第26話 もう振り向かない

うるさい、と言ったのは俺が知らない男であった。

 その男は下を向いて、だらん、と手を下ろしていた。

 よく見ると、他の奴らも同じような体勢をとっている。

「あんたは良いよな。友だちの連帯保証人なんてよぉ、むしろ称賛されるべきことだよなぁ、美談だよなぁ。それに比べて俺たちはギャンブルに手を出したり、無計画に企業したり、そんなことを繰り返してたらここにいたんだもんなぁ。今だに追われている奴だっているし、存在がバレたら何されるか分かんない奴だっている。あんたはすげぇよなぁ」

「何を言っているんだ、ここにいるみんな同じじゃないか」

「同じじゃねえよ!! 俺たちはあんたよりも下で屑なんだよ!!」

「そんなことはない!!」

「あるんだよ!!」

 男たちは悲痛の叫び声を上げている。

「正直、どっちでも良いね~」

 笹山がそう言うと少しだけ康仁さんは睨みつけた。それに対して「おっと」と小馬鹿にしたような態度で両手を挙げる。

「とにかく、私たちは同じだ。同じ仲間だ!」

 康仁さんがそう言っても男たちは顔を上げることは無かった。

「お願いだみんな。そんな嘘の広告に騙されないでくれ」

「良い子チャンぶりやがって」

 突然、豪を煮やす所か、燃えたような声を出した者がいた。

 それは、昨日、松明を持っていた男であった。

 男は白目になるほど康仁さんを睨んでいた。

「おれあ、あんたのその良い子チャンみてえな態度がムカついていたんだよ」

「げんご……」

 どうやら、あの男は『げんご』という名前らしい。げんごは、眉間に皺を寄せていてますます憤怒の表情をしていた。

「あんたは俺らには別にそんなに良い待遇するわけじゃねえのに、友だちには結構物を分け与えたりするからなぁ」

「何を言っているんだ。仲間が少し困っていたら助けるのは当たり前だろ。友だちだからとかそんなことは関係ない!! それに儂はリーダーじゃない!!」

 俺は、少しだけ、げんごの言う言葉が分かっていた。

 クラスでもよく見かける光景であった。

 おそらく、げんごたちが言っているのは、自分たちがあまり気にいらない奴に康仁さんが優しくしてくれたってことなのだろう。

 自分たちが慕っている相手が自分たちが気にいらない相手に優しくしていたら、それが贔屓に見えてくるものなのだ。

 本人にその気が無くても、そいつらからはそう見える。

「嘘だ!! あんたはいつも気の良い言葉ばかり言っているだけだ!!」

 現にこいつらはこんなことを言っている。

 小学生や中学生で教室の端っこで見た光景が今、まったく関係ない所で見えているのは皮肉なものだった。

「まるでガキのケンカじゃあないか」

 笹山と同じようなことを思ったのは少し癪であった。

「とにかく、俺たちとあんたは違うんだよ!!」

 げんごの怒号が上がると、一気に俺たちに向かって男たちは襲ってきた。

「こりゃ逃げるしかないね~」

 笹山がそう言ったのが合図だった。

 俺たちは走り出し始めた。

 しかしそんな俺たちの前を走り始めている人物がいた。それは――

「康仁さん!?」

 そう、康仁さんが信じられない速さで走っていた。

「君たち!! 私についてきてくれないか!?」

 その目は必死だったが、何かを狙っているような目をしていた。

 桃子や笹山は少し疑いの目をしていたが、俺は康仁さんを知っていたから信頼できた。

「分かりました!!」

 俺がそういう反応したのを二人は驚いて俺を見る。

 大丈夫だ、俺は二人に目配せをする。

 桃子はすぐに頷いた。笹山は少しためていたが、「まあ、いいかねえ」と言っておとなしくついていった。

 康仁さんは速く、あっという間に俺たちは、後ろからついていく男たちを取り残していった。

 男たちの姿が粒のように見えてくる。

「ここからは少し私が走った所をそのままついていって欲しい!!」

「分かりました!!」

 どういうことか分からなかったが、俺は返事した。

 すると、康仁さんはぴょんぴょん、と足を大股に跳ねながら、移動していく。

 その通りに動けということなのだろうか、と思い俺は移動する。

 他の二人もその通りに動いた。

 俺たちが康仁さんの動きを真似した後、康仁さんは急に止まった。

「どうしたんですか!?」

 尋ねると「ここでいい、あいつらはここから先に行くことは出来ない」と少し意味が分からないことを言い始めた。

「何を言ってるんですか!? 速くしないと追いつかれますよ!?」

 そう言っても康仁さんは全く動かない。石像のように仁王立ちをしている。

「お前たちは先に行け、俺はここに留まる」

「な、何を言っているんですか!?」

 桃子も叫ぶも康仁さんは変わず動かない。

 向こうから男たちがどんどん追いつこうとしている。

 そして俺たちが大股で走り始めたところにさしかかった時だった。

 男たちの足元がぐにゃりと歪み始めた。

「なっ!?」

 男たちはそのまま転んでいくどころか、地面に埋まっていく。

 何が起こったのか俺たちは分からなかった。俺と桃子は、あんぐりと口を開けた。

 ようやく地面に穴が空いたのを見て何が起こったのか理解した。

 男たちは落とし穴に落ちたのだ。

 それもそいつらがすっぽり入るほど大きな穴に。

 走り出したら急に止まることはほぼ出来ない。それは何だって同じだ。

だから男たちは全員、穴に落ちていった。

 落とし穴といっても、床が崖状態になっているとか、木で作った槍のようなものが生えている訳ではなかった。下には網が敷かれており、そこに男たちは伏す形となっている。

 網の下には落ち葉が一面に広がっている。それにより男たちは傷つかずに落ちていった。

「康仁!!!」

 男たちは大声で康仁さんの名前を呼び捨てにする。

 ほんの一日まで、あれほど慕われていたのに今はその見る影もない。

 みな、親の敵を睨むような憎しみの目を向けている。

 信頼が一瞬で崩れたのを目の当たりにした瞬間だった。

「写無くんたちは行きなさい」

「いや、でも康仁さんは」

「私は大丈夫だ」

「でも!!」

 心配だ。もう奴らは俺たちだけではなくて康仁さんも敵だと認識している。

 康仁さんが無事で済まされるわけが無い。

 しかしその時、康仁さんは手で俺を制止した。

「写無くん、君には、君のやるべきことがあるんだろう」

 その声は険しく、しかしどこか親が子に訴えるかのような優しさがあった。

「康仁さん……」

「私は、自分が犯した過ちを始末しなければならない。私がした愚かな過ちを始末しなければならない」

 違う、それは違う。全部、俺が来たことで起こったことだ。

俺が来なければこんなことにはならなかった。

 俺が来なければ、げんごは異様に苛立たなかったし、それによって康仁さんへの不満も高まらなかった。

 俺が来なければ、変な賞金首みたいな噂が流れて結果的に康仁さんを追い込むことはなかった。

 俺が来たせいで全部が狂って行ったんだ。

だから、俺のせいなんだ。康仁さんが過ちを犯したわけじゃない。

全部俺が悪いんだ。

「過ちだなんて、そんなことは……」

「いや、過ちだよ。私は分け隔て無く優しくしてきたつもりだった。だが、そうじゃなかった。彼らの目には贔屓をしているように見えた。それによりこんなことに」

「違います!! これは全部、俺が引き起こしたことで……」

「写無くん、君は悪く無い」

 その時、康仁さんは俺の顔をまっすぐ見た。

 その真っ直ぐで熱い視線に俺は言葉を失った。

「昨日や今日を見てなんとなく分かった。君は誰よりも優しい男の子だ。そんな君が悪いなんてことはない」

「康仁さん……」

 初めてだった。宗一郎さん以外の男性にこんなに優しい目で見られたことは。

 そして、そんな優しい言葉をかけてくれたのは

「行きなさい!!!」

「……分かりました、必ず無事でいてください!!」

 俺は走り出した。

 後から桃子と笹山が着いてくるのが分かった。桃子は行く時に見えたが康仁さんに向かってお辞儀をしていた。笹山さんは不敵な笑みを浮かべていた。

 とにもかくにも俺たちは無我夢中で走り出した。

 でも、心の中で何か冷めたような、いや、何か諦めたような、そんな気持ちを抱いていた。

『無事でいてください!!』

 何でそんなことを言ったんだ。本当は……

 後ろで男たちが雄叫びを上げているのが聞こえる。

 康仁さんの張り上げる声が聞こえてきた。

雄叫びと康仁さんの張り上がっている声が交差するかのように入り交じった。

康仁さんの声は人一倍大きく、たった一人なのにこちらにはっきりと聞こえてきた。

しかしやがて、聞こえなくなった。

 ふと、目が潤み始める。すぐにその水滴は風に漂い尾を引いていく。

「写無くん……」

 桃子が声をかけてきた理由は知らない。

 俺の涙に反応したのか、それとも康仁さんが……

「大丈夫だ、桃子。それと、後ろを振り向くな」

 なけなしの力でそう言うと、桃子が「うん」と返事をした。

 桃子の涙が出そうな返事が俺の悲しみの琴線に触れそうだったが、なんとか堪えて俺たちは前に進んでいく。



 

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