第16話

 タツキと戦って目が覚めてからまた三日後ようやく僕は歩けるようになった。

 足の神経がズタズタになっていたというのに回復したのは奇跡だと医者に言われた。だけど力を貰った日から僕の怪我はすぐ治っているのでアスタとの契約がなにか作用しているのだろう。

 しかし医者の言う通りまだ僕の体は完治していない。火傷の跡が残る右腕は皮膚がなくなり薄皮が広がっているだけで擦れるとすごく痛い。


「そういえばセラさんの様子はどうなんですか?」

「え、ああ……彼女の方は大丈夫よ。特別にウチのメンバーが治療を行っているしね」


 そしてセラさんもどうやら同じ病院で治療を受けているようだが、彼女に会うことは許されなかった……それだけ傷が深いのか、それともまた別な理由なのか。

 だが、バケモノ……タツキの変身したヤツによって乱暴にされていたのだ。簡単には完治できる傷ではないことは間違いない。


「動けるようになったからってまだ怪我人なんだからあんまり動き回って悪化したとかナシよ?」

「大丈夫ですよ……」


 僕は松葉杖をつきながら行き先をずっと決めていた屋上へと真っ直ぐ向かう。幸い、僕の居る病院の上から二番目フロアは貸し切りで誰もすれ違うことなく屋上へ直行できた。

 階段を上る度に感じる痛みは僕の脳を徐々に覚醒させる。痛みによる気絶をその痛みによって上書きし覚醒させるの繰り返しだ。

 到着した屋上のドアを開けるといつもとは違う季節外れな春のような陽気で温かい風が運ばれてくる。

 暦の上では秋だというのに錯覚してしまうほどに春を体だけでなく心も感じた。


 そして僕は夕日に重なる彼女に出会った。


「残念だったな。ここはいま満席だぜガキんちょ……」


 広い屋上を独占し、デリケートな病人にとっては毒ガスをまき散らし敵とも言える女は、磔られたようにフェンスに全体重を乗せて扉から現れた僕を睨みつける。

 僕は彼女の目つきのヤツをよく見る、殺意を孕んだ瞳だった。

 彼女は僕を見て一目で敵だと認識していたのだ。


「ハハッ……初めて会った僕をガキんちょ扱いか?アンタだって僕とはそんなに離れていないようだが、煙草は未成年には禁止って習わなかったのか?」


 僕は女に近づき口に咥えられた煙草を奪い取り、感覚の麻痺した指先でその火を消す。女は一瞬キレた様子で拳を握るがすぐにその拳を緩めポケットからもう一本煙草を取り出し火をつける。

 鼻に残る粘り気のある匂いだったが不思議と嫌いではなかった。


「アタシは19だ、お前よりは上だバァーカ……」


 一本吸い終わってようやく彼女は口を開いた。

 光の細い糸を束ねたような金髪は僕のとは違い、こんな病院に入れられていても欠かさず手入れされているようだった。不自然に顔の左側をその美しく細い金髪で隠しているが、隙間から覗く透き通ったエメラルドに光る瞳は磨かれた宝石よりも美しかった。

 初対面での口の悪さや煙草の臭いが緩和される程に彼女はとにかく美人だった。


「初対面で馬鹿とは失礼な女だな。それにでは21まで未成年だ覚えておけ……」


 例え美人な顔に煙草の煙が似合っていて2歳年上だろうとルールはルールだ。


「なんでアタシに構うんだ……てか誰だよお前」

「僕のことはアンタが煙草を吸う理由と同じくどうだっていいだろ。それよりそんな殺気をこの病院内でまき散らしておいて何を呼ぶつもりなんだ?その怪我だって普通じゃできない……アンタもこっち側か?」


 この四日間ずっと見られているような感覚、ナイフを喉元に当てられて命を握られている感覚が溜まらなく不愉快だった。

 その元凶がこの女。どんな馬鹿でも命を懸けた戦いをしたことのある人間なら感じ取れる殺気だ。

 こんな病院に殺気を感じ取った野郎が群がったりでもしたらこっちが困っちまう……。

 そして、こんな殺気を放つ女は明らかにだ。


「もしアタシがそっち側だったらどうする?」

「さぁね?できれば僕はアンタと戦いたくはないんだ。例えこっち側の人間だとしてもだ……」


 そのとき風で煽られたブロンドの前髪の下に隠された傷跡、縫い合わせがまだ残っているが傷は戦いによってできたモノ、あるいは自ら傷つけたの二つだ。左目を塞ぐように縫い付けられたそれを僕は目に焼き付ける。

 傷を見られた彼女はすぐに手で乱れた髪を抑え、整えながら同時にその傷を僕から隠す。


「見たか……」

「とっても綺麗な瞳だった」

「違う……ああ、もういい」


 女は新しい煙草を咥え火をつけた。一連の動作は慣れた手つきで、頻繁に使う人間のそれだ。

 だが、煙草を吸う彼女は付いたライターの火をじっと見つめていた。つけては消してを繰り返しライターの細い火によって口元が空と同じ黄昏色に照らされている。

 僕は彼女の艶のある唇を見ていたのだろうか、それともライターの風に吹かれるだけで消えてしまう儚くて細い火を見ていたのか自然と視線が持っていかれてしまう。


「なんだよ……」

「なんで傷を隠すんだ?」

「やっぱり見てたんじゃないか……。アタシはお前のことを聞かなかったんだからお前も私に気を使え」

「でも聞いたのはキミだ」


 何も生みださない無駄な会話だ。だが、これが不思議と僕にとって心地のいい時間であったことは一生忘れないだろう。


「女が傷のある顔を晒すわけないだろ……ガキ」


 女はそんなセリフを吐き捨てると口に咥えていた煙草を流れるように僕の口に咥えさせ扉に向かって歩いていく。

 怪我人でも病人でもないような足取りは軽かった。


「なんだガキんちょ。咳き込まねぇとはお前も吸い慣れてるじゃねえか……似合ってるよ」


 胸元にかけていた丸眼鏡をかけながら、からかうような馬鹿にするようないたずらな笑みを浮かべ女は出て行った。

 僕は吸い慣れているから咳き込まないわけではない。


「か、間接キスじゃないか……」


 このとき改めて僕は彼女を敵ではなく一人の女性と認識した。

 血液が沸騰するように上昇し遅れて心臓が戦いのドラムを鳴らす。

 さっきまでいた女のようにフェンスに寄りかかり遂には床に尻を落とし空を見上げていた。空に昇っていくのは彼女のつけた煙草の煙、数回だけ興味本位で吸ってしまったことはあったがいつも咳き込んだことで施設の人たちにバレて叱られたっけ……。

 一瞬だったが風に揺られたブロンドの髪、あの下に隠されたエメラルドグリーンの瞳を思い出す。


「まだ火ぃ……。消えないでくれ」


 そのとき屋上の扉はまた開かれた……次に現れたのは女ではなくペストマスクの嘴だった。


「ここに居たか新入り……それより耳まで赤くしてどうした?それと煙草は成人してからでないと子供の体に毒だぞ」

「ちょっと浸ってました……ロムさんから僕に会いに来るなんて珍しいですね」


 ペストマスクを着けた高身長のこの人はロムさん。特科の№2と言われるくらい強い人で戦闘狂しかいない能力者の中では話の分かる人でしっかりしている人だ。真逆の性格のライヤさんとは犬猿の仲らしく目を合わせるだけで喧嘩が始まるとかないとか……だが、この人も謎が多い。


「今日はここの治療だ……」


 どこを見ているかわからないマスクでこちらを向くと頭を指さす。別にこの人は頭が悪いわけではない、ただホムラさんと出会った日より前の記憶が曖昧なそうだ。

 そのため月に一回この病院で精密検査と特科の記憶系の能力を持った人の治療を受けている。


「あとお前に仕事の連絡だ……」


 僕と同じくフェンスに寄りかかると床に座る僕の顔もとへ袖からヒョイと紙をチラつかせる。

 僕宛ての紙には特科の最高責任者の名前が書かれていた。名前は……モモカ?


「指名だが……どうやら今回は話をするだけのようだ。その女は私たちの上司であるが、気を許すと食われる。心して掛かれよ……」


 わかりましたと返事をして僕は火の消えた煙草を灰皿に投げ込み部屋に戻る。


 そしてまた数日後少し早めの退院をすると仕事の為、病院の外に用意された黒塗りの高級車に乗せられた。車の中には既にホムラさんは勿論、その両腕の№2と3が同行していた。

 車の中では異様なプレッシャー、肩にのしかかるような重圧と三人のそれぞれ放つ緊張感がいつにもまして重たい。

 車という密室に近い逃げ場のない場所で三人(特に仲の悪いロムとライヤ)がいると心なしか体格の良いはずの黒いスーツを着たサングラスの政府関係者ボディーガードが小さく見える。

 行き先は王族の住まう場所であり、行政立法の中心であるカペストラ宮殿のようだ。

 途中これからの未来を暗示するかのように黒い雲に空が包まれると雨が降り出し、おまけに雷まで鳴り響く始末。


「つ、着きました……」


 宮殿に到着すると筋肉で表情筋が固まった不愛想なボディーガードの顔にぎこちない笑顔を見せ三人の気分を害さないよう慎重に接するが、恐らくライヤさんを除く二人は普通に接していても急に敵意を見せることは無いだろう。


 それより……僕はなぜここに呼ばれたんだ。


「特科の御三方と……そちらの方は?」

「新人だ……」


 さすが宮殿内はセキュリティがばっちりだ。例え政府公認組織の一員でも必ず身分の確認が行われ武器などの所持確認まで入念に行われる。

 受付のお姉さんが優しく対応してくれるのは嬉しいが、隣の列では先頭でライヤさんがナンパを始めてしまった。初めて見るキラキラと輝く瞳と整った顔で受付のお姉さんは顔を赤らめ困った表情をしながら最終的には連絡先を交換していた……今度女性への正しい接し方聞いてみようかな?


「では、みなさんの入場許可が発行されましたのでお通りください」


 これがいわゆる役所仕事……僕たちが来ることは事前に知っていても正規の手続きに数十分はかかった。


「我々は政治家に信頼されていないからな……世界最強の能力者として名の挙がるリーダーでも彼らにとっては十分脅威だ。例え一人であってもこの大陸をひっくり返す力を持っているからな」


 ロムさんの言う通り力を持たない人間にとっては僕らという存在はバケモノと変わらない。いつ自分たちにその牙を向けるのか警戒する……流石に危機管理能力はそこら辺の一般人よりはあるようだ。だが、僕も未だにバケモノが怖いときがあるから彼らの気持ちもよくわかる。

 そして遂に目的の部屋の前まで僕らは辿り着いた。

 僕は宮殿内の広さを正直なめていた……こんなに広いとは思っていなかった。

 木製の彫刻が施された扉が開くと中で待つのは執務机の向こう側に座るショートヘアの若い女性とそのわきに立つスーツの決まった若い男だった。


「いらっしゃい新人くん……」


 決して大きな声ではなかったが離れた距離で直接耳に届く細い声は僕の鼓膜を振動させ、僕の眠っていた何かを目覚めさせる。


「ウエムラくん、他の三人に今回決定したことを教えてあげてちょうだい……私は彼と二人きりでお話がしたいの」


 頭を軽く下げて赤いネクタイを締めた秘書的な男は僕の他に宮殿に来た三人を連れて別室へ向かう。


「さて……初めましてソラさん。そこに座ってちょうだい」


 その声は僕の体を勝手に操縦するように指さしたソファへ座らせる。

 僕の中で目覚めた何かというのは僕の危機察知能力、猿の時代から培われてきた人間の潜在的能力のようだ。

 自分より強い人間というのは臭いと気配によって気づくことができるが、目の前の女性は声で勘の鋭い者にわからせる……実際、この女性が口を開いた瞬間異様な緊張感が稲妻のように迸り受け付けのお姉さんをナンパするくらい緊張感のなかったライヤさんの意識を締め上げた。


「そんなに緊張しないで……あなた普段の髪の色は黒なのね。人間は体の一部を白化させて能力を使用するけど髪の毛を使用する人は珍しいわ。私の知っている人間では二人くらいかしら……」


 恐らく一人はリッパーだろうが、もう一人の方は想像できない。


「あ、あの……なんで僕の名前をご存知なのでしょうか?」

「それは簡単よ。この大陸に住む者の戸籍を調べればいつかはあなたにたどり着く……あぁ、私はモモカよ」


 差し出された名刺を受け取り確認するとしっかり特科の代表であることが記されていた。

 そして見慣れない文字、どこの大陸の文字だろうか?カクカクした字と丸みを帯びた字でなにか書かれている。読めるような読めないような……。


「見慣れない文字に興味でも持ったのかしら……?てっきりあなた私と同じ出身だから読めると思ったんだけどまだ習ってなかったのね」

「同じ出身?」


 僕は出身がどことかっていうのは施設の人からも役場からも教えられていない。モモカさんがいくら何でも知ることのできる偉い人間でも僕の知らない僕を知ることなんて可能なのか?


「ええ、あなたの居た施設はサンディエモスコール修道院……あそこのシスターと私は長い関係があるからあなたのこと調べさせてもらったわ。でも、彼女も口が堅くてね全ては教えてもらえなかった」


 モモカさんはソファから立ち上がり紅茶とコーヒーどちらを飲むのかを聞かれるが、残念ながら僕はどちらも苦手なため断ることも考えた。しかし、それでは決まりが悪いのでミルクたっぷりのコーヒーをお願いする。

 僕の子供舌を理解したモモカさんは本来の色が分からなくなるくらい薄められたコーヒーを用意してくれた。


「私は今、あなたよりあなたのことを知っている。あなたの出身、あなたがなぜ施設に入れられたのか、そしてあなたの両親のことも」

「シスターから聞いたんですか……?」

「さっきも言った通り彼女も口が堅いわ。しかし私と彼女には上下の関係がある……私の命令はなのよ。でも彼女は私以上に忠誠を誓う女が居た。彼女はそれを自分の命以上に大切にする、己の慕う者の命令であれば命を絶つことも簡単なほどに。そんな彼女があなたを隠す理由なんてそれしかないわ……」


 東大陸の都市部から少し離れた山の中にひっそりと建てられたサンディエモスコール修道院は僕が三歳のときから今まで育ててくれた施設だ。僕の家はあそこで血の繋がっていない家族がたくさんいる……中でも修道院を管理するシスターの一人、マルメアさんは僕に多くのことを教えてくれて学校で通用する最低限の教育を行ってくれた。

 無口な彼女は僕の親の代わりとなって常に傍にいた。

 そして、どういうわけかマルメアさんは誰よりも僕をよく知っている。モモカさんの言う彼女とは恐らくマルメアさんのことだろう。


「あなたのファミリーネームに当たるモノはアイザワ……私の地元では珍しくない名前だわ。あ、私はウスイね、ウスイモモカ」


 この人はいったいどこまでを知っているのだろうか?ファミリーネームくらいなら僕もマルメアさんから聞いている。別に隠したいわけでもないが、名乗りたいものでもなくずっと聞かれなければ誰にも話すことは無かった。

 これは僕を置いていった親へのささやかな反抗なのかもしれない。


「なにか父親とあの女の話を聞きたいかしら……?」

「結構です」


 モモカさんの表情は意外という様に驚いた様子だった。

 僕が気にしている、興味があると思っていたのだろうが、僕は正直親のことなんて興味はない。現在僕にとって興味があるのはたった一つ、先日シャドーの話していた巨大樹のことだけだ。

 興味はないと言うが、決して知りたくないというわけではない。いずれ知らなければいけない日が来るだろうが、それは今ではない。

 それよりも僕を支配していたのは、全ての生命の頂点に君臨する世界樹への探究心。ある男から受け継いでしまった呪いだ。


「少し意外……だったけど、あの女のことを話さなくて済むのは私にとっても助かるわ。じゃあ仕事の話に移りましょうかね」




「暗殺だと?」


 部屋を移されていきなり物騒な話を聞かされてしまった。口を開いたウエムラ議員は俺らの反応を無視して話を進める。


「そうだ……ヤツらが次に狙うであろう人物はこの大陸のお姫様だ。当然だろう?この大陸で一番影響力のある人間は我々政治家ではなく、東大陸の全ての民が信仰する宗教の教祖であるアルナート家なのだから」


 東大陸に住む数億の民が信仰する『救世教』、その教祖となる男が東大陸の王ゴルド・アーテンロット・フォン・アルナート、この宮殿の持ち主で彼の影響力は計り知れない。

 そして、彼の娘もまた東の民にとって象徴として扱われる程、愛されていた。


「暗殺ねぇ……俺はアルナートのお姫様が可愛くてよく彼女の載る雑誌は全て集めるくらい好きだからよぉ今回の仕事に自ら志願したいところだが、なんでアンタらは俺達の知らない情報を知っている?その暗殺という情報はどこからだ?」


 珍しく口を開いたのはライヤだった。

 彼は基本的には仕事と決まればそれがどんなに汚れた仕事でも忠実にこなし、反論反抗のような公安のトップモモカに盾突くようなことはしない。それどころか彼女が一番正しいと考えている。

 忠誠度的には俺よりも彼女への信仰にも近い歪なモノまでも感じるほどにだ。


「もしだ…………。もし、これがヤツらの作戦で噂を流してまた俺達の注意を逸らし、どこかの警護を手薄にする……ってことがあったら今度こそ公安だけでなく俺達を動かしているアンタらの首も危ういんじゃないかぁ?」


 俺もライヤの意見には賛成だ……噂程度であれば大事な戦力をこれ以上無駄にすることは避けたい。

 しかし、ウエムラの表情には確信に似た余裕の表情があった。


「なぜ公安の諜報部長官が狙われたと思っている」

「まさか、知りすぎたってそういうことなのか……」

「そうだ。彼は自分の部下を潜らせて計画の存在を実際に知っていたんだよ。彼の机から出てきた計画書の写しには日付や時刻、場所など細かく書かれたモノが見つかった」

「しかしだなウエムラくん……ヤツらは長官殿の部下が潜入していることに気が付き情報の洩れへの対応として彼を殺したのだろ……?ヤツらがすでに敵にバレている計画を実行をするなんて保証は?ヤツらだって馬鹿ではない……対応されることはわかっているはず」


 俺の言いたいことを代弁できる二人を連れてきて正解だった。

 諜報部長官を暗殺した動機などもハッキリしたのは良かったことだが、なぜ中央政府はこのことを有耶無耶にしようとしているんだ?そこにはやはり、未だ地下帝国という存在を認められない理由でもあるのだろうか?


「勘と察しのいいホムラくんにはヤツらが我々にバレているはずの暗殺計画を実行する理由がわかったかな?」

「存在を認めさせるためか。本来ヤツらの目的は地上に自治権を持った帝国を作ること……そのためには中央政府と対等な関係、或いはそれ以上の関係を築かなければ今のヤツらでは対話の場にも行くことはできない。中央政府は地下という存在そのものを四つの大陸の民に隠し続けている……まずは行動を起こして存在を示すのか」

「だとしたら大陸を支配する王族の娘を暗殺するなんていきなり飛躍しすぎじゃないか?それにあの男リッパーが自分の戦力を消耗するようなことをするのか?」


 情報が洩れていることを知って作戦を強行するなんてリッパーがするはずはない。ヤツは自分の戦力武装親衛隊を使うのには慎重で、使うなら指揮を任されている帝国軍のはずだ。しかしそれを帝国の皇帝が許すのだろうか?

 考えれば考えるほどヤツらの行動が異常で不気味だった。



「で、ソラくん……キミには彼女を守ってもらいたいの。できる?」


 「できる」か「できない」かの確認ではなく「やれ」という命令だ。

 特科に名前が入ってしまった以上、覚悟していたことだったがモモカさんという上の存在には力がある。単なる腕っぷしとかそんな単純なモノではない、言葉一つ一つに力があって力の持たない者や組織に属する者はその言葉によって機械のように動かされてしまう。

 僕はどうやら政治にも利用されてしまうようだ……。


「大丈夫よ、この仕事はあなたの他にも特科からロムのチームやお嬢さんの優秀なメイドが付いている……」


 手渡されたカラー写真は新聞の切り抜きで煙や画質の問題で粗い写りであったが、そこに写っていた少女は病院の屋上で煙草を吸っていたあの女にそっくりだった。

 目元につけられた傷跡と髪や瞳の色は彼女そっくりだ。


「その写真は6年前、偶然北大陸での内戦で撮られた写真……その日の新聞は戦場に咲く一輪の花って見出しだったわね。彼女の名前はクロエ・キルアイ、北大陸出身の凄腕ボディーガードで彼女もあなたと同じ能力者。でも彼女は少し特殊で生まれ持っての才能よ」

「え?生まれたときに力を与えられる人が存在するんですか?」

「天文学的確率でそういう人間も存在するけど、生まれたときに行われる調査ですぐに政府によって管理されるわ」


 どうやら能力者が初めて確認された年から四大陸政府によって一斉検査が行われたようだ。

 非能力者が住むこの世界で能力者の存在は浮いてしまう為、少々手荒ではあるが能力適性のある者や実際に力を持つ者は施設で密かに教育が行われていた。当然、検査を受けていきなり引き離された親からの批判などは多かったようだ。

 しかし、能力者になって僕が最初にわかって、危惧していることは「自分にできて他にできない」というのは一つの優越感に繋がってしまうことだ。

 僕はリッパーという敵が居る、バケモノとだって戦っている。しかし、戦いを知らない能力者がその力をに見せることは裸を晒すことと同義だ。

 能力者を一人でも味方につけたいのは特科も地下のリッパーも同じだが、リッパーに関しては自分の物にならないとわかった瞬間には死ぬこととなる。そこが地上と地下の明確な違いだろう。

 何事も手の内を晒さなければ対策されることなく常に相手より優位な場所に立てる、目の前のこの人モモカだって僕を信頼すると言っているがその力を口にすることはなかった。

 瞳孔が渦巻く瞬間、彼女は力を使用している。部屋に入ったときと先刻僕に決断を迫ったときと二度彼女の瞳は僕の瞳の色が変わる様に変化した。


「ホント勘が鋭いのね満月の大泥棒さん……警察だけでなく公安までも敵にして生き延びているんですもの当然なのかしら?」

「なんのことでしょう?」


 そうか、この人……。


 彼女の瞳は、深淵となりて奥の奥まで続く暗黒色は渦巻いて僕の全てを飲み込もうと、魂の残りカス一つ残さず引きずり込もうとしている。


「ええ、そうよ。あなたはまだ幼い……覗くことは簡単だし従わせることもできる」


 精神支配。多分だが、自分より弱い人間全てを支配できるのだろう……これが信頼を構築する手段ならこの人はとんでもない狂人だ。


「手の内を見せることがあなたにとって信頼に繋がるのでしょう?私もあなたの考えには賛成よ……お互い裸同然、体も心も許し合ってこその信頼だと思うのだけれども……まだ未成年の子供とそういうのは公安に勤める者として越えてはいけない線よね?」


 しかし、モモカさんは口でそう言うが対面に座っていた僕を押し倒しその上に腰を下ろすとネクタイの下、女性の一般的サイズがどれくらいかはわからないが大きく膨らんだ胸元のボタンを一つ一つ丁寧に外していく……。


「も、ももも……モモカさん?あの、越えてはいけない線を絶賛越えそうになっているんですが……」

「大丈夫よ私、偉いから」


 この瞬間、僕の警戒心は解けてしまった。

 正直最高に興奮している。ほぼ密室、隣の部屋に上司にあたる三名が居てもこの部屋の防音は完璧で隣に漏れる音は何もないだろう。そして、力のない僕は飢えた猛獣に食われる。

 ああ、僕は大人になるのか……大人は好きではないがなってしまったらしょうがない、受け入れよう。

 僕は一人覚悟をしていたが、それは僕だけであったようだ。


「この紋章見える?」


 モモカさんは僕の耳元で囁いた。おかげで顔は見えないが僕の真っ赤に染まった耳に息を吹きかける。

 モモカさんが指さす胸元には確かに黒く入れ墨のように彫り込まれた何かがあった。それは動物のようにも見えるが一部分だけであったために断言することはできなかったが、色抜ける程白く綺麗な肌に入れ墨があることは分かった。


「そ、それが……?」

「私は魔術師の弟子なの……そしてこれが体に刻み込まれた魔素まそ、私は魔術を使って人を操る」

「僕の力とどう違うって言うんですか」

「あなた達は生命力を代償にする不完全な魔法であるなら、私のはこの魔素が提供する魔力を使用するより完成された力……どう?あなたも私と同じ紋章を入れる気はない?」


 ゆっくりと一つ、また一つと僕のワイシャツのボタンが外されていく。彼女の手を掴んで抵抗してみるが、女性らしい白く柔らかい小さな手に思わず目を見開いてしまった。

 言葉が出なかった……こんなに女性の手は小さかったのか。彼女は抵抗するどころか掴まれた手を開き、逆に僕の手を絡めるように握る。交差する指は細くそしてひんやりと冷たかった。


「初めて女性の手を握った感想は……?」


 飲み込んだはずの唾は喉をそれ以上進むことを拒み、その場で停留していた。噴き出るようにしみ出てきた手汗に気が付かないで欲しかった。

 心臓、呼吸、血液は速くより速く循環する。

 ボタンを外された僕の体をひんやりと冷たい指が動く。粟立った肌を刺激する指の腹、喉元に触れる伸びた爪と彼女の指はなまめかしく動き続ける。


「男はここで女を満足させなければいけない――」


 僕はそれ以上の話を聞くことなく意識を失っていた。異常に上がった心拍数によって血の巡りが良くなり塞がりかけていた傷から血が噴き出て貧血になっていたようだ。


「こういうところはお父さんに似ていないんだ……」


 モモカは少年の顔の輪郭をそっとなぞり、かつて自分の命を救い自分が生涯愛し続けると誓ったある男忘れ去られた英雄の姿を少年に投影していた。

 流石親子と言うべきか少年とその男は似ていた。同時に彼女が比喩表現ではなく実際に呪った女にも似ていることに彼女は静かに怒り、そして冷静になったところで少年の傷だらけの体を抱きしめる。

 心音の聞こえる心地よさ、彼に似た安心感に包まれこのまま全てを自分の物にしたかった。

 しかし、不幸なことに彼女の崩壊しかけた理性を修復する男が部屋の中に入って来てしまったことでモモカはすぐに現実へ引き戻される。


「モモカさん。彼の同意を取った上での行為なのでしょうか……?場合によっては上へ報告しなければいけない事案なのですが、公安特科に所属する能力者荒くれものをまとめる方をこのようなことで失うのは私にとっても今後の特科の活動にも影響が出てしまいます」


 彼は冷静だった。

 しかし、見られてしまった以上やめる必要もない、私は彼に構わず続ける。


「ウエムラくんそっちは終わったのかしら?そうそう……彼も作戦に参加するからメンバーのリストに追加よろしく。完成したら議長さんの所にでも提出しておいてね」

「話を逸らさないでください……彼に同意は取ったのですか?これは我々の今後に関わります」

「彼は私に従う。それにこれは彼の体を調べているだけ、危険があったら大変よ。お偉いさんの命を守る為にも必要なことなの。わかった?」


 ウエムラは言いくるめられた。

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