第9話

 昇ってきた朝日はいつの間にか僕らの真上に存在していた。


「んっ……んん~」


 大きく背伸びをした僕の背中からは昨日から同じ姿勢から解放された喜びを骨の音で表している。

 頭のてっぺんから血がドッと下がり視界が狭まりふわふわとする感覚は不快ではあったが快感だった。あとは監視の目が無ければ最高なのだが……。


「…………」


 旧世紀の中世を彷彿させるペストマスクにシルクハットのヒョロヒョロ大男が椅子に座って背伸びをするだけの僕を監視する。

 ホムラさんに何やら指示を受けてずっと僕を監視しているようだが1mmたりとも動かない置物のようなこの人は本当に人間なのだろうか?

 顔も声も未だ聴いていない為、性別などを判断することは不可能だがルカさんに「ロム」と呼ばれていたことから男性だと仮定をする。しかし、女性の場合も全然考えられる。


「あ、あのぉ……」

「…………」


 へ、返事がない……!?僕は今無視されたのか?いや、聞こえなかった……?

 マスクの男から返事は無く、そして相変わらず置物のように微動だにしなかった。ステッキに手を置いて椅子からはみ出た体の半分以上を占める長い足を組んでじっと僕を見ている……そう感じる。


「ソラくーん!体の調子はどう?長時間拘束されてどこか痛くなってたりしてない?」

「る、ルカさん!あの人何なんですか!?全然動く気配が無いんですけど!」

「ん?ロムくんのこと?」

「生きてるんですよね……?」

「フフッ。ロムくんは今お昼寝中よ……彼はああ見えて一番の年長さんでおじいちゃんだから」


 昼寝……?そんなはずがない僕はずっと睨まれている気がして寒気までしていたのにあの人は寝ていた。それにしても隙が無い……。

 もし僕が今、あの人に触れようとしたら手を支えるあのステッキで叩かれるだろう。蹴りを入れても躱される気がする。

 僕があの人に対して行うことは全て無意味であり、それはとても無力なことだった。


「ロムくんは特科の№2だから強いんだよ。もし彼のテリトリーにキミが入ったらバラバラにされちゃうかもね」


 サラッととんでもないことを口にしたが頷いてしまう自分も居た。

 例え無防備の状態であっても自分に対する殺気には敏感に反応してすぐに戦闘態勢が整うよう握られたステッキはルカさんのバラバラにされるという発言が比喩表現でなければ仕込み刀になっているんだろう。

 僕が縛られているとき部屋の外で感じた二つの気配のうち一つはこの男で間違いない。


「あ、そういえばウッドくんって学校に行かないの?」

「え、今日は日曜日ですよね?」

「今日は月曜日よ?」





 人間には成功をつかみ取る選ばれた人間とそうでは人間がいると俺は小さい頃から思っている。勿論俺は前者の選ばれた方だ。


「タツキさんおはようございます!」


 廊下を歩くだけで後輩は今までやっていたことを中断して俺に挨拶をする、どんなに熱中していてもこいつらは俺に挨拶することを優先する。


「おう……」


 俺は軽く返事程度の挨拶を返すがこいつらには関係がない、上下関係の厳しいこの学校では常にランキングが出来上がっている。

 顔のいい者や頭のいい者、人気のある者に喧嘩の強い奴などある意味では天からのギフトを持つ者はこの学校では地位が高くなっていた。

 もしそのギフトを受け取っていなかったら?そんなヤツはこの世に存在しない、皆平等に力を割り振られている。

 例えどんなに顔が普通でも喧嘩する力が無くても勉強ができればそれは武器だ。意味のないモノなんてのは存在しない、それをどう利用して磨いていくかで他の人間が持っていないモノとなる。

 だが、中にはそれを諦めた者も居る。


「タツキさん荷物持ちますよ……!」


 地位が高い者の傍に居なければ暗闇を歩けない者も居る。

 コイツのように残光でなんとかしがみ付くようにしてカースト上位の下に付こうとする奴もいるが、俺はそれを否定したりはしない。

 こいつはこいつなりに生き方を見つけ狡賢く生き残る方法を模索しているんだ。

 それが持たざる者のいや、磨くことを諦めた或いは研ぎ方を知らない者の生き方であることは知っている。


「おっと、悪ぃな……」


 だが、他人からは持たざる者として蔑まれた哀れみに近い視線を向けられる奴の中には鷹も混じっている。


「おいソラ!タツキさんにぶつかってるんだよぉ!」

「そっちがぶつかってきたんじゃないか……」


 鷹は上手く爪を隠し子山羊を弄ぶ。

 アイザワ ソラ。コイツだけは昔から好きになれないタイプの人間だ。

 成績、運動神経どれも人以上の能力を持っているが、それはコミュニケーションなどの人間関係を犠牲にした天からのギフトなのだろう。

 この男が群れているところや人と会話しているところすら見たことが無い。おまけに最近は校舎裏で一人喋っているのを何度も目撃されている、ハッキリ言って頭のおかしい奴というのがこの学校での評価だ。


「今日はやけに早く登校してきたんじゃないかぁ?」

「やだなぁ三時間目に来るのはいつも通りだよ……って僕は先生に呼ばれてるからキミに構ってる暇はないんだごめんね」


 今まで通り家に引きこもっていればいいものを教師にどやされてこの間から学校に遅刻して来るようになった。

 来ても居眠りかノートに落書きをして説教を喰らうマヌケな光景しか見ていないがな。それを見たクラスの連中からはアホのソラなどと陰で言われているが多分この男はそれを知っていて楽しんでいる。


「アホの奴職員室とは真逆の方向に行きましたけど本当にアホなんですかね?」

「ああそうだよ……」


 アイツは成績も運動神経も本来はこの荷物持ちよりも上だ。

 しかし、それを知っているのは今や俺のようにガキの頃からアイツを知っている人間だけになってしまっている。

 施設と俺たちの世界を遮るフェンスの向こう側からこちらを見るアイツの目は未だに覚えている。

 例え才能や思考が普通の人間とは違う特別な人間でも境遇というパズルのピースを一つなくしただけで社会的地位は地へと落ちていく。おまけには親に捨てられ施設で育ったというだけで、哀れみというヤツにとっては腹の足しにもならない不要な感情を押し付けられる。

 多分、人間は自分より可哀想なヤツを見て生まれる感情は哀れみでも同情でもない、優越感だ。人の不幸は蜜の味とはいい表現だと思う。さっきも言った通り人間には他が持っていない特別なモノを一人一人持っている、もしソレがない人間を見たら自分の持っているモノを再確認することが可能だ。

 可哀想なヤツだが同情はしない。


「そういえばタツキさん。大学の推薦の話ってどうなったんですか?あそこの大学のサッカーって大学の監督からスカウトを受けなければ補欠にすらなれないって聞くんですけど」

「それについて担任から話があるんだ……悪いな俺は一回進路相談室に行くから先に行ってろ」


 進路相談室はいつも通り混雑をしていた。

 二年で来ている俺が特殊なだけで、この時期は三年にとっては勝負の時期で受験も半年を切っていたから当然だ。

 生徒の列の先頭は担当の部屋が早く空かないかとソワソワした様子で扉に張られた半透明のガラスの向こう側を覗き込む。


「お前いい加減にテストの点数をとらないと大学に行けないんだぞ?」

「先生!お言葉ですが大学に行くことだけが幸せに繋がることではありませんよ!」

「だがな先生はお前の成績だけは優秀なのを知っていて推薦も出すって言ってるんだ。そろそろ授業を真面目に受けてだな……」


 相談室の中からは聞いたことのある声と教師の白熱した口論が繰り広げられていた。


「ソラ、将来お前は何になりたいんだ?警察になるにしても消防士になるにしても今の時代は大学に行かなければ職を見つけるのは困難だ……先生の時代は大学を出なければ給料に差が出ると言われた時代だったが、今はあの頃より厳しくなっている」

「………………。」


 アイツは話を終えたのか相談室から出てくると何も言わずに廊下を歩きながら窓の外を見つめていた。

 それから数十分後ようやく俺の番が回ってきた。

 放課後も終わりに近づき今日は部活に参加できないと理解した俺は、待ち時間という無駄な時間をただ浪費していることを悔いていた。

 入学してからサッカー部のエースとしてスタメンを外されたことは一度もないが、練習をしなくてもチームを勝たせるほどの実力は俺にはないと断言できる。ウチのチームは五年連続東大陸制覇を成し遂げた強豪校であったが、それも今は昔の話、今のチームは俺が出なければ弱小校とですら互角の勝負をしてしまう中途半端な実力の学校として世に汚名を広げてしまった。


「次の生徒は入ってくださーい」

「ウス……」


 担当の教師はいつものようにマニュアルから拾ったセリフを並べ俺を評価していく。


「タツキくんは成績も部活や生徒会役員としての仕事もきっちりこなしている。問題なく大陸トップのモンテルト大学に行くことはできるね……」


 そんなことはどうだっていい。推薦が来ているか来ていないかだけを教えろ。


「残念ながらキミの行きたがっていた大学からの推薦はきていないんだ。一般で入るしかないね……」

「なんだって!?」


 俺は東大陸有数のサッカー名門大学を目指していた。その大学は推薦を受けなければサッカー部のスタメンには入れないと言われ、過去に推薦を受けてもスタメンから外された先輩が存在するほど厳しい世界であった。

 俺はそのスカウトを受けるために大陸リーグのDブロックのMVPにも選ばれたのにスカウトがきていないだと?去年の先輩はMVPにならなくてもスカウトを受けられたって言うのになぜ俺には来ていないんだ?


「他の大学からは沢山来ているんだが、キミの行きたがっている所からは……。恐らくチームの成績も関係してるんだろうけど……」


 ありえない……。

 冷静に分析する担当のその後の話は全く耳に届かず、俺はセミに抜け殻のように心が空っぽになっていた。


「失礼しました……」


 一度の挫折で気を落としすぎだという人間がいるかもしれない、俺も同じような人間を見つけたらそう思うだろう。だが、その優しさは本人を一番傷つける言葉になるということが今回痛いほどよく分かった。

 俺は目眩がした。

 この時期にスカウトが来なければ次のチャンスは無いと噂されている為、俺に次のチャンスは無いということだろうか……?担当はチームの成績も関係していると言ったが、ウチのチームは去年とは違う。地区大会が精一杯だ。


「どうすればいいってんだ……!」


 この得体のしれない感情をどこに吐き捨てればいいのか、吐き捨てたところで結果が変わることなんてあるのか……?

 脚から歩くための力が抜け落ちヨロヨロと廊下の壁に手ついて遂にはしゃがみ込んでしまった。

 こんな情けない姿は誰にも見られたくはなかった。


「タツキ……」


 しかし、この女は良くも悪くも俺の弱い姿をいつも傍で見ていた。


「なんだセラ。情けない姿を見るような性格の悪い女だったのか……?」

「今日部活に来てないって言われたから……。もしかして、スカウトの話……?」


 俺はセラの質問に答えられなかった。

 励ましに来たのか何をしにきたのか不明だが今は独りにしてほしかったが、セラの表情は次第に暗くしつこく俺を問い詰める。


「タツキ、まだチャンスはあるよ……きっと。次の大会で見返せばいいんだよ……多分」


 もうチャンスは無いんだ。

 かえって俺を惨めにする気休め程度の慰めなんてのは求めていない、ハッキリ言って不愉快だった。


「ほっとけ……」


 俺はセラを置いて学校を出て行った。学校の外は夕暮れに染まり俺の帰る道に夕日がかぶさっている。

 上手くいかないときは心に一切の余裕がない。虫の鳴き声が俺を笑い目の前で光輝く太陽は俺を見下している。自分が輝いていると錯覚していた俺に本当の光を見せつけているのか?

 全てが不愉快だった。


「俺がそんなに小さい存在だって言いたいのか!」


 太陽に吠えるがそれも虚しく、俺の遠吠えは風に乗って太陽に届くことなく消失した。


「今どき太陽に吠える学生なんて存在するのか……。地上はまだまだ面白いことがあって退屈をしない」

「誰だ!?」


 電柱の陰からぬっと現れたのは仮面をつけた人間、身長が180ある俺と同等かそれ以上で、声の性質からして男だと結論づける。

 身なりからしてホームレスではないだろうがこんな時間に学生に声をかけるこの男は危険だと本能が警告を出す。

 そして男はゆっくりと俺に近づいてきた。


「なにを太陽に向かって吐き出したんだ?悔しさか、それとも憎しみか?私で良ければ話を聞いてあげるよ……」

「それ以上近づいたら警察を呼ぶぞ……。得体の知れねえヤツに自分の気持ちをさらけ出す程の度胸ねえし、そこまで現代人は馬鹿じゃねえよ」

「そんなに警戒しないでくれたまえ。私は心理カウンセラーの資格を持っている、キミのような人を何人も救ってきた」

「もし、そんな怪しい仮面をつけた人間を信じるヤツは居ても俺は違う。怪しい宗教の勧誘か何かか?それなら他を当たってくれ」


 俺はなんとかしてこの場から離れようとすぐに逃げれる準備をするが男は俺の警戒を解くために立ち止まった。話の分かる奴と言うのを演じようとしているのか、それとも本当に俺の話を聞こうとしているのか判断するのが難しい。


「キミの表情とさっきの太陽に向かって吠える姿が余りにも可哀想に見えてね少し声を掛けさせてもらったんだ。大人として未来ある若者にこんな所で命を絶たれては困るんだ」

「それが本心だとしても俺は顔を晒すことのできねえ人間を信頼するつもりはない。大人としての常識を持たずに人を救うだなんて身勝手だな」

「厳しい言い方だがキミが正しいな。すまないの常識に慣れていなくてね……」


 なんなんだこの男は……。

 太陽の光がオレンジ色に染めていた髪の色はいつしか日が沈み暗闇の中で目立つ白髪へと変わっていた。

 男は街灯が点灯し始めた道の真ん中で仮面を外し素顔を晒す。

 サファイアのように透き通った左目と深紅に染まった右目は自然の光ではなく自らの力で発光しているようだった。


「アンタ、この国の人間じゃないのか?変わった目をしてるな」

「どこへ行ってもこの目を見せたらそう言われます。しかし、私の国ではあなた達の様な純粋な黒色の方が珍しいんですよ。不思議なことに場所が違えば私の方が少数派になってしまう」


 赤い瞳の人間が沢山いる場所なんて知らないが、青い瞳が一般的と言うなら西の大陸の人間なのだろうか?あの大陸の民族は青い瞳が有名だからそれなら納得がいく。


「で、なにが目的なんだ。言っとくが俺は宗教に興味はない」

「フフ、宗教に興味がないとはキミの方が変わっているじゃないか……さて、先程はいろんな人を救ってきたといいましたよね?実は私、魔法で人を救って来たんですよ」


 今一番心理カウンセリングが必要なのはこの男の方だ、話を聞こうとした俺は馬鹿だった。

 俺は男を無視して帰ろうと振り返ったそのとき、いつもの道が暗闇に閉ざされ消えていた。電柱も家の塀も全てが黒い何かに飲み込まれていた、あり得ない光景で俺は立ちながら夢でも見ているのかと不安になったがソレは現実だった。


「なにが起こったんだ……道はどこへ行ったんだ?」


 俺の立っているところから先の景色は毒々しい黒い液状化した何かに包み込まれまるで胃の中で溶かされているような光景だった。巨人の胃の中でないなら地獄なのだろうか。


「これはキミの未来への“道”だ、キミがそれ以上先に進むというなら私は止めるつもりはない」

「それはどういう意味だ!」

「キミの未来は黒に塗れた文字通りお先真っ暗。この先なんにも良いことはない、人生とは痛みの伴う棘の道だ。まあ棘であろうと道は道、試しに触れてみたらどうだ?」


 夢だと信じたかったがよくよく考えたらこの国には最近ではバケモノも出るんだ、こういうことがあってもおかしくないだろう。俺は恐る恐る湯気の立ち昇る液状化した道を触れてみる。


「う、うぐあぁぁぁぁ!」


 ソレは俺の指を取り込むと浸食を始め皮膚をドロドロに溶かし筋肉の繊維を断ち切り触れた人差し指をあっという間に飲み込んでしまっていた。

 その痛みは本物であった、歯にひびが入る程噛みしめた顎から漏れる悲鳴、なくなった指先から噴き出る血液は止まらない。蒸気を放つ黒い液体は浮かんで残った爪も綺麗に消化する。


「とても痛そうだね。キミはこれからその道を歩くこととなるが、私ならキミを救うことができる。私は魔法を使ってキミに力を与えることができるが、どうだ?」


 俺の耳には男の声が聞こえずそれどころではない、痛みに悶絶する俺に男はガラスの試験管を近づける、試験管の中で泡立つ赤い液体は血よりも薄く軽そうだった。


「こいつを飲むことはキミを救う唯一の方法、飲むだけでキミの溶けた指先は戻るしキミの欲する力を与えてくれるだろう……。どうだい、悪い話じゃないだろ?」


 人間の脳みそとは余裕の無いとき、追い詰められているときというのは驚くほど使い物にならないようだ。返事をする前に俺は男から液体の入った試験管を奪い取り、成分や効果の不明な得体のしれないモノを飲み干していた。

 飲み干しその液体が食道を通っていることを知覚した時、心臓と肺の辺りが急激に熱が上昇して失った指先から湯気が昇る。激痛だった、もしかしたら失ったときより痛かったかもしれない。


「ぐあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!いでぇ!あ、あがぁぁあぁ!」


 薬を飲んで一瞬、全身に痺れが広がり倒れた状態から起き上がることもできなくなっていた。知らない人間から得体のしれない液体を受け取って飲むなんて俺が馬鹿だった……なぜ俺はコイツを信じちまったんだ?


「もう少しの辛抱だ。そいつは効果が出るのがきっちり一分でな、痛みと痺れはあるだろうが耐えられたらそこからは楽になる」


 男の言う通り少しして痺れと痛みは嘘のようになくなっていた。

 いまだ心臓は大きく鼓動し息が上がっているが無くなった指先の感覚は元に戻り、皮膚が突っ張る感覚は少し痛いが曲げることができた。


「これで私を信じてくれるかな?」

「……。ああ」


 信じたくはなかったが指が本当に治っちまったんだ、嘘でも返事はしておく。

 男に返事をしながら後ろを振り返ってみる。さっきまで背後に広がっていた地獄のような光景は嘘みたいになくなっていて、黒い液状化した地面もなくあるのは太陽が完全に隠れた本来の夜空だった。

 指が無くなったのもあの景色も本当は幻覚だったのかもしれない、いやそうであってほしかった。でなければ説明がつかない。


「まだ、混乱しているのかな?無理もない……あれを見た人間はみんなキミと同じく混乱して最後まで私を信じなかった者は死んでいった。キミは運が良かったのか運命がそうしたのか生き残っている」

「あれはいったい何だったんだ……?」

「言っただろ?アレはキミの未来、歩く道だと言ったはずだ。遅かれ早かれキミはあの道を歩みあれ以上の痛みを負いながら生きていくこととなった」


 アレが俺の未来の道?何を言っているんだこの男は……。


「これでキミは私を信じてくれたかな?私はキミに力を与えられるし、キミの願いを叶えることができる」

「…………。ああ」


 男は口元に薄っすら笑みを浮かべそれを仮面ですぐに隠す。

 不気味な間だったが、いつの間にか奇跡のようなモノを自ら体験して力というのがなにか、本当に欲しいモノを手に入れることができるのか気になっていた俺は静かに心を開いてしまっていた。

 宗教にハマるとはこういうことなのか、目の前で非現実的なことが起きると人間とはこんなにも単純な思考回路になってしまうのか……。

 悔しいが奇跡とは人を簡単に信じさせる最高の薬であったようだ。


「ではキミに選択肢を二つ与えよう。一つはあの暗闇を克服すること……さっきキミの飲み干した液体は暗闇をキミから遠ざける力を持った液体でね飲めばあの暗闇からキミを守ってくれる。ただし飲み過ぎると当然、効果は薄れはじめいずれ暗闇に取り込まれる」

「当然だと?それじゃ意味がないじゃないか」

「力には対価が必要なのだよ。さっきは私が支払ってあげたんだが、次からはキミ自身の持っているモノで払ってもらう。さて、もう一つの方法だが……キミがあの暗闇に立ち向かうというのだ」


 結局は暗闇というのを祓う力はないのか?


「なんだい不満そうだね。私は力を与えられるが神ではないし、キミが考える以上に万能ではない。試練とは乗り越えてこそ後に感じられる恩恵は素晴らしいモノだ。それに私がキミの暗闇を祓ってしまってはキミの為にならないじゃないか」

「もういい、立ち向かうって方の詳細を説明しろ……」

「ハア……。暗闇に立ち向かうとは簡単に説明するならキミが私になにか一つ対価を払うことで何かの力を得られるというモノだ。なんだっていい、キミの望むもの一つとキミの何かを一つで交換してあげる」


 たしか腎臓は片方を失ってもなんとか生きることはできるって聞いたことがあるな。俺はすぐに自分がなくしても困らないモノを頭に思い浮かべていた。


「だが、今回は特別に私の手伝いを行うことで力を一つサービスしてあげよう。見たところキミの体格は普通の人よりガッシリしていて強そうだ……十分耐えられるだろう」

「手伝い?俺はおつかいでもすればいいのか?」

「うーんそんなところだね。キミには雑草刈りを頼みたいんだ」


 草むしり程度なら子供でも簡単にできることに対して俺の望む力を与えるだと?対価と報酬があってないんじゃないか?

 無料とは信じられないモノだが、条件付きの提案であってもその条件があまりにも対価と見合わない。もしかしたら対価が合わないってのは俺とこの男の価値の違いという可能性もある。


「言っておくが雑草とは根を深く張る前に除去しなければ時間が経つにつれて私にとっても勿論キミにとっても厄介なモノとなってしまう。雑草は成長が早いからね……」

「で、その雑草はどこで生えているんだ?アンタの庭か?」


 男は口元に人差し指を当てて少し考える仕草をとる。


「んー。雑草はキミの傍にある気がしたんだ……私にとっては多くてね大体の目星は付けているんだが今回のは新しいから特定ができていない。そこでキミに見つけてもらいたいんだが、頼まれてくれないか?」


 邪魔な存在……それは本当に雑草であってほしかった。

 力を貰ってやることが人殺しという犯罪だった場合大学どころの話ではなくなってしまう、しかし俺にはソレを気にするほど心に余裕は無く冷静な判断を下せなかった。


「…………。いいだろう、手伝ってやるよ」

「では契約成立ということでキミに一つ力を授けよう!ただし一つ注意してほしいことがあってだね、力とは便利なモノではあるが万能ではない。人間は本来力を持たず、人間の体にとって不純物である力を連続で使用することはキミの体を少しずつ破壊することに繋がってしまう。視力や聴力、最悪な場合には寿命や感情を代償に能力の発動が起きてしまう……それは覚悟してもらう」

「ああ、わかった」

「そしてこの力を誰から受け取ったか口外するな……」


 男はさっき暗闇から俺を救った赤い液体より少し濃くてドロドロとした液体を入れた試験管を数本胸ポケットから取り出して俺に手渡した。

 心臓がバクバクと音を鳴らして抑えきれない興奮に脊髄の辺りが震えあがる。悪いことをするという緊張感からきたモノだろう自然と口角が上がっていた。

 男から手渡された試験管の蓋を開けると鉄のような臭いが鼻を刺激する。俺は液体を恐る恐る口元へ持っていき一口で飲み干した。

 喉を焼くような熱と全身に広がる痺れはさっきのモノより激しく体を痙攣させると腕の血管は今にも浮かび上がり破裂するか心配になる程くっきりと表面に現れていて、呼吸は当然瞬きすらもできない。

 唾液が勝手に口元を汚し呼吸の邪魔をする中で男が静かになにかを言った。


「私の名はリッパーだ。この名を口にしたとき貴様は死ぬ」


 気が付くと男は風に乗って自由に動かなくなった俺の視界から消え去っていた。




 男は文字通り目的地を目指していた。


「マスター!なぜあのような男に能力をお渡しになったのですか!?」


 口うるさく心配性の部下が私を叱る。

 空を車と同じ速度で飛ぶ私についてこられるのは彼が作られた悪魔だからできることなのか、契約者への行き過ぎた忠義によって実現した力なのだろうか。部下は民家の斜め屋根の上を平地でも歩いているかと錯覚してしまう程に平然と走って追いかけてくる。


「私の判断は間違っていたのかな?」

「い、いえ……!マスターの判断が間違っていたことなど過去一度もありませんでしたが、今回ばかりはあのような人間にお渡しになることに疑問がございます」

「あの男はキミ達が戦ったというウッドと同じ制服を着ていた。そして体格も問題なく基準を満たしていたから選んだ……これでは理由にならないか?」


 納得しがたいが納得しなければいけない状況に葛藤する部下は黙り込んでしまう。

 意地悪なことを言ってしまったとリッパーは反省しながら目的の場所、先日特科に奪われた拠点の奪還のために急いで向かっていた。

 ハルベイド地区は大陸で一番治安の悪い地区でギャングやマフィアによる縄張り争いが頻繁に起こっては警察や軍による介入が行われていた。

 警察や軍というのは本来正義の味方、弱い者を助けるためのヒーローとして常に国民の盾として活躍するものだが、彼らも人間だ。

 大陸の指導者は一部を除いては大半が腐っていて税金の中抜きや横領によって私腹を肥やしている者の方が大多数で、国の最前線に送られる武器の大半は旧式で本来苦戦などするはずのないギャングの方がいい武器を使っているときがある。

 そこで我々が表向きではただの武器商人としてあの地域で軍や警察に地下帝国で生産された武器などを売り渡し収入と引き換えにハルベイド地区での権威を高めていた。

 この大陸の司法立法行政と介入を渋るこの地域は我々にとっては地上に数カ所存在する拠点の中でもとりわけいい場所だった。

 しかし、あの男はどこでこの情報を得たのか、いや最初からあの女と手を組んで我々を泳がせていたのか数時間で占拠されてしまっていた。もう目的も漏れているならあの場所は不要になる。


「なあ、ここって本当に地下のヤツらが使ってたっていう場所なのか?」

「おい馬鹿!地下に人間なんて居ないだろ!お前これが上に聞かれてたら俺まで始末されちまうかもしれねえんだぞ!?」


 二人の警備はサブマシンガンを持って扉の前で任務に当たっていた。

 この日は特科の最高責任者の訪問があると連絡を受け数十人の武装した警備兵が各部屋、近くの違法建築ビルの屋上で不審な動きは無いかと目を光らせている。


「なあ、中で物音してないか?ガタゴトって……」

「ハハ!どうせ暇になった中の連中が賭けポーカーでもして負けたから暴れてんだろ。よっしゃ、ここも人っ子一人周りに居なくて暇だしなぁ!俺も混ぜてくれよ!」


 そう、警備はバッチリだった。不審な動きは一つもなく野良猫、ネズミどころか蟻一匹建物の中に通すことは無かった。

 しかし、男の開いた扉の向こう側は簡易的な出張地獄がやってきたのか、壁一面血で赤く染まり頭部の半分を失った奴や腕があり得ない方向に曲がり上半身と下半身がさよならしている奴のすでに肉塊となった物が転がっていた。

 即死だろう。

 急いで本部に連絡をしようと無線に触れた一人の警備員は音も出すことなくバラバラになった体の肉片が、鮮血が宙を舞った。

 一瞬だった。どこからの攻撃か判断することもできずもう一人の警備は屋上で監視する仲間に危険を知らせるが、屋上からは四肢を削がれショッピングモールの垂れ幕のように鎖のようなモノで縛られ宙吊りになった仲間の姿があった。

 逃げ出そうとしたとき胸元に違和感が、いつもの胸やけとは違う鋭く続く痛みだった。


「なぜ人間は線を引きたがるんだ。同じ種族、同じ言語を話す同じ人間じゃないか……?住む場所以外そこに何の違いがあるんだ?」


 仮面をつけたに武装した数十人の俺達が負けただと?コイツらが例の地下のヤツらだと……言うのか……!?


「マスター、これからどうしますか……?ここへあの女も来るそうですが」

「今日のところは帰ろう。この拠点に残っていたブツは持ったし、今あの女と出会っていいことは我々には無い……」



「モモカさん……全滅です。扉の前の警護を任されていたこの隊員が一番綺麗な殺され方を……」


 女は細い手で死んだ隊員の目を静かにソッと閉じ十字を切った。


「何か痕跡は?髪の毛一本でもいい。何かあったら鑑識に回さず私に渡しなさい……あとホムラに連絡を入れて」


 女は目元にかかるほど伸び始めた髪の毛を脇に流し、人間がやったとは思えない事件現場に目を向けた。

 壁に残された警備員の血を使用した血文字、私にだけ読める言語で私に対する挑戦状が残されていた。

 本来ならこのことは政府に報告しなければいけない案件だった。だが、彼女は政府へ連絡するよりもその挑戦に乗ることを選んだ。


『アルナカートの古文書は頂く』


 この事件一人は金属のようなモノを使用している、そしてもう一人は……。

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