第2話 我々は現在、孤立している

 未知の出来事が発生した後――。

「我々は現在、孤立している」

 九里谷商事の瑞志度営業所所長である一萬田が言った。

 会議室に集まっているのは、朝会と同じ主要メンバーたち。ほとんどの者が揃いの緑の作業服を着ている中、一萬田と千賀がスーツを着ている。

 赤星は落ち着かない気分だった。

 ほかの課長たちも貧乏揺すりをしたり身じろぎを繰り返したりで、やはり動揺が隠せない。こんな時に平然としていられる方がおかしいだろう。

「三十一名全員怪我なく、営業所の建物に被害はなし。別棟の倉庫も車庫も異常なく、保管品も変わりなし。屋上から周囲を見回すが人工物は見つからず、周辺に人の姿も確認できなかった。携帯、スマホで通信も出来ていない」

 一萬田の声は物憂げだった。

 大きく取り乱す者が居ないのは、集まった者たちの年齢が高いからだろう。さらに、それぞれ立場があって部下もいる。そして見栄や自尊心もあるため、人前で泣き喚くこともできない。少なくとも今の段階では。

「周辺の植生は、明らかに日本のものではない。植物だけでなく昆虫もだ。似たものはあるが微妙に違っており、幾つかは全く見た事もないものだった」

 ホワイトボードの前に立ち、一萬田は細かな傷のある白い表面を指先で叩く。そこには状況が時系列で記され、判明したことが記載されている。

「以上から、我々が未知の場所に転移――あまり言いたくはないが、異世界。そうした場所に居る事を視野に入れ考えていきたい」

 荒唐無稽な言葉。

 赤星は顔を硬くして黙り込んでいたが、他の課長たちの間から呻くような声があがった。しかし、そこには否定的な色はなかった。

 誰にでも幼少期はあるわけであるし、昔からSFブームや異世界ブームは何度もある。そうした意味で、異世界というものに対する予備知識は誰もが持っていた。

 赤星も昔読んだ小説を思い浮かべる。

「異世界……」

「ありえない話じゃないぜ。昔から神隠しとかって言葉があるわけだろ、今ここで確認された事実を見れば否定する材料はない。俺はそう思うね」

 営業一課の鬼塚が囁いた。

「鬼塚課長」

 ホワイトボードを睨んでいた一萬田が、振り向いて名を呼んだ。

「確かに君の言うとおりだ。さて、どうすべきと思うかな」

「あー、俺ですか? そうですね、所長の仰る通りに幅広い視野で考えるべきです。幸いにもと言いますか、食料については穀物類と調味料。二課のミスで預かったカナヤマ総合食品のものがあります。これに手をつけましょう。カナヤマだって文句は言わんでしょう」

「そうだね。何か言われたなら賠償すればいい、戻る事が出来ればだが」

「所長の判断に感謝します」

 鬼塚は一瞬だけ口を閉じ、素早く思案する素振りをみせた。

「その上で今の我々には情報が足りないと、俺は思います。ですからここは、周辺調査を実施してはどうでしょうか」

「道理ではあるが、それは危険かもしれない」

「そうかもしれませんけどね。俺が思うに建物の中にいたって、大した差はないでしょう。それよか、一番恐いのは情報が無いって事ですよ」

「なるほど確かに。では、調査は一課で行けそうかな。人数も多いし若くて活きが良いのが揃っている」

 一課は主戦力のため人数が多めで、しかも経験を積ませるための若手もいる。地方営業所なので若干問題児も多いが、調査に出かけるなら丁度良いはずだ。


 しかし鬼塚は、その言葉を予期していたらしい。軽く肩を竦めてみせた。

「いえ、それは止めておきます。むしろ一課は力仕事で建物の補強作業を行うべきでしょう。此処の安全確保が最優先ですから、その為の作業をした方が全体の安全が図れますね」

「なるほど。そうなると管理課も一課と合わせて動いて貰うのが良いとして……システム課は動けそうか?」

 部屋の隅に座っていたいたシステム課の竹山課長は肩を竦めた。

「はぁまぁ、それは良いですけど。うちは倉庫と機材の確認を行いたいなぁって思ってます。何があって、生きていくのに何が使えるのか知っておきませんと」

 その他の課も芳しくない。

 総務課は建物管理を理由に断り、財務経理課は年寄りばかりを理由にして断る。誰もこんな時に外になど出たくないのだ。なお営業三課に声はかからない。何故なら営業三課は普段から誰もアテにしてないからだ。

 ひと通りの確認が終わると、それを見計らって鬼塚が言った。

「というわけで、俺が思うに二課さんが適確じゃないです? まあ赤星君がどうしても嫌って言えば別ですけど」

 所長も次長も他の課長達も、全員の視線が赤星へと向けられる。

 ――これは、やられたかな。

 会議などで口火を切って問題提起をして、自分は先に簡単そうな事象を引き受けて面倒を他に押し付けるのが鬼塚のやり口だ。しかも微妙に断りづらいような言いっぷりをするのもそうである。

 そうした流れの中で一萬田が視線を向けてきた。

「赤星課長どうかな? 出来ればお願いしたところだが」

「はい……他に誰も行けないのであれば、うちでやるしかないですね。でもその代わりですが、倉庫にあるものは好きに使って構いませんよね」

「もちろん必要なものは持ち出して構わんよ」

「分かりました。それでは安全に配慮して行って来ます……あっ、その前に腹ごしらえをしてからでもいいです? 会社の備蓄の非常食を貰えればありがたいです」

「手配しよう」

 一萬田が千賀に視線を向ければ、千賀が総務課長に合図をしている。とりあえず、これで食事がとれる。

 赤星は額の汗を手で拭った。

 この締め切った会議室が暑いのも事実だが、困ったり緊張すると直ぐに暑くなって汗ばんでしまう。ダラダラと流れる汗が恥ずかしく、いつものように立ち上がってエアコンのスイッチを押した。

 動き始めの生暖かい風でも今は心地よかった――。

「あれ?」

 赤星は瞬きしてエアコンを見つめた。

 その様子を訝しげに見ていた一萬田だったが、しかし次の瞬間には同じようにエアコンに視線を向ける。他の者も同様だ。

 皆が見つめる前で、送風口の赤リボンがヒラヒラと動いている。

「電気が来てる!?」

 きっと全員が動揺していたのだろう。今まで当たり前すぎて誰も気づいていなかったが、天井の蛍光灯は煌々とした光を放っていた。

 会議室は騒然となって、即座に状況把握が行われだした。

 しかし、赤星が周辺調査に行くことは変わらなかったのだが。


 営業二課の部屋に戻ると、青木と黄瀬が片付けの真っ最中だった。

 ついでに黄瀬は自分の持っていた菓子を一箇所に集めているが、どこにこれだけ隠し持っていたのかと感心する量だ。

 赤星はドアを閉めるなり手を合わせた。

「すまない! 周辺調査にうちが出る事になった」

 こんな未知の場所で、何があるか分からぬ外に行かせる事が申し訳なかった。誰だって行きたくない事だ。もちろん赤星だって行きたくない。

「問題ナッシングでっせ」

 あにはからんや、青木は嬉しそうな顔をした。

「どうせ鬼塚課長あたりが言い出して、うちに押し付けられたってとこでしょう」

「なぜ分かる?」

「そりゃ、あの人は正論だけ言って自分ではやりませんからね」

「……あまり、そういう事は言わない方がいい」

 よく観察していると思う。逆に言えば自分がどう見られているか不安になるが、そうした気持ちに青木は気付きもせず、腕組みして頷いている。

「はっ、以後気を付けます。そりゃそうと調査に行けてラッキーってもんですよ」

 青木は頷いて、その理由を述べた。

「これで外の地理が確認できまっせ。情報だけと違って体験しますからね、俺らは多少でも土地勘が出来ます。それに何か発見すれば、こそっと手に入りますよ」

「報連相は大事にすべきでは?」

「モノによりますよ、モノに。それに今後の事を考えれば、外を知っておいて損はないってもんですよ。たとえば、あの鬼塚課長が一課を率いて威張りだして内部抗争とかです」

「そんな事にはならんよ」

「えーっ、どうしてです?」

「あの人は確かに文句を言うが、自分の手を汚したくないタイプだ。それにこんな時のトップなんて貧乏くじだって事も分かってるさ」

 営業所内は人の走り回る音でざわついている。

 だから聞かれるような事はないだろう。それでも本人に聞かれては激怒間違いなしなので、黄瀬があたふたと入り口の方を気にしていた。


「課長も言いますねー。まっ、そうですよね」

 青木は肩を竦めてみせた。

「それだったら、尚のこと外の調査は正解ですよ。これでうちは、皆の嫌がる仕事を引き受けた実績が出来ますんでね。こういう時は発言力が大事になりますから」

「確かにね。ああ、倉庫にあるものは好きに使えるように頼んである」

「その抜けの目なさ、ナイスでっせ!」

 青木はサムズアップしてくれた。

 あまり褒められた気はしないが、赤星は笑っておいた。

「それから非常食も貰っておいたよ」

「よかった、今日のご飯どうしようかと心配してたとこっすよ。わーい、ありがとうございます。流石課長ですよ、食べ物に関しては抜け目なしっすね」

 防災食を見せると黄瀬は顔の横で手を合わせて嬉しそうだ。先程菓子パンを食べていたような気もするが、あれは別腹らしい。

 こんな時はとにかく食べておかないといけない。もちろん倉庫には大量の穀物や調味料はある。しかし、それは今すぐ食べられるものではない。だからこそ、非常食をねだっておいたのだ。

「しかし非常食か、本当なら今週末に食べ歩きの予定だったのだがね」

「自分も食べるの好きっすけど、課長には勝てる気がしませんよう」

「予約必須の店だったが……まあ今更言っても仕方がない。これを食べて少ししたら出発しようか」

 頭の中では予約していた料理が浮かんでは消える。しかも、しばらくは似たような料理が続くだろう。それを思うだけで憂鬱になるぐらいだ。

 美味いものを食べるのが唯一の生きがいなのである。

「よっしゃ、お湯が必要ですね。そんなら俺のライターが火を噴きまっせ。ついに煙草以外で役立つ時が来ましたか」

「それなら大丈夫だ。不思議な事に電気も水も使えるようなんだ」

「えっ!?」

 青木と黄瀬が顔を見あわせている。

 どうやら片付けに追われ、今の今まで気付いてなかったようだ。

「システム課が外を確認したが、電線は間違いなく途中で切れている。水道管と下水管は分からないが、きっと同じだろうね。しかし何故か使える。おかしなものだ」

 ぼやく赤星の前で青木は、嬉しそうに手を握って勢い込んだ。

「課長、異世界ですよ。そういうの、あるあるでっせ」

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