第二章

第15話

『じゃあ死ね……』


 振り下ろされた死神の大鎌はバケモノの上半身を切り裂いた。

 噴き出した血のしぶきは人間と同じ、真っ赤な粘り気のある液体だった。少年は雨のように降り注ぐバケモノの鮮血を浴びて白い髪も綺麗に赤く染まっている。


『一撃で仕留めるつもりが核を破壊しそびれた……だが、なぜ拒む少年。貴様を殺そうとするものに天誅を下そうとしてやったというのに、貴様が抵抗するから手元がぶれた』


 少年の手に持っていた体の二倍はある大鎌が液体となって手元から零れ落ちる。地面に落下した黒い液体はまた少年の影へと戻っていた。彼の動きに合わせ動いている。

 どういう原理でウッドの体にもう一つの人格ができたかなんて俺にはわからないが、抵抗するウッドが居るなら今、表に出ている人格は別人で間違いない。完全には入れ替われていないのか、それとも入れ替わる気はないのか。

 少年はその乱れた髪を整えると漆黒の蛇が巻き付いた顔をこちらに向ける。

 顔を見てもウッドだ。


『おい、人間。さっきのクソッタレは死ぬ間際に自ら核を分離させどこかに逃げた。ヤツは必ず戻ってくるはずだが、どうするつもりだ』

「そうか、いや先に聞かせてくれ……お前は誰だ?なんでウッドの体に居る」

『俺は……誰でもいい、この少年が知っていればそれでいいことだ』

「それはできない……こちらも知っていなければいけないことがある」

『ならば条件だ……』


 ウッドによく似た少年は条件と言ってこちらに近づき俺の首に巻かれた首輪に触れる。

 すると俺の体には能力を使った時に感じる自然との一体化が戻ってきた。首輪からの制御が外れたのだ。


『俺の話を盗み聞きする卑しい女は嫌いだ……』


 少年はチョーカーによってこの会話が全て盗聴されていることを知っていた。何をもってそう感じたのかはわからないが、俺に危害を加えるつもりは無いようだしウッドの体で暴れる気もなさそうだ。

 友好的と断定するのはまだ早いが、一先ず俺も警戒を解こう。


『貴様はまず何が知りたい……』


 そう聞く少年の顔は幼いが、どこか歳を重ねた余裕を感じさせる表情であった。


「お前は誰だ。そしてなんでそこに居る」

『この体の持ち主を器と呼ばせてもらうが、彼に住み着いたもう一つの人格だと思ってくれて構わない。そしてなぜ居るかだが、彼に呼ばれた気がする……で満足してくれるか?』


 含みを持った笑みを向けてきた少年の顔の痣が動いている。やはり蛇のようにできたソレは意思を持つ蛇のように彼の体中を這いまわっていた。


「ならば味方でいいってことか?」

『それはどうだか、俺はこの器の考えを尊重する。今、お前がガリュートクソッタレと共に死ななかったのは器がそれを拒んだからであって、それが無かったらお前ごと消すつもりだった』

「強いんだな……」


 それは素直な感想だった。

 自分で言うのはどうかと思うが、俺は今まで一度も負けていない。全ての能力者と戦ったわけではないが、リッパー以外に敵は居ないと思っている。だが、目の前のウッドに憑依した何者かは俺に警戒する様子もなく、言葉通り俺を脅威と感じていないどころか眼中にない様子。

 久しぶりに出会った強い存在、体がウッドでなければ一度本気の手合わせを願ったことだろう。


『それ以上の質問は』

「随分と聞いてくれるんだな」

『俺の器に迷惑はかけられない』

「じゃあ、さっきバケモノと話していたアルナカート……戦争ってのはなんの話だ?英雄セナの物語とそれはどう違うんだ?」


 全ての元凶、全ての終着点に繋がる質問だった。その質問には彼も口を抑えどこまで話せる内容なのか長考している様子でなかなか答えが返ってこなかった。

 そして口を開くと、


『それだけは話せない……話したくないわけではない、話せないのだ』

「それはなぜ?」

『それがお前たちの世界で言う契約ってヤツだ』


 彼も何かの契約者であれば俺と同じく条件と言う名の制約が課せられているようだ。それを破棄するということは待っている運命が死である可能性もある。深く首を突っ込むつもりは今のところないが、いずれはソレも知らなければいけない情報となるだろう。


「ならば深入りはしない……お前が敵でなければな」

『フン、さっきも言った通り私は器の考えを尊重するつもりだ。器が貴様に殺意を持たなければ貴様を俺が殺すことは無い』


 彼の口から出てくる言葉には説得力と安心感が備わっていた。彼は強いというのは話しているだけでヒシヒシと感じている、彼が味方である以上俺達の持つ戦力の一つと考えていい。

 しかし、それはウッドが中のもう一つの人格を制御できていることが条件で彼が体の主導権を手に入れたとき暴れないとは限らない。言葉と言うのは言葉であって簡単に上書きができる。


『はぁ……俺の活動時間は限界に近付いている。人間、貴様の名はなんという』

「ホムラだ」

『ホムラか……では、私はすぐに器と入れ替わる。この体はもう限界、これ以上動くことはできないし、器の意識は当分の間は目覚めることは無いだろう。頼んだぞ……』


 そう言うと糸切れたウッドの体は背中から仰向けに倒れると両手を広げ白目で気絶していた。もう一人の人格だ言っていた通り傷は殆どが塞がっていたが、右腕の皮膚は焼けて皮膚を失ったまま筋肉が露出している。もう一人とやらの力を持ってしても治らない腕はバケモノとの戦いの過酷さを物語っていた。


「なんていい顔で寝てやがる……。聞け各員、仕事は終わった。しかし、例のバケモノはいまだ健在だ、これ以上の被害は今のところはないだろうが数日以内にもう一度現れる可能性がある。それぞれ注意するように」


 無線で付近に警戒態勢を敷いていた部下たちに連絡すると次は携帯で上司に連絡を行う。いつの時代も中途半端な役職は忙しいというのは変わらないようだ。

 電話をかけるとすぐに彼女の声が聞こえた。


『あら、あなたの方から掛けてくれるなんて嬉しい……声が聞こえなくて寂しかったのよ?』

「仕事は終わった。攫われた女子生徒もウチの新人も無事だ」

『そう……それは良かった。それよりあなた良いニュースと悪いニュースがあると言われたらどちらを聞きたいかしら』

「今の気分は良いニュースだ」

『あなた次の仕事がもう入っているわ……これで今月もボーナスが出るわね』


 仕事が増えて喜ぶ奴はこの世に存在するのだろうか、残念ながら俺は嬉しくない方の人間だったため軽くため息をつく。そんな俺のため息を聞いても向こうはお構いなしに話を続ける。


『それでね良いニュースと悪いニュースは繋がっているのよ。ここからは悪いニュース、ヒューリー長官が亡くなった』

「なに?」


 東大陸諜報部のヒューリー長官、鷹の目と呼ばれ他三大陸の公開されていない裏情報を握っていると噂される男の突然の退場、これには俺も驚きを隠せなかった。

 どうやらヒューリー長官が訪問した公安の事務所入り口に仕掛けられていた爆弾によって一撃で木っ端みじん、事務所入り口もデカい穴をブチ開けられて怪我人も数人出ているようだ。


「長官殿はいったいどんなネタを拾っちまったんだ?よっぽどのことが無ければこんな計画的犯行には及ばないだろ」

『ホムラ、長官は何に関わっていたかわかるかしら』

「…………まさかハルベイド地区か?」

『ご名答。彼、あそこの開発責任者リストに名前を入れていたわ……先日は私が例の拠点とやらの調査に向かう日に襲撃を行い、今回は新人くんとネスバケモノの戦いの裏で動いていた。これはリッパーくんが噛んでいるわね』


 ハルベイド地区は地下帝国の地上拠点と言ってもいい場所だ。俺が介入したことでヤツらの拠点、主に武器の密輸や葉っぱなどの違法性のある薬を売買する場所を手放すこととなった。ある意味では報復なのだろう。

 歴史というのは偶発的にそして連鎖して大きく動き出すようだ。


『仕事は後日連絡するから早く新人くんを病院に連れて行ってあげなさい、病室は確保してあるから』


 この怪我じゃ次の仕事は半年、早くて二か月は必要になるだろう。だが、彼が決めて女子生徒を救って責任は果たした……十分だ。


「感謝します」


 それは初めて彼女に対して心から出た感謝の言葉だった。



 なんだ?また僕は死んだのか?既に僕は死んだことに驚くことは無かった。

 鉛のように重く動かない僕の体はただひたすら虚空を川のような流れに身を任せ彷徨っている。右も左も上下すらも分からない暗闇にただ一人中空を舞うが、不思議と一人落ち着いていた。

 最近は忙しかったからたまにはこういう日があっても罰は当たらないだろう。そう自分に言い聞かせこの孤独を楽しんでいた。

 だが、僕が楽しんでいるときは必ず邪魔が入る。


『やっほー兄弟!孤独は楽しいかぁ?』


 孤独を楽しむ僕にとって耳障りなとっても陽気な声だった。この空間に壁でもあるのかその声は反響している。


「なあ、ここはどこなんだ?アスタの居た場所とは違う、天国って言うよりここは地獄だ……」

『だが貴様はその地獄に癒されていた。孤独は良いだとか抜かしていたじゃないか』


 この空間は奴のフィールドのようだ……心に思ったこと感じたことは全て奴が把握している。余計なことは考えない方がいいな。


『おいおい冷てぇな兄弟、俺は貴様を助けた恩人だぜ?俺と貴様は一心同体全てを共有するベストフレンドだ。当然痛みも幸福も一緒にシェアしようぜぇ』

「僕を助けてくれたことは感謝するが姿を見せないでその近づき方はやめてくれ物理的にもあんたとの距離感がおかしくなる。姿を隠した誰かさんは今どこに居るんだ?そっちからは僕を見えているようだが僕からは見えないぞ?いったいどこでどうやって僕を見ている」


 僕の居る空間には人間の姿だけでなく気配すらも存在しない無の世界が広がっていた。声のする方を特定しようにも反響が邪魔をして声の主にたどり着くことはできない。

 体を起き上がらせる、と言っても僕の体は空中に浮いているように重力から解放され慣れない無重力に身を任せ足を伸ばす程度のことだ。

 そしてもう一人は笑った、お世辞にも品のいいとは言えない下品な笑い声だった。


『貴様は俺の姿を見たい、できることなら俺様だって貴様に見せてやりたいところだ。信頼を構築する上での隠し事というのは望ましくはない、というのは俺自身わかっているのだがソレはできない。貴様との契約を行ってしまったからな』

「契約?あんたと契約した覚えは無いぞ」

『カハハ!そうだな、俺が勝手に行ったことだから貴様からしたら覚えのないことだ。貴様が俺を、あの黒い液体を飲んだとき契約は成立している』


 学校で僕の顔に張り付いたあのスライム状の黒い液体、あれがこの声の主だったということか?でもなんであんな姿になっていた。


「で、あんたの名前はなんだ?それくらいは教えてくれるだろ?」

『俺の名前か……前任者、つまり貴様の前に俺が器に定めた者は俺を影と呼んだ。貴様もそう呼ぶといい……あの男と貴様はどこか似ていて懐かしい』

「そうか、じゃあシャドーって呼ばせてもらう。文句はあるかい?」


 声は姿を見ずとも腹を抱えて笑っている。そんな姿を想像するのは顔も体型も何も知らない僕でも難しくない。

 だが、声の話す内容にはいくつか引っ掛かる部分があった。前任者、そして器……。

 前任者とは恐らく僕の前に寄生していた人間のことだろう、あの男と言っていたから男で間違いはない。

 そして器、これはあのバケモノガリュートがタツキをそう呼んでいたのと同じく、この声の主も人間を器として考えている。バケモノと同じ悪魔かそれ以上の存在なのか、はたまた僕の作り出したもう一つの人格なのか……。


「なあシャドー、前任者っていったいどんな男なんだ?僕と似ているってのはどういう意味なんだ?」


 シャドーの答えは中々返ってはこない。なにか悩んでいるような鳴き声のように唸る声が数分続いていた。


『俺にも貴様とあの男がどう似ているとか、共通点を探すのに時間はかかるがすぐに出てくるものとしては居心地だな……。俺の体に血液があるなら沸騰するこの感じ、強き者に好かれる運命……たまらない!』


 こいつもイカレている側だった……だがこの世界、アクション映画のエキストラのように理不尽に命が奪われていく中でこういう戦闘狂は生き残るかすぐに死ぬかの二つだ。僕の中に居る以上は前者の使える戦闘狂であって欲しいモノだな。

 しかし、ここはどこだ?何事もないかのように話を続けていたが、ここがどこかもわからず出口も見つからない。シャドーはここをどこまで知っているんだ?


「おいシャドー、さっきも聞いたがここはどこだ?アスタ……女神さまたちの居たような天国のような所とは言えないが、お前はどのくらいここを知っているんだ?」

『なんだ兄弟、もう出て行きたいってのか?寂しくなるねェ……俺は数百、数千年ぶりに人間と接触したんだぜ、こっちの気持ちも汲みとってもらわねぇと悲しくて泣いちまうぞ?…………まあ俺の知っていることは教えてやるよ俺は貴様で貴様は俺だからな……隠し事は無しだ』


 そしてシャドーは語り始めた。

 なぜ自分が僕の中に居てここがどこなのか……その話は壮大で人間の脳を破壊することのできるスケールを持っていた。当然僕にはすべてを理解することは不可能だ。

 しかし、わかったことが一つ。僕も知っている……知っているというより見たことがあるというだけだが、僕を間接的に戦いの世界へ巻き込んだ張本人である黒いフルフェイスのヘルメットを被った占い師、そしてあの男が見せた例の巨大樹がこのバケモノや変な力を使う人間の存在するイカレた世界に大きく関わっているようだ。

 世界樹。それがこの世に存在する生命、そして時すらも支配する絶対者の名前であった。


「じゃあ世界樹ってやつがこの世界を作ってこの空間も作った……?僕らは世界樹ってやつの中に居るのか?」

『それ以上の知識を俺が持っていても恐らく俺は喋れねぇ……この世界を作った野郎の気分を損ねたら俺達がどうなるか想像するだけでも恐ろしいぜ』


 話が飛躍しすぎていて僕の脳では処理しきれていない……こんな話をいきなり聞いてもよかったのだろうか?そんなことを心配する自分も居たが未知の存在に対してワクワクしている自分も存在した。

 あの日、僕が初めて死んだあの日。フルフェイスの男が見せた巨大樹……シャドーが言うには世界のすべてを作り出した世界樹というようだが、僕はアレが何なのかをずっと知りたかった。

 男の言葉なんて既に忘れていたが、あの巨大樹だけは記憶の中にハッキリと存在していた……それだけ僕にとっての全てだった。


 それが今、たった一つのピースだがパズルにはまった。そんな気がして僕は高揚している。


『おいおい表情が崩壊しているぜ……そんなに面白い話かコレ?俺にとってはおっかなくてしょうがない……ってあぁ?』


 そのとき僕らの居る暗闇が支配すするこの空間で光が見えた。緑色に輝く光は明るさを増して光線のようにこちらへ流れ近づいてきた。


―知りたいって好奇心は人間の原動力、体を動かす燃料で人間が言葉を開発する前の猿の時代から受け継がれている。

―探究とは終わりのないモノだと思っていたが、全知を授かればそれは意外にもあっけないモノだった。僕は笑いが止まらなかったよ。


 光に取り込まれた瞬間、突然の頭痛とともに流れ込む誰かの記憶だった。

 荒廃した世界、あちこちで黒煙の柱が天まで昇り、森の奥では感情を持たぬ白銀の鋼でできた体を持つ巨人たちがどこかへ歩み続ける。

 空には船が浮かび光線を撃ちあい、直撃した鉄の塊は地上へと煙を放ちながら墜落する。記憶の主は落下地点周辺を飲み込む閃光に目を向けることなく一人の女性を見つめている。

 記憶の主は拳銃を女性に向けていた。

 拳銃を向けられる女性は瞳に涙を浮かべ何か必死に説得するよう叫んでいるが、記憶の主には届かぬ声……僕にもその叫びが何なのか聞こえることはなかった。


―全てを知れて満足か?その質問に答えることはできない。探究心を捨て全てを知ることを選んだ僕にはもう前を見ることすら苦痛なんだ。

―人間は分かり合えるんだ。だが、今後完全なる世界の平和と言うのは訪れない。人間の古い型にハマったステレオタイプの所為かもしれないが、知りすぎた人間と言うのもなかなかに危険だ。


 男の声、記憶の主は女性に向かって何かつぶやいていた。

 恋人なのかそれとも赤の他人なのか感情のないその銃口には何か既視感があった。

 一瞬だったが誰かの記憶のような映像を断片的にだが見た。光が過ぎ去るとまた僕らの居るこの空間は暗闇が主導権を得る。

 記憶の断片だけで僕の額からは滝のように汗が流れだしている気がする、興奮によって震える指先、知りたいという記憶の主の感情が僕を支配していた。彼の言う通り人間の体を動かす燃料とは探究心だったのかもしれない。


『奴さん俺に話しすぎだと注意をしてきやがった……これ以上俺から貴様に話せることは今は無いようだ』

「いや、十分だよシャドー。僕はリッパーを倒して全てを知るって決めているからこれ以上は望まないよ」

『そうかいそうかい……じゃあ外の世界に戻すぜ。あまり貴様が起きないもんでピンクの髪をした乳のデカい女が心配していたぞ』


 シャドーがそう言い残すと体に重力が戻ったようでドッと体に何かがのしかかる。さっきまでの浮遊しているような体の軽さは残っておらず指一本動かすことはできなかった。


 ピッピッピッと数回に一度リズムが乱れるが一定の決まった間隔で音が鳴る。

 知らない天井、家でもホムラさんたちの拠点でもない白い天井にはLEDの蛍光灯が規則的に並べられていた。さっきまで暗闇だった所為かやけに光が眩しかった。

 何とかただの水晶玉のように動く力を失った眼球を動かすとようやく僕がどこにいるのかわかった……ここは病院だ。

 ベッドに寝かされた僕の腕には数本の点滴が繋がれていて、白いカーテンで完全に外界からシャットアウトされている。外の様子は何も見えない。

 だが、僕は一人ではなかった。

 ベッドの横で広げられたパイプ椅子にルカさんが座って寝ている、棚の上には向きかけのリンゴ……不器用すぎて途中で投げ出してしまったのだろうか、包丁が真っ二つに切られたリンゴの断面に突き刺され放置されていた。


「痛ったぁ……」


 まだ僕の体は動きそうになかった。包帯で固定されたボロボロの体は寝返りを打とうとするだけで全身に電流のような一瞬の激痛を流す。

 何とか痛みに耐えて体をベッドの上に起こすと壁にかけられた時計がようやく見えた。時計は朝の9時30分を指している。


『高校爆発事件から丸四日が経った今、現場では調査が続けられています。生徒職員合わせて281名の命はなぜ奪われてしまったのでしょうか……』


 電源をつけられたままのラジオからはニュースが流れていた。どうやら学校でヤツと戦ってから四日も僕は気絶していたようだ。

 そのニュースを報道するキャスターたちの顔は沈んだ暗い表情で、どこか怒りが宿っているような気がした。

 いったい誰に彼らは怒りを感じているのか。

 それは助けられなかった僕に向けた怒りか、それともバケモノ、はたまた動きの遅れた政府なのか。考えられる怒りの矛先とは人の数だけ存在するだろう。


『今回の事件はガス漏れが原因という警察の報告ですが、実際どうなのでしょうか?』

『ガス漏れでこのような爆発被害は聞いたことがありません。それに学校でガスが漏れるということ事態が稀なことで、大抵の学校にはガスを検知する機械が備わっている……そこを考えると警察の言うことには少し矛盾が出てきてしまいます。それにあの現場には例の少年も現れたという情報があります。私は彼をよく知らない為、批判するつもりも悪にするつもりもありませんが、彼と今回の事件の関係性が白だという報告が無ければ彼を疑わざるを得ない』


 若いキャスターに話を振られた専門家は中立の立場で話を行う。

 警察の報告が事実を隠したガス漏れである以上この事件は既に大陸中央政府が介入していることを意味していた。この専門家ももしかしたら大陸の用意した人間の可能性もある。


『しかし、事件とはこんなに連鎖するモノなのでしょうか?同日には大陸公安諜報部長官の暗殺など……』


 暗殺……?


「狙われたのは学校だけじゃない?」

「そう、キミの学校は囮だったのよ……私たち特科の目を引きつける為のデコイ」


 さっきまで眠っていたルカさんは突然立ち上がり僕を強く抱きしめた。僕の顔にはルカさんの息遣いや心臓の鼓動全てが敏感に伝わってくる。


「よかった生きてて、あなたが強い子で本当に良かった……!本当に……良かった……」


 この感情は何だろう……。

 震える腕に抱かれルカさんから伝わる感情は僕に雪崩のように流れ込む。

 身勝手な行動に対しての怒りは当然あったが、それ以外にもホムラさんからも感じたような何かがあった。僕にはその感情が何なのかを上手く言い表すことができなかったが、包容力のあるそれは僕を優しく包み込んでくれる。

 心地がいい……それは二度と手放してはいけない感情と感覚。忘れていけない人間の温もりだったのかもしれない。


「もうこんな無茶はしないで……。私はあなたのような子供が傷つく姿は見たくない……あなたが選んだ道でも許容できるものとできないものがある。お願い……」




「では……これより緊急大陸会議を始める。先日バケモノが大陸の高校を狙ったテロ行為を行ったというのは真実なのか?モモカくん」


 東大陸行政立法を司るカペストラ宮殿では緊急会議が始まった。

 大陸の各地方議員が集まったこの会議は当然ウッドとバケモノの戦いと地下帝国による報復、東大陸公安諜報部長官の暗殺についてだ。

 これには特科を設立した重要人物として彼女も参加していた。


「今回、我々特科は新たな戦力によって被害は最小限に食い止めることに成功しました。敵は人間をバケモノへと変え戦力にしています。それも我々と同じ地上の民をです……」


 流石に最後の言葉は会場をざわつかせるには十分だった。聞き取れる声、声色とどれを聞いても怯えた情けない声だ。

 ある者は自分が敵対する者だとヤツらに知られたら自分もモルモットにされるのか、またある者は家族を……誰一人として現与党側から民を心配する声は聞こえてはこない。情けなく呆れ声も出なかった。


「ではサカイ議長……私はアナタのお考えが聞きたい。アナタはの口なのでしょう?彼らはなんと……」


 四等分にされた大陸を実質的に支配する老中院。政治の権限は各四大陸に委ねられているというが、最終的な判断は中央の許可が無ければどの大陸も自由に政治が行えない。

 自分の国の政治を満足に行えない状況はハッキリ言ってイカレている。

 そして各大陸に派遣された議長は監視役、老中院の目であり口である彼らはその名の通り老中院のアリガタイ言葉を代わりに発言して老中院に盾突こうとする者を監視し、場合によっては消す。

 公安の特科という私兵をもつ私が言えたことではないが老中院のやっていることは独裁である。


「議長……お言葉を、皆が中央の御言葉を待っています」


 ヤツらの声を待つのは野党議員連合だ。

 議長の一声によっては噛みつく美味しい餌となる……普段はオウムのように同じことを喚くだけだが、こういう時に限って彼らは猟犬の如く獲物を狩るチャンスを待つ。

 私は彼らにチャンスを与える。

 だが、勘違いしてもらいたくないのは私はどこの議員とも繋がっていないということだ。唯一使える駒は野党議員連合党首の右腕であるウエムラくんだけで、それ以外とは手を組むつもりは今のところない。

 年寄りとの協力をするくらいならハンサムを選ぶ。ソレが人間の欲と言うヤツだ。


「中央は……今回の件は既に工作済み。地に潜る者の関与などの事実は見られず完全に原因はガス漏れである。そして火のないところに煙はあらず……とのことだ」


 火のないところに煙はあらず……いまいち表現としては80点を与えるのに躊躇うが牽制としてはまあまあなモノだな。

 全ての決定権のある中央から地下帝国の存在はまだ認めるなと釘を刺されてしまった。だが、それで止まることは野党側にはないようだ。


「言うことはそれだけか……?最初の言葉がそれだけなのか!犠牲者への言葉もなしに自分たちの立場を明確にさせるだけなのか!?いつから我々は中央の決定を待つだけのハチ公になったのだ、いつから政治がこの大陸の民ではなく奴らの為の政治になったのだ!」


 怒り吠える党首は軍人上がりのマーサス、大陸で初めて政治家になった軍人で彼の掲げる公約は民が望んでいることだった。支持を受けている以上彼も叫ばなければいけない。


「我が大陸は中央からの独立をし、地に潜る者たちの殲滅を優先しなければならない!我が大陸の民はヤツらに殺害されたのだ!それを我々野党より権限を持つ与党が命令ならば静観するなど民に選ばれた者として恥ずべきことなのではないのか?」


 言葉を投げることは簡単だ。

 この発言は彼だからできることだった。力を中途半端に持ち、中毒性の高い甘い蜜を吸ってしまった他議員らは蜜をくれる中央政府女王蜂から離れることができなくなっている。勿論、離れることのできない彼らは傀儡となりさがり上からの命令は絶対という忠誠心を持った犬だ。

 この大陸に忠誠心も愛国心もあるわけではないが、腐ったモノを見ると誰でも不快感を持つように私も彼らに対しては形容しがたい感情を持っている。


「私は政治家ではないので後の話はウエムラくんを通して私に……。それでは民に選ばれた正規の方々でごゆっくり」


 十分に会場を乱すことができた。女は満足していた。

 私は壇から降り彼らの怒鳴り声に等しい罵声に聞き耳を立てながら会場の立派な扉から廊下に出て行く。

 廊下に出た女はおもむろにポケットから携帯を取り出し昔、全てを許した男に電話をする。


「ホムラ……新人くんはもう元気?あらそう、それは良かった。じゃあ悪いけど明日、彼を連れて私の所に来なさい、彼と話がしたい……」

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