第3話 諦めて異世界と思いましょう
「では、行こうか」
眩い日射しの中、赤星は外回り用作業着姿で斧を肩に担いでいる。もちろんネクタイはしっかりとしていた。
手にしている斧は、何年か前のキャンプブームの時に商品サンプルとして購入されたものだ。埃を被っていたものが日の目を見たものの、それが護身用とは何とも皮肉なものである。
草原は広々として、丈の短い緑草が生えていた。
白い花が群生し、ところどころ枝振りの良い木がある。絵画的な美しさのある風景は見通しが良い。
最初はおっかなびっくり辺りを見回していたが、今では少し余裕が出来て雑談もするようになった。胸に下げたカメラが揺れて邪魔くさいのは事実だ。
「観光ではないんだ、カメラは必要なかったのでは?」
「そりゃ必要ですよ。もし俺らが信じ難いものを見つけても、画像データがあれば誰も文句言えないじゃないですか」
「もしかして鬼塚課長対策かな?」
「正解ー!」
青木の笑い声が辺りに響く。
その隣では黄瀬はわくわく顔でカメラを構え、パノラマ写真を撮影中。ぽっちゃり手前な彼女は幾つものカメラや機材をぶら下げている。
本人いわく、本格的ではないが写真撮影が趣味なのだそうだ。
二人も外回り用作業着である。
「でもでも、ほら見て下さいっす。空がとっても綺麗ですよう」
赤星は黄瀬のに言われて頭上を振り仰いだ。鮮やかな青が視界いっぱいに広がり、眩いばかりの太陽と目の痛くなるような白雲がある。
「なるほど。しかし、この景色。ここが異世界というのが嘘みたいだ」
「そう思いたくなりますが、そりゃ無いでっせ。だってほら――」
青木は深呼吸してみせた。
「こんなに空気が澄んでいるわけがないです」
まさしくその通りで、空気が美味しいという言葉がぴったりだ。
「しかし異世界は別の世界なのだろ、どうして大気組成や気温まで同じ環境なんだ。太陽系でも、金星火星木星それぞれ自転速度や重力が違うじゃないか。それを考えれば、やっぱり地球のどこかなのでは?」
「課長も意外に細かいとこ気にしますね。むしろ環境が同じだからこそ、ここは異世界ってもんですよ」
「その理屈は何かおかしくないかね」
「はいはい、いいですから。あそこ見て下さいよ」
指さされた先にいるのは、赤星が目を背けていた生き物だ。
巨大な羊のような姿だが、近くにある木から考えれば、体高だけで四メートルはあるだろう。イメージとしては長い鼻がなく、代わりに頭に角があるマンモスだろう。
しかも目が四つあるようだった。
「どう思います?」
「美味そうだ」
「これだから課長は……とにかく! どう見たってあいつは地球の生き物じゃないでっせ。本当に食べる方向にばっかり考えるんですから」
「普通は気になるだろう」
斯くして営業二課の異世界調査が開始された。
腕時計は十四時近くを示していた。昼の休みはきっちり取った後に出発したので、かれこれ一時間は歩いている事になる。普段の営業で歩き回ってるため、これぐらいの歩きは平気だ。
「特に何もないか」
遠方にある山を目印として、スマホ歩数計を活用して移動距離を大まかに確認。それを手元の手帳に書き込んでいく。地図とも言えない代物だが、何もないよりは遙かにマシである。
「そりゃそうと、課長はステータス確認しました?」
「ステータス?」
「確認してないみたいですね。異世界に来たら真っ先にやらなきゃダメってもんでっせ。はいっ、頭の中で意識してステータスって言ってみて下さい」
「ステータス――うおっ」
言われたまま唱えると、目の前にA4サイズ程度の半透明ボードが現れた。
そこに自分の名前が書かれ、幾つかの数値が記されている。しかも個性に食いしん坊とか大変失礼な事まであった。
なんにせよ勝手に情報が記されているのは非常に気持ち悪い。
「個人情報の扱いはどうなってんだ」
「そういうの気にするほうです?」
「いや、言ってみただけだよ。HPやMPに――」
「あっ課長。それぞれの数値は言わないで下さいよ、プライベートな情報になりますから。そこはお互い内緒にしましょうや」
「……なるほど」
いろいろと数値はあるが、それはゲームに出てくるステータスと似通っている。ただ問題は腕力を示す数値が一番高い。知性とは言わないでも、せめて器用さが高かくあって欲しかった。
これは確かにプライベート情報だろう。
「ですが課長、スキルだけは情報共有しておきたいんですけど。どうです?」
「ああ構わないよ。スキル……これか」
表示されたステータスの下部分に記載を見つけた。
「テイマーとあって、テイムモンスターとある部分は空欄になっている。どうやらモンスターを手懐けられるのだろう……ん? という事は! ここにはモンスターがいるってことかな?」
「何を今更、あのデカい羊みたいなの見れば当然でしょうに。しかしこれは滾ってきましたね。あっ、ちなみに俺はレンジャーでしたよ」
青木がレンジャーという点は確かにぴったりだった。レンジャーのイメージとしては抜け目なく行動をして、野外活動のエキスパートといったものがある。実際、なんでもそつなくこなし外回り営業も得意な青木にぴったりであった。
「黄瀬君はどうだい?」
ふうふう言っている黄瀬に視線を向けた。
へばっているのは女性だからと言うよりは、日頃の運動不足が原因であろう。あと荷物も多すぎる。黄瀬はベルトに挟んだタオルで汗を拭い、マイペースに何度か息をしてから、ようやく言った。
「自分、スカウトっす」
「スカウト……うん、まあ似合っているような気がしないでもないような」
にこっと笑う黄瀬のを見やって、赤星はそう言うにとどめた。
スカウトといえば偵察要員、素早く動いて物事を確認するイメージがある。それ故に黄瀬の鈍臭いと言うか、おっちょこちょいなところが相応しいかは疑問だ。
だが、そうした事は黙っておく。
上司としてだけでなく社会人としてもだ。こうした些細な発言がパワハラやモラハラとして扱われてしまうし、何より相手を傷つけてしまうのだから。
管理職は部下のメンタルにも気遣わねばならないのだ。
「ところで課長、足元のこれを見て下さいよ。どう思います?」
「凄く……爪痕だね……」
青木の指差す地面には、黒々とした痕跡があった。
間違いなく爪痕だ。何かが激しく動いたように思える。注意深く周りを見れば、うっすらとした足跡が幾つもあった。
言われなければ気付かないぐらいのものだ。
「何かが、ここに居たっぽいですな。鳥の足跡っぽいです」
「鶏足なら美味いが、これは人の掌ぐらいの大きさがありそうだ……」
「食べるより食べられそうな雰囲気でっせ、これは肉食系のヤバイやつですって」
レンジャースキルのせいなのか、青木はすらすらと見解を述べていく。だが赤星の関心は食べられるかどうかと、痕跡を残した存在がどこにいるかだ。
「何か嫌な予感がするんですよう。首筋がチリチリする感じっす」
ふいに黄瀬が呟いた。青木も頷く。
「俺もですよ、なんかチリチリ感。課長はどうです?」
「特には感じないが」
「これスキルの影響かもしれないですが……あっ、何かキュピーンって来た!」
青木が勢い良く振り向き斧を手に身構えた。
その先にある草むらで蠢く姿があるが、言われなければ分からないぐらいだ。しかし、こちらが気づいた事に気づいたのか相手が飛びだした。
全体の姿は毛のないダチョウといった二本足の生き物で、身体は薄茶色をした細かな鱗に覆われている。大きな嘴と鋭い蹴爪が特徴的だ。
「恐竜っ!?」
「課長、異世界ですよ。モンスターに決まってますって! ひゃぁ戦闘だぁ!」
「いや敵とは限らんだろう。それに下手に攻撃すれば逆効果では!」
「見て下さいって、あの嘴にあの爪! 間違いなく肉食でっせ」
威嚇で開けられたモンスターの口中には、細かな牙でいっぱいだった。噛みつかれでもしたら、ごっそりと肉を持って行かれそうな感じだ。
それが激しく鳴くが、明らかに威嚇のものである。
「逃げる余裕はないでっせ、課長。相手は一匹……あれ、一頭? 一体?」
「どれでもいいんですよう。そ、そうっす! 課長のテイマースキルっすよ、あれで手懐けて欲しいかも!」
「ナイスアイデア。課長、お願いします」
しかしモンスターは襲い掛かって来た。その攻撃を転びそうな勢いで回避するが、もう全員がパニック状態だ。
「二人とも無理言わないでくれ! それより倒すなら倒すぞ! 食べられるより、食べる方でいたいんだ。お互いの斧で怪我しないように注意するんだ!」
全員が混乱の坩堝だった。
真っ先に突っ込んだ青木の斧は空振りして、危うく自分の足を切りそうになって地面に食い込んだ。威嚇の叫びをあげるモンスターに黄瀬が目を瞑りながら突っ込み、半ば転びながら突き飛ばした。
「えいしゃおらっ!」
赤星は駆け寄ると斧を振り上げ、思いっきり振り下ろす。
鈍い嫌な手応え。甲高い苦痛の叫び。鼻を突く生臭さ。手の下で暴れる命。何もかもが心を突いて苦い嫌な気持ちにさせられる。
「課長、離れて下さい。青木、突貫しまっせ!」
ようやく地面から斧を引っこ抜いた青木は、それを構え直して飛び掛かる。
今度こそ間違いなくトドメが入り、モンスターは絶命した。
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