第13話 皆、もう一つ重大発表をする
何度目かになる打合せで、億野はさほど残念そうでもなく言った。
「どうやら、君たちは戻れそうにないようだね」
営業二課が中心となって実験を重ね、幾つかのことが分かってきていた。
転移が行われるのは日付の変わる瞬間、第一倉庫の中にあるものだけ。地球側の出現ポイントも同じで、同ポイントからこちらからへの転移も可能。しかし一度転移させたものは転移しない。
そして何より、生物は転移しなかった。
向こうからもこちらからも、生物が転移する事はなかった。
希望が見えかけ、しかし結局ダメだった事実に二課は失望した。唯一の救いは皆に戻れる可能性があると告げなかった事だろう。
「ふむ、生物の定義とは何かね」
億野の問いに赤星は額を押さえる。まさかこんな禅問答、もしくは科学の最先端みたいな事で、悩む日が来ようとは思いもしなかった。
「分かりません。動物は無理でしたが、納豆は移動して来ました」
「つまり菌類は生物ではないのかね」
「どうでしょうか。菌が不活性化してる可能性もありますので。しばらく放置して状態を確認してみます」
「うむ。それから植物の地植えは転移しないが、土から引き抜くと転移するか」
「転移後は育つ様子もなく直ぐに枯れます。乾燥させたものは、そのままですね。これで外来種問題は心配しなくて良さそうですね」
「ははっ、違いない。病原菌の心配もなさそうだ」
日本側の営業所があった敷地は立入禁止。転移ポイントには医療用陰圧テントが設置され、転移と同時に防護服に身を包んだ係員が転移物を密閉梱包して周囲を消毒。
そこまで徹底的にやっているらしい。
新しい環境に人や物が移動し、そこで未知の病気が持ち込まれ多くが命を落とした惨禍は枚挙に暇がない。まして異世界から送られて来た死骸や植物など、念入りに調査されて当然だった。
しかし、生物が転移しないので問題が起きる事はなさそうだったが。
「あの、ひとつ提案してもよろしいですか」
「なんだい? 言ってみなさい」
「戻れないという事実を踏まえまして。もうこうなったら……」
「ふむ?」
「異世界トレーディングをしませんか?」
赤星が提案すると、億野は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。そして少しして涙を滲ませるほど大笑いをしたのだった。
WEB会議を終了させヘッドセットを外していると、黄瀬がふらふらと二課室に入ってきた。そして自席にまで辿り着けず、パイプ椅子にストンと座りこんでしまう。
深く息を吐いているが、それは動いて疲れたというだけではなさそうだ。
「はぁぁ、疲れたっす。転移して来た電子機器は問題なく動きましたよう」
「確認ありがとう。ところで、何かあったかな? 何となく疲れた感じだが」
「田中係長につかまったっす」
「ああそうか……」
転移確認は他の課に内緒で行っているが、皆も薄々だが二課が何か特別な事をやっている事に気付いている。それでも見て見ぬ振りして結果を待っているのだが、それが出来ない者が何人かいるのだ。
その筆頭が田中で、調子外れの大声でしつこく話しかける。そもそも相手が女の子となると一生懸命になるので、黄瀬にとっては面倒な相手なのであろう。
「こんなこと言ってはダメっすけど……何とかなりませんか、あの人」
「無理ってものだろう。だが、他の人達もそろそろ限界に近そうだ。この件だけでなく、この生活そのものがね」
それは食事やシャワーといった事もあれば、声や物音や物の扱い方といった些細なことで喧嘩が起きている。
神経質と無神経、繊細とがさつ、呑気とせっかち、一人が好きと一人が耐えられない。いろいろな性格の者がいる。
職場という環境で、仕事という接点だけでなら我慢出来ていた事も。接する時間が増えていけば、それこそ箸の上げ下ろしさえ我慢出来なくなっていく。
既に殴り合いの喧嘩さえ発生していた。
その都度、各課の課長が対応を行っていたが、少しずつ限界が見え始めている。会社組織という枠組み自体が通用しなくなりつつあった。
たとえば営業一課では鬼塚課長が高圧的に押さえ付けていたが、それで余計に苛立って殺気立ち不満が増しているのが実状だ。
「大人っすから、皆で仲良くすればいいって思いません?」
「それは違う、大人だからこそ仲良く出来ないものだよ。そういうわけで、うちの課も不満があったら早めに言って欲しい」
「はーい。それなら日本から来る菓子の試食、自分も食べたいです」
「それはシロノに頼むしかないな」
「ううっ、また土下座して頼むしかないっすね」
二課は元からお互い遠慮無く言いたい事を言う環境なので、不満はあってもすぐに解消されてしまうため気楽な雰囲気だった。
「とりあえず、もう直ぐ営業所内の不満は解消できるさ」
「あっ、もしかして」
「その通りだよ。もう少しだけ調整をするとしよう、皆への公表を」
営業所の駐車場に全員が集合していた。
重大発表があると知らせてあるため、このところ多かった諍いも鳴りを潜め。誰もが落ち着かない様子で静かに待っている。
「皆、集まってくれてありがとう」
一萬田は皆に座るよう指示し、ハンドスピーカーを口の前にかざした。
「そろそろ、この生活に不満を感じて誰もが苛立っていると思う。もちろん私もそうだ。しかし私は思う、未知の世界で我々はお互いに手を携え生きねばいけないと」
だが、そんな言葉はあまり通用していない。
課長辺りの者は大人しいが、係長は少し不満があり、若手の担当などは露骨に面倒そうな態度をみせている。
「前置きはさておき、集まって貰った理由を話そう。まず一つ目。皆も気付いていたと思うが、二課がいろいろと作業をしてくれていた。その結果、日本との物流が確保された」
大きな響めきがあがった。
そして赤星が前に出ると、皆の注目が集まる。
青木と黄瀬がホワイトボードを運んできて、そこに大判資料を貼り付けていく。少し風があるため、四隅にしっかりマグネットが配置された。
準備が整ったところで赤星は、日本との物流確保で第一倉庫による転移と、その法則について説明する。これまで経験してきたプレゼンの中で、一番熱心に聞いて貰えたかもしれない。
「――と言うわけで、残念ながら日本に戻る目処は立っていません。ですが我々は我々の欲しいものを、今まで通りに手に入れる事ができます。食糧も服も家具も、車さえも」
インターネットで商品を選んで注文して取り寄せる。
それは今の時代では、さして抵抗感もない当たり前の事だ。むしろ、この場に居る社会人にとっては、普通に買い物をするよりはネットショッピング利用の方が多いぐらいだろう。
「そんな感じで物流が確保されており、今まで通り仕事も生活も可能なのです。ええ、今まで通りの仕事が」
ざわつく。
察しの良い何人かは気付いているようだ。
「なぜなら我々は、異世界と元の世界を唯一仲介できる立場にあるわけです」
「本社とも調整させて貰ったが、かなり……いや、全力プッシュで大乗り気だ」
社長自らが陣頭指揮をとる一大プロジェクトとなっていた。
さしたる特徴も強味もなく、鳴かず飛ばずだった九里谷商事にとって空前絶後の大チャンス。億野にトレーディングの話を提示した後から、日本側での細かいやり取り調整は、全て本社に任せている。
「そして、近くに人里があるという情報も掴んでいます。ですから、我々は今まで通りの仕事が可能です」
赤星は自信たっぷりに言った。
そして一萬田が話を引き継ぎ、ようやく赤星の役目は終わった。青木と黄瀬の側に座るのは、今まで情報を隠していた事への引け目があるからだ。
すぐに隣に来たシロノの頭を撫でれば、ひと仕事終えた気分になる。
駐車場は広々として風が爽やか、晴れわたる空は清々しい。
皆でこうして駐車場に座っていると年一回の避難訓練でもしているような気分だ。
「課長、お疲れ様でっせ」
「人前で喋るのは苦手なんだよ……」
「そうは見えませんけどね。それより会社でやるよか、俺等で会社を設立して直接売った方が儲かるって思いません?」
青木の意見は確かに頷けるものがある。
しかし、赤星は首を横に振った。
「日本側で信用出来る相手が必要だろう。だったら本社を巻き込んだ方が早い」
「まあ、確かにそうですけど。同期のあいつらが今まで通りの生活で、棚ぼた的にもうけるのが気に入らないですよ」
「そこは必死に穴埋めして貰うさ。なにせあちらでは、それこそ世界中からの注目を浴びるだろうからね。どれだけ大騒ぎになる事やら」
「うっ……それを思うと少し気の毒のような気がしてきたかも」
青木は呻くように言った。
何にせよ、伝手や縁故というものは大切だ。それであれば、やはり本社を絡めるのが一番手っ取り早いのは事実だろう。ただし一萬田は独立採算制を取り入れるつもりらしいが、経理関係に疎い赤星に詳しい事は分からない。
その一萬田が言った。
「皆、もう一つ重大発表をする」
いよいよ次かと、事前に知らされていた赤星は期待に身構えた。
「ようやく政府関係との調整が整って、家族とのWEB面会が許可される。もちろんインターネットの使用も同様に許可されるだろう」
先程に負けない程の響めきが起きるものの、そこには喜色が強い。実を言えば最近は情報封鎖の為に、本社側のサーバーでアクセス制限がかけられていたのだ。
駐車場に座る皆は互いに顔を合わせ、喜びの声をあげている。
誰もがそれを待ち望んでいた。事前に話を聞いていた赤星でも、やっぱり嬉しくなってしまうぐらいである。それまで皆の間に漂っていた不満は一瞬で消し飛んだ。
「これでもう大丈夫だな」
赤星は呟く。
日本と異世界でトレーディングを行う事で、全員が会社という枠組みを意識して組織に戻って来た。ネットショッピングの利用が可能となった事で、元の生活を少し取り戻した。そして家族との連絡が許可される。
何より仕事がある。
これによって、一気に元の生活に近づいたと言えよう。
家族持ちにとっては出張や単身赴任の時と同じ。そうでない者にとっては年に一回か二回の帰省がなくなり、あとは買い物を全てWEBでするようになっただけ―― そう割りきれて妥協できた者から、少しずつ現実を受け入れていった。
「良かったわね、赤星」
「そうだね。次はいよいよ近くにある人里か」
そこにどんな食べ物があるのだろうかと、赤星は一人楽しみにしていた。
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