第4話 シロノソルフランマグラキエストニトルスステルラ
初戦闘に虚脱した三人は、倒したモンスターから離れた場所で座り込む。
疲れきったのは体力よりも気力の方だった。生まれて初めての生命の危機、そしてモンスターとはいえ命を奪ったのだ。
ゲームのように素材を剥ぎ取る余裕もないし、まして食糧として持ち帰る余裕もなかった。報告用の証拠写真を辛うじて撮影したが、それさえ気が引けたぐらいだ。
「そろそろ良い時間になったのではないかな」
時刻は十五時になりつつある。
この足元の大地である天体――世界が平坦でない事を願う――が地球と同じ動きをしているとすれば、やがて夕方になるだろう。実際、空にある太陽の位置から考えてもそうなりそうだった。
青木が身を起こし立ち上がった。
「では戻りますか」
「そうしよう。このモンスターの報告だけで十分な成果だよ」
「ですよね。課長の書いた地図から考えると、ここから一時間ぐらいで戻れそうでっせ。日暮れ前ぐらいには戻れましょうに」
「他には何も見つからなかったな。人も建物とかも」
「何なら明日も調査に出ますか? 今夜が無事に過ごせればですけど」
「恐いことを言わんでくれ」
先程の戦闘の後では、冗談が冗談で終わらない気分である。
ふと思うが、夜を過ごすにしても営業所での寝泊まりだ。そこでの泊まり込みは慣れているが、毎日となると考えものだ。
「でも時計は十五時になりましたよう、これはもうおやつの時間っす」
黄瀬が真面目な顔で言った。
なんともマイペースな感じだが、ボディバッグの中を漁って、小さな長方形の箱を幾つか取り出している。
「おっ、もしかして猫屋のミニ羊羹かね」
「流石にひと目で見抜きますね、これ実を言いますと賞味期限切れっす。勿体ないので持って来たっすけど、どうしましょ」
「大丈夫だ、賞味期限と消費期限は違うから」
「そうなんですか」
「うん、一ヶ月ぐらいは大丈夫だろう」
「えーと、明日がちょうどその一ヶ月目っすけど……やっぱり止めときます?」
黄瀬は困ったように笑いつつ小首を傾げた。
普段の生活とは違う環境なのだ。腹を壊しただけで命取りもありうるが、何より職場でトイレに籠もるという事に抵抗がある。もちろん、こんな開放感たっぷりな草原で用を足せる自信もない。
しかし赤星は、にっこりと笑った。
「大丈夫だ、誤差の範囲だ。私は問題ない」
「はぁ、では一蓮托生っすよね。皆で食べちゃいましょう」
「ありがたい!」
赤星は嬉しそうに言って、猫屋のミニ羊羹を三つほど頂いた。
さっそく一つを開封し頬張る。
心地よい甘さが口いっぱいに広がる。疲れた身体を内側から癒やしてくれるような甘さだ。燃料を補給された車はこんな感じなのだろうかと思ってしまう。
嬉しい気分で辺りを見回した赤星は目を見開いた。
なお、食べずに様子を伺っていた青木と黄瀬はギョッとする。だがしかし、赤星は前方を指し示す。
「人が倒れているぞ、それも子供じゃないか!?」
少し先の枝振り良く生い茂った木の根元に、横たわる人の姿があった。
一つにまとめた長く白い髪と黒い髪飾り。マントのような茶色い大きな布を身に付け、足には革のブーツ。横たわったまま少しも動かない。
「どうやら女の子みたいだな」
「課長、倒れてるって事は……周りに何かいたりとか。つまり、さっきみたいなモンスターにやられたのかもでっせ。ここは危険なんでは?」
青木は辺りを見回し不安そうだ。警戒した様子で辺りを見回し、黄瀬ともども首を竦めて身を縮こまらせている。しかし赤星は違った。
「そんな事を言ってる場合か! 子供だ、子供が倒れているんだぞ」
言うなり斧を放り出し子供に駆け寄る。自分の服が汚れる事も構わず地面に膝を突き、少女を抱き起こす。
青木はそんな様子を瞬きして見つめ、それから微笑んだ。
「やっぱ課長はそうですよね。で、その子はどうです?」
「呼吸は安定しているが……んっ!? この子尻尾がある」
「流石、異世界!」
何か喜んでいる青木はさておき、赤星は慎重に少女を観察した。尻尾だけでない。側頭部から前に向かう黒く滑らかな髪飾りを注視する。
「これは髪飾りでなくて角か……まるで悪魔の角みたいだ」
しかし黄瀬は真剣な顔で首を横に振る。
「そういう安易な表現はダメっす。悪魔というのは幅広な表現で、いろんな種類があるんですね。この角を見ますとシンプルで滑らかな感じっす、最近の創作に多い可愛い悪魔系統に多い角と言えますね」
「ああ、そうなの。これは失礼」
面倒くさい事に触れてしまった、そう赤星が思っていると――少女が呻きをあげ目を開いた。
真紅の色をした瞳が赤星の姿を捉える。
一瞬だけ戸惑ったように瞬きするが、我に返った途端に目を怒らせ俊敏な動きで跳び離れる。そこで力尽きる寸前のように膝をつくが、眼差しの鋭さは変わらない。
「待ちなさい。君に危害を加えるつもりはない」
「…………」
「確かに怪しいかもしれないが、我々は本当に通りすがりだ。怪我がなければ、このまま立ち去ろう。だから怯える必要は無いよ」
しかし返事はない。
初めての人との遭遇ではあったが、あまり良い感じではない。
「もしかして言葉が通じてないのかもしれないな」
「課長、異世界ですよ。異世界だから言葉が通じるに決まってますよ」
「その考えが、何かおかしいと思うのは私だけかね」
同意を求めた先は黄瀬だが、しかし少女の撮影に夢中で気付いていない。代わりに青木が聞いてくる。
「で、どうします課長? すっかり警戒してますよ」
「私に良い考えがある」
言って取り出すのは猫屋のミニ羊羹、賞味期限切れだ。
青木は額を押さえて天を仰ぐが、そんな時に間延びした長い小さな音が聞こえてきた。それは、少女のお腹が鳴る音だ。
図らずも赤星の読みは当たったと言える。
「お腹が空いているのだね。さあ、この羊羹を食べるといい」
箱から開けアルミの包装を剥いて差し出す。
警戒気味に睨んでいた少女だが、ふいに鼻を動かし甘い匂いに気付いたらしい。慎重に近づくと、一瞬の早業で奪い取って匂いを嗅いでから口にする。
途端に目を見張った。
「甘いっ!」
一気に食べて手まで舐めているぐらいだ。
「まだ要るかね」
しっかり言葉が通じている事に気が回らないまま、赤星は次の箱を開封する。ささっと近づく少女。先程までの警戒はどこへやら、期待の眼差しで見上げてきた。
アルミ包装を剥くのを満面の笑みで見て、受け取って、頬張った。
甘い物は正義という事らしい。
「ほら、水もある。私はコップで飲んだので口はつけてない」
水筒はステンレスボトルのコップ付きの保温保冷もばっちり。元々は健康のためにお茶を入れて職場で飲むために購入したマイボトルだ。この調査にあたって水を入れ、冷凍庫の氷を入れてきた。
水筒の口蓋を外して差し出すと、少女は両手で持って口に運んだ。
「冷たっ!」
驚いた様子で叫んだが、その後は止まる様子もなく一気に飲んでいる。
ただし、その直後に顔をしかめた。どうやら、冷たいものを食べたときキーンと来るアレに襲われているようだ。
なんとなくそれが面白かった。
少女は単にお腹が空いていただけだった。
猫屋のミニ羊羹を――黄瀬の物言いたげな視線を無視して――さらに数本を平らげた後に満足して息を吐いた。
そして幾つか尋ねるが、あまり要領を得ない。
話を聞く限り、どうやら赤星たちと同じような状況にあるらしかった。
「帰る場所が分からない?」
「うん、そうなのよ。いろいろ動いてる間に、ここに来たもの」
少女はコクコク頷きながら言った。
「そうか、それは大変だったね。しかし困った、どうしたものか」
「どうしましょうね」
「ところで君は……ああ、先に名乗っておくが、私は赤星。君の名前は?」
「シロノソルフランマグラキエストニトルスステルラなのよ」
「それは……立派な名前だね」
他に言い様がないので褒めておくと、シロノソルフランマグラキエストニトルスステルラは嬉しそうにしながら小威張りして胸を張った。
しかし赤星は寿限無寿限無になりそうで困った。否、その前に覚えられない。
「少し長いので短く呼ばせて貰ってもいいかな? ええと、シロノとかで」
「いいわよ、特別にシロノと呼ぶことを許してあげるわ。感謝なさい」
シロノは小さな子供が見せるような、ちょっぴり偉そうな仕草で頷いた。
しかし気を許しているらしく、最初のような警戒具合は全くない。むしろ懐っこい様子で見つめてくるぐらいだ。
「私たちはこれから営業所、つまり住んでいる場所に戻るのだが……シロノ君はどうするかな? 私たちと一緒に来ても構わないが」
「シロノでいいわ、君だなんて付けられると可愛くないもの。そうね、他に予定もないから一緒に行こうかしら。光栄に思って貰って構わないのよ」
口ぶりとは逆に、その表情は喜んでいる。
まるで子犬が尻尾でも振りまくっているような雰囲気だ。いや実際に後ろで尻尾の先が揺れている。まるで実家の猫のようだと思った。
青木が耳元に口を寄せてくる。
「連れてくって。課長、それ本気ですか?」
「当たり前じゃないか。こんな処で放りだすなど、ありえない」
「課長、異世界ですよ。俺が思うに、この子は貴族でっせ。異世界もので何故か遭遇率激高な貴族に違いないですよ」
「そうなのかね?」
「ええ、そうですって。この喋り方に、何より身に付けたものを見て下さい」
小柄なシロノは一振りの剣を所持しているが、その鞘にある装飾は豪奢なものだ。他にも身に付けている腕輪や首飾りも精緻な彫刻が施されていた。
この世界の技術的水準は不明だが、手の込んだ品だと一目で判る。
「……まあ、確かに」
「その貴族の子供が一人でこんな場所にいるなんて、厄ネタ以外に考えられませんって。きっと御家騒動で追っ手に狙われているとか、戦争で負けた貴族で命を狙われてるとか。異世界あるあるでっせ」
「だが一人で置いておくわけにもいかない」
「俺たちだけならいいですけど、職場の皆もいますよ。巻き込まれたら大変です」
「…………」
もっとも意見に考え込んでいると、シロノが下唇を噛んで赤星の顔をじっと見つめた。哀しげな眼差しの中で、その赤い瞳が潤んでいる。
赤星は深く息を吐いた。
「……安心しなさい。見捨てはしない」
「よかった! さっきの、まだある?」
あっという間にシロノは笑顔になった。どうやら羊羹が欲しかったらしい。この呑気な様子から察するに、命の危機に晒されている事はないだろう。
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