第6話 過去

それが起きたのは、俺が小学生三年生の時のことだ。



 あの頃の俺は全てが弱々しかった。

 いつも申し訳なさそうな顔をして、いつも手をもじもじさせて、いつも人の顔色ばかりうかがって、いつも人畜無害だとアピールしながら生きていた。そんな情けない奴だった。

まあ、一人称も僕だったしなってそれは関係ないか。



 あの頃の俺はいつも桃子と近くの広い公園で遊んでいた。

 その公園は遊具もあったし、だだっ広い野原もあり、十分おにごっことかができた。

 桃子と子どもらしく追いかけっこをしたり、男の子らしくないかもしれないけど、花びらを頭に飾ったりして遊んでいた。あいつは、桃子はあれで結構デリケートな奴で、花を摘んだりすることはなかった。

どうして花を摘んだりしないの? て聞いたら花が傷つくからだってよ。

 そんなことを気にする女の子なんてそうそういねえ。そんなところが俺は――

 まあそれはいい。とにかく、あの頃の俺は毎日が楽しくてしょうが無かった。

 でも、始まりがあれば必ず終わりがあるように、この日々も終わりを告げる時が来る。



 しかし、それは突然だった。

 俺たちが遊んでいる時に学校の奴らが来たのだ。その時来たのは学校でも悪ガキの大将みたいな奴だった。

 大柄でいつも男女関係無く暴力を振るうし、ケンカが強くて、下手すれば中学生も大けがを負わせることが出来るほど強く、クラスの男子を引き連れているような男子であった。 



ある日、そいつは突然、俺たちが遊んでいる公園に何人かの男子を引き連れてやってきた。

「お~い、殺人鬼~なに女と遊んでんだよぉおおお」

 そいつとそいつの仲間はそう言ってギャハハハと汚く笑い始めた。

 今思えばこの時の俺の選択は最悪だった。

 俺がとった選択は、端的に言えば怯えることであった。

 如何にも弱々しく、自分は貴方たちに何も危害を加えるつもりはありませんよ、という態度をとったのだ。そんなことをしたらそのガキ大将が調子に乗るのは当たり前の話であった。



 だから、俺の代わりに桃子が対抗するのは当たり前の話だった。

「なんだこいつ情けねえ奴だ。人殺しのくせによぉ」

 こいつは弱虫で度胸も無い弱者だ、と思ったのかそいつは気味の悪い笑顔を浮かべながら俺に近付いて来た。だが、それを彼女は許さない。

「何? 文句があるの?」

「あ?」

 桃子は俺の前で大の字になってガキ大将を見据える。

 ガキ大将は気にいらない、と言う目を向けてくる。

 それは俺を守っているようであった。



 俺は、この時自分はこういった態度をするべきじゃなかったと後悔した。

 形だけでも良いから彼女を守る盾になれば良かった。

 そうしていれば傷つくのは俺だけで済んだかもしれないのに。

「あの……彼女は……」

 今さら俺は桃子の盾になった。

「うるせえ邪魔だ!!!」

「うわ!!」

 ガキ大将は俺を乱暴に払いのけ、俺は地面に大きく倒れた。

「何をするの!!」

「あ? てめえ……俺に何口答えしてんだ?」

 ガキ大将はジッとカラスのように桃子を睨みつけて、少しずつ近付いていく。

 俺は情けないことに地面に震えて怯えるばかりだった。

 でも、桃子は逃げなかった。逃げずにガキ大将をジッと見ていた。




 やがてガキ大将は桃子の至近距離に来る。それでも桃子は汗一つかかずにガキ大将を見据えている。それがまた一層ガキ大将の癇に触れたのか、眉間、そして額に皺を寄せて激怒の表情をする。でも桃子の表情は何一つ変わらなかった。

「謝って」

「あ?」

「私の友だちに謝って」

 桃子がそう言った時、ガキ大将から怒りが一瞬で消えた。

 そして下らない、と言うようにぷっと吹き出したかと思うと大声で嗤い始めた。

 周りの男子も嗤って爆笑の渦に見舞われた。

「ともだちだぁ~? おめえこの人殺しの血が混ざっている奴を友だちって呼ぶのかよ!! こりゃお笑いだぜ!!! ギャハハハハハ!!!」

 その笑い声でだんだん俺は気が弱くなっていったんだ。

 そうだ、どうせ俺には人殺しの血が混じっているんだって。

 だから何をしても無駄だって、という思いが。

 でも本当はあの時、そんな自己否定、自己憐憫に浸っている場合じゃあ無かった。



「何がおかしいの」

 桃子は真っ直ぐとした目でそう言った。途端に男たちの嗤いが止む。

「写鳴君が人殺しの血が混じっているから何」

 するとガキ大将は、ハッと吐き捨てるように嗤った。

「分かってんのかぁ!? こいつは人殺しの血が入っている!! こいつが何もやっていなくても存在するだけで罪なんだって、だから何をされても仕方がないって、かーちゃんととーちゃんも言っているんだよ!!」

そう、大人も俺のことを嫌っていた。俺はますます自己の存在を否定を続けていた。



 けど――



「だからなに」

 ふと、俺の目に光が入った気がした。

 顔を上げると、桃子が陽光に差され輝いているのが見える。

「あ?」

「家族が、友だちから、誰かからの受け売りで傷つけて良いって言われたから貴方は写鳴くんを傷つけるの? それが許されるのが世の中なら、私は間違っていると思う」

「あ? 何言ってんだ? こいつ」

「私が言えることじゃないかも知れない、だけど、私はこう思う」




 その時、桃子は俺の方を向いて言った。

「この世に、生まれてこなければ良かった存在なんて本当はいない。貴方は生まれてきてよかったんだよ。私は貴方の存在を肯定する。誰がなんと言おうと肯定する」

 その時の俺は『肯定』の意味が分からなかったが、なんとなく桃子が自分のことを元気づけていることが分かった。

「こ、こうて……意味分かんねえこと言ってんじゃねえよ!!」

 ガキ大将は意味が分からないことを言われたのがそんなに腹が立ったのか、地面に落ちてある石を拾い、桃子の向かって投げた。

「いた!!!」

 桃子はあまりの痛さにうずくまった。

「桃子ちゃん!!」

 俺は急いで桃子の元にかけつけた。すると、桃子の顔は額に鋭い傷がついていた。

「ち、ちげえ!! そいつが勝手に……」

 ガキ大将は流石に額を傷つけたのはやりすぎだと思ったのか、慌て始める態度をとっていた。

「だ、だいじょうぶ、だいじょうぶだから」

 桃子は痛さを我慢して、無理に笑顔を作った。

 目からは僅かに雫のように涙が一滴落ちた。

 俺の中の何かが弾けた気がした。そこから俺の記憶は曖昧になっていく。

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