束ねたような整えられた前髪から覗く瞳は鋭い目つき、そして右目の傷、病院で会った美人さんだ。
透き通ったエメラルドグリーンの瞳に血管が通っていないような白い肌、ふっくらして薄くピンク色がかかった唇を見て思わず僕は唾を飲み込んだ。
宮殿に飾られたどの作品よりも美しい彼女から目を放すことができなかった……。
「あの、私の顔に何かついているのでしょうか……?」
「あ、いえ!そんなことはありませんよッ……!は、ははは……」
僕は彼女の美しさに思わず見惚れていた。顔が熱く、心臓が力強く鼓動する。
しかし、彼女は僕のことを覚えていないのか?
「あ!もしかして特科の方でしょうか?ロム様なら今、ウエムラさんに報告があると言って西棟へ向かいましたよ」
「え!?あ、ああそうですか……僕ったらこんな所で油売ってる時間ないのに……ハハハ……」
そりゃどこにも居ないわけだ。
ロムさんには宮殿に来いとだけ言われたが、この場合は僕も行った方がいいのかな?でも西って言っても、あそこも部屋いっぱいだしどこかわかんないし……すれ違いで会えなかったらもっと面倒なことになりそうだ。
今回はじっとしてるのが一番なのかもしれない。
「どうです?美術にご興味があるのであれば、見学とか。良ければご案内しますよ」
「え!?い、いやメイドさん忙しいんじゃないですか……?」
「私は丁度暇になったんですよ。自己紹介がまだでしたね……私はアルナート家お嬢様専属メイドのクロエ・キルアイと申します」
その名前を僕は知っている。
先日、モモカさんから説明された北大陸の戦場に咲く一輪の花、クロエ・キルアイ。彼女は写真で見たときよりも遥かに美人で、先日病院で出会ったときとは人が変わったように落ち着いている。
彼女からは仄かに煙草の臭いが感じられるが、彼女自身吸っているようには見えなかった。これが所謂猫かぶりというやつなのか?
彼女は僕をからかっているのか、それとも本当に忘れてしまっているのか、そんなことを考えているだけで一人疑心暗鬼に陥っていた。彼女は何か疑う様子も敵意を見せるわけでもなく、一人冷や汗をかく僕を純粋に気にしていた。
「あの……体調が優れないのなら宮殿内の休憩スペースへ案内しましょうか……?」
「いや大丈夫ですよ……僕は、元気です」
病院で会った女とは別人の可能性がある。ただ顔に同じ傷があって同じくらい美人ってだけで同一人物とは決められないし、彼女が本当のクロエ・キルアイなら今回は協力者だ。あのときみたいにお互い敵意を持つ必要はないんだ。
ここでは味方同士なんだから。
「メイドさんは――」
「クロエで構いませんよ……」
「…………クロエさんはお嬢さんの専属メイドらしいですけど傍に居なくて大丈夫なんですか?」
「お嬢様は本来なら芸術鑑賞の日なのですが、過去の遺物を見るよりこれからの新しいモノへ目を向けなければ世界は変えられないと言っていつもおサボりになるんです。そんなときは気が変わるまで彼女を自由にしておくのが一番なんですよ」
過去を見るより現在と未来を見ることで世界を変えようとする。その崇高な考えに僕は感心していた。
もしカレン・アルナートお嬢様みたいな人が過去の貴族に居れば世界は変わり、数千年前に起きた戦争なんて存在しなかったのでは?そんなことを考えてみるが、それは虚しいたられば論であった。
例え彼女のような人が居ても結果は変わらず誰かが何かを求め戦争が始まっていた。それが運命であり人間だ。
「もしお嬢さんが来たときクロエさんが居なかったら困るのでは……?」
「大丈夫ですよ。お嬢様は私を探すのが上手ですからすぐに見つけます。それに私はご来場者様におもてなしをするのも仕事なので」
すると彼女はいたずらな少女の微笑みで僕に顔を近づけると静かに細い糸のような声で囁いた。
「どうです……?私の暇つぶしに付き合ってくれませんか……?」
彼女は意地悪だ。僕は崩壊しかける理性を抑えて今までにないスピードで脳を働かせる。
僕も今はやることがない。僕への命令はここへ来るまでの護衛であって、その後の命令はなにも言われていない。それに美しい女性の頼みだ。断る理由がないというより、断るのは失礼ではないか?
結果、僕は二つ返事でOKをだした。
「旦那さまのコレクションは少々偏りがあるものの、壁画や天井画以外は全て本物です。例えば旧西暦1830年のフランス7月革命『民衆を導く女神』など―」
彼女の言っていることは確かだ。ここにある物全て本物で、保存状態が最高。修復もプロがやっていて傷一つない。
売れば価値は島をいくつか買える程度に跳ね上がっている代物ばかりだ。
「それにしても今時美術に興味のある同年代の方は珍しいですよ。なにか好きな作品とかはありますか?」
好きな作品か……。泥棒をやっていろんな作品を見てきたが、僕と作者の思想の違いで理解できない物ばかりだった。
「星月夜……」
頭に浮かんだ作品を呟いていた。
「星月夜ですか……ゴッホ耳切り事件の後に描かれた未だに綺麗な解釈されてない作品。黙示禄だとか、創世記とか言われてますけど、もしかしたらゴッホは耳切り事件の後何かを見たんですかね?」
そんなのは本人にしかわからない。ゴッホは精神病棟に入って何かを見たかもしれないが、彼はもう数千年前にこの世を去っている。
答えは誰も分からず闇の中。もしかしたらあの渦巻く夜空に吸い込まれた……。
ま、僕は何がモチーフとかの答えを知りたくはない。
いつもあの『わからない』という疑問の新鮮さが好きであって、答えのある絵なんて僕は見たくない。
ゴッホが答えになるようなものを残していないことを願っておこう。
「おっとこんな時間。25秒……」
クロエはカウントダウンを始めた。
なんのカウントダウンかはソラには全く分からなかった。
じっと時計を見て何かを待っている?
「クロエ待たせたわね……!ってそちらの方は?」
二人の背後から声が聞こえた。十代くらいの若い声だ……クロエさんのことをクロエって慣れた感じで呼んでいた。
つまり――。
「あら、お嬢様芸術には興味はないとおっしゃっていたのに」
やはりそうだ……彼女がカレン・アルナート。今回の護衛対象でこの国のお姫様だ。
オレンジのような明るい髪のふわっとしたショートカットに写真で見た通りの美人で、身長は平均くらいでそこまで高くないが足が長くスタイルが素晴らしい。
「ハッ!特科所属ウッドと申します!今回はカレン様の護衛を任されてここへ参りました!」
「私はコードネームではなく本名を知りたかったのですが、まあいいです。で、クロエあなたはここで何してるの?」
残念ながら本名は特科ルールで言えない。敵に存在を知られればそこから関係人物を探され自分以外の大切な人間を危険に晒すこととなってしまう。僕らは特科の駒であるが、一人の人間だ。一人一人生活を持っていて大切な人は存在する、だからホムラさんは仲間同士でも名前では呼ばせないようにしていた。
できるモノなら僕は有名人の彼女に本当の名前を知ってほしかったぐらいだ。
「今ウッドさんと芸術鑑賞しておりました。もしかしてお嬢様も混ざりたいのですか?」
クロエの言葉を聞いてカレンは頬を膨らませ怒った表情を見せる。子供っぽいカレンの表情を見て、彼女をソラは妹のような親近感を覚えた。
彼女は、誰かに似ている?誰かに似ている……誰だ?思い出せない。
「ウッドさんお嬢様もよろしいですか?」
「え?あ、ああ僕はカレンさまがよろしければ護衛の仕事もできるので構いませんけど……」
カレンお嬢さんを連れて三人、僕は二人の一歩後ろをついていく形で美術フロア三階へ向かう。宮殿の中でも敵は潜むことができるためいつも以上の集中力ですれ違う人、止まって展示品を見る人の顔を記憶する。
そして到着した美術フロア三階は壺などの骨董品が置いてあった。これらも下の階のと同じく本物がほとんどだ。
「やっぱりこういうの私にはわからない……。だってただの壺よ?クロエこれ見て面白いの?」
「お嬢様……このような壺は職人が命を吹き込んでいるのです。命を吹き込まれた壺たちは自分たちを必要とする人の下へ行き、壊れるまでその人に大切にされるんですよ。つまり職人と元持ち主の二つの愛が見れるんです」
二人は何気なく話しているがお嬢様が居ることで僕にはさきほどまでの余裕は無く緊張していた。
さっきまで感じなかった異様な違和感を感じているからだ。
少し前から些細な殺気を自分あるいはカレンに向けられていることをソラとクロエは感じていた。
どこからだ……?辺りを見回してもそれと言って怪しい物は無いし、気配もない。ソラは植物を腕から出現させ、クロエは袖口に隠していたナイフを誰にも悟られずに構える。
すると外で大きな破裂音が鳴った。
敵の攻撃かと二人は構えたが、それは花火だった。
「花火……?」
「今日は秋祭りよ。父上は今年も豊作に感謝するための儀式を行う日で朝から忙しそうだったわ」
そうか、アルナート家は宗教教祖の一家だ。信徒の前で儀式をしたりして権威を主張しなければ、こんなに豪華な暮らしはできないよな……。
そのとき僕の背中に誰かがぶつかった。
この宮殿のメイドだ。
「すっ、すいません!!」
彼女はなにか焦っている様子で奥に走り去っていった。なにかから逃げているのか?ぶつかったときで一瞬だったが、彼女からモヤっとした負の感情を感じた。
メイドが出てきたエレベーターが閉じた時、嫌な予感がすると僕の脳が体中に警告を出した。
警告信号は脊髄を通り野生の本能、防衛本能を刺激し五感を研ぎ澄まさせる。
エレベーターの方から時計の針が時を刻む機械的な音と人間のとは違う感情の無い殺気……。
僕の体はカレンとクロエを抱き込み地面に伏せる。本能が体を動かしていた。
その瞬間エレベーターのドアが轟音とともに吹き飛び、火を噴き出した。
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