第12話 私の肉がない
「これは、どんな味なんだろう」
シシギアレを見ながら赤星は言った。
周りには何人もが集まって大きな姿を恐々見ていたが、赤星の言葉は引き気味呆れ気味の反応だった。もちろん、そこに居た一萬田も似たような顔をしている。
「赤星君。仮に食べられたとしてもだね、このままの状態では食べられんね」
一萬田の言うとおりだ。スーパーのパック詰め肉とは違って、シシギアレは生きていたときと同じ毛皮に覆われた状態である。ここから肉を切りだすのは、それだけで大仕事になってしまう。
「誰も肉の解体などやりたがらないだろう」
「あ、やりますよ」
しかし赤星はやる気だ。
食べるためなら、そうした労力は惜しまない男なのだ。遠巻きにする皆の中で、一萬田が代表して深い息を吐いた。
「まあ好きになさい。だが作業をするにしても明日だろう。だが、明日になると腐ったりするかもしれないが」
「どうでしょう、肉は多少腐り気味の方が美味いと言いますが」
「……どちらにせよ、まずは血抜きをしないと食べられないと思うがね」
「では、やりますか」
「それは時間的に無理ではないかな」
時刻は夕方に近く。
今から作業しては日没には到底間に合わない。野生動物どころかモンスターの出現する世界で、血の臭いをぷんぷんさせながら夜を過ごすのは非常にマズい。食べる側が食べられる側になってしまうだろう。
その危険性を指摘した一萬田は、傍の倉庫を指し示した。
「安全のため、第一倉庫に入れておくべきだろう。あそこなら一応は密閉できる」
「そこで血抜きをするのは……」
「ダメだ」
「……分かりました。それは二課で作業します」
シシギアレの運搬を引き受けたのは、赤星が頼んでシロノが倒した事であるし、何より仕事がなくて暇だったからでもある。そして何より、肉の権利を主張したいからだった。
そこまで理解しているのかは不明だが、一萬田はくれぐれも余計な事をしないように念押しして営業所内に戻っていく。
他の皆も、手伝わされたくないため早々に去って行った。
「さて、やるか」
赤星は少しも気にしていない。
「仕方ないわね、私が運んであげるわ」
「その必要はないよ」
「どうしてなのよ。私がやるって言ってるのに」
「シロノも戦って疲れただろう。それに服が汚れても困るだろう」
「……まあ、赤星がそういうなら仕方ないわね。ちゃんと見ててあげるから、困ったら私に言いなさい」
シロノは機嫌良くそっぽを向いてしまった。
「課長、フォーク持って来ましましたよ」
青木は慣れた手つきでフォークリフトを運転し、そのフォークをシシギアレの下に差し込んで持ち上げる。その様子をシロノは興味深げに見つめているばかりだ。
「この感じだと、一トンちょいですね。知らんけど」
そのままゆっくりと第一倉庫へと移動。
先回りしていた黄瀬が扉を開けようとしていたが、重たい金属扉に四苦八苦して唸っている。赤星も手伝い押し開ける。
第一倉庫は古く、あちこち錆の出た倉庫だ。
そろそろ建て替えの話も出ていたが、一萬田が言っていたように密閉できる構造だ。足元もコンクリートの打ちっぱなしで排水孔もある。
「確かに水で流せば掃除も簡単だ」
「うわっ、血の臭いが酷いっす。でも、仕方ないっすよね」
「そうだね、モンスターが来ても困ってしまう」
シシギアレを片付ける。
その日も粗末な食事をして、早めに睡眠をとる事になった。そろそろ皆に疲れが見えて、少しずつ不満や愚痴が増えているのを感じていた。
「ない!?」
次の日の朝。
意気揚々と第一倉庫に向かった赤星は、悲鳴のような声をあげた。
扉を開ければ空っぽで、シシギアレの姿はどこにもない。倉庫を間違えたかと思ったぐらいだ。楽しみにしていた肉が消え失せ、赤星は動揺すること頻りだ。
「私の肉がない! も、もしかして倉庫を間違えたかな」
しかし青木が即座に首を横に振る。
「課長、ここに運んだのは間違いないですよ。そこまでボケちゃいませんて」
「まさか誰かが持ち出した……何て事はないか」
赤星は自分で言って自分で否定する。
扉の開閉をすれば大きな音が響くため、夜中にそれをすれば誰かが気付くだろう。そもそもシシギアレを持ち出す理由もなければ、フォークリフトを使わねば運べない重さがある。
さらに言えば、第一倉庫の床には血痕すらないのだ。
「ひょっとしてですけど、ゲームのように倒した相手は消滅するかもしれませんよ」
青木は無精髭を擦りながら言った。流石に三日目ともなると髭が目立っていた。もちろん赤星も同じだが、面白がって触ってくるシロノに困っている。
「質量保存の法則どころか、原子や分子に喧嘩を売ってやしないかね」
「でも考えてくださいよ。課長、異世界ですよ」
「何でも異世界を理由にするのはどうかと思うが」
赤星は諦めきれず倉庫の隅々まで見回し確認している。
シシギアレが消えてしまった奇妙な出来事よりも、楽しみにしていた肉が消えた事の方が衝撃だ。昨夜は寝るが寝るまで、どうやって肉を食べようかと想像して楽しみにしていたのだ。
「二人ともなに言ってるのよ、消えるはずないじゃないの」
「やはりそうか。つまり、私の肉はどこかにある!」
「……こだわるのね」
何にせよ第一倉庫の中身が変わった事は報告せねばならない。
黄瀬が汗をかき走って来た。
「か、課長! あのあのあの、所長が呼んでるっす」
「いや今は肉の捜索で忙しいんだ」
「でも所長室まで大至急って」
「…………」
普段は聞き分けの良い赤星だが、食べ物が絡むと非常に面倒くさくなる。
「課長、行って来て下さいよ。こっちは俺と黄瀬ちゃんとで探しときますんで」
「……分かった。しっかり頼むよ」
渋々と頷く赤星だが、それでもしつこく辺りを見回し肉が移動させられた痕跡がないか気にしていた。
見知らぬ男と、モニター越しに対面している。
映されているのは、所長室の応接テーブル横にあるWEB会議用のモニターだ。
相手は見覚えのない六十代かそこらの男で、飲み屋を歩けばどこでも見かけそうな目立たない顔立ちをしている。ただし目付きだけは精力的な強さがあった。
赤星が戸惑っていると、一萬田は今まで見た事がないぐらいに緊張しきっている。
するとモニターの男が言った。
「細かい挨拶は抜きでいこう。私は官房副長官をやっている億野と言う」
「官房副長官ですか?」
「なに日本を裏から操っている事務担当さ。別に威張るつもりはないが、官房長官どころか総理も私の意見に耳を傾けざるを得ない」
報道などで政府筋の発言とあれば、それは官房副長官の非公式発言。それぐらいの権威がある。さらに複数いる官房副長官の中でも、事務担当の官房副長官は他よりも特別の立場だ。それは官僚の頂点として国を動かす全組織に影響力を持っており、まさしく日本のフィクサーだ。
しかし赤星にとっては、何だか凄い人という程度の理解でしかなかった。
「事情を簡潔に説明しよう。君たち九里谷商事の瑞志度営業所の敷地跡に、新たに未確認生物が出現した。ただし既に死んでいる状態だったがね」
「……もしかして」
「ほう、今ので察したか。その通りだ。先程そちらの一萬田所長に確認して貰ったが、君たちが倒したという生物と思われる。それを念の為に確認したいため、最後に間近で見たという君に来て貰った。これを見てくれ」
画面が切り替わり、そこにシシギアレの姿が表示される。
――間違いない。
寝るが寝るまで楽しみにしていた肉の姿がそこにあった。
そして再び、億野がモニターに現れる。
「どうかな? これは発見時に全く手が触れていない状態だ」
「間違いないです、私の肉ですね」
「私の肉?」
「あ、すみません。気にしないで頂ければ。はい、倒れている様子は倉庫に入れた時と同じ姿勢です。これは間違いなく第一倉庫に運び入れたシシギアレです」
「シシギアレと呼ばれる生物なのか。そちらから、こちらへ転移したとみるべきか」
「入れ替わった……あっ、まさか……」
気付いた事があって、赤星は思わず声をあげてしまった。
もちろん、億野が見逃すはずもなく優しいが鋭い視線が向けられる。
「何か知っているなら言いなさい」
「実は――」
第一倉庫の事はさておき、シロノとウニウェルスムの戦闘と、ウニウェルスムの能力についても説明した。
「すみません。所長には後で報告するつもりでしたが、いろいろありましたので」
赤星は首を竦めた。一萬田は気にするなと許してくれたが、報連相を怠った事を申し訳なく思ってしまうのは社会人として身についた習性かもしれない。
そして億野は指を上下させ考えている。
「つまり、そのウニウェルスムには空間を移動する能力があるのか」
「はい、嘘を吐くような子ではありません。間違いない話です」
「その存在が出現したポイントで同じように物体が転移している。なるほど、無関係とは思えない出来事だ。君たちも戻って来られるかもしれない」
帰れるかもしれないという可能性に、赤星の心がわきたつ。だが、今までに何人かが何回も第一倉庫に足を踏み入れているが誰も転移をしていない。
転移にも何か条件や法則があるかもしれない。
「だが、異世界からの生物や物体が流入してくる危険性があるかもしれない――」
それっきり億野は黙り込んで思案をしている。
気まずい空間がしばし流れた。
「ああ」
と、億野は赤星たちの存在を思い出したように顔をあげた。
「ご足労感謝する。我々は君たちを見捨てはしない、救出にあたって最大限の努力をするつもりだ」
億野は優しささえある仕草で頷いてみせた。
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