第21話 康仁さんの過去

 昔、遠い昔、俺がまだ家族が自殺めいたことをしなかった時、近所で俺と仲良くしてくれた子がいたのを思い出した、その子は桃子とは別の子で、でも俺並みに大人しくて、趣味も合って二人でいつも話していた。その子は、俺の家族が自殺したと同時に、態度が冷たいものとなった。何がそうさせたのか分からない。だが、俺はその時、少し安心していた。

 やっぱりそうなるんだなって、その子とは今――



 次の朝、目を覚ますとそこには緑のテントが映った。

「夢じゃ……なかったか」

 現実とのギャップを覚えながら俺は起き上がる。 

 昨日のニュースを思い出した。本当に幸子さんたちは死んだのだろうか、そして

ふと、隣を見ると康仁さんの姿が見当たらなかった。

 どこに行ったのかと思っていたが、そういえば昨日、リサイクル活動がどうとか行っていたのを思い出す。

 立ち上がると、やはり結構、汚れていた場所だったのか、ズボンが少し湿っていた。

 手で払おうとすると砂がびっしりついている。この人たちはずっとこういう所に住んでいるんだなと改めて実感した。 

 とにかく湿っぽいズボンをなんとかしたくて、俺は外に出る。



 外に出ると、春なのにまだ肌寒い風が吹いていた。

「おい新入り!! 何やってんだ!!」

 ふと、俺を呼ぶような声が聞こえた。多分、新入りとは俺のことだろう。

 振り向くとそこには頭にすっぽり毛糸帽子とマスクをしている男たちがいた。

 近付くと「ほら、お前の分だ!!」と一人の男が俺に同じような帽子とマスクをくれた。

 よく耳を澄ますと、よこしたのは昨日、松明を持っていた男であった。

「全く、何だって康仁さんはこんな甘ちゃんのガキなんかを……とっとと帰るかのたれ死んじまえクソッタレ」

 男はブツブツ文句を言っている。

「あの……」

「ああ!?」

 明らかに話しかけて欲しくない態度を取ったが、構わず俺は聞く。

「どうして、こんな帽子やマスクを貸してくれたのですか?」 

すると男は、何だそんなことか、と半分小馬鹿にするように嗤った。

「いいか? 俺らの中には顔がばれただけでアウトな奴もいるんだ、そいつらのカモフラージュにもなるために、俺たちもこういう格好をするんだよ。分かったか!? 甘ちゃん野郎!」

 この人は一言余計なことを言わないと気が済まないのか? 少しだけこの人たちに聞いたことを後悔しそうになったものの道理は納得できた。



 だからという訳ではないが、急いで俺は帽子とマスクをかぶった。

 これで文句は言われないであろうと思ったが、その男は、大きく舌打ちをすると、ペッと地面に唾を吐き出した。

 流石にそこまでやられる筋合いは無い、と俺は思ったが争うのは得策では無いと思い放っておいた。さてと、康仁さんを探さないといけないな。どこにいるのか分からないが。

 そう思いキョロキョロしていると、その男たちに「何やっている!! お前もついてこい!!」と怒鳴られた。

 どういうことなのかと思っていると「リサイクル、強いては資源の調達に行くんだよ!!」とその男たちは怒鳴った。

「あ、はい、ありがとうございます」

 礼を言ってもその男たちの態度は変わらなかった。

 全く、最近の若い奴は本当に無知だとか何だのと色々ブツブツ文句を言いながら歩いている。

 一緒にくっついている二人の男も、うんうんと頷いてたまにこちらを見ながらニヤニヤ笑っている。

 まるで小学生以下のガキのようだ。

 そう思い、言おうとしたがやはり、争いは避けるべきだと思い、拳を握り我慢した。



 男たちの後についていくと、広い原っぱに着いた。そこは多くの長い雑草が蠢いており地面が、そして足首がみえないほどであった。

 公園にこんな所があったんだ、なんて思っていると、「みなさん!」と康仁さんの声が聞こえた。見ると、康仁さんは、声が響かないんじゃ無いかというほどほぼ壊れているメガホンを持っていた。

「今日もたくさん、身にしみる活動をしましょう!! まずは体操から!!」

 そう言うと康仁さんはいきなり屈伸をし始めた。すると、全員屈伸をし始める。

 どうやら一番初めは体操をするのがここでのルールのようだ。そう理解したのは良いものの俺はラジオ体操第一くらいしかまともに体操を覚えていないので、ぎこちなく身体を動かすことしか出来なかった。

いや、屈伸をしたかと思うといきなり、大きく手で円を描くように身体を大きく回したり、それが終わるとジャンプするとか色々とトリッキーで予想外な動きを要求される体操だったのだ。すっかり混乱した俺はただするだけが精一杯で、それをやるだけでも疲れてしまった。

「それでは今日も一日頑張りましょう!」

 少し失礼だが、こんなに統率が取れているホームレスというのは珍しいんじゃないかと思う。



 やはり、それほど康仁さんの人望があるのだろうか。

「じゃあ、写鳴くん。今日は私と一緒に頑張っていこうか」

「あ、はい」

 いつの間にか近付いていた康仁さんに俺は少し面食らってしまった。

「今日は川の方に行こうか」

「はい」

 俺はその声に応じると、康仁さんの後についていった。

「昨日少し言ったけど、ああいう毛布とかそういう物は案外、河原に置いてあるものなんだ。この間なんか、まだうごける掃除機を拾ったもんだよ」

 ハハハ、と康仁さんは笑っている。俺も少し乾いた笑いをした。

「……もしかして、まだ不安かい?」

「い、いえ、そういう訳ではありません」

「そうかい?」

 康仁さんは俺の方を振り返る。

「あ、あの、康仁さん」

「ん? どうしたんだい?」

「康仁さんって、何者なんですか?」

 その質問をすると、しばらく俺と康仁さんの間にピンと張り詰めた糸が張った。



 まずい、今のは言ったらマズいことだったか? 

 そう思っても、もう言ってしまったことは帰らない。無かったことには出来ない。

 そんなことを思っていると康仁さんは、前を向いて、ふぅ~、と長い息を吐いた。

 やばいなこれ、怒らせてしまったか?

 しばらく、康仁さんは遠い目をしていたが、やがて「そうだねぇ、写鳴くんにも話しても大丈夫かな」と呟いてこちらの方を見た。

『写鳴くんにも』ということは、俺以外にも知っている人はいるってことか。

「うん、写鳴くん、聞いてもあまり幻滅しないでくれよ?」

 康仁さんはそう言ってこちらの方を見る。

「はい」

 俺の顔を見ると、一瞬、康仁さんはにっこり笑った。しかし、それはすぐに止んでふっと真剣な顔になった。



「実はね、写鳴くん。私は元は普通の公務員だったんだよ」

「は、はぁ」

 普通の事実なので少し拍子抜けしたが、よくよく考えてみると、そんな人がなんで今、ホームレスになっているのか疑問が湧いてきた。

「うん、まあまあな反応だとは思うんだ。別に私が国会議員とかだったら驚くかも知れないけれど公務員くらいだったらそんな反応になるとは思ったんだ」

 俺もそう思った。

「まあ、でもなんで今こんな所にいるのかは興味があるんじゃないか?」

「それは確かに、そう、ですね」

 なんとなく嫌な予感を感じた。もしかして康仁さんは破産するほどのギャンブルに嵌ってしまったのでは無いかと。そんな気がしたのだ。

「まあ、言ってしまえば、保証人だよ」

「保証人?」

「ああ、連帯保証人になってしまったんだよ」



 連帯保証人、それは宗一郎さんや幸子さんからも入ってはだめ、ということ言われていた。

 言い換えれば借金の肩代わりをさせられるようなもんだ。それだけはどんな間柄の人でも引き受けちゃだめ、と口すっぱく言われてきたのでそれはやらないと心に決めている。

ていうか受けちゃだめとか言われていなかったとしても借金の肩代わりという時点で絶対にやらない。

 しかし、康仁さんは引き受けてしまったのだ。連帯保証人になることを。

その後の展開は言われなくても分かった。

「友だちがどうしても困ったって言ってねぇ、それで引き受けちゃったんだよ……後は多分君も分かるようにこういう感じになってしまったのさ。詳しい話は聞きたいかい?」

「いや、いいです。なんとなく分かりますから」



 その先は聞きたいとはあまり思わなかった。

 友だちの借金を背負わされて家族まで追い込まれる姿なんて想像したくなかった。

「ああ、因みに私は結婚をしていなくてね、子どももいないからそこら辺は大丈夫だったよ」

 そうか、それなら大丈夫か、いや、大丈夫じゃないな。どっちにしたって康仁さんの人生が破綻していることには変わらないんだから。

 康仁さんは、ふぅ、とため息をついた。

「まあ、そういう訳で私はこっちに来てね、かれこれ二十年以上ここにいるんでね。そこで初めは君と同じくらいの扱いを受けていたよ。だけどまあ、丁寧な言い方をすると世代交代みたいなものがあってね、本当はもっと酷いものなんだけど」

「世代交代、ですか」



 なんとなく言っていることは分かる。世代が替わるということはその人物がいなくなることだ。それは言ってみれば、死んだということだ。直接的に言うと。

それを言わない所も康仁さんの優しさなのかもしれない。

 その時「お、今日はお宝があるね~」と康仁さんが少し喜びの声をあげる。

 見ると、奥の方でキラリと何かが光っているのが見えた。それは、よく見ると全体的に雨かなんかで湿っている箪笥(たんす)であった。

「これはどうやって運ぶんですか?」

「う~む、とりあえず何人か人を呼んでくるから、写鳴くんはここで見張りをしてくれないか?」

「はい、分かりました」

 俺はその指示に従い、そこで待つことになった。

 返事を聞くと康仁さんは歩いて行く。

 さて、どうするか、ここで待っているのも何だし何か探そうか、と思い動いた時だ。



「写鳴くん?」

 その声は聞き覚えがある所じゃない、一番、聞きたかった。だけど聞きたくなかった声だ。

 その声の方向を思わず見てしまう。そこには桃子がいた。



 

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