第6話 この子は二課預かりになりました
会議室を出た赤星の後ろをシロノが付いてくる。
既にその存在を知っている――間違いなく田中が触れ回った――皆が集まってくるが、シロノはそうした視線を余裕で無視していた。正しくは無視ではなく、全く気にもしていない感じだ。
おかげで一緒に居る赤星の方が恐縮してしまうぐらいだ。
「この子は二課預かりになりましたので。宜しくお願いします」
そう言いながら歩いて行く建物内は薄暗い。
既に日は落ち、外は夜闇に包まれているが照明は使用していない。なぜならここは異世界、自然豊かでモンスターの存在する場所。煌々と明かりを点ければ、何が来るか分からなかった。
昼間に青木が冗談で言っていたように、今夜が無事に過ごせるかは分からない。急拵えの処置で窓には板が打ちつけられているが、それにどこまで効果があるかは不明だった。
そんな状況なので、僅かに防災用ロウソクのか細い灯りを頼りとしているだけだ。
「課長課長、夕食はこっちでっせ」
小走りでやって来た青木が手招きしてくれる。
案内されたのは職場の旧食堂だ。旧とあるのは、昔はそこで賄い料理がつくられていたのだが、時代の流れで閉鎖され会議室に変えられていたからだ。
しかし片付けの悪いことに調理器具や施設はそのまま残っていたので、なんとか元の役目を取り戻す事になりそうだ。ただし、まだ準備中なので今日はホットプレート料理だった。
黄瀬が真剣な顔で料理をしている。
「ああ、すまないね。黄瀬君にやらせてしまって」
「大丈夫っすよ。自分、先に頂いてますし」
「味はどうだったかな」
「えーと、あんまり美味しくもない感じっす」
お好み焼き擬きが夕食だ。
肉も野菜もないため、小麦粉を水と塩を混ぜて焼き調味料をかけて頂くらしい。つまりプレーンお好み焼というところだ。
「なるほど、美味しくないのは良くない。よし、私がやろうじゃないか」
赤星は食べ物にだけは煩い。
「こういった場合は、あまり厚くしない方がいい。具がないのだからね、ようするに生地にだけ火が通ればいいんだよ」
役目を代わると生地をホットプレートに薄く広げる。
それに火が通って香ばしさが漂いだしたところで、慣れた手つきで引っ繰り返して反面を焼き、もう一度引っ繰り返す。
「課長、上手っすね」
「これぐらいしか取り柄がないのでね。さあ、あとはソースを塗れば問題ない。これなら具がなくてもなんとかなるだろう」
「自分がやったのより、ずっと美味しそうっす」
「だてに食べ歩きはしていないよ。さあさあ、頂こうか」
切り分けて各自が皿にとって、思い思いにソースをかけていく。具材が一切ないシンプルさだが、ソースの味で問題なく食べられる。
栄養面はさておき、粉物系なので腹持ちが良いのは間違いない。
「小麦粉をカナヤマ食品さんに押し付けられた時は困ったが、こうなると結果オーライだったか」
「課長は人が良いっすから。だからカナヤマさんも無理言ったんですよう」
「いやいや押しが弱いだけだよ」
言いつつも赤星は次を焼くための準備に取りかかっている。青木も黄瀬も美味しそうに食べているし、シロノも遠慮無く次に手を伸ばしているからだ。
それを見ながら黄瀬はにっこり笑う。
「やっぱり課長は人が良いっすよ」
簡単な食事もソースの活躍と雑談のお陰で、美味しく終わった。
営業所内は静かだが、まだ誰も寝ていないだろう。この異常事態に興奮して眠気などあるはずもないのだから。今頃は各自の席でパソコンを駆使して元の世界のニュースなどをチェックしているに違いない。
もちろん二課の皆も同じような気分だ。
「ちょっと蒸し暑いですね。エアコンでも点けます?」
「まあ待ちなさい、青木君。それより良い方法があるぞ」
赤星は言ってロウソクの火を、ふっと吹き消した。
そして窓を覆っていた板を外せば、途端に月明かりが差し込んでくる。目が慣れると十分な明るさだ。続いて窓自体を開ければ、そこから新鮮な空気と虫や風の音が一気に流れ込んできた。
とても清々しく、何とも言えぬ清涼感を与えてくれる心地よさだ。
「…………」
窓枠に掴まり背伸びして外を眺めるシロノの姿がなければ、社員旅行にでも来ているような気分だ。もっとも最近はそうしたイベントも殆どないのだが。
しかし空を見上げれば、そんな気分も消し飛ぶ。
「月が二つある……」
「課長、異世界ですよ。そんなの当然じゃないですか」
「その青木君の異世界論も慣れてきたよ」
「俺の異世界論は、まだまだありまっせー」
そう言って笑う青木のお気楽さを頼もしく想うべきなのかもしれない。他の課には立ち直れず、引きこもっている者も何人かいるのだから。その点で二課は、この状況に適応していると言えるだろう。
「ねえ、赤星たちはどこから来たの?」
シロノは窓枠に掴まりながら振り仰いできた。
「遠い遠い場所からだよ。もう戻れないかもしれないが」
「そうなの、そういうの哀しいわね」
「シロノも迷子なのだから同じだろう」
「私? 私は大丈夫よ。だって、ずっと一人で生きてきたもの」
「そうか一人でか。凄いな、本当に偉いな。だったら、ここでゆっくりしなさい。人も居る、寂しくないだろう。それに美味しいご飯もあるし安全だ。うん、うん……」
言葉に詰まった赤星はシロノの頭に手を置いた。
そうした行為は良くないかもしれないが、しかし今はそうしてやりたい気持ちだったのだ。
「私、もう眠くなったわ」
「なるほど、確かに良い時間だ」
シロノの欠伸を契機として、今日はもう寝ることとした。
食堂で使った道具や材料を手早く片付けて、二課室へと向かう。寝る場所もないため、各自好きな場所で、ごろ寝する事になっているのだ。
二課の場合、元から仕事が深夜まで及んだ時は二課の床で転がって寝ていたぐらいだ。だから、ごろ寝する事に対する抵抗感はない。それどころかシャツや下着、自前の枕と寝袋さえ常備してあるのだ。
その点は問題ないが……困ったのはシロノの寝る場所だ。
「課長の寝袋で一緒でいいんじゃないです? 本人もそれで良いみたいですし」
「それなら黄瀬君の方がいいのでは?」
「でも彼女、もうとっくに寝てますって」
黄瀬は寝袋に潜り込み、顔だけ出して寝息をたてている。これを起こしてシロノを任せるには可哀想なぐらいの幸せそうな様子だ。
「いや、そうは言ってもね」
「犬と一緒ですよ、犬と」
「うちは猫派なんだか」
「では猫と思いましょうや。お休みなさい、課長。また明日」
興味なさげな青木は大欠伸。歩ける寝袋でベストポジションまで移動すると、そのまま横になって寝てしまう。
そちらを睨んだ赤星であったが、もうどうしようもない。既にシロノは寝袋に入って寝ているので追い出すことも出来ない。
「仕方がない……」
赤星は自分の椅子に座って寝ることにした。机の上に腕を載せタオルを置いて顔をのせる、寝られるかどうか心配だったのも一瞬。今日一日の疲れのせいで、気付けば翌朝という具合であった。
翌朝。
赤星は朝の日射しに目を細め、軽く身体を動かし体操をしていた。
普段はアパートの自室でやっている体操は、ささやかなルーティンだった。環境が激変した今だからこそ、そうした事は崩したくない。
だから、今は営業所の駐車場で爽やか自然景色を前にやっているのだ。
しかも昨夜は机で突っ伏して寝たので、余計に身体を解しておく必要がある。そうして一生懸命に体操をしていると、ついてきたシロノが不思議そうな顔をした。
「赤星、なんで朝から踊ってるの?」
「ラジオ体操というものだよ。こうして身体を動かすと健康に良いのさ」
「変なことするのね。でも面白いわ」
「やってみるかな? 腕を大きく前に振って、一、二、三、四」
赤星の声に合わせシロノも真似して身体を動かしていた。
ちょっとした運動を終え営業所に戻ると、そこで女性社員たちに遭遇した。別に仲は悪くないが仕事以上の付き合いもなく、廊下であっても互いに会釈して通り過ぎるような仲だ。
しかし今朝はそうはいかない。
当然と言えば当然で、皆はシロノに興味がある。それでシロノを囲むようにして集まってきた。
たちまち、もみくちゃにして甲高い声をあげだしている。
「えーっ可愛いー。可愛いー」
「綺麗な髪でさらっさらじゃん。すげー」
「お家はどこかしら。きっとお父様お母様が心配してらっしゃるわあ。とっても心配ですわ」
口々に言う様は騒々しい。
その中から助けを求めるシロノの視線があるが、赤星にはどうする事もできない。そこに割って入る勇気も気合いも根性も度胸も無謀さもなかった。
何故なら、職場にて隠然たる権力を持つのは女性たちなのだ。
下手に機嫌を損ねれば後が恐い。
あの鬼塚課長でさえも、女性たちに対しては極めて下手に出るぐらいだ。よしんば赤星が口を出すなど出来ようはずもなかった。
しかし、そこに数少ない例外がやって来た。
「おーっす。皆さん、おはよーさんでございますねん。おいらは朝から元気元気」
田中は敬礼の真似をしてみせる。
しかし、その格好は酷かった。以前から職場でもだらしない格好をしていたが、今はもう度が過ぎている。歯ブラシを咥え首にはタオルを巻き、極め付けに下着のランニングシャツ一枚にトランクス姿。
これに女性たちが顔をしかめた様子に気付きもしない。
「おいらも混ぜてよ、可愛い子ちゃんの頭をなでなでしたいであります」
田中が言葉通りにしようとすると、自称サバサバ系女子の白鳥がどついた。
「ちょっとねー、田中さん。何するつもりなんですか。と言うかね、その格好も言葉も存在自体がセクハラでしょが」
「待って待ってよ、セクハラ違う。これ普段着だって、普段着だから圧倒的セーフ」
「アウトに決まってんじゃないですか」
「そっかなぁ。おいら、これが普通だけどなぁ。皆だって家ではそうしてるでしょ」
「そんなわけないでしょが、ボケェ。これが普通とか、まじウケるんですけど」
「えーなんか酷いなぁ。おいら泣いちゃうよぉ」
五十代半ばのおっさんが女性たちから雑にあしらわれる。誰がどう見ても軽んじられていると分かるが、しかし田中はにやついて嬉しそうだ。
「…………」
むしろ見ている赤星の方が身につまされてしまう。
その理由は赤星が田中と同じ独身だからかもしれない。自分もいずれ歳をとれば、誰かに反応して貰えるだけで嬉しくなってしまう時が来るのかと不安だった。
何にせよ、小さく息をつき気持ちを切り替える。
助けを求めるシロノの視線には気付かぬフリをして、朝の会議に向かう。
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