第8話 ここは弱肉強食世界、諦めましょう
「すまない!」
赤星は後ろ手でドアを閉めるなり手を合わせ謝った。
いつもの押し問答で、前日の調査実績をかわれた二課に任されたのだ。
「和多君と佐藤君の捜索、二課でやる事になった」
部屋では居住空間改善のため、せっせとお片付け中。立ち働き動き回る青木と黄瀬を、課長席からシロノが菓子を――黄瀬提供のクッキーを――囓りながら眺めている。ちらっと向けられた真紅の瞳には、そこはかとなく課長の貫禄が感じられた。
「どうして赤星が謝るの? 赤星は偉いのでしょ」
「いやいや、偉いと言ってもね。役職でまとめてるだけでね……」
「群れのボスなら堂々とすればいいのよ」
シロノの言う事はもっともだが、生まれ持っての性格というものは変えがたい。出来れば赤星も堂々として、ついでに捜索依頼も堂々と断りたかった。
しかしそれが出来ないのが人生というものである。
青木は苦笑した。
「まあまあシロノちゃんも、それぐらいでさ。ねっ、赤星課長が威張った姿を想像してみましょうや。ちょっとどころでなく似合わないでっせ」
「……確かにそうね。分かったわ、赤星はぺこぺこしてなさい」
この酷い言われようには、頭をかくしかない。
そして青木は身を乗り出してくる。
「うちの大ボスのオーダーは、お馬鹿さん二人を見つけて来いってもんですか」
「その代わりに他の作業は免除してくれるそうだ」
「はー、まー、しゃーないですよね。やーれやれ、引き留めるのは無理でも、どこ行ったかぐらい見ときゃよかった」
どうやら問題児どもが出かけた事は知っていたらしい。
「誰も追いかけなかった?」
「そりゃそうですよ、和多ですよ和多。あのクソ生意気なアホ、出がけに何って言ったと思います?」
「うっ、大体想像がつく。聞きたくはないが何と?」
「それがですね『モンスターとか、どうせ大した事ねぇ。俺のチートで超余裕。皆さん、後はしくよろー』ですよ。誰が追いかけます?」
「……まあ、追いかけたくなくなるな」
むしろモンスターを呼びたくなる。
そう考えると、わざわざ報告に来てくれた稲田は良心的かもしれない。
「でもまっ、仕事なら仕方ないってもんでっせ。チーム赤星の力ってやつを見せてやろうじゃありませんか」
青木が言うと黄瀬もおやつの用意をしている。シロノも腕組みして頷くので、どうやら一緒に行くつもりらしい。
「助かるよ」
幸いな事に、今日も田中係長が見張りの大役を仰せつかっており、二人が自転車で向かった方向は大凡ながら分かった。
教えられた方向へと進めば途切れ途切れにタイヤ跡があって、青木はスキルのお陰なのか容易く痕を追ってくれる。あとは社用自転車――前カゴと荷台付きのいわゆるママチャリ型――のペダルをこいで進むばかりだ。
なお自転車に乗れない黄瀬はお留守番だった。
「本当ならバイクか車を使いたいとこでっせ」
「仕方あるまい。こんな平原で、地面がどうなっているかも分からないんだ。下手に走らせてスタックしたら、冗談抜きで命に関わってしまう」
なによりガソリンは貴重な資源である。
個人の車も含め駐車場にあった全てからガソリンは抜いてあるので、それの補充も面倒くさい。なにより、こんな事に消費したくないという思いもある。
「ちょうどケッタで良かったでっせ。これより早く動くと痕跡が見えないんで」
「ケッタとは?」
「あれ、ケッタって言いません? 自転車のことですけど」
「ふーんなるほど。それは勉強になったよ」
言いながら赤星はペダルを漕ぐが、思うように進まない。柔らかな土の抵抗は思ったよりも大きかった。場所を選べば車は走れるかもしれないが注意は必要そうだ。
「しかし、課長。異世界だってのに、平穏過ぎて不気味でしたけど。やーっとトラブルですよ。ようやく異世界に来たって実感しまっせ」
「青木君の異世界論はどうなっているのかね……」
「聞きたいですかー?」
青木は前のめりにペダルを漕ぎつつ言った。
「こんな時はですね、真っ先に決裂してグループ毎に分かれて勝手な行動。その中で主人公様がチートスキルで大活躍。それに皆がひれ伏しても、もう遅い。ざまみろって感じで俺すげーってなるもんでっせ」
どうやら創作小説で語っているらしい。
赤星は少し呆れた。
「それは何かおかしくないか? たとえば海外に行ったときを考えてくれ。見知らぬ相手でも、同じ日本人として連帯感があるだろう。まして未知の場所に放り出されたのなら、まずは生存の為にも協力するものだと思うが」
「課長、そういうツッコミは無粋です。いいですか、ちょっぴり不遇な扱いを受けた主人公様が大逆転して、他の連中がひれ伏して後悔するところを足蹴にするとこに痺れる憧れるってわけですよ」
「理解出来ない……しかし仲間割れか。このままいけば本当に起きかねない。注意した方がいいだろうね」
「え? マジで?」
驚いた青木はよそ見をして、地面の窪みにハンドルを取られて転倒しかけた。慌てて体勢を立て直して訪ねてくる。
「どういう事で?」
「まだ誰も、この生活に現実感を持ってない。ある意味で旅行気分だ。目の前の事に集中していれば、元の生活が戻ってくるような気がしているんだ。でも、それが少しずつ間違いだと分かってくるだろう」
そうなれば不満が頭をもたげる。
狭い部屋に雑魚寝してプライバシーがない。趣味や娯楽に触れられない。食べ慣れた食事がない。常に職場の人間と顔を付き合わせる。何よりも家族に会えない。
そんな日々が、これから先ずっと続くのだと気付いた瞬間が恐ろしい。
「過去の大震災でもね、最初は呆然自失となる。次に生きるため連帯感が生じたものだが、少し落ち着いてくると細かな不満が出てトラブルが続出だったよ」
「…………」
青木は黙り込む。
面白おかしく読んでいたトラブルを自分の身に置き換え、それが実際に降りかかるかもしれないと認識したのかもしれない。
「まあ、それをさせないのが職場の上司様たちの努力なのだがね」
少し脅かし過ぎたかも知れない。赤星は殊更に冗談めかして笑った。
「良いわね、これ。風が気持ち良いわ」
シロノは荷台に立って赤星の肩に手を置き、はしゃいだ声をあげている。すっかり御機嫌だ。異世界に転移した中で良かった事をあげるなら、このシロノと出会えた事かもしれない。
「課長、まるで娘さんができたみたいですね」
楽しげな青木の言葉に、もしそうならどれだけ幸せだろうかと思ってしまう。ある程度の年齢になれば、結婚云々よりもただ単に家族が欲しくなるのだから。
そんな事を考えながらペダルをこぎ続けていくと、肩越しにシロノの手が伸びて右斜め前方を示した。
「赤星、あっち。あっち見なさい」
目を凝らしてみると、一本だけ生えた木の周りにモンスターが――最初の調査で遭遇したダチョウに似たモンスターが――何匹も集まっている。そして木の上に、細い枝にしがみつく人の姿があった。
目標物発見だ。
「いたぞ、和多君と佐藤君だ」
「あー、課長。残念ながら二人は諦めましょう、あれは無理でっせ」
青木は断言した。
「佐藤君は可哀想ですけどね、相手の数が多すぎです。無理なものは無理ですよ」
「そうは言うがね……」
「やっぱ、あいつら肉食か。ああ倒しといて良かった」
一体倒すにも苦労をした相手が軽く十体はいる。
「調子こいて突っ込んだアホの見本ってもんです。写真撮っときまっせ」
そう言って青木はカメラを構え何枚か撮りだした。
これは青木の性格云々よりかは、日頃の和多の態度が原因だろう。小生意気で無責任、調子に乗りやすく我が儘で面倒くさがり、そんな駄々っ子な性格なのだから。
撮れた画像を確認し、青木は人の悪い顔で頷いた。
「おやおや、和多の泣き顔が確認出来ますね」
この青木の性格も少し問題があるかもしれないと赤星は思った。
「課長、真面目に考えても助けるのは無理でっせ。モンスターの皆さんは、やる気たっぷり。今日のお昼を囲んでお祭り気分みたいですから」
「そうは言うけどね、見捨てるのは……」
「いいですか、課長。モンスターに気付かれたら、俺等まで巻き添えですよ。あいつらのせいで死んだら、死ぬに死ねませんって。課長、異世界ですよ。ここは弱肉強食世界、諦めましょうや」
「戻って車を準備して人手を集めて突っ込むとか?」
「それまで保つと思います? と言いますか、佐藤君はともかく和多の日頃を知ってるでしょ。誰も命懸けで助けようなんて思いませんって」
「…………」
それは分かっている。
だが見捨てる事はできない。それは所長に命じられたからという理由もあるが、それ以上に赤星の性格が理由だ。
やはり持って生まれた性格というものは変えがたいのだろう。
「あのモンスターの事が分かれば、対処法があるかもしれないのだが……」
「知らないの? あれはラガルティなのよ」
何気なく疑問を口にすると、頭上から回答があった。シロノは荷台に立って赤星の頭の上で腕を組んでいるのだ。
「シロノは知っているのかね?」
「勿論よ。でもラガルティは嫌な奴なのよね、ちょこまか動いて獲物を狙ってしつこいの。あの二人が木から落ちてくるまで、ずーっと待ち続けるわね」
特に興味もなさそうに、ただ事実を述べるだけの口調だ。
「それより赤星の目的は見つける事なのでしょう? だったら見つけたのよね。さあ戻りましょう」
「シロノちゃん良い事言うねー。確かに指示は捜索であって、救助でも連れ戻しでもないですよ。クエスト達成ってもんでっせ」
「良かったわね。さあ赤星、お菓子食べましょう」
もはや青木もシロノもやる気無しだ。
赤星自身も二人の救助が難しい事は理解している。人命救助の鉄則は救助を行う者自身の安全を確保する事だ。我が身を顧みず危険に突っ込むなど、愚かな行為以外の何者でも無い。
だがそれでも――。
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