平民の少女、公爵令嬢の替え玉をやらされる

亜逸

前編

 それは、平民の少女ニニカ・マルケットが、野山で摘んできた花々を町中で売っていた時の出来事だった。

 大通りを走っていた箱馬車が突然ニニカの目の前で停まり、中から出てきた男たちが取り囲んできたのだ。


「あ……あの……お花を買ってくれるのですか……?」


 様子からして絶対にそうじゃないと思いながらも、ニニカはなけなしの勇気を振り絞り、己を取り囲む男たちの中で最も豪奢な衣装に身を包む壮年の男に、花を一輪差し出した。


 男は花に目もくれず、マジマジとこちらを見つめてくる。

 ニニカは思わず一歩後ずさってしまう。


「銀色の髪に碧い瞳……目鼻立ちに背格好……それに声もよく似ている……これなら、いけるのではないか?」


 壮年の男の問いに、他の男たち――おそらく使用人だろう――が次々と同意する。


「ええ。いけると思います」

「ラルグ様の見立てに間違いはないかと」

「私の目から見ても、この娘はアリア様にそっくりです」


 壮年の男――ラルグは、同意を得られたことに満足げな笑みを浮かべると、すぐさまニニカに向き直り、耳を疑うような提案をしてくる。


「君、公爵令嬢になってみないか?」


 言っている言葉の意味がさっぱり理解できなかったニニカは、ただ「はい?」と疑問符付きで返すことしかできなかった。








 理解が追いつかず「イエス」とも「ノー」とも答えられなかったニニカは、半ば無理矢理箱馬車に乗せられ、その車内で話を聞くこととなる。


 いわく――


 ラルグが当主を務めるシールズ公爵家には、アリアという名の一人娘がいること。


 そのアリアが、ニニカと鏡映しに見えるほどにそっくりなこと。


 ほんの数日前に旅芸人の男にたぶらかされて、その男とともに生きていくという書き置きを残してシールズ公爵家の館を去ったこと。


 アリアが館を去った翌日、ラルグがかねてより国に打診していた、アリアと王家に連なる血筋の者との婚約が了承されたとのことだった。


「そしてその相手は第四王子のスレイ様ときている。シールズ公爵家のさらなる発展のためにも、この話を破談にするわけにはいかぬ。というわけだからニニカくん、娘に代わって、スレイ様の心をガッチリと掴んできてくれたまえ!」


「むむむむ無理です~~~~~~~~~~っ!!」


 即答で「ノー」を突きつける、ニニカ。

 その返答を想定していたのか、はたまた聞く気がないだけなのか、ラルグはなおも話を続ける。


「なに。心配することはない。君がアリアの替え玉を務めるのは、アリアが帰ってくるまでの間だけだからな」

「帰ってくるって……話を聞いた限りだと、帰ってくる要素が一つも見つからない気がするんですけど!?」

「なに。そちらも心配することはない。アリアは何かと惚れっぽい性格をしていてな。こういったことをやらかすのは初めてではないのだよ。おかげさまで娘の不在を誤魔化す手練手管には磨きがかかってしまったが……とにかく、一~二ヶ月ほど時間を稼げば、アリアも旅芸人の男に飽きて戻ってくるだろう」


 何から何まで無茶苦茶な話に、ニニカは閉口してしまう。

 仮に上手くいったとしても、ニニカはあくまでもアリアが戻ってくるまでの繋ぎ。有り体に言えば使い捨てだ。

「ノー」以外の返事などない――と言いたいところだが、


「勿論、報酬はちゃんと用意する。一〇〇年花を売り続けても手に入らないような額の報酬をな」


 そんなことを言われては、さしものニニカも喉元まで出かけていた「ノー」を呑み込まざるを得なかった。


 ニニカは、幼い頃に親に捨てられた孤児だった。

 そんなニニカを拾ったのが、孤児院を経営しているエヴァという名の老シスターだった。

 エヴァと孤児院の子供たちのおかげで、ニニカは親がいない寂しさを紛らわすことができ、いつしか彼女たちを家族と思うようになった。


 孤児ゆえにまともな職につけず、花を売っていたのも少しでも家族に楽をさせたかったからに他ならない。

 だからこそ、どんな無茶苦茶な話であろうとも、それほどの報酬を用意すると言われた以上は、ニニカの返事は一つしかなかった。


「やり……ます……公爵令嬢様の……替え玉……」


 そうしてニニカは、シールズ公爵家の令嬢――アリアの替え玉を務めることとなった。


 当然、ただ着飾って「はい、終わり」で済むほど事は単純ではなく、公爵令嬢としての礼儀作法は勿論、アリアの口調や癖、交友関係の情報なども徹底的に叩き込まれた。

 第四王子スレイ・ユマ・ペルネーゼとの初顔合わせは一週間後。

 突貫もいいところだが、どうにかこうにかラルグから及第点をもらえる程度には仕上がり、スレイとの初顔合わせに臨んだ。



 だが――



「はぁ……」



 堅苦しい挨拶を経て、王城の中庭でアリアニニカと二人きりになった途端、スレイは重々しいため息を吐き出した。


「アリア……君には本当にすまないと思っているが、僕は今回の婚約をなかったことにしたいと思っている」


 破談になった場合は報酬そのものがなくなってしまうため、心の内では「どうしてですか!?」と問い詰めたいところだが、今の自分はニニカ・マルケットではなく、アリア・シールズ。

 ゆえにニニカは、この一週間徹底的に叩き込まれたアリアらしい物言いで、優雅に疑問を投げかけた。


「あら? それはどういう意味ですか?」

「言葉どおりさ。この婚約自体、僕の父である国王と、君のお父上であるシールズ公爵が勝手に進めたもの。父はかねてより、この国でも有数の名家であるシールズ公爵家と懇意にしたいと思っていたし、シールズ公爵も考えは同じ。そこには当然、僕の意志も君も意志も介在していない」

「だから、婚約をなかったことにしたいと?」


 スレイは、迷いなく首肯を返す。


「君とて、好きでも何でもない男と結婚したくはないだろう?」


 思わず頷きそうになるも、どうにかこうにか我慢して、アリアならこう答えるだろうという返答をかえす。


「スレイ様。わたくしとあなたは今日出会ったばかり。『好きでも何でもない』のではなく、『好きなのかどうかもわからない』状態です。婚約をなかったことにするのは、お互いのことをもっとよく知ってからでも遅くないと思いますわ」

「……そうだな。確かに性急が過ぎたかもしれない。父とシールズ公爵の顔を立てるという意味でも、今しばらくは君に付き合うとしよう。勿論、君さえよければだが」

「勿論、喜んで」


 と優雅に答えながらも、初日で婚約破棄されそうだった事実に、心臓がバックバクになっていたニニカだった。




 その日からニニカは、ラルグと国王によってお膳立てされたスレイとの逢瀬を重ねていった。




 王城の中庭でアフタヌーンティーに興じていた時は――




「やはり紅茶は、オルギーユ産のものに限るな」


 独り言じみたスレイの言葉に、ニニカはアリアっぽさを意識しながら片眉を上げる。


「あら? エアリィン産も捨てがたいですわよ」


 というかアリア様が好きだというだけで知っているエアリィン産と、今聞いたオルギーユ産以外の紅茶は知りませんけど――とは、勿論口には出さなかった。


「エアリィン産か……そうだな。今度試してみよう」

「是非。スレイ様も、きっと気に入ると思いますわ」


 一応はエアリィン産の紅茶も飲んだことはあるけど、個人的にはスレイ様と同じくオルギーユ産の紅茶の方が好みです――とは、勿論口には出さなかった。




 社交パーティで一緒にダンスを踊った時は――




「ほう……話に聞いていたよりもダンスが上手いな」

「そ、そうかしら?」


 幸か不幸か、ダンスの才能に恵まれていたニニカは、内心冷汗を掻いていた。

 なぜなら本物のアリアは、お世辞にもダンスが上手いとは言い難い人間らしく、ダンスパートナーの足を踏むこともそう珍しくないという話だからだ。


 下手くそに見せるためにも、一度くらいはスレイの足を踏んづけた方がいいのかもしれないが、


(いくらなんでも恐れ多いです~~~~~~~~~~っ!!)


 結局、「話に聞いていたよりもダンスが上手い」というスレイの評を覆すことができないニニカだった。




 王城の廊下を一緒に歩いていたところ、アリアの友人とすれ違った時は――




「あら、アリア! 久しぶり!」


 童顔の令嬢に声をかけられ、ニニカの背筋を冷たい汗が伝っていく。

 アリアの交友関係についても当然頭に叩き込まれてはいるものの、いくらラルグがアリアの父親とはいっても、娘の交友関係全てを知っているわけではない。

 今ニニカに声をかけてきた令嬢は、まさしくラルグの知らないアリアの友人だった。


 時間にして数秒。

 ニニカは最大速度で頭を回転させる。


 そして、


「ちょっと……! 今はスレイ様と、ご一緒なんだから……!」


 わざとらしく声音を低くして、童顔の令嬢を窘めた。


「ごめんごめん。また今度ね」


 彼女もまた声音を小さくして謝ると、そそくさとニニカたちの前から立ち去っていった。


(なんとか上手くいったぁ……)


 と、安堵するニニカは気づいていなかった。

 後ろにいるスレイが、訝しげな視線を自分に向けていることに……。




 そして――




 スレイと一緒に馬車に乗って、社交パーティの会場に赴いていたある日――




(よくよく考えたら、夢みたいな話だよね……)


 護衛が御者台にいるとはいえ、一国の王子と車内で二人きりになっている状況は、平民のニニカにとってはまさしく夢みたいな話だった。

 おまけに、会えば会うほどに人柄においても好ましい部分が次々と見つかっていくせいもあってか、少しずつ、着実に、スレイに惹かれていることをニニカは自覚していた。


(……駄目。わたしはアリア様の替え玉にすぎない。それに、平民のわたしじゃ逆立ちしたってスレイ様とは……)


 それが当たり前。

 当たり前のはずなのに、なぜか、どうしようもないほどに胸が痛む。

 息苦しささえ覚えてしまう。


「どうしたアリア? 気分が優れないのか?」


 対面に座るスレイが、気遣わしげに声をかけてくる。

 しまった。顔に出ていた――そんな後悔を笑顔で上塗りし、


「いいえ。少しぼんやりとしていただけですわ」


 完璧なまでに取り繕った返答をかえした、直後だった。

 馬のいななきとともに、箱馬車が急停止したのは。


「きゃっ!?」


 急停止の反動でニニカは前方につんのめり、


「おっと」


 対面のスレイに抱き止められる形になってしまう。

 自然、ニニカの頬が朱に染まってしまう。


「大丈夫か? アリア」

「だだだ大丈夫ですぅっ!!」


 半ば反射的に飛び離れる、ニニカ。

 そんな彼女を見て、スレイは眉をひそめる。


「聞いた話では、君はこの手のスキンシップに慣れているとのことだが……」


 氷塊が、背筋を伝う。

 なんとかして誤魔化さなければという焦燥が、心を焦がす。

 しかし、スレイと密着したことで火照った頭が上手く回ってくれず、気の利いた返答がなかなか思いつかない。


(どうしようどうしよう……!)


 と、内心オロオロしているニニカを救ったのは、御者を務めていた護衛の怒声だった。


「愚か者がッ!! 死にたいのかッ!!」


 そのあまりの迫力にニニカは思わずビクリと震え上がるも、馬車が急停止したことと、今の御者の怒声を考えると、外では見過ごせない状況になっているのは想像に難くなかったので、すぐさま車外に飛び出す。


 そして予想に違わず、箱馬車の前では、泣きそうな顔で「ごめんなさいごめんなさい!」と土下座で謝る小さな男の子と、そんな彼を憤然と見下ろす護衛の姿があった。

 話を聞くまでもなく、男の子がうっかり箱馬車の前に飛び出してしまい、急停止したのは明白だった。


「この馬車に乗っている御方を誰だと思っているッ!! 謝った程度で済む話ではないぞッ!!」


 護衛が怒りにまかせて、土下座している男の子を蹴ろうとした瞬間、ニニカは一も二もなく飛び出し、男の子を守るようにして覆い被さる。

 そのまま蹴られることを覚悟していたニニカはギュッと目を瞑るも……予想していた痛みは、いつまで経ってもこなかった。


 恐る恐る顔を上げてみると、肩を掴んで護衛を制止するスレイの姿が目に止まる。


「君の忠義は評価するが、相手はまだ子供だ。そう目くじらを立てることもあるまい」

「は……はッ! これは失礼しましたッ!!」


 護衛が恐縮しながら頭を下げるのを見て届けると、ニニカは男の子から離れ、その場で屈む。

 そして、いまだ泣きそうな顔をしながらもこちらを見上げる男の子の頭を撫で、


「馬車が走っているから、通りに出る時は気をつけないと。ね?」


 アリアとしてではなく、ニニカとしての笑顔を向けた。


「ごめんなさい…………それから……ありがとう……ございます……」


 謝罪とお礼をちゃんと言えた男の子の頭を撫で繰り回した後、これ以上注目を集めるのは彼にとっても酷だろうと思い、さっさとこの場から送り出してあげる。


 大事にならずに済んだことに、ニニカは満足しそうになるも、


「……ぁ」


 先程からただ黙ってこちらを見つめているスレイの視線に気づき、顔が引きつりそうになる。

 先程の行動は、どこをどうとってもアリア・シールズの行動ではない。

 けれど、ニニカ・マルケットとしては、小さな子供が酷い目に遭うところを見過ごすことができなかった。


 なぜなら、孤児院にいる子供たちとダブって見えてしまうから。

 その子供が酷い目に遭うところを見るのは、耐えられないから。


(これはもう……わたしがアリア様じゃないってこと……スレイ様にバレちゃったかもしれない……よね?)


 泣きそうな顔になることだけは、どうにかこうにかこらえていると、


「こうもドレスが汚れてしまっては、パーティには出られないな」


 決して綺麗だとはいえない男の子に覆い被さったことで、ニニカのドレスは確かに汚れていた。

 予想だにしなかった言葉にポカンとしている内に、スレイは御者に王城に戻るよう命じてから、ニニカに言う。


「それから、先程はつまらないことを言ってしまった。どうか忘れてくれ」


 踵を返し、箱馬車に戻っていくスレイを引き続きポカンと見つめながら、ニニカはポツリと漏らす。


「なんとかなった……のかな?」

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