第19話

「新人……乗り心地はどうだ……?」

「見通しは良いですけど、乗り心地は最悪ですよ。不安定で肌に突き刺さるような風、また屋根に乗れというなら断らせてもらいます」


 容赦なく肌に突き刺さる風、これを気持ちが良いと思う人間がいることはわかっている。

 しかし、代わる代わる後ろに流れゆく景色とバランスを崩すだけで僕の体は車の速度で道路に叩きつけられてしまう。能力で死ぬことは無いと言え心臓が止まる体験はしたくないモノだ。

 そう、僕は車の屋根の上に乗せられていた。

 ロムさんがもしものことがあった時に一番最初に動くのは僕の役割であるためいつでも動けるように乗せられていた。

 それもこれも大陸のお姫様の移動をリッパーたちに狙われない為の牽制であり、もし狙ってきたら武力でこれを制圧しなければいけない。

 大陸政府は民の信仰対象を守る為、公安は平穏を乱す彼らを倒すため、それぞれの面子や思惑や思想が絡み合って現在の作戦が維持されている。

 そんな暗闇に包まれた作戦に僕は参加させられてしまった……まあ、許可は貰っていないがお姫様の為に働けば宮殿の宝物庫の中身を見せてもらえるかもしれない、許可がでなければ勝手に見るだけだ。そんな欲望を表情に出すことなく先輩たちに従っている。


「ウッドくん、もうすぐ宮殿に繋がる橋に入るから準備に入ってくれ。彼らは見通しのよくて逃げ場のない場所を狙ってくるはずだ」

「了解しましたジードさん」


 爽やかな声が車から無線を通じて聞こえてきた。

 彼の名はジード、特科に所属する彼も勿論能力者だ。

 この作戦に参加する四人の能力者の一人で使用する力は『観測察知』、戦闘向きの力ではないがジードを中心とする半径1~3㎞圏内に存在する生き物全ての呼吸や足音、心臓の鼓動と変化を察知することが可能。対象は生き物全てと言う通り蟻や土の中に潜るモグラやミミズの這いずる振動も全て聞き分けられた。

 察知能力は僕も植物との神経共有で使うことはできたがジードさん以上の正確な情報は得られない。脳をフル稼働で全ての情報を手に入れているようだ普通の人間なら鼻血を流して気絶するだろう。

 おまけに彼は特科で一番の常識人だ……戦闘狂の多い特科で唯一の心の拠り所でもあり皆からの信頼も厚い。


「ロムさん……その、緊張感を持たなければいけない現場なのはわかっているんですが、いつまでサワベを縛っているおつもりなんですか?」

「彼女は少し危険だ。新人は若いからな」


 後部席に縛り付けられた旗袍女、組織一番の戦闘狂サワベ。

 彼女は能力を未だ公表していないが帝国に存在する危険度指数Aクラス能力者を一人で片付けることが可能で、彼女もまた大陸に存在する危険人物の一人である。

 彼女と手合わせした者は皆一分以内に決着がついていて、光の速さで攻撃されたと口を揃えて言っていた。

 そして彼女は少年性愛者であった。打ち合わせのときから彼女から向けられる熱い視線に反して僕の背筋は凍り、何かを察したロムさんが彼女を後部席に縛り付けることを決定。

 悪い人ではないことはわかっているが、襲われたら勝てる気がしないのでこれは適切な判断であると思う。


「…………む?何か聞こえないか?」

「ええ、何かが近づいていますね。橋の下を流れる川の波が変わった……距離は僕の範囲に入るところです」


 何かがジードさんの探知に引っかかったようだ。僕からは何も感じることはできなかったが、その音とやらにはロムさんも気が付いたようだ。

 すぐに体を動かせるように固定していた植物を外そうとすると僕の見ていた景色は突然暗闇に閉ざされた。

 どうやら僕は彼の世界に来たようだ。

 闇は濃く赤黒い光でスポットライトのように僕を照らしているがそれ以外の光は存在しない。

 そこは無重力の様で僕は現在立っているのか寝ているのか確認する手段はなく、宇宙のように先の見えない闇にただ体を預けている。


『よお兄弟、俺はまだ貴様の世界に体を出すことができなくてなこっちに来てもらって悪いな』


 彼はいつも通り僕の前に姿を現すことは無く明るい声だけが彼の世界で木霊する。

 数日前から僕の中に住み着く悪魔の類であるシャドー、彼は僕の知らないことをたくさん知っていてあの世界樹とやらの存在まで知っている訳ありだ。

 僕のことを彼は兄弟と呼ぶが姿は絶対に見せず心の距離感に僕は困惑している。


「シャドー……僕の体は無事なんだよね?植物を外していたところだから車から落ちてたら困るよ?」

『安心しろ俺が固定している。それにこの空間は時間の干渉を受けない、ここで起きることが例え数年単位であったとしても現実では一分一秒動くことは無い』


 一先ず僕の体のことは安心していいだろう。


「とりあえずここに呼んだ理由は?」

『先日の話、貴様はどう思う。世界樹とは万能、何も持たぬ者たちにとっては憧憬の的であるが彼らは貴様と違い使用するための器として未熟。それは貴様も同じだが、土俵には立っている。貴様はアレに何を願う』


 急に何を言い出すかと思えば僕の願いを再確認する。しかし、いくら僕の中に住み着く悪魔であろうと僕の目的を簡単に話す気にはなれなかった。

 そんな空気を察知したのか彼は突如高笑いを始める。


『まだ俺を信頼しないか!まあよい……まあよい!前任者も同じく警戒心の高い奴でなぁ貴様そっくりだ!』


 彼はまた前任者の話を溢す。僕と同じく警戒心が強く似ているというが、似ているという点に関しては素直に喜べばいいのか?


『そうだ!これからすぐ貴様は戦闘を行う。奇襲を未然に防ぐこととなっているんだが、俺の力を使え。そのとき叫ぶことを忘れるなよ「シャドーウィング」ってな』

「は?なんでさ、力を貸してくれるのは嬉しいけど僕は叫ぶつもりはないよ恥ずかしいし……」


 すると彼はまた下品な高笑いを先の見えない闇の中を木霊させる。何人も僕の傍にいるように錯覚をしてしまうが恐らく彼は一人だ。

 笑いつかれた彼は「忘れるなよ」と念を押すとまた僕を元の世界に飛ばす。

 暗闇が晴れ元の世界に戻ると僕の体からは植物が既に離れた状態だった。

 バランスを崩し走行中の車から落ちかけるが、包帯の巻かれた右腕から滲み出た粘着性のある黒い液体でなんとか投げ出されずに済んだ。

 蒸気を放ちながら車の屋根にへばり付くヘドロのようなそれは僕の体勢が安定したことを確認するとまた包帯の内側へ侵入する。それは温かい液体の昇ってくるような感覚だった。


「ウッドくん!ボートで何者かがこちらに近づいている……人数は六、微かにだが金属の擦れる音が聞こえるね。武器を持っているはずだ」

「了解!」


 敵が来た……この車列中央にいる姫様を狙うヤツらが誰であろうと関係ない。


――シャドーウィング……忘れるなよ


 頭に直接シャドーの声が反響する。

 そのシャドーウィングというのに何の意味があるのかは知らないが、彼が僕に手を貸すと言ってくれている。


「しゃ、シャドーウィング……」


 恥ずかしい……すごく恥ずかしい。

 納得がいかなかったのか舌打ちが聞こえたが彼は約束通り僕に力を貸してくれた。

 背中を内側から突き破られるような、体内に存在する筋肉や内臓を押し分け背中の皮を突き破って現れたのは黒いマントだった。

 マントはガスのように軽いが、触れることができて触り心地は布と同じだ。触れた部分には穴が開いてしまうがすぐに他の部分が修復を始める。


「これでどうするんだ?」


――俺に任せておけ……飛ぶぞ


 すると体の主導権が僕の意識を残したまま彼に変わる。さっきまで見えなかった黒い痣のようなモノが包帯のない左腕から確認できた……彼はこれを利用して僕を操っているのだろう。

 すると体は勝手に立ち上がり黒い霧を発生させる。


「え、飛ぶって僕の体が?おいちょっと待てよもっと説明が——」


 彼はこれから飛んで敵のもとへ向かうと言った。どのようになど、その飛行の安全性や方法を説明することなく身に纏ったマントを翻し、遂に脚力で7m上空まで飛び上がる。車の屋根は僕の脚力でへっこんでいた。

 飛び上がった僕の体より前を先行する黒いマントに引っ張られ、僕はテレビで見るような飛行するヒーローとは違い無様な恰好で飛行する。

 日頃ヒーローは嫌いだと言ってはいるが、こんな無様な恰好を晒すくらいなら彼らと同じ飛び方をしたい。そうは思っても僕の意思を無視してシャドーは僕を目標の位置まで連れて行く。


「ねえ、クロエ。今なにか横切らなかった?黒い物体」


 彼らの護衛対象である少女は外の景色を見て隣に座るメイドに聞いた。何かの見間違いであっても今の彼女は命を狙われる可能性があるため、その目はいつも以上に敏感に何かを捉えている。

 実際彼女の目は良い。今も空をマントに連れて行かれるソラを視認できたのだから。


「………知っていますかお嬢様、今までに確認されてきたゴキブリの最高速度は時速600㎞らしいですよ」

「あなたよく会話下手だって言われるでしょ」

「それは勿論。メイド長に毎日叱られるくらいには私、会話に関しては才能在りません」

「はぁ……」


 警戒する彼女に比べ危機感のないメイドは自分が知る速さの雑学を披露する。

 メイドなりの優しさだったのかもしれないが、護衛対象、カレン・アルナートにとっては正確な情報がもらえないことへ怒りの沸き立つ寸前のムズムズする行為であった。しかし、彼女は同年代の数少ない友人としてメイドを気に入っていた。

 今回もまた彼女は怒りのような呆れともとれる感情を静かに納め、また走行中の車の外を見つめる。



 僕の体はシャドーに引っ張られて小型クルーザーに衝突した。

 小型クルーザーは少し浮いたが、僕の体はシャドーが翼と言っているマントによって衝撃が吸収され無傷で着地できた。

 しかし、それは僕という器がダメになってはいけないという考えで僕の体を守ったのであろうが、優しさで守ってくれたなら心から感謝しよう。

 さてと……。


「初めましてここへは観光ですかな?生憎ここは現在遊覧禁止、お引き取り願いたい」


 僕は警告をするが、小型クルーザーの上には覆面を被った四人の男がもうやる気満々な様子で構えている。


「おいおいキミたち武器もなしで僕に勝つつもりなのか?僕、実は強いんだよ?」


 それは僕の杞憂だった。

 四人は服の袖や背中、ポケットからサバイバルナイフや鉈などの武器を取り出し最初から何か行動を起こすつもりだったようだ。

 僕は前言を撤回させてもらう。やはり強くても刃物は怖い。

 彼らが何をするつもりで封鎖された川に来たかなんてわからないが、警告をする僕に刃物を向けるんだ……ただの観光客ではないのは間違いない。

 ならばどうするか、怪しき者は罰せよ。それがロムさんからの命令だ。


「警告はした。これよりアナタたちの動きを止めさせてもらう」


 僕は着ていた服のボタンを引き千切り水上を移動するボートから投げ捨てる。するとボタンから誕生した植物に巻き付かれたボートは急ブレーキをかけて乗っていた者の体勢を崩させる(僕も急なブレーキでこけそうになったのは秘密)。


「お、お前もバケモノか!」


 覆面の一人が叫びながらナイフで切りかかるが背中から現れたシャドーのマント、ガス状の薄い布は刃物を振りかぶった男に向けて一直線、まるで捕食しているスライムのように男の体を包み込んで動きを止めた。

 不気味に震えるその黒い物体はやがて人の形へと戻るとさっきの男の体中にはあの蛇の黒い痣が巻き付いていた。


「男の体というのは俺にぴったりだ。皮膚から髪の毛一本の毛先まで研ぎ澄まされた感覚が俺に生きていることを知覚させてくれる……」

「し、シャドー?」

「おうよ……」


 男の体を乗っ取り首や腕を回してシャドーはそう答えた。

 僕を含め船の上に立つ者は皆、驚きが隠せずその場から動けなかった。それもそのはず、僕の背中から伸びた黒いガスに捕まって男の性格は変わったのだから。


「手伝ってやるよ……俺も少し暴れたかったんだ」


 こちらに向かって口角を上げたシャドーは並んだ男たちへ順番に指を差して何やら選び始めた。誰一人として彼の前で動けるものは居らず、ただ最初に選ばれる者を待っているだけだった。

 人間を超える存在を前に彼らは恐怖していたのだ。


「鉄砲撃ってバンバンバン……」


 最初に選ばれたのは猛牛のような屈強な肉体を持った男だった。彼は冷や汗を額から垂れ流し、今にも逃げたそうに重心をずらすが歯を食いしばり何か決意する。

 持っていた両端に鉄の棘がついた棍棒を握りしめ、彼は自分を鼓舞する雄叫びをあげてシャドーに向かって走り出す。

 彼の一歩はボートを揺らし、正しく猛牛の突進だ。しかし、シャドーは彼に勇ましさなどを感じることはできなかった。

 その姿は滑稽であったが笑いも出なかった。


「体がデカいだけだったか……つまらない」


 シャドーは棍棒を振り上げた男の額に向かって人差し指を向けると次の瞬間、男の頭は風船のように膨れ上がり破裂する。

 人の頭蓋骨が粉砕されたとは思えない軽い音と飛散する血液、頭部を失った体はそのまま勢いを殺せずシャドーの脇を通り過ぎてボートから自ら体を投げ出した。

 驚愕の表情を浮かべる男たちだったが、それを皮切りにそれぞれの持つ武器で一斉にシャドーへ飛びかかる。誰か一人でもシャドーに一撃を入れられればいい、そんな自滅の特攻であった。

 しかし、シャドーにとっては彼らの特攻は愚かな行為であり、力の差が存在することをわかっていながら彼らから自分に対して敬意を感じられなかったことに静かに怒りを覚えた。

 癪に障るとはこのことなのだろう。

 もう一度彼は童の数え歌を口ずさむ。それは死へのカウントダウンでもあった。


「鉄砲撃ってバンバンバン……」


 指を差された恐らくこの中で一番年齢が高い男の表情は、人の体温が感じられない真っ白な顔に変化する。

 男の視界に映る悪魔は顔を歪ませ笑っていた。刹那、指先から発射された黒い一本の線が彼の腹部を貫いたが、それが一番優しい攻撃であったことにソラと彼は驚く。

 背後から続く彼の仲間は皆、シャドーが腕を一振りすることで音も痛みもなく上半身と下半身が離れ川に投げ出されてしまった。八つの水柱がボートの周りに現れた。

 シャドーの強さは勿論だが、その一連の動きと出来事でボートの白い床を血で汚していないことにも驚きだ。


「一人は残さなければいけないもんな。コイツが一番知ってそうだから尋問するなら早くしろ……」


 僕は我に返ってすぐに男を自分の力で拘束する。拘束しなくても男はもう抵抗することはなかっただろうが、念のためきつく縛り止血も一緒に行う。

 シャドーの方は既に死んでいた借り物の器ごと川へ飛び込むと水中から昇ってきた黒い影が帰るべき場所、僕の体に戻る。

 僕は初めてシャドーの実力を知った。

 正直に言って僕は今回シャドーという存在が怖くなっていた。体を貸している間、彼は僕を襲うことは無いだろうが、触れることなく人間を殺せる存在が自分の中に居ることは注意しなければいけないことだ。

 僕の体を乗っ取ってしまえば、彼は今のように暴れることが可能。それは敵であるリッパーだけでなく、協力関係である特科に向けることだってあるかもしれない。

 自由な奴っぽい彼だったが今のが気まぐれによる行為であれば、いずれ僕が彼を制御できるようにならなくては危険だ。



「こちらウッド、怪しきボート制圧完了。全員覆面を被っていて物騒な武器を所持しています。このボート物騒なことに旧軍マイティマウス搭載ですよ」


 制圧完了という報告の為、僕は船の通信機でロムさんに連絡をしていた。

 先にロムさんたちの護衛車は宮殿に到着していたこともあって、僕の持っていたモノではなかなか通信が届かなかったがボートの装備が近代的であったおかげで性能のいい通信機が手に入った。

 新型ばかりの揃った装備を見る限りだと彼らはなかなか儲かっているようだ。これは野良テロリストとは違い組織としてまとまっている可能性があることを示唆する。


『他に怪しい物や危険物はあるか?』


 言われた通りに小型クルーザーの隅々を探すが、武器以外の生物兵器とかは見つからなかった。しかし、思わぬ収穫で彼らの所属しているであろうワッペンが見つかった。

 ワッペンにはシンボルとして薔薇が描かれている。

 素材はしっかりしていて腐臭のような血の独特な匂いがする。何度か洗わず放置したのだろう僕の鼻はその血の匂いを拒絶する。


「怪しいものは見つからなかったんですけど……なんか人数分のワッペンが落ちてました。絵柄は薔薇ですね……」

「薔薇……?遂に薔薇の傭兵ローズマーセナリーさんのお出ましか。国境を持たないヤツらを使えば自らの手を汚さずに済む。帝国であれ中央老中院であれ身分が高い人間は人を使うのがお上手だな……。ウッドすまないが宮殿まで歩いてもらう道は覚えてるな?」

「え、ええまあ。でも大丈夫ですか?戦う人間が居なかったら大変じゃないですか?」

「大丈夫こちらには屈強な女戦士が付いている」


 屈強な女戦士とは恐らくサワベさんのことだろう。


「では気を付けてくるんだぞ」

「了解」


 通信は終了したが、国境を持たない薔薇の傭兵ローズマーセナリーとかいうコイツらはなんなんだ?

 ソラはまた現れた新しい単語に頭を傾げていた。

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