第10話  過去 地獄堂 奈津菜の場合 2

「も、桃子さん」

 思わず俺は名前を呼ぶ。

「あ、写鳴くん、遅いから来たよ」

 俺に注意を逸らした瞬間、奈津菜は桃子の手を払った。

「は? なに? あんた彼女?」

「え!? な、ななな何言ってんの!?」

 奈津菜が質問すると、なぜか桃子は頬をほんのりと桃色になる。

その理由は今でも分からない。

 しかし、俺の方を見ると、桃子は犬が水を弾くようにかぶりを振って気を取り直したのか、顔を真面目な顔をして奈津菜を見る。

「貴方、写鳴くんに何しようとしていたの?」

「別に、何しようと勝手でしょ」

 そのまま二人の女傑は睨み合う。周りの奴らも、俺もオロオロと二人を見回していた。



「叩こうとしていたでしょ」

「だったら何?」

「謝って、写鳴くんに」

「はぁ? 意味不」

「写鳴くんを傷つけた。だから謝って」

「だぁからそれが意味不って言ってんのよ。このドブス!!」

「なっ……!!」

 桃子の顔が一気にカァッと火照る。

「ぶ、ブスって、そ、それは……!!」

「なに? 事実言われて腹が立っちゃった? ごっめ~ん☆」

 奈津菜はウィンクしながら手を合わせた。その態度は言われた側からはものすごく腹が立つものであろう。少なくとも俺はそう思っていた。思わず手を上げてもおかしくはなかった。



 だけど桃子はそうじゃなかった。

 桃子は髪を逆立てるほど、大きく呼吸をし、小悪魔のように意地悪な笑顔をしている奈津菜を見ていたかと思うと、ふぅ~、と深呼吸をする。深呼吸をするとともに目も閉じる。

 そして目を開けると「私がブスなのかはどうでも良いわ。写鳴くんに謝って」と真っ直ぐと奈津菜を見る。

 それがお気に召さなかったのか奈津菜は舌打ちをすると顔をしかめさせたかと思うと、桃子に掴みかかってきた。

「あんたも生意気ね。このあたしに向かってそんな命令をするなんて」

 すると、桃子は少しキョトンとしたかと思うと「めいれい?」と不思議がるような声を出した。

「そうよ、『地獄組』が娘、地獄堂 奈津菜様にこんなに刃向かうのなんてこの学校じゃあんたたちくらいよ」

「じごく……ぐみ」

 桃子がそう言うと、奈津菜は、ハッと吐き捨てるような笑いをする。

「そうよ、なに? 今更怖じ気づいた? でももう遅いわ。あんたたちは許さないんだから」



 奈津菜はキッと俺の方も睨み付けた。

 だけど、それに桃子は怖じ気づかなかった。

「そんなの、関係ないよ」

 その答えがよっぽど信じられなかったのか、奈津菜は飛び出るんじゃないか、と言うほど大きく目を見開いた。

「貴方は写鳴くんを傷つけた。そのことには変わりない。だから、私は許さない」

 周りの奴らはいつ、ケンカが勃発するのか恐れているのか、ますますオロオロとし始めた。

 奈津菜は再び大きく舌打ちをする。

「あんたたち、ホンット生意気。こんなにあたしをムカつかせたのはあんたたちが初めて」

 もう歯を剥き出しにして肉食獣のように敵意を剥き出しにしている。 

 今にも襲いかかりそうな勢いがあった。

 そしてそれは現実になる。

「ムカつく」

 そう言った瞬間、いきなり奈津菜は走り出した。そして腕を振り上げる。

 殴ろうとしているのだと俺は思った。

 それでも桃子は一歩も引かず奈津菜の方を真っ直ぐ見ている。

 危ない、そう思った時には身体は動いていた。

 瞬間、奈津菜の顔面に思いっきりパンチが入る。

 周りの奴らは衝撃を受けたように、飛び出るほど目を大きくしたり、大口を開けたり、口を両手で押さえている、桃子も驚いていた。まさか殴るとは思わなかったからだ。



俺が奈津菜の頬を思いっきりぶん殴るなんて。

その場にいた全員が思っていなかったからだ。

というより、この時、俺自身も驚いていた。俺自身も殴る気はなかったが、なぜか結果的に殴っていた。

奈津菜はよろめきながら自分の頬を押さえる。

すると、やがて、すん、すん、と何かすすり泣くような声が聞こえてきた。

「な……によ……なん……で」

 ポタ、ポタ、と水滴が落ちるのが見えた。

 ギロリと奈津菜の刃のような目が俺に向けられる。

 しかし、その目は涙が流れて迫力はあまりなかった。

 奈津菜は「よくも私の顔を殴ってくれたわね!! お兄ちゃんに言いつけてやるんだから!」と言って教室を抜け出した。

 周りの奴らはその言葉に戦慄し、全員、教室から出て行った。

「な、なんだか大変なことになっちゃったね」

「そ、そうだね」

 桃子の言葉に答えた後、その場にいた方が良いのかな、などという話をしていた。

 結構、周りを警戒しながら俺たちは話し続けていた。



 やがてチャイムが鳴った。



 しかし、結果的に言えばその兄貴はやってこなかった。

「結局、誰も来なかったね」

「う……うん……そうだね」

「じゃ、じゃあまた来るね」

「うん……」

 来ないことを確信したのか桃子は自分のクラスに帰って行く。

 クラスメイトの奴らも周りを見渡しながら、ぽつ、ぽつ、と教室へ入っていき、やがて奈津菜以外のクラスメイトが教室に戻ってきた。

 次の授業が始まった時、泣きべそをかいた奈津菜が帰ってきた。

 先生は少しドギマギしながら、席につくように言った。

 奈津菜は俺を睨み付けながら席に座っていく。それ以降、奈津菜との関わりは無いはずだった。なのになぜ今こうして俺に突っかかってくるのかが分からなかった。

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