第7話

「ねえ、ぼくのお母さんとお父さんってどこにいるの?」


 何もない真っ白な空間。

 風の流れも気温さえも知覚できないこの場所に僕らは向かい合っていた。

 身につけていた衣服とは相反して汚れを知らぬ純粋な黒い瞳の男の子が僕に質問をする。


「ねえ、オトナは何でも知ってるんでしょ?」

「キミが思うほど大人はそんなに優秀じゃない。間違えることも分からないこともある」


 僕は男の子の質問にそう

 僕には大人とはどんなものか理解はできないが、そう答えているのなら多分それが僕から見た大人に対しての印象なんだろう。

 しかし、男の子はその答えにも納得がいかないようで首を傾げる。


「しせつのお友達がいってたよ。ぼくたちにはお父さんとお母さんがいないって……それってなんで?」

「さぁな、さっきも言った通り大人は優秀じゃない。いい大人も居れば悪い大人も居る……目先の欲望や感情で弱いお前たち子供が犠牲になることだってある。お前がどんな人間から生まれたかは知らないが、施設に入れられるってことは捨てられたも同然なんだよ」

「でもお母さんはぼくに大好きっていってくれた!」

「じゃあそうなんだよ。お前はお母さんには愛されていた……まるで僕と一緒だな」


 数少ない親の記憶……唯一僕の幼い頃の記憶で覚えていたのは母親の「大好き」と言ったあの瞬間、母親の口元が寂しそうに笑っていたのも僕が覚えている母親の唯一の顔のパーツだ。

 ほとんど記憶には靄がかかってそれ以前もその先も思い出せず、気づいたら鮮明に記憶が残っているのは施設で7歳の誕生日を迎えていたあの日以降。

 山に囲まれそしてフェンスに囲まれたあの土地でシスターのマルメアさんにおめでとうと言われたあの日だけは僕の記憶に残っている。


「ぼくが……ぼくが、わるい子だったからお母さんは、ぼくを置いて行ったの?」

「それは違う!お父さんとお母さんはキミを愛していた!」


 今にも泣きだしそうな目の前の男の子に僕は怒鳴っていた。

 なんで僕は今、この子を怒鳴ったんだ?なんでこの子を両親が愛していると知っているんだ……?

 突然脳に釘を打ち込まれるような頭痛が僕を襲う。

 頭を抑えぐわんぐわんとぼやける視界から男の子が遠ざかっていくような気がした。

 さっきまで手を伸ばせば触れられる距離が離れていく。


「でもぼくは一人だ!誰も僕を助けてくれない!守ってくれない!一人で生きることは辛くて寂しいことなんだ!」


 胸の内側から何者かが外へ出ていこうと藻掻いている。

 息をするのも苦しく張り裂けそうな痛みだが、僕はコイツを外に出してはいけないと無意識のうちに自分の体を抱きかかえ真っ白な世界が広がる地面で蹲る。

 少年の声は次第に遠のいていく。



―冷たい。


 朦朧とした意識の中で感じた僕の頭から頬にかけて冷たく肌をひりつかせる何かが僕の脳を覚醒させる。

 今は何時何分であのとき、工場で二人組と戦ってどれ程時間が経ったかなんてわからないが、空腹で僕の胃は食事を求めていた。


「……もっしもーし?あ……聞こ……いみた……すね。え?も……一回……れ?」


 全く聞き覚えの無い声だった。

 ギィンと鼓膜に反響する耳鳴りの中に微かな人の声が聞こえたが喋り方や語尾の上がり具合からその声は女のモノだと推測するが、僕はあの二人組に負けて川の中だぞ?水中で人間の声なんか聞こえるはずがない。

 だが、僕は呼吸をしているようだ。水の中では呼吸なんかできないが、僕の肺は確実に動いていた。

 再び冷たいという感覚が頭部で感じられた。

 水中なら冷たい感覚の正体は水なのだろうが、なぜ体が浸かっているはずの水を間欠的に感じるんだ?

 常に感じていなければ僕は水と同化していなければ説明がつかない。

 ここで僕の覚醒した頭は水の中ではないと冷静な判断を下す。そうであれば女性の声が聞こえたことにも説明が付く。


「呼吸してたら生きてますよね?じゃあ生きてますよねこの子……」


 やっとの思いで僕は暗闇から光を見つけ出すことに成功した。

 重たい瞼がゆっくりと開き外の世界を認識する。

 鉛のように重たくなってまるで自分のモノではないように頭は動かせず、見たことのない床だけが見えた。

 僕は椅子か何かに座らせられているのだろう自分の膝と視界の隅っこで女性らしき細い足が動いている。


「あ、あぁ……」


 やっとの思いで絞り出した声は言葉ではなくただ喉を擦るような音が漏れただけだった。それと同時に内臓に溜まっていた水が喉まで上昇し吐き出される。


「あ!!やっと起きた!ねえねえリーダー呼んできて、彼起きたよ!」


 女は部屋に居たもう一人にリーダーと慕う人間を呼ばせる。

 この部屋には今二人いた……そしてこれからもう一人、最低でも仲間が三人もいるのか。

 僕はここがどこだかわからないが逃げ出せるなら力づくで逃げ出すつもりだった。しかし、仲間が多かった場合それは難しくなってしまう。

 床の材質はコンクリートだろうし力を使うための体力があるかは定かではないので脱出はやはり難しそうだ。

 僕は全身に戻り始める感覚を頼りに立ち上がろうとするが、胸と腕の辺りでひんやりとしたモノを感じる。

 鎖のような頑丈なモノだろう。僕を能力者だとわかって慎重なここの人間が暴れないよう縛り付けた……そう考えるのが自然だ。

 だが、このとき僕の記憶の中に残っていた二人組の一人が鎖を使っていたのを思い出す。

 ヤツらの仲間の可能性も残っていた。

 これによって僕の脱出成功確率は僕がマジシャンでない限りまた一段と難しくなってしまった。


「ヨシ!目が覚めたということでもう一杯いくよ!」 


 女の声が近づき頭の動かない僕の視界に入ってきたその人の手には水がいっぱいに入ったバケツ。

 不吉なカウントダウンと共に僕の頭に強い衝撃、縛り付けられた椅子が背中から倒れるとやっと他の景色が見えた。

 ピントの合った視界に入ってきた景色はやっぱり知らない天井と壁だった。

 天井も壁も木材が一切見えないコンクリートで覆われていて、天井の四隅には蜘蛛の巣が張っていた。

 点滅を繰り返しながら天井にぶら下がる裸電球の光以外この部屋に光というモノは無く、電球の光に照らされて黒光りする鉄の頑丈そうな扉以外の窓もない。通気性の悪い独房の様だった。

 コンクリートの壁には不規則に飛び散る薄黒いシミ、ソレは一つとして同じような模様は無く床に向かって垂れるように落ちていくところを見るとソレが血であると理解できた。

 とりあえず状況としては現在よくわからない人たちに僕は監禁されているようだ。


「ごめん!ちょっと勢いよくかけすぎちゃった!新しい怪我とかできてないよね?」


 やっと女の顔を確認することができた。

 女は桃色に染められた長い髪の毛が僕の顔にあたるくらい顔を近づけ、僕の白く脱色された髪の毛を掻き分け頭などを観察する。

 近づく女に僕の視線は引力に引き寄せられるよう一点を見つめていた。

 なんだ月か……人間は本能的に月を愛し、月を見るのが好きだというがそれはどうやら本当のことらしい。最後の晩餐というのが楽しめて僕はラッキーだった。

 そうこうしているうちに電球の光を反射させ、黒光りする鉄の扉がゆっくりとその見た目以上の重厚感のある音を部屋中に響かせる。

 外から入ってきたのはサンダル、タンクトップと僕を起こすために行われた打ち水も相まって少しひんやりする部屋では寒そうな恰好をした男だった。


「あ、リーダー!」


 女がリーダーと呼んだ男は扉の向こうに居るであろう誰か、恐らくさっき女に頼まれたもう一人であろう人間に何か命令すると部屋にパイプ椅子を持って入ってきた。

 男は椅子を部屋の中心、僕の正面の辺りに置くと僕の倒れた体を軽々と起き上がらせる。


「ご苦労だったルカ……後は俺が」


 ルカと呼ばれた女は僕の方へ振り返りウインクをすると扉の向こう側へ消えて行った。

 男と密室で二人きり、向かい合っていた男は言葉を発するわけでもなく首のチョーカーを触ってはおもむろに腰の辺りから取り出した新聞を読み始める。

 新聞の日付は工場で二人組と戦って二日が経過していた。見出しには相変わらず僕とバケモノの記事が大々的に取り上げられ細かい字で長い文章が掲載されている。


「なあ、キミはの味方だ?」

「え……?」


 あまりにも急だった。

 男はいきなり口を開いたと思ったら意味の分からないことを呟く。

 「どちらの味方か」それはリーダーと呼ばれる男、つまり何らかの組織の偉い人として僕に質問してきた……男の組織と別に敵対する組織があると考えていいのだろう。


「アナタが僕の敵の敵であれば僕はアナタの味方です」


 やや濁した回答だが、僕の敵対勢力はリッパーでこの男の組織と敵対してわざわざ敵を増やしたくもない。敵か味方か確定していないのでこれが一番のベストだろう。

 男は僕の曖昧な回答に満足した様子で小さく笑った。


「じゃあキミはこの新聞に載る通り人類を守るで問題ないんだな……?」


 そのとき、男の読んでいた新聞がバラバラに引き裂かれ紙吹雪のように宙を舞う。

 無意識のうちに発動させてしまった力は先端が鋭利になっており、一突きで生命を奪う形状に成長した植物が男を貫いていた。

 だが、僕は小さく心の中舌打ちをする。


「いやぁ驚いたよ。これがキミの能力……連日の報道との情報通りだな。この様子だとまだ能力の制御はできていないか……」


 首に巻かれたチョーカーから垂れる紐を引っ張っていた男の赤くぼんやりと輝く指先で植物を掴むと植物は抵抗する様子もなくただの植物に帰る。

 男は驚いたと口では言っているがその端正な顔立ちや表情は一切崩れることなく余裕のある様子だった。

 恐らくこの状況一番驚いているのは男ではなく僕だろう。

 無意識で発動させてしまったが、男を一撃で仕留められなかったということは次に死の訪れる順番は僕に回ってきたようなもの。

 男は今の行動を敵対する意思ありとして僕を殺す可能性がある……。


「俺の仲間には思考を読める人間がいる。思考と言っても頭の中をはっきりと見るんじゃなくてその人間の潜在的な部分、表に出ることのない暗い部分を見る悪趣味な奴でな。キミの中も余すことなく見させタ……てもらったよ。勝手に覗いて失礼なことを言うが、彼女はゲボりながらもう見たくないと叫んで最後は失神してたよ」


 なんて失礼な……ゲボって発狂するくらいなら途中でやめればよかったのに、と思ったがそれ以上にそこまでの暗い部分が存在する自分に驚いていた。

 男の二本の指で挟んだ植物がやがて煙を吐き出し始め部屋の中が燃えて発生した異臭で充満される。


「潜在的にキミの嫌う言葉を使い制御できない能力を使用させたのは詫びるが、キミは賢いはずだ。この状況、キミの置かれているこの状況を理解できているだろ?」


 そのとき重厚な金属の扉の向こうで二人分の気配を感じ取れた。

 さっきのルカとか言う女ではないが強い……存在感を今まで隠していたのは命令なのか僕とこの男の話を邪魔しない為なのか突如現れた二人分に僕は思わず引きつった表情で男を睨む。

 僕は最初からフェアで対等な席につくことはできなかった。


「キミがどんなに暴れても個々の力で対応できるくらい二人は強いぞ……勿論俺もだ」


 最初からここを無傷で脱出なんか不可能だったと簡単に納得させられてしまったことに僕は軽い絶望を感じる。

 そして僕はこの男がさっきライヤという男の名を口にしていたことを忘れてはいない。


「これがとやらのやり方ですか……?」


 あの商店街で警察官のおっちゃんはライヤという金髪のことを友好的な雰囲気で特科と呼んでいた。

 そのライヤから僕の情報を受け取っているならこの男が特科のリーダーで間違いないのだろう。

 しかし、あの警察と友好的な関係であるならば政府側の人間なのだろうか……?だとすれば『政府が隠す闇』という新聞の言っていたこともあながち間違いではなかったようだ。


「ウッド取引をしないか……?」




 男は再びチョーカーを触ると僕の傷だらけになった体を眺め始める。考えている時の男の癖が一つ見つけられた。


「取引と言っても協力関係だ……俺は敵をこれ以上作るのはごめんだ。これはキミも同じだろう?」


 僕は無言で頷く。それを見て男は安心したように話を続ける。


「いくつか俺から質問があるのだが、キミもたくさん聞きたいことがあるだろ?できる限り答えるつもりだ」

「特科は政府のワンちゃん……?」

「まあ、そんなところだ。このチョーカー首輪なんて政府につけられたものだ」


 飼いならされているようだが、人間より強い能力者が誰かの下につくなんてことがあるのか?何か弱みでも握られているのだろうか……?

 ライヤとかいう金髪も特科の人間だとしてもあの人は他人に縛られるような人じゃなさそうだし……。


「アンタの能力は?」

「キミが俺に全てを話す覚悟と信頼ができたら教えよう」


 あの植物をつまんだ二本指は赤く光っていたあれは熱だ。煙も出ていたし間違いないだろう。


「なんで僕はここに監禁されているんですか……?」

「監禁だなんて人聞きの悪い。廃墟の前の川でキミが沈んでいるところをルカが拾っただけだよ。キミを縛っていたのは暴れられたら困るから……手荒だが信頼関係の築けてない人間を野放しにできるほどの余裕は俺らにないんだ」

「アンタら特科の目的はなんなんですか」


 淡々と行われた一問一答最後の質問は特科という全てを知る為のモノだ。信頼できるか、彼らは何が目的か判断する。


「地上の人間が当たり前として気が付くことのない平穏を維持するためバケモノ退治とを殺す。それが目的だ……」

「それはリッパー……?」


 男は静かに頷いた。

 そして立ち上がると男の背後にある鉄のドアを3回ノックして外の人間に合図をする。

 すると外からさっきまで感じられた殺気と気配が一瞬で消え去った。


「おいアスタ……そろそろ出てこい。彼を選んだのはお前なんだろ?」


 男は女神の名を呼ぶと窓一つないコンクリートで覆われた部屋の空気が流れ始める。

 空気はある一点に集まるとそこから白いワンピースで身を包んだ少女が現れた。


『なになに?私になにか用かねホムラくん……今日もこのすーぱーびゅーてぃー全知全能のアスタ様が知恵を授けてやろう……ってなんでお前が居るんだ?』


 アスタはキメ台詞を言い切ってすぐ拘束されている僕を二度見する。

 僕は普段から彼女を呼んでも一発で出てこないのに今回は一発で出てきやがった。

 人によって態度を変えるヤツは嫌われるんだぞ……。


「彼をなぜこの世界に巻き込んだんだ……お前には説明の義務が」

『私だって反対だが、こいつも引き下がらなかったんだ。それにこいつには素質があった……仕方ないだろう?』

「ならなんで俺にこのことを言わない!お前がもっと先に彼を選んだことを伝えてくれればサポートができたじゃないか!彼は死にかけていたんだぞ」

『フン……。その首輪をつけた女にこのことを嗅ぎつけられては、私の計画も変更しなくてはならなくなってしまう。まあ、もう遅かったようだがな』


 二人の会話について行けない僕は完全に蚊帳の外……。

 アスタはこの間、学校で自分アスタが選んだ人間以外に存在を知られることも会話をすることもできないと言っていたが、目の前で男と会話どころか喧嘩をしている。


『おいソ……ウッドくん。貴様はなんでここに居るんだ?』

「なんでって……バケモノの気配を追って廃工場に行ったらよくわからない二人組に負けた……。てかこの人とお前の関係性こそ僕からしたらわからないんだけど!」

「俺はキミと同じコイツに選ばれた人間だ。条件付きだが協力し合っている……ってわけだ」


 恐らく条件は特科の目的であるリッパーを殺すということだろう……。これで特科はこっち側であることが分かった。


「ちなみにアスタに選ばれた人間ってどれくらいいるんだ?」

『今のところお前たち二人だけだ』

「え?」

『私は忙しいんだからそんなに管理できない。お前たち二人だけがこの世界で唯一動かせる人間。それに天使からしょうもない能力を貰った人間以外で神と女神に選ばれる者なんて数人だけだ……天使の力と違って何人も神から能力を貰ったヤツが居たら本当に世界がひっくり返ってしまうかもしれないからな』

「だとしたらアスタ、お前はリッパー暗殺に送り込んだ奴はみんな死んだか寝返ったって言ってたけどソイツらは神が力を与えたんじゃないのか?」

『全て下級天使……私の部下に当たる者たちとを行うことで能力を得ているんだ。私のような女神から貰う力とは違うし、才能や素質が無ければ一般人に私は能力を与えない』

「組織化できるほどの人数を集めたのはリッパーが原因だ」

『貴様にも話しはずだ。リッパーはヤツ自身の才能、能力の成長と覚醒を成功させてしまったおかげでヤツの能力のである付与ギフトが無関係な人間にも影響を及ぼしている。ヤツに気に入られることは勿論だが、それ以上にリッパーは高いカリスマ性によって人を導いている』


 壁を蹴って空中を横スライドで遊んでいたアスタが答える。

 リッパーについて情報は少ないが敵は神と同じ力を持っているといってもいいんだな。

 力を持たない人間を導く力を持っているか……。

 まるで最初の人類に知恵の実を食べるよう誘惑した悪魔のようだな、目の前に力と言う人間を超えるモノがあるなら誰だって手に取ってしまう。


「ここの人間は俺以外はほとんどあの男によって力を与えられた。勿論天使との契約や生まれつき力を持つ人間もいるけどな」

「ええ!?敵から力を受けてるのに味方するんですか!?」

「彼らは今じゃリッパーを心の底から嫌っているし、皆俺のように首輪をつけられている。もしを裏切るとどうなるか理解しているよ」


 そう言うと男は首に巻かれたチョーカーをまた触る。

 政府につけられた首輪で制御できているなら別にいいのだろうか?


「そういえば自己紹介がまだだった。俺はホムラ、ここのリーダーを務めている」

「あ、ソ……ウッドです」


 どういうわけか僕は反射的に本名を隠しテレビや新聞がつけてくれた名前を名乗っていた。

 まだ心のどこかで信頼していないのか今まで泥棒として正体を隠してきたことでこれからも今までと同じく隠していくつもりなのだろうか?

 まあ、いずれ政府と繋がっているこの人にとって僕の戸籍を見つけ出すことは簡単なことだろう。見つかるのは時間の問題だ。


「それでアスタ……。俺の部下の報告通りだとヤツらは遂に人間をバケモノにする研究を成功させているようだが、彼が戦ったのもそれによって力を得た人間だろう……」

『フン……私の計画は変えるつもりはないし、ヤツらが何をしようと関係がない。私からの命令は“徹底的潰せ”これだけだ。やるなら早めがいいな』


 アスタは親指を下にして女神のやってはいけない下品なジェスチャーを行う。

 神の品性を疑うがこれがアスタという女神で僕らの上司になる。

 そんな具体的な案ではなく大雑把な結論のみを出す上司に納得のいかない様子を見せる男が一人いた。


「残念だが俺はまだ動く気はないぞ。戦力差が大きく離れすぎている」

『なに……?』

「考えてみろ……アイツは人に力をそれも特殊な力だけでなくバケモノとしての人間を超える力を与えている。俺らがヤツらと同じく力を持っていてもソレを勝る戦力と人数……勝てない勝負に突っ込むほど俺も部下も馬鹿じゃないし、第一あの女がそれを許すのか」

『貴様らがリッパーの野郎に支配されるのがいいというなら白旗をあげるんだな。私はこの小僧を使って次の作戦を考える』

「最初から負ける気も降参するつもりもない……。ただ俺らの20と相手の80のどちらが大きいかという話だ。小学1年生でも80の方が大きいということは理解できる」


 リッパーにこれ以上好き勝手されるのが許せない神と戦力差によって見える結果を覆すためまずは様子見を行う人間。

 論理的な考えで彼女を黙らせるが、彼女もまた男の論理的な考えに対して苦い表情をする。


『我々にも面子というのがあるんだ。本来ならリッパーをこの世界に送り込んだ神に負わせる責任であるが他の神、自分に甘く他人のミスをとことん追求する無能な神の上層が奴を追放してしまった。幸運なことにも悪魔が絶滅したあとで良かったが、リッパーがこれ以上何をしでかすかわかったもんじゃない。天界でデカい顔をしている奴らをギャフンと言わせるためにも早くリッパーを倒してもらわないと!』


 どうやら天界とやらも人間のように腐ることがあるらしい。いや、この神あっての人間なのかもしれない。


「それはお前たちの責任なんだろ。俺たちには俺たちのタイミングがある。ゆっくりでもこっちは確実な方を選んで少ない被害で済ませたいんだ」

『だから!それではリッパーがもっと力をつけてしまうかもしれないんだ!お前たちがチマチマとあの女の下で働いていた5年の間にヤツはバケモノを作っているんだぞ!?これ以上はもう……!』


 声に覇気がなくなりはじめ嫌な予感がしたが、アスタはホムラさんのタンクトップがヨレヨレになるほど揺さぶり泣きながら訴え始めていた。

 だが、なんとなく僕にはわかる……いや、ホムラさんも分かっている。

 これは泣き落とし。涙を拭くために目を擦る瞬間、目に指を刺していたのを僕は見逃さなかった。

 人類の手本であるべき存在である女神は姑息な手段でホムラさんの論理的思考に勝つつもりなのだ。人間の情に漬け込む彼女の図々しさには脱帽する。


「だからってその開いた戦力差の中で飛び込む馬鹿はどこにいるんだ!人間は死ぬんだぞ、命のストックなんてないんだぞ!」

『うるさい!うるさい!うるさぁぁぁぁい!私がやれって言ったらお前はやるの!』

「それができないから今困っているんだろ!お前本当に部下を失うぞ……?」


 ごもっともだ。

 今のアスタは視野が狭くなって冷静に状況を判断できていない。そんなことを鎖に縛られている状況で僕は彼女を冷静に評価する。


『部下を、失う……?』

「そうだ。お前の命令はいつも無茶苦茶でそろそろ俺の部下たちも限界がきている」

『うっ……』

「この前もそうだ。アイツらの東大陸の拠点の一つを潰せたのはいいが、あれも十分ギャンブルだった。中には政府が危険度Aクラスに認定する能力者もいた、全滅しなかっただけラッキーだ」

『で、でで……でも!』

「俺は貴重な人材を無駄にする気は無い」


 そのときアスタの目から本物の大粒の涙が零れ落ちる。

 その幼女の容姿から子供が親に叱られ泣いているような光景であった。

 怒ったり泣いたり感情の起伏の激しい女神さまだ……。


『私は……!私はいづもわだじは一人で頑張っできだ!でもしっばいばかりだがらまだ上の連中がわだじを叱るんだぁー!ゾダァ……お前もわだじを見捨てるのがぁ……?』


 人間を作ったのが神だというなら誰よりも人間らしいアスタを見れば納得できる。わんわん泣きながらしがみ付く女神さまは小さい、神は年齢や見た目が年を重ねるごとに老いていくのかは知らないがアスタの見た目は子供だ。

 なんだか心が痛くなってくる。


「見捨てたらお前との約束が無かったことになる。リッパーを倒してもお前が居なかったら死んだあと地獄にも天国にも行けなくなっちまうよ」

『冷だい言い方だけど、グスッ……まあいぃ……』


 泣き疲れた様子でアスタは大人しく僕の膝の上で小さく膝を抱えて座る。

 うるさい女神が大人しくなったところでホムラさんは改めて僕に質問する。


「ウッド、キミの考えを聞きたい。素質や才能があるからこそキミはアスタに選ばれた……つまりアイツを倒すことができる可能性があるということだ。そんな人間の考えは無駄にはできない」


 ホムラさんは僕を信頼して同じ女神に選ばれた者として僕から意見を聞きたいのだろうが、正直なところ僕自身なんでアスタに選ばれたのか皆目見当もつかない。

 それに僕はリッパーのことを一切知らないし、既にヤツの部下に敗北している……。

 僕から得られる意見など役に立つのか?


「僕の意見は特にありませんね……。目的はホムラさんたち特科と一致していますし、最終的にリッパーを倒せるのであれば僕はどんな手段を使ってでもやり遂げるつもりなんで……」

「俺たちは基本的には表で派手なことはできない。そこでキミには俺たちの代わりに表で活躍してもらう……武器や衣食住は我々が提供する」


 つまり僕が表でバケモノを退治することによって注目を集めることによってこの人たちは動きやすくなるということか……利用されるというのは引っかかるが、その変わり特科も僕を援助してくれる。

 協力と思えば納得できる。


「武器と言いましたけど武器はどこから提供されるんですか?」

「ウチはこれでも政府公認の警察特殊異能課だ。やろうと思えばどんなことでもやれる」


 政府公認なら隠ぺいするのも簡単……。

 それにしても特科の存在が噂にすらなっていないというのはごく僅かな人間のみが知る程度の管理の徹底具合、世の中には知らなくていいことはまだまだ沢山あるようだ。


「アスタ、彼のことは俺達が面倒を見る。だが、あの女には遅かれ早かれいずれ勘づかれる……そればっかりは俺には止められない」

『ああ、わかっているとも……アイツは私も他の神も認める優秀な奴だ。おまけに勘も鋭いおかげで利用するどころか逆に利用されてしまった天使も居るからな……。ウッドだけは直接私が操れるただ一人にしたかったが仕方ない』

「あと何人だ?」

『あと一人だ。早めに用意する』


 二人はなにかを話していたが僕には何の話なのかさっぱりだ。と何度も話には出てきたがアスタや他の神が一目置くほどの優秀な人間が存在するようだ。

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