◇第二章◇

第14話 胃袋は言っている、それは今ではないと

 営業二課は人里を目指していた。

 いずれ日本との商取引が行われるとはいえ、そもそも商材がなければ話にならない。それは営業所の周りで採取できる植物やモンスターだけでは到底足りず、満足もされないだろう。そして何より、日本からの品を買ってくれる相手も必要だった。

 そんなわけで、人里に行って調査と情報収集だ。

 晴れ渡る空には雲一つ無く、燦々とした日射しが降り注いでいた。

 ふと気付くが、こちらの世界に来てから殆ど雨に遭遇していなかった。もしも営業所の水道が使えていなければ、今頃は人里より水源を探していたに違いない。

 鎧姿に剣を帯びるシロノを先頭として、灰色背広の赤星、青スーツの青木、ブ黒スーツの黄瀬。そんな一行が草原を行く。

 これから人里に行くということで、一応は正装であるこの格好だ。

 もっとファンタジーっぽいローブを着てくれば良かったかもしれないと、今更ながら思ってしまうが、シロノが大丈夫と言っているので多分大丈夫なのだろう。

「今頃は所長が政府とWEB会議やってますかねー。異世界との取り引きに関税をかけるかどうかって議論とか、ほんと面倒くさいでっせ」

 青木は暑そうに舌を出しネクタイを緩めた。

「どうせぐだぐだ言って、決まんないでしょうに」

「異世界が国内か国外か、その見解も決まってないからね。そこは仕方ない。それに我々の存在をどう扱うかで、政府内の見解も分かれているようだし」

「だから俺らの家族との面会もまだってわけですか」

「いや、それは別の理由だよ」

 営業所が異世界にいる事は極秘情報で、内閣官房がひとつずつ家族に接触して事情を説明している。なかなか時間がかかり骨の折れる作業に違いない。

「青木君も早く家族に会いたかろう。ご両親も心配しているだろうに」

「いや、うちは元から親子の関係が薄いんで構わんですよ。下手すりゃ俺が生きてたら保険金が降りないって残念がるかもしれんでっせ」

「流石にそれはないだろう」

 赤星は周囲を見回した。

 広々とした草原には、ほとんど動く存在がいない。遠くにラガルティと、草食モンスターたち。ところどころに木があって風に草が揺れ、のんびりした雰囲気だった。

「黄瀬君の方はどうだい?」

「じ、自分っすか? それはまあ早く顔を見たいですよう。でも職場の皆を見ますと、メンタル限界な人もいるっす。あと、久保田補佐とか早く子供に会いたいでしょうし……それを思ったら我慢するっす」

 そう言った黄瀬ではあったが、どこか自身に言い聞かせる雰囲気があった。

「でもっすけど、こういうの。絶対どっかから情報がもれるんじゃないでしょうか」

「その辺りも想定済みだよ。あの億野氏ならば」

「確かにそうかも。ちらっとだけ見かけただけっすけど……そんな感じありますね」

「少しずつ噂として情報を出していくのだろう。ほらニュースで言うだろう『政府筋の情報によれば』と、あれも億野氏の非公式発言だ。そうやって情報を滲み出させるのは得意ってものだろう」

 今の日本では自衛隊の火器使用や巨大生物への対応や制度の不備など、喧々囂々と重箱の隅を突くような批判が高まっている。だから程よい辺りで、一気に情報を解禁するのだろう。

 即わち異世界の存在というビッグニュースを。


 延々と歩いて行く。

 頬を汗が伝い落ちていき、歩く事に飽きが来そうなぐらいだ。

「せめて途中まで車が良かったっす」

 黄瀬が疲れた雰囲気で呻いた。

 営業所周りでは自動車やバイクの走行テストを行って、それなりに走れる事を確認している。しかしシロノの反応を見てきた限り、内燃機関によって走行する車両というものは、この世界では未知の存在のようだった。

「文句言っても仕方がない。現地人を刺激するわけにはいかないだろう」

 これから行く人里に、そんなものでいきなり乗り付けるほど愚かではない。

「エンジン音でモンスターが寄ってくる可能性だってある」

「ですけど、シロノ様がいるっす。なのでモンスターは大丈夫と期待してるっす」

「モンスターはそうでも現地の人は、そうはいかない。顧客に会う時は営業所を出た時から見られてると思いなさい、いつも言ってる通りだよ」

「はぁーい。営業所に戻ったらアイスを食べて元気を補充するっす」

 それが出来るのも日本との交流が確認されたおかげだ。

 転移の時間さえ調整すれば冷凍品は元より、熱々ピザの配達すら可能となっている。日本側で対応しているのは内閣府と公安警察なので、そこさえ気にしなければ自由にやっていた。

 青木が斧を構えた。

「まーた首筋がチリチリしまっせ」

「こっちもっす。むむっ、これは右の方って感じかもっす」

「来ましたよキュッピーン」

「自分もキュッピーンっすよ」

 青木と黄瀬は言いながら、近くの茂みに向かって斧を構えた。レンジャーとスカウトのスキル両方で不意打ち対策は万全。

 だから相手が茂みから飛びだしても驚きもしない。

 現れたのは、薄茶色した鱗に覆われた二足歩行の生物ラガルティ。三体いるが、不意打ちに失敗したせいか、いずれも大きな嘴を開けたまま戸惑っている。

「えいっ」

 シロノが前に出て剣を抜く。二体は軽々と斬り捨てられ、残る一体は素早く踵を返し逃走にかかるが、それを後ろから襲い掛かって一撃で倒す。

 そしてモンスターを斬殺したとは思えない笑顔で戻って来た。

「倒したのよ」

「偉い偉い」

「そうでしょ、もっと褒めてもいいのよ」

「では飴をあげるとしよう」

「貰ってあげる!」

 すっかり餌付けされたホワイトドラゴンのシロノはご機嫌で、貰った飴を頬張っている。軽く持ち上がった尻尾の先が左右にぴょこぴょこ揺れている。


 出番のなかった青木と黄瀬は斧を降ろし、ラガルティを確認した。

「どうすっかな。ゲームなら素材を持ってけば街で売れたりするはずだろ」

「そうなんですよう。大っきい嘴と蹴爪が素材って感じっすよね」

「しかし残念、俺は解体のやり方が分からん!」

「自分もっすよ。それに出来れば解体とか、やりたくないっす。血塗れスプラッタは苦手っす……」

 腕組みする部下二人の後ろで赤星は咳払いした。

「しかし、いずれはやらねばなるまい」

「課長、もしかしてですけど。これ食べる気じゃないでしょうね」

「無論食べる! だが胃袋は言っている、それは今ではないと……」

「どういう胃袋ですかい。まっ、ともかく人里に行って食事したいって事です?」

「その通り。よって、このラガルティは大自然の食物連鎖に任せ腹を空かせたままにしておくべきだろう」

「はぁ……」

 呆れ気味なのは青木だけでなく、黄瀬とシロノもだった。

 しかし歩きだして少しして振り向くと、後ろにはラガルティたちが集まっていた。倒された仲間を悼んでいるのではなく食事中だった。

 のどかな風景でも、やはり弱肉強食の世界という事である。

「なんだか営業所が心配になる。戦闘スキルがあっても、戦えるかは別だろう」

「でも日本から送られて来た資材で守りを固めてまっせ。それに武器とかも届いてるわけですし、ちっとは大丈夫なんでは?」

「……警棒や刺股だったな。あれでラガルティみたいなモンスターに、どうしろって言うのか。戦車とは言わないでも、銃ぐらいあれば良かったのだが」

 まだ異世界のことは公表されていないが、公表された前提で物事は動いている。

 日本は侵略戦争を含めた一切の戦争や、武力の行使に武力による威嚇を放棄している状態である。故に政府が憂慮している事は、異世界に銃器や兵器を送れば侵略行為に該当するかもしれないという事だった。

 しかも異世界は国外か国内かで判断も分かれるとの事で、下手すれば異世界への銃器類の転移は武器輸出扱いになる可能性もあると言われていた。

 なんとも日本らしい、石橋を叩いて叩き壊したがるような見解だ。

 そんな状況ではあったが、代わりに防具的なものは各種貰っている。たとえば赤星が白シャツの下に身に付けているのは、ステンレスメッシュの防刃シャツ。鎖帷子の発展系のようなものだ。

 しかし製造メーカーもモンスターに噛まれた時までは想定していないだろう。

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