第5話 シロノソルフランマ……なんたらかんたら

 夕日を浴びる草原は、どこか侘しく寂しい気持ちをかき立てる。

 遠くそびえる山脈の頂は真っ赤に染まって、空の青さとは対照的。赤らんだ草原には僅かな起伏が陰となって黒々とした筋や帯を描いていた。

 もうすぐ闇夜となりそうな景色のなか、草原と森の境に、ぽつんと三階建ての建造物が存在する。薄く煙が立ちのぼっているが、火事といった様子ではなさそうだ。

「ふむ、夕食準備だと良いのだが」

 赤星は期待の眼差しをした。

 半日しっかり歩いた後なので、すっかり空腹状態になっている。

 気分は食べるモードで、今の営業所にある食材で何か食べられるか考えてしまう。だが、袖を引かれ我に返った。

「ん?」

「ねえ、あれが赤星の住処なの」

 シロノは興味深そうに言った。

 白く長い髪は夕日を浴びながら、不思議とその白さを失わずに輝いている。一方で瞳の紅さは増して、これから行く初めての場所に対し少しも臆した様子もなく、むしろ好奇心に満ちているようだ。

「そうだよ、住んでいると言うか……本当は働く場所なんだがね」

「見た事の無い形の建物ね、それに窓がいっぱい。車輪のついた箱も窓がついているし、赤星たちは窓が好きなのね」

「窓が好きか、そうかもしれない」

 面白い表現に赤星は思わず笑ってしまう。

 帰還した営業所は、敷地の周りが簡単な塀と金属フェンスで囲われている。そして正門のスライドゲートは安全の為にか、今は閉じてあった。

 その脇に営業三課の田中係長が立っている。

「あーっ、赤星課長さんたち。お帰りなさいでございますぅ」

 言って敬礼の素振りをする田中は五十代半ば。

 陽気で気の良い男だが、年齢に見合わない口調で喋り、いつも満面の笑みを浮かべている。地声が大きいが、これで電話をしだすと周りは仕事にならないぐらい大声をだす。そこから分かるように、空気が読めないタイプだ。

 今もゲートの上で腕を組んだまま、年齢不相応な満面の笑みを浮かべたまま門を開ける素振りすらない。

 当然と言うべきか、田中の興味はシロノに向けられた。

「あっれー? その子どうしちゃったのよ。どっかで見つけちゃったの?」

「田中さん。すみませんが、それは所長に報告してからです」

「えっ、なになにどうしちゃったのよ? もしかして、おいらには内緒?」

「まあそうですね。所長に報告しませんと怒られますから」

 役職的には下でも年齢的には上なので、赤星も対応に苦慮する。しかも空気の読めない田中は、会話の切れ目も読めないのだ。あまり会話をしたくないのが本音だ。

 その意味もあって、わざわざ所長の名前を出して逃げている。

「そっかぁ、分かったよ。早く報告しないとね、怒られちゃうもんね」

「ですね。ところで門、開けて貰ってもいいです?」

「おっとぉ! これはごめんねぇ。了解しましたであります!」

 田中はようやく門を動かしてくれた。

 そうかと思うと小走りでシロノに近づいて、両手を膝について身を屈め、覗き込むようにして顔を近づける。

「おいら、田中って言うの。お嬢ちゃん、お名前は?」

「…………」

「あっ恥ずかしがってるのかな? もしかして、おいら恐がらせちまった? そんなつもりないよ、だってオイちゃん凄く良い人だからね。なんつって、自分で言ったら世話ないか。うわはははっ!」

 言って爆発するようにバカ笑いをしだす。

「…………」

 シロノは得体の知れないものを見る目をして、完全に気味悪がっている。そのまま赤星の陰に隠れてしまうのは、当然の反応だった。

 それを庇いつつ、そそくさと正門を通り抜ける。


「調査に出て、まさか現地人を見つけて連れてくるとはね」

 所長室で、その部屋の主である一萬田が言った。

 赤星は肩を竦め頭を下げる。シロノがその隣にちょこんと座り、足をブラブラさせながら室内を物珍しげに見回していた。横に伸びた尻尾の先がぴょこぴょこ上下している。

「すみません。倒れているのを発見したので、放っておくわけにもいかず」

「ああ、別に責めているわけではないよ。そこで助けるのは、人として当然だよ」

「ありがとうございます」

 一萬田は普段から部下の体調などを気遣っているタイプだ。

 他の営業所長の場合はノルマ達成を第一とするが、一萬田の場合は休暇取得や労働時間の短縮を第一にして、実際それを口だけでなく実行している。

 だからシロノを連れ帰っても大丈夫だろうと予想していたが、思った通りだった。

「この子はシロノ、正式にはシロノソルフランマ……なんたらかんたらです」

「シロノソルフランマグラキエストニトルスステルラ! ちゃんと覚えなさい」

「……という名前だそうです」

 途中まで覚えていただけでも立派だと思うのだが、シロノはそうは思わないらしい。真紅の瞳で不満そうに睨まれてしまう。尻尾の先が勢い良く跳ねて落ちるが、何度も繰り返されている。

「どうやら、帰る場所が分からなくなったそうです」

「その帰る場所がどんなところかは分かるかな?」

「分からないそうです」

「なるほど……まあ、今は気にしても仕方ない。とりあえず、総務課に任せるとしようか。あちらは女性が多いからね」

「そうですね」

 話がまとまりかけるが、しかしシロノは首を横に動かし白い髪を揺らした。あと、ついでに尻尾の先も同じ動きをしている。

「嫌よ」

「そんな事を言うものじゃないよ」

「私は赤星についてきたの。拾ったのなら、ちゃんと最後まで面倒みなさい」

「いやいやそれは……」

 拾われた側がそんな事を言うとは誰が思うだろうか。

 やりとりを見ていた一萬田は、喉の奥を鳴らすように低い声で笑った。

「なるほど、シロノさんの言葉に一理ある。このまま二課で預かりとして、赤星君が面倒をみてあげなさい」

「ありがとう感謝しておくわ、物分かりの良いおじさん」

「ふふっ、光栄だね」

 全く物怖じしないシロノの態度に、一萬田は優しげに笑った。

 これには赤星の方が青くなってしまう。もちろん上司に媚びる性格ではないが、やはり社会人としては気が引けてしまうのだった。


「さて、情報の擦り合わせをしようか」

 言いながら一萬田は手を擦り合わせた。

「赤星君たちのお陰で、写真にあったような巨大羊。それから危険なモンスターがいる事は分かった。シロノさんのお陰で、人がいるとも分かったわけだが。しかし周囲に道や居住地は見つからない。我々の孤立状態は解消されていないという事だね」

「こちらのシロノも、あまり情報はないようです。何と言いますか、あまり物事を知らない子のようでして」

 シロノはムッとしたが、実際にそうなので仕方がない。

 住んでいた場所や家族の名前、文字や暦、音楽や食べ物なども、知らない分からないと言うばかり。もはや記憶喪失ではないかと疑いたくなるぐらいだ。

 辛うじて確認出来たのは、季節変化や気候といった程度だった。

「知らないのは仕方がない事だよ。さて、留守中に確認できた事だが、電気ガス水道はしっかりと使えた。そしてインターネットも使えた」

「えっ、それは本当ですか! ああ、疑うわけではありませんが」

「気持ちは分かるが、有線系のものは通じている。光回線もね。それで本社とオンライン会議を実施したよ。その結果だが――」

 一萬田は話し始めた。

 あの運命の十二時になった瞬間、日本側では巨大生物が出現し周辺の建物など街を破壊。自衛隊が有害鳥獣駆除による災害派遣で防衛出動し、多くの犠牲を出しつつも駆除に成功。

 その巨大不明生物が出現した場所こそが、営業所のあった敷地のようだった。

「――ニュースなども確認したが、その巨大生物に対する報道で埋め尽くされていたよ。どうやら我々も犠牲者の中に数えられているようだ」

「実際似たようなものですからね」

「そういった状況なので、営業所の皆さんには家族への連絡を控えるよう指示している。申し訳ないが、赤星君も理解しておいて欲しい」

「つまり、下手に連絡をすれば大騒ぎになると?」

「その通り。いきなり異世界からメールを送っても混乱を招くだけだよ。それに我々がこちらに来て、巨大生物が向こうに現れた。どう考えても無関係ではなかろう」

 そして、向こうでは多数の犠牲が出ている。

 誰かが原因と責任を営業所に見いだし、過激な発言をしだすのは想像に難くない。しかし営業所は異世界にあるとなれば、その矛先は家族に向いて、野次馬が押し寄せ罵声を浴びせ嫌がらせ行為をする可能性は大いにあり得る。

 実際にそうした事例は、過去の事件事故でも起きているのだから。

「今現在、本社から政府に連絡を取って状況を説明している。なにぶんにも初めてのケースなので手間取っているようだが、少なくとも近日中に家族と連絡が取れる手筈だ。繰り返すが、家族への連絡は控えて欲しい」

「……分かりました」

 赤星の家族は年老いた両親と弟が一人。

 その心境を思うと胸は痛むが、事情が事情なので仕方ない。だが家族が大人ばかりなので、まだマシな方だろう。営業所の者の中には子持ちはもちろん、子供が生まれたばかりの者もいるのだから。

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