後編

 箱馬車での一件以降、スレイはニニカのことを疑うような真似はしなくなり、夢のような時間は今しばらく続いた。


 とはいえ、夢は夢。


 醒める瞬間は必ず訪れる。


 ニニカが公爵令嬢の替え玉を務めるようになってから、ちょうど五〇日後。


 本物のアリアが、シールズ公爵家の館に帰ってきた。


「おぉッ!! よくぞ帰ってきた我が娘よッ!!」

「ちょ、ちょっとお父様! あまり強く抱き締めないでくださいまし!」


 ラルグが、思っていた以上に娘を溺愛していることを知り、ニニカは苦笑する。

 しかし、よくよく考えてみれば、娘のことを溺愛していなければ、娘の尻ぬぐいのために替え玉を用意するなどという七面倒くさいことはしないだろうと、ニニカは思い直す。


「まったく、スレイ様との婚約が上手くいったタイミングで館から出て行きおって!」

「だから、それは悪かったって何度も謝ったじゃありませんか! それより……」


 アリアが横目でこちらを見つめてくる。

 まるで虫けらでも見ているような視線に、ニニカは言いようのない悪寒を覚える。


「アレ、なに?」

「さっき説明しただろう。お前の替え玉を務めた娘だよ」

「そんなことはわかっていますわ。わたくしは、と言っているのです」

「ああ。そうか」


 ラルグはアリアから離れると、億劫そうな足取りでニニカに近寄り、冷たく告げる。


「というわけだ。君はさっさと元のきたならしい格好に着替えて、さっさとこの館から出て行きなさい」


 あんまりな物言いに不快感を覚えるも、ニニカはどうにかこうにか顔に出さずにラルグに訊ねる。


「あの……報酬の方は……?」

「あら? 報酬を要求するなんて。なんて卑しい」


 ラルグの背後でアリアが不快感を露わにしていたが、そのアリアの替え玉を報酬のためにやっていたニニカとしては、不快どころの騒ぎではなかった。

 もっとも、こちらに関しても顔に出したりはしなかったが。


「わかっておるわかっておる。報酬はちゃ~んと支払うよ」


 そう言ってラルグは懐に手を伸ばし、取り出した報酬をニニカに渡した。

 花を数輪売れば稼げる程度の、わずかな硬貨を。


「ちょ、ちょっと待ってください! ラルグ様は一〇〇年花を売り続けても手に入らないような額の報酬を用意すると言いましたよね!?」

「ああ。確かに儂はそう言った。だが、儂は君に『スレイ様の心をガッチリと掴んできてくれたまえ』と言ったのに、君はそれを果たせていない。報酬が減額されるのは必定というものだろう?」

「そ、それはそうかもしれないですけど……いくらなんでも、たった数枚の硬貨はひどすぎます!」

「いいや。ひどくなどない。なにせ君を娘に仕立て上げるためにかかった費用が、まさしく君が〇〇年花を売り続けたくらいの額だったからな。そこに費やした費用を抜くと、君に渡せる報酬はその程度しか残らなかった。ただそれだけの話だよ」


 そう言ってラルグは、今まで一度も見せたことがなかった悪辣な笑みを浮かべる。

 その笑みを見て、ニニカは気づく。

 費用云々が、ただの方便であることを。

 ラルグが初めから、自分を使い捨てるつもりでいたことを。

 替え玉をやりきらせるために、今の今まで悪辣な本性を隠し通していたことを。


「ほれ。何をボサッとしている。さっさと出ていく準備をせんか。それとも何か? 衛兵に無理矢理引ん剥かれて、無理矢理追い出される趣味でもあるのかな? んん?」

「あらあら? それはまた、平民の娘の割りにはなかなか愉快な趣味をお持ちですわね」


 ラルグとアリアが、揃って愉しげに高笑いする。

 この場においては――いや、この世に生まれついてからずっと弱者でしかないニニカには、泣き寝入り以外の選択肢は残されていなかった。


 そして――


 ニニカはラルグの言う汚らしい格好に着替えると、わずかな硬貨を握り締めてシールズ公爵家の館を後にした。


 重い足取りで向かう先は、ニニカにとっての家であるマルケット孤児院。


 孤児院の子供たちの中ではニニカが最年長だということもあって、彼ら彼女らにはただお仕事でしばらく帰ってこないと伝えているだけだが、院長を務める老シスター、エヴァに対してはそうはいかない。

 ラルグに口止めされていたので、さすがに公爵令嬢の替え玉を務めることは話していないが、それでも貴族の屋敷で働くことと、大金が手に入ることはしっかりと話していた。

 話していたから、孤児院へと向かう足が、どうしようもないほどに重かった。


 しかし、歩みそのものは止めていないため、時間がかかるというだけで孤児院に辿り着くのは必定。


 その時が訪れ、大好きなニニカお姉ちゃんが帰ってきたことを喜ぶ子供たちに囲まれた瞬間。


 騙された悔しさと、みんなのために大金を持ち帰ることができなかった申し訳なさがぜとなり。


 今までの今まで我慢していたものが、涙という形で一気に噴出した……。




 ◇ ◇ ◇




 その日、本物のアリアは、スレイとの初顔合わせに臨んでいた。

 ニニカが替え玉を務めていた間、彼女がスレイと交わしたやり取りは全てラルグに報告するようにしており、アリアはその全てをしっかりと記憶していたので不安などは微塵もなかった。


 もっとも、ニニカとて本当の意味で全てをラルグに報告していたわけではなく。

 先日、箱馬車に轢かれそうになった子供をかばった時の出来事は、当然ラルグに報告できるわけがなかったので、ドレスが汚れた理由を適当にでっち上げたうえで、実際にあったこととは全く違うことを報告をしていた。


 そしてその際、スレイの心に、ニニカすら知らない機微が生じたことをアリアが知る由もなく、


「はぁ……」


 アフタヌーンティーに興じる中、スレイの口から重々しいため息が漏れたことは、アリアにとっては衝撃以外の何ものでもなかった。


「ど、どうしたのですか、スレイ様? わたくしと一緒にいるのが……その……楽しくないんですか?」

「……いや。楽しいとか楽しくないとか、そういう話ではない」

「でしたら、なぜため息を?」


 不意に、スレイが真っ直ぐにこちらの目を見つめてくる。

 心の奥底まで見抜かれたような錯覚を覚えたアリアは、思わず息を呑みそうになるも、



 まさしく心の奥底を見抜いた一言に、アリアは今度こそ本当に息を呑んでしまった。




 ◇ ◇ ◇




 孤児院に戻ったニニカは、公爵令嬢の替え玉を務めた挙句ラルグに騙された反動もあってか、自分の部屋に閉じこもり、ベッドに横たわりがちになっていた。


 そんな日々が何日か続いた頃――


「ニニニニニカっ!!」


 院長のエヴァが狼狽を露わにしながら、ニニカの部屋の扉を叩いてくる。

 そのあまりの激しさに驚いたニニカはすぐさまベッドから飛び起き、部屋の扉を開けた。


「ど、どうしたのエヴァおばあちゃん!?」

「あああああんたにっ!! きゃきゃきゃ客が来てるんだけどっ!!」

「う、うん!」

「そそそそその客がねっ!! こここここの国の王子様なのよっ!!」


 まさかと思った時にはもう、ニニカは駆け出していた。

 ほどなくして客間に辿り着くと、そこには子供たちの気を引くためにお菓子を配っている護衛と、



 一人悠然と椅子に腰掛けている、第四王子――スレイ・ユマ・ペルネーゼの姿があった。



「ススススススススレイ様っ!?」


 エヴァに負けず劣らずの狼狽っぷりで素っ頓狂な声を上げるニニカを、スレイは微笑で出迎える。


「不躾な訪問ですまない。だがどうしても君に会いたくてな」

「え? アレ? ていうことは、まさか……」


 スレイは首肯を返し、ニニカの代わりに言葉をつぐ。


「先日、僕の目の前に〝別人〟が現れた時点で、君がアリア・シールズの替え玉だったということは、把握してるよ」


〝別人〟という言葉が、本物のアリアを指していることを察したニニカの口から「ぁ……」とあるかなきかの吐息が漏れる。


「替え玉を画策したシールズ公爵も、今頃は国王から直々にお叱りを受けていることだろう。しでかした事が事だからな。下手をしたら爵位の降格もあり得るかもしれない」

「そそそれじゃあスレイ様は、アリア様の替え玉を務めたわたしに罰を下しに!?」

「いいや」


 スレイはゆっくりとかぶりを振ると、立ち上がり、歩み寄ってくる。

 そして、何が何だかわからずカチンコチンに固まっているニニカの左手を優しく掴み、持ち上げると、



 その薬指に、煌びやかな指輪を嵌め込んだ。



「よかった。ピッタリだ」


 満足げな笑みを浮かべるスレイをよそに、ニニカは「はい?」と間の抜けた声を漏らす。


「僕が君に会いに来たのは、君に罰を下すためではない。あらためて君と婚約を結ぶために、僕は孤児院ここに来たのだ」


 護衛からお菓子をもらっていた子供の一人が「こんやくっ!!」と楽しげな声を上げ、エヴァが「婚約っ!?」と驚愕の声を上げていたが、今のニニカにそれらを気にする余裕はなかった。


「なななななんで、わたしと!?」

「なに。君に言われたとおりにお互いのことをよく知るよう努めた結果、本当に君のことが好きになってしまったというだけの話さ。君は今まで出会ったどの女性よりも一緒にいて楽しいし、なにより替え玉という立場を顧みずに子供を救った高潔さに、僕は惚れてしまった」

「こここ高潔ぅっ!?」


 替え玉を演じている時とはえらい違いの反応を面白がっているのか、スレイの笑みは深まるばかりだった。


「で、ですが! 王子であるあなた様が、ただの平民にすぎないわたしと婚約したとあっては……えと……そう! 王位の継承とかに支障が出るのでは!?」

「支障どころか、玉座にはつけないと思った方がいいだろうな。だが、もともと僕は玉座にさして興味はない。そんなものよりも、君の方が余程魅力的だと思っている」

「…………っ! …………っ!!」


 いよいよまともに言葉を発せられなくなったニニカが、口をパクパクさせる。


「というわけだから、君の返事を聞かせてくれ。オーケーの場合、そうだな……僕に、君の本当の名前を教えてくれないか?」

「そ、それは……えと……さすがにわたしの本当の名前くらい、もうとっくに調べがついているのではない……ありませんか?」


 無理矢理にでも冷静さを取り戻し、恐る恐る訊ねるニニカに、スレイは首肯を返す。


「ああ。だが、僕は君の口から聞きたいんだ」


 そして、冷静さを取り戻したからこそ、グイグイくる王子を前に耳まで真っ赤になってしまう。


 その様子を見れば、聡明な第四王子ならば返事を聞くまでもなく答えがわかっているだろうけど。


 ここはちゃんと答えなくちゃ駄目だと思ったニニカは、なけなしの勇気を振り絞って、「イエス」という想いとともに、自分の名前をスレイに伝えた。


「ニニカ……マルケット…………です」

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平民の少女、公爵令嬢の替え玉をやらされる 亜逸 @assyukushoot

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