第15話 食べ物に関しての勘は凄いです

「やっと着いた……」

 実際にはまだ距離はあったが、前方に人里が見えていた。

 それは斜面を利用した居住地になる。周りには木杭で出来た防壁があった。見えている範囲に小さな建物が数十戸、大きな建物もある。全体的に石や木を多用した素朴さの漂う雰囲気で、色とりどりの三角旗が目を引く。それは建物の屋根から屋根へと渡され賑やかしい。

「なんだか、見た事もない建物の造りだ……」

 赤星は足を止めたまま、腕組みして頬を押さえた。青木と黄瀬がカメラで撮影した後、その画像を拡大して確認する。シロノは横で暇そうに欠伸。一同は食い入るように画像を確認した。

「独特な感じですがね……強いて言うなら、東南アジアとエジプト辺りの建築様式をまぜこぜしたように感じまっせ」

 就職前は海外放浪が趣味だったという青木が言った。

「元の世界と関係があったりしないかね」

「課長、異世界ですよ。そんな関係なんてあるわけないでっせ」

「だが青木君、これは大事な事だよ。つまり食べ物にまで影響があるかもしれないわけだ。私は東南アジア系の料理は食べたが、エジプト系はまだなんだ」

「……もしかして課長、食べるモードになってません?」

 赤星は出張先で必ず名物料理を食べる。時には食べるものを目的として、営業地を決めるぐらい食欲に忠実だ。

 ちなみに食の拘りは、赤星が味で黄瀬が量、青木はその中間ぐらいになる。

「当たり前だよ、私は食べるぞ。本当なら週末に銀座まで行って、昼には虎ノ門で焼き鳥丼、それから銀座で猫屋のかき氷、さらに青山霊園の側でパンケーキと紅茶、夕飯に赤坂で蕎麦! 締めのデザートは日本橋であ百疋屋でパフェの予定だったのだから!」

「はいはい、今宵の胃袋は飯に飢えているって感じなんですね」

「まさにそんな気分だよ」

 会話ばかりで暇を持てあましたシロノが、赤星の手を掴む。しかも食事の話を聞いてお腹を空かせたのだろう。ぐいぐい引っ張り急かしてくる。

「赤星、早く行きましょ」

 シロノに手を引かれて前に進みだす。


 そこには活気があった。

 行き交う者の足取りは力強く、道端の物売りは声を張りあげ、全ての人々は活き活きとしている。台車に凶暴そうな生物の死骸が乗せられ、掛け声と共に運ばれていく。店の張り出した店には、長大な一本骨や掌ほどもある鱗、極彩色な毛皮が並ぶ。

 これまで見た事もない光景と活気に、青木と黄瀬は圧倒され立ち尽くしている。

「何だか凄い、信じられないぐらいでっせ」

「本当なんですよう。ほんと凄いとしか言えないっす」

「流石は異世界ってとこで――課長、ストップ。どこ行く気ですか」

 ふらふらと、赤星は食べ物が吊された屋台へと向かっていた。

「あれを見るんだ、あれは間違いなく焼き豚風味に違いない。私の勘が告げている。あれは間違いなく美味しいものだと」

「はいはい。食べ物に関しての勘は凄いですもんね課長は。ですが忘れてません?」

「ん? 何をだね」

「お金ですよね、お金。課長、異世界ですよ。日本円が使えるとお思いですか。それに今は情報収集に来てまっせ」

「……そうだった」

 赤星は肩を落とし、名残惜しげに何度も屋台を見つつも歩きだす。

 里への出入りは自由で、しかも赤星たちの背広やスーツの姿を見ても、大して気にされてはしない。奇異の視線は向けられるが、それだけだ。

 黄瀬がカメラを構えて撮影をしようと、シロノが尻尾を揺らし歩いても誰も気にしていない。なぜなら行き交う人々の格好は様々で、武器や防具を身に着けている人もいるぐらいだ。

 少々奇抜な格好をしていても、あまり気にされないらしい。

「さて、まずは情報収集だ」

 それを片付けねば食事の方に注力できないが、目の前の人々はあまりにも活き活きとして、それぞれが目的を以て動いているので話しかける事を躊躇ってしまう。

「村長みたいな人に会いたいがどうするかな」

「どうしますかね。誰かつかまえて聞いてみます?」

「さて、どうしたものか……」

 赤星が悩んでいるとシロノが両手を腰に当て威張った。

「分からないなら聞けばいいのよ」

 言うなりシロノは野菜を売りに目を向けた。

 恰幅がよい女性が威勢の良い声をあげ、緑色をした植物――恐らくは野菜――を売っている。こうしたタイプは得てして世話好きで面倒見が良かったりする。

 止める間もなく分は女性の元に行った。

「ねえ、ここで一番偉い人はどこ?」

「おや見ない子だね。偉い人かい? それなら里長だね、そこの坂を上がった先の目の前が集会所にいるわ。ちょっと頑固で気難しいけれどね根はいい人だからね、用事があるなら行ってごらんよ」

「ありがとう、感謝するわ。ところで、何を売ってるの?」

「おや、ソヤヌ菜を知らないのかい」

 女性は木の笊から緑の濃い野菜を手に取った。

「これは茎がしゃきしゃきして炒め物でも煮物でもいけるよ。もちろん栄養もあって元気もりもり。今が旬だからお買い得だよ。一つと言わず沢山どうだい?」

「ありがとう。でも私たち遠くから来たから、この辺りのお金を持ってないの」

「まぁっ、そりゃ大変だったね。だったら一つあげるわ、これ食べて元気出すのよ。なーに、後でお金が入った何か買ってくれたらいいからね」

「ありがとなの、感謝するわ」

 シロノはソヤヌ菜を受け取って、可愛らしく会釈をしている。

 しかし赤星のみならず青木も黄瀬も、女性の途切れることなく放たれる大きな声に圧倒され棒立ちとなっていた。

 戻って来たシロノは眉をひそめ、赤星の足を軽く蹴りソヤヌ菜を差し出した。


「シロノのお陰で助かったよ、ありがとう」

「当然なのよ、もっと私に感謝なさい」

「とてもありがとう」

「ふふん」

 とっても機嫌の良いシロノは尻尾をフリフリ歩いている。

 そしてちょっとだけ声を潜めてみせた。

「でもね。内緒だけど私、葉っぱは苦手なの。だから赤星が食べなさい」

「なるほど、それでは頂くとしようか」

 むしゃむしゃして、しばし咀嚼。

 目を上にやりながら味を確認していく。微妙にほろ苦さと青臭さはあるものの、美味しい葉っぱという味わいだ。何より鮮度が良い。のびのび育ったという感じの食感が味を引き立てている。

「これなら炒め物でも煮物でもいけそうだ」

 躊躇うことなくソヤヌ菜を口にした赤星に黄瀬は呆れ顔だ。

「やっぱり課長は凄いっす、躊躇うことなくいくなんて。異世界の葉っぱっすよ、ちょっとは躊躇うのが普通じゃないっすか?」

「黄瀬ちゃん、気にする方が負けでっせ。なんせ、うちの課長なんだ。躊躇うはずないじゃない」

「まあ確かにそっすよね」

 ゆるい坂を上がっていく。

 道の脇には丈の短い草が生えているものの、足元の道は土が剥き出しで小石が幾つか顔を出している。建物は相変わらず賑やかで、人の出入りも多い。こんな小さな里に、どうしてこれだけの人がいるのか不思議に思う程だ。

 黄瀬が振り向いて辺りの写真と動画を交互に撮り続けている。

 坂を上がってみると、そこは砂が敷き詰められた広場だった。高床式住居の発展系のような建物に囲まれている。里長の居る集会所となれば、きっと真正面の建物だろう。

「さて気合いを入れていこうか。青木君、黄瀬君」

「なんだか営業かけるのも久しぶりでっせ」

「確かにそうだ」

 異世界市場を開拓し、新たな販売網を構築するための第一歩。ここで接触する里長と上手くやりとりをせねば、全てが台無しだ。商品調達も販売も出来なくなるかもしれない。そうなると食事にも支障が出る。

 そう考えると、少しばかり緊張する。

 可能なら相手と交渉しても良いと一萬田には言われている。

 日本における商取り引きでは、交渉に出向いた者など単なるメッセンジャー。実際の意志決定は会社の上司に委ねねばならない。しかしそれでは通用しないと、海外と取り引き経験のある一萬田が判断したのだった。

 それを思うと、かなりの重責だ。


 坂を上がって目の前の建物に入る。

 しかし建物の中は外観イメージとは違った。

 小さな体育館はありそうな広さで、中は想像していたような場所ではなかった。奥には暖炉でカウンターテーブル、あちこちにテーブルがあって人がいて料理や飲み物が提供されている。

「むっ」

 中に入ったとたん押し寄せる美味しそうな匂い。

 近くのテーブルにあるのは。程よく焼かれ照りある丸焼き肉、山盛りサラダ。ぐつぐつ音をたてるグラタン、蜂蜜の滴り落ちるパン。

異世界料理なので実際はどうか分からないが、しかし赤星にはそう見えた。

 でも分かる事が一つある。

「ううむ、この匂いは間違いなく美味しい」

「課長、本来の目的」

「分かっている、分かっているよ。情報収集が第一だからね。入るところを間違えたようだ」

 バツの悪い顔をする赤星は、それでも未練がましく辺りのテーブルを見つめる。ようやく誘惑を振り切ると、近くを通りかかった女性に訪ねる。

「申し訳ない、集会所がどこか教えて頂いても宜しいですか?」

 片手に持ったトレイには空の皿やジョッキが山積みで、どうやらウェイトレスらしいが見事なバランス感覚だ。

 女性はにこやかに頷いた。

「こちらで問題ありません。お食事ですか、ご依頼ですか?」

「はい、食事を……ああ、違います」

 思わず答えてしまったが、青木の咳払いで我に返った。依頼という言葉の意味は分からないが、まずは本来の目的を達成せねばならない。

「集会所という場所で里長さんにお会いできると伺ったのですが。あっ、申し遅れました。私はこういう者です」

 流れるような仕草で、頭を下げ気味に名刺を差し出す。

 女性はそれを受け取ったものの、明らかに困惑している。名刺という文化そのものがないと言うよりは、そこに書かれた文字が分からないのかもしれない。しばし名刺を見つめ、それから赤星を見つめて微笑んだ。

「畏まりました。里長はこちらです」

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