第9話 過去 地獄堂 奈津菜の場合

さて、教室へ戻るか、と思った時だった。

 バダム!!!

 突然、屋上のドアが乱暴に開かれるとそこから見覚えのある金髪の女が出てきた。

「いた!!! あんた、こんな所にいたのね!!」

 こいつは確か、地獄堂 奈津菜。俺の小学生の時の同級生。

 そして、世間を轟かすヤクザ『地獄組』組長の娘だ。

 そうだ、こいつはいつもこんな感じの態度を取っていた。


 小学生の時、こいつは大人気だった。いや、みな恐れていた。

『地獄組』の娘と言うだけで親からあの子とは関わるな、とか、穏やかな関係を築きなさいとか言われていたのだろう。奈津菜のいうことには誰もが逆らわなかった。

 確か上に兄がいるという話を聞いたが、その兄貴はケンカがめっぽう強く、それもあったのかもしれない。それもあってか、クラスの男子も女子も奈津菜に逆らわなかった。

「あんた、何してんの?」

 俺が小学二年生の時、まだ両親が自殺していなくて、桃子とも遊んでいた頃の話。

 俺は教室では一人、机に座って画用紙に絵を描いている。そんなことをして過ごしていた時奈津菜が、後ろに大勢の男女を引き連れて、話しかけてきた。

「え……いや……その」

 その時の俺はさっきも言ったが本当に弱々しい態度をとっていた。

 そんなことをしていると「それ、何描いてんの?」と奈津菜はぶっきらぼうな態度で聞いてきた。それでも俺は弱々しい態度を脱却できず、口をモゴモゴさせる。

「奈津菜さん、こいつには関わらない方が良いっすよ!!」

 その時、後ろにいる一人の男子が声を上げた。

 ズキン、と身体が痛くなった気がした。

「そうです!! こいつの親は犯罪者なんです!!」

「とにかく話しかけない方が良いです!!」

 ガヤガヤと奈津菜の仲間は騒ぎ立ち始めた。その声が昂ぶる度に俺は俯いていく。

 その時――

「うるさい」

 鶴の一声とはまさにこのことだ。

 あれだけ騒いでいた奈津菜の仲間たちは一斉に黙った。今、思えば小学生の割にはなんて統率力があるのだと思うものがあった。

「あたしに指図しないで」

 はい!!

 その統率力の良さに俺は思わず顔を上げて驚く。

 奈津菜の顔は明らかに不機嫌な顔をしていた。

 目尻に皺を寄せて険しい目をし、口を堅く閉じて周りの仲間を睨み付けていた。

「あたしはあたしの意志に従うから。あんたたち邪魔しないでよね」

 一通り周りを睨み付けたかと思うと、奈津菜は俺の方を見る。

「ねえ、あんた何描いてんの?」

 ただの質問だったけど、俺はその時は、あの……その……と、どもることしか出来なかった。

 すると何が気にいらなかったのか、奈津菜は突然、大きく舌打ちするといきなり無造作に俺の机に手を伸ばしたかと思うと、画用紙をぶんどった。

「あっ」

 俺は情けない声を上げてか細い腕を伸ばしたが奈津菜の手には届かなかった。

 画用紙を奪い俺の絵をしばらくジッと見ると、っぷ、と吹き出す。

「アッハハ!! 何この下手くそな絵!!」

 奈津菜はそのまま顔いっぱいに大口を開けて大笑いし始めた。

「あんたたちも見てよこれ!! 何てヘッタクソな絵してんのよ!! アッハハ!!」

 無情にも奈津菜は周りの仲間たちに俺の絵を見せた。

 俺の絵は猫を描いたつもりだったが、線がふにゃふにゃでぐちゃぐちゃな絵をして、何を描いているのか分からない絵であった。

 奈津菜が画用紙を見せると、仲間たちは一斉に笑い出した。

 一生懸命描いた絵を馬鹿にされることは当時の俺にとってはとても傷つくことであった。

 今、思えば笑われても仕方が無いほど下手くそな絵だったが、当時はこれが上手いと思っていたので大変傷ついた。

「……して」

「あ?」

 その時、時間が凍り付く。

 俺も睨み付けていたが奈津菜の方もギロリとナイフのように鋭く睨み付けていた。

 周りの奴らはみな、おろおろとし始めた。

 周りの奴にとっては、殺人鬼の息子とヤクザの娘の睨み合い。

それは正に大怪獣の同士の睨み合いのように感じたのだろう。今にも血で血を洗う戦いが始まるのかと思っているのか、顔を引きつらせて身を引いている。

「なに? なんか文句でもあんの? このあたしに」

 ズイッと奈津菜は身を乗り出して俺の顔を覗き込む。

 俺は俺で何をムキになっていたのか、結構怒って奈津菜を睨み付けていた。

「ハッ、あんた生意気。このあたしが誰だか分かっているの?」

 そう言って更に顔を近付いても俺は一歩も引かなかった。 

「へぇ、もしかして本当に知らないの?」

 奈津菜は目を細める。俺は目を動かさなかった。

「へぇ、良い度胸してんじゃない」

 すると奈津菜は両手を腰に当てて胸を張った。

「あたしは地獄堂 奈津菜。『地獄組』組長の娘よ。あんたも知ってるでしょ? 『地獄組』くらい」

「知らない」

「は?」

「知らない」

 二度答えると、奈津菜の目から温度が消える。

「あっそぉ」

 途端、瞳孔が開くほど目を大きくして、大きく手を振り上げた。

 俺を殴るつもりであることがすぐに分かった。

 そこで俺は、初めて目を閉じた。閉じる瞬間、奈津菜が勝ち誇る顔が見えた気がした。

 その時――

「……誰よあんた」 

 目を開けるとそこには……

「貴方こそ何やっているの」

 桃子が奈津菜の手を掴んでいた。

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