第4話 ときはフェニックスとなって
2005年8月2日。夜の長岡駅から東京方面に出発する、二階建ての新幹線E4系Maxとき号。長岡駅の屋根まで覆われているホームから出ると、周りは暗闇に包まれ、車窓からは長岡市の街並みが見える。この日は街が賑わっていて、街が明るくなっていた。普段より多く人が乗っている新幹線の屋根には、上越新幹線の列車を担う「とき」が、進行方向右側に座っていた。
コトンコトンと新幹線は分岐を通過する。
「あさひ。始まるよ。」
ときはパチンと指を鳴らした。
時を遡って1992年3月13日。この日は東海道新幹線で革命が起きたダイヤ改正だった。
時速270キロで走る新幹線「のぞみ号」のデビューした日。のぞみとひかりが再開した日でもあった。
それは会社が違う、東北、上越新幹線も見ていた。
「270キロはすごい。」
東北新幹線各駅停車を担う「あおば」が静かに口を開いた。
「こっちも新形式の400系が325キロ出したらしいけど、普段から300キロ出さないらしいわね。」
東北新幹線速達列車を担う「やまびこ」があおばに言う
「あれは試験。300キロは無理。」
「そうなのよね〜。でもこっちには〜?」
やまびこはあおばより向こうを見た。
「そう!私がいるんさ!」
そう自信満々に一歩前に出たのは、上越新幹線速達を担う「あさひ」。
「まだ誰も私は超えられないよ!」
「ま……まあまあ……今はあまり大きい声出さないで、東海道は静かに見守ってようよ。」
そう言ってあさひをなだめたのは、上越新幹線各駅停車を担う「とき」だ。
「あと、わたしはもう出発だから行くね。」
ときは後ろで待機している200系に体を向ける。その時、とき号の出発ベルが鳴り出した。
「あさひ、また後でね。」
ときは手を振る。
「うん!いつも通り爆速で行くよ!」
ときは少し急いで歩き、200系とき号に向かった。のぞみ号の出発式を見ていたため、1号車の乗務員扉から乗り込み、前方の確認をする。車掌により扉が閉まり、車両側面に付いている赤いランプが消える。数秒して200系が静かに動き出す。
「のぞみの出発までもう少し見たかったなあ……」と、ときはそう思いながら、少しだけ後ろを振り返る。もちろん、前方の安全を確認した上で。
後ろではあさひが元気そうに両手を振っていた。ときは手を振り返す。そしてすぐ前方の安全確認をする。3月の冷たい風が顔に当たる。東京駅のホームの終端を超えると速攻で窓を閉めた。
「またいつもの場所で見送ろう。」
ときは冷えた手に暖かい吐息を吐きながら言った。あさひが言った「いつも通り爆速」を見るために。
新幹線「とき」号は、上越新幹線のすべての駅を停車するため、ゆっくりゆっくりと新潟に向かう。ときは乗務時間中は車内サービスを行っている。車内販売用のワゴンを押して、編成内を往復している。暑いときはアイスや冷たい飲み物を、今日のように寒い日には暖かいコーヒーやお茶を販売している。あまりにも混雑しているときは、ブッフェ車両が入った編成であれば、そこで売り込みをしている。お客さんや車掌さんからは看板娘のような存在になっている。
今日も車内をワゴンを押しながら往復する。背丈ほどあるワゴンを押すため、前にはかなり注意している。見た目は滑稽だが、お客さんからは「ときちゃんだ」と、会えただけで喜ばれるような存在になっている。ときとしては、ワゴンを押すだけで大変なのだが、お客様が喜んでくれるなら、と自ら行っている。今日は寒い朝のため、コーヒーが良く売れた。寒い中、新幹線を待っていたお客さんの手の冷たさは、釣銭の受け渡しでときに伝わってくる。
「寒い中待っていただいてありがとうございます。コーヒーです。」
ときは、接客が得意というわけではなく、自分なりにお客様のことを考えて行っているだけだ。そんな不器用な接客でも、「ありがとう。寒かったから助かるよ。」と、片手で持てるコーヒーを両手で持ち暖をとって、ほんのりとした笑顔でお客様が応えている。ときはそんなお客様の反応が好きだった。
そんな車内の過ごし方を上毛高原まで続ける。
「あ、もう片付けないと。」
ときは上毛高原を出発してお客さんの動きが落ち着いたタイミングで、車内販売のワゴンを片付ける。それから、編成の中間あたりにいる車掌さんに声を掛けに行く。
「車掌さん。今日も越後湯沢で降りますね。」
「今日もだね。了解。」
車掌さんは慣れている様子か、すんなり了承する。
「じゃ、放送の……マイクね。」
車掌さんは車内放送用のマイクを、ときに手渡す。ときは放送開始のボタンを押す。
「今日も上越新幹線とき号をご利用いただき、ありがとうございます。次は越後湯沢に停車致します。わたし、ときも降車させて頂きますが、車内販売は引き続きご利用になれますので、どうぞご利用ください。ありがとうございました。次は越後湯沢、降り口は左側です。上越線はお乗り換えです。」
ときはマイクのボタンから指を離す。
「今日もありがとうございました。」
車掌にお礼を言ってマイクを返し、車掌室を後にする。
そうしているうちに、越後湯沢に停車するための減速が始まっていた。
ときは、車内のデッキの右側に立つ。降りるお客さんの邪魔にならないようにするためだ。客室とデッキの間の扉が「プスー」と音を立てて開く。スーツケースを持った男性、スキーらしき長い荷物を持った男女カップル、いろんな人が降りる準備のためにデッキにやってくる。
デッキが窮屈になってきた時、ときは右側の扉に身体を預け、窓から外を見る。まだトンネルの中の暗闇だが、左側には微かに光がトンネルを照らしていた。その光がどんどん自分に近づいてくる。一瞬、光がときの視界を包んだ。トンネルから出たのだ。ときの目が明るさに慣れると、目の前には曇り空と雪で白く化粧された山が見えた。すると、「カタンカタン」と新幹線が分岐を越え、左右に揺れ始める。ときは扉にもたれていたため、身体が扉に押し付けられる感覚になる。
減速が一旦緩み、少ししてゆっくりとブレーキがかかり完全に停止する。扉が開き、お客さんが降りていく。
「ありがとうございました~」
ときは降りていくお客さんに声をかけていく。お客さんの列が途切れたら、ときも列に続いて降りる。車内で暖められた身体が雪国の寒さで冷やされる。
乗ってきたとき号の出発のベルが鳴る。200系の甲高い機器の音を屋根に囲まれた駅のホームに響かせて、唸るような低いモーター音を出して駅から灰色の景色の中に消えていった。
「とき、降りたのか?」
そんな自分の始発列車を見送ったときに、中年男性の駅員が後ろから声を掛けた。
「あ、おはようございます。今日もです。えへへ……」
「いつも飽きないね。こんな寒い中。」
駅員さんは呆れたように笑う。
「今日も寒いし、しばらく列車来ないから待機室で待っているといい。」
「ありがとうございます。何かあれば、いつものように手伝うので。」
「ああ、その時は声かけるよ。」
ときと駅員さんは待機室に入る。中は暖房で暖かくなっていた。ときの冷えた頬が溶ける様に緩む。
「あったかい。」
「また、アレだろ?ゆっくりしていきな。」
そう言って駅員さんはホームの巡回に出て行った。
ときは焚かれている暖房を見つけて近づき、手をかざす。
「はやく来ないかな……」
ときは呟いた。
ときが待機室から出た。今日は平和で特に呼び出しも無かった。業務中とは言え、暇だったため、待機室にある時刻表や本を適当に読んでいた。ときにとって暇つぶしは慣れたことだった。待機室を出て、ホームの真ん中あたりに行くと、駅員さんと目が合った。
「お、出てきたな。」
「はい、いつものことなので」
駅員さんは時計を見る。
「そろそろだな。今のところ、遅れやトラブルもないそうだ。」
「わかりました。」
ときは東京方面の外を見る。屋根に囲まれたホームの先では、雪が降っていたため、スプリンクラーの水が円弧を描いていた。さらにその先には山を越えて群馬県へ繋がる大清水トンネルが口を開けている。
真っ暗闇のトンネルの奥の壁が黄色い光で照らされる。やがて2つの丸い光が見え、こちらに近づいてくる。ともにトンネルから響く低音が聞こえ、レールが鳴き始める。
2つの丸い光を装備した丸い顔、200系がトンネルから顔を出した。そしてすぐにスプリンクラーを浴びるが、新幹線の速さで水は車体から弾き飛ばされる。ホームに突入すると、屋根で響く轟音とともに、手前から二番目の線路を通過していく。12両の白に緑の帯を巻いた200系は言葉通り、あっという間にときの目の前から過ぎ去った。通過した200系の2つの赤いテールライトは駅の柱で遮られ、やがて見えなくなった。
「今日も元気そうだね。」
ときは呟いた。ときがわざわざ越後湯沢で降りたのは、これが見たかったからだ。
越後湯沢駅を勢いよく通過した新幹線は、「あさひ1号」。上越新幹線で2本しか設定されていない、最速の時速275キロを出す列車の1本だ。ただ、大清水トンネル内の下り勾配で加速するため、越後湯沢駅からの平地では徐々に減速してしまう。最速を外から見ることができるのは、越後湯沢駅が一番良い場所だった。
ときは朝の「あさひ1号」の通過をみるのが大好きだった。「自分も早く走りたい」などの欲は、ときには無い。ただ元気なあさひが好きなだけ。今日から時速270キロで走る300系のぞみ号が走り出すが、ときにとっては、あさひは自分の上越新幹線の誇りだった。
「もう満足か?」
隣に立つ駅員さんに声を掛けられ、ときは我に返る。
「はい。今日も一日頑張れます。」
ときは、寒いながらも暖かい笑顔を見せる。
「じゃ、いつも通りすぐ来る自分の列車に乗りな。今日もご安全に。」
「ありがとうございました。ご安全に。」
ときは、勢いよく通過した「あさひ1号」とは真逆に、トンネル内からゆっくりと一番手前の線路に入ってくる「とき号」に乗った。これで新潟を目指す。
トンネルばかりの浦佐を過ぎ、最後のトンネルを抜けると越後平野が目に広がった。雪は道以外の田んぼや広場の片隅に残っている程度だった。そして長岡駅停車のアナウンスが放送され、新幹線が減速を始めると、長岡の街が高架橋の下に見える。トンネルを抜け、田んぼの平野から市街地に移り変わっていく、長岡駅停車前の車窓もときは好きだった。ときは長岡出身、というわけではなかったが、不思議と故郷のように感じられる長岡が好きだった。
長岡、燕三条を過ぎると、もう雪は無くなったものの春の訪れまではもう少し、といった景色だった。新潟駅の停車に向けて減速し始めると、外の景色から田んぼは消え、新潟市の街が広がり、ときの乗ったとき号は新潟駅に静かに停車した。
「とき姉~また私のこと見てたでしょ~?」
ときが乗った列車が新潟新幹線第一運転所へ回送されたあと、ニヤニヤとあさひに声を掛けられた。
「うん。元気そうに走ってたよ。」
「そう、私はいつも元気だからね!」
あさひは胸を張る。
「まあ、今日は少し早めの出発だったから、272キロで頭打ちだけどね~。」
「ATCの限界が275キロだから仕方がないよ。」
「でも攻める人は274キロとか出すから、テンション上がるよ!」
あさひとときの他愛もない会話が続く。
この時のときは、こんな日々がずっと続くと思っていた。
それからは、オール二階建てのE1系が導入され、「Maxあさひ」「Maxとき」が追加された。ただ、これは些細な変化だった。大きな変化が訪れるのは、その約三年後のこと。
1997年10月1日に、上越新幹線の高崎から分岐して長野まで行く北陸新幹線、通称長野新幹線が開業し、「あさま号」が走ることになった。それだけなら嬉しいことと捉えられるが、同時に列車愛称の整理も行われた。その手は上越新幹線にも及んだ。
列車愛称が行先別に整理され、東京~高崎・越後湯沢を結ぶ「たにがわ」が新設された。
同時に「とき」が廃止された。東京と新潟を結ぶ新幹線は「あさひ」に統一となった。
前日の9月30日には、「とき号」の廃止ということで、鉄道ファンが多く集まった。勿論、あさひは悲しんでいた。「とき号」最終列車が新潟駅に到着してから、あさひはときから泣いて離れなかった。ただ列車というものは、人が決めた「廃止」に逆らうこともできず、
「見守っていてくれてありがとう。」
と、あさひから最後の言葉を聞いて、ときは「とき号」の消滅とともにあさひの目の前から消えた。
ときは真っ暗闇の中にいた。「これが俗に言うあの世ってやつなのかな。」としか、ときは思わなかった。ときは上越新幹線の開業から担ってきた、各駅停車の任務を全うしたんだ、という気持ちでそっと目を閉じた。瞼の裏側に映るのは、今まで見てきたあさひとの会話と在来線時代から見続けていた新潟県の車窓だった。
ふと、ときはある駅員さんから聞いた話を思い出した。それは、不思議と故郷と思える場所、長岡についてだった。
戦時中の1945年8月1日の夜、長岡は激しい空襲により、戦火に包まれた。死者1488名、罹災戸数11986戸、爆撃機はB-29爆撃機125機、投下爆弾量924.3トンになる、大規模な空襲だったそうな。少し先の見附市からは、焼夷弾による大規模な火災で夜の空が赤く染まっていたらしい。長岡駅から特徴的なトラス橋の「長生橋」が見えるほど、長岡の街は焼き尽くされた。
あまり長岡空襲ほど有名ではないが、7月20日に模擬原子爆弾も投下され、死者四名、負傷者五名、周辺地域の住宅等の被害もあった。
このような戦争災害を受けた長岡は、今後どうなったか?
1946年7月から本格的な復興事業に取り掛かった。将来に商工業都市としてさらに発展することを見据えたらしい。駅の西側に伸びる大手通りの幅員は36m。あの広い大通りはこの時に出来たらしい。今の長岡の景色はこの時に作り上げられた。そして街として“蘇った”のだ、と。
ときは“蘇る”という言葉がとても気になっていた。自分も何かしらの形で“蘇る”のではないかと。
結果として、「とき号」は2002年に蘇った。代償として上越新幹線から「あさひ号」の列車名が消えた。上越新幹線の東京から新潟を結ぶ新幹線は速達・各駅停車全ての列車が「とき号」となった。
この時、ときを含めてあさひに会えなくなった新幹線の仲間たちは、皆寂しがっていた。同じ上越新幹線の中間にたにがわがいるため、孤独という訳では無いが、ときにとってあさひの存在は大きく、喪失感はいつまでも無くならなかった。
「とき号」が復活してから数ヶ月経ち、ときは限界に達していた。
ある朝の始発の時間帯、東北・上越新幹線の仲間が自然と集まる時、
「あさひが居なくなるなら、わたしは居ないままで良かった!」
と、ときは仲間の前、乗客の前で言ってしまった。
「いつまでも引き摺るな!」
たにがわがときに掴みかかって言った。
「確かに、お前の代わりにあさひは居なくなった。俺も含めて皆寂しがってる。だがな、あさひは今は名前が無いだけで、役割はときが継いでるんだ。」
たにがわは一度息を呑む。掴みかかっていた手を離す。
「だからさ、あさひは居なくなったんじゃない。とき、お前の中に入ったんだ。だからお前も居ない方が良いなんて言わないでくれよ。」
たにがわは落ち着いた口調で言う。
「そうそう。私もあおばが居なくなったけど、代わりになすのとはやてとこまち、つばさがいるから、今は寂しくなっても今の仲間がいるからへっちゃらだよ。」
と、やまびこは東北新幹線グループの真ん中で手を広げて言った。
「わたし……居てもいいの……?」
「もちろん」「当然」と皆が言う。
「あと、これは俺には似合わないからやるわ。」
たにがわは、髪を結んでいた赤いリボンを解き、ときに手渡す。
「たにがわ……これは……?」
ときはこの赤いリボンに見覚えがあった。
「これ、あさひが使ってたリボンだ。あさひが居なくなる直前に俺にくれたんだ。」
「え、それじゃ、たにがわにとっても大切のリボンじゃ……」
ときはたにがわに返すように、リボンを持った手をたにがわに差し出す。それをたにがわは、ときの手を取って返す。
「これは役割を継いだお前が使うべきだ。寂しくなっても、これがあればマシにはなるだろ?」
そう言われ、ときは自分の髪を結んでいたリボンを解く。
「なら、わたしからたにがわにあげる。」
たにがわはフッと笑い
「これでおあいこ。俺たちゃ仲間だ。」
お互いに交換したリボンを結ぶ。
「お似合い」
なすのは二人を褒める。ときには、なんとなくあおばの口調となすのがそっくりだと思った。
「とき似合ってるよ、というか、髪の長さと色が違えばあさひなんだよね。」
やまびこに笑いながら言われた。
「これならあさひと一緒な気がする。」
ときは新幹線の窓の僅かな反射を鏡にして、自分を見る。
「たにがわありがとう。」
ときはたにがわの両手を掴む。
「上越新幹線、これから改めてよろしくね。」
「ああ。」
たにがわは頷く。
しばらくは平穏な日々が続いた。
2004年の10月になり、群馬と新潟の県境のあたりの山は赤色に染まってきた。秋に入り、紅葉の季節に入ろうとしていた23日の朝。
この日は朝からときの調子が良くなかった。だが、身体の異常は感じられず、普段通りの業務についた。ただ、乗り物で酔ってしまったような気持ち悪さが昼まで続いた。
昼は東京で少し休んでから列車に乗務して、早めに新潟に帰って休もうと考えた。
14時20分東京発新潟行きのとき325号で東京から帰ることにした。車両は開業当時から活躍する丸い顔が特徴の200系K25編成。東京駅で車内に入った時、胸の辺りが「ざわ」っとしたような気がしたが、ときはあまり気に留めず、車掌と運転士に挨拶して、出発後の車内サービスの準備をしていた。
とき325号は定刻で東京駅を出発した。VVVF制御交流モーターが主流になっている最近の車両とは違い、サイリスタ制御直流モーターで動く200系は、独特の低音を車内に響かせながら加速していく。特に異常もなく、定時で新潟を目指す。
この時も車内サービスをしながら、編成内を往復していた。浦佐を通過した頃、ときは先頭から2両目の9号車の車掌室にお邪魔していた。上野からひたすら往復していたため、ときは少し疲れていた。午前中にときが体調を崩していたことが車掌さんにも伝わっていたため、「今日は休みながら乗ってな」と言葉を掛けてもらった。その言葉に甘えて、ときは車掌さんが待機している向かい側の車掌室で休憩していた。
浦佐から長岡までは2本のトンネルがあり、一本目のトンネルを通過して十数秒後に、2本目の新潟側の最後のトンネルに入った。ときが腕時計を見ると、17時55分を指していた。
「よろっと始めようかな。」
そう自分に言い聞かせて、車内サービスを再開しようと思い、車掌室の座席から立った瞬間、
「止まって!」
ときの身体が止まる。声が聞こえたような気がした。でも周りには誰も居ない。車掌さんの声でも無い。でも聞き慣れた声だった。ときの頭の中は「?」しかなかった。
物事は一瞬だった。ときは本能的に「新幹線止まって!」と頭の中で叫ぶ。それと同時に「ドン」と突き上げるような衝撃。同時に車内が停電し、非常ブレーキがかかる。その次に横方向に揺れ始める。
「うあっ」
ときは壁に叩きつけられた。立って居られず、座席の下に頭を抱えてしゃがみ込む。列車は激しい横揺れで揺さぶられた。ときは地震だと分かった。脱線転覆、左側に転覆して高架橋からの落下は避けたかっが、車体が左側に傾いた。
「助けて!あさひ!」
もうあさひは居ないはずなのに、恐怖でときは本能的に叫んだ。あさひに助けを求めた。
すると、車体は「ガタン」と右に傾いた。「ガリガリ」と床下からの音と激しい振動が続くが、少しずつ小さくなり、新幹線は完全に停車した。
「収まった……?」
ときはゆっくり立ち上がる。車掌室内は暗闇に包まれていた。窓から外を見ると、うっすらと暗くなっている長岡の田園風景画が見えた。トンネルは抜けていたようだ。
「傾いてる……?」
立ち上がって気付いた。特にカーブしている区間でもないのに車体が傾いている気がした。
ガラッと車掌室の扉が開く音がした。
「とき、大丈夫か?」
車掌さんだった。
「わたしは大丈夫です。今のは地震……ですか?」
「地震……だろうな。俺が放送するから、ときは状況の確認をお願いしたい。」
「わかりました。」
ときは、目を閉じて意識を集中する。上越新幹線内の新幹線は全て無事に止まっているのは分かり、ときは安心した。次にこの「とき325号」だ。編成が線路から外れ、ガタガタになっているのが分かった。6と7号車は脱線を免れていた。最後尾の1号車が一番酷く、レールから完全に外れ、融雪排水溝に接していた。確か、1号車に一人のお客さんが居たような……と、ときは思い出す。安否が心配になり、集中することをやめ、ときは車掌さんに報告した。
「この列車だけ脱線か……。分かった。脱線していない車両にお客様を集めよう。」
車掌さんと運転士さん、パーサーさんと協力し、お客さんの安否を確認しながら6,7号車に案内した。この間にも大きい余震が続いた。
大きく傾いた最後尾の1号車のお客様は、無事に2号車に移動する事が出来たらしい。
運良く、乗っていた人全員が怪我もなく無事だったことが確認できた。
外からの救援が来るまで、お客様同士で励まし合っていた。ときも、本来の売り物である飲み物を配るなどの対応や、怖がっている人を安心させるように励ました。
ようやく長岡から救援が来て、外に出た時、200系が酷く傷ついていることが分かった。翌日に明るくなれば、より酷いことが分かるだろうと、ときは思った。
この時の長岡、新潟県中越地域は混乱していた。震度4を超える余震が続き、長岡は恐怖と不安で包まれていた。被害が大きかった山古志村では、土砂崩れによる孤立や自然ダムにより土石流が発生する危険があった。他にも被害が大きかった川口町や小千谷市では避難生活が長期に渡って続いた。
脱線してしまった「とき325号」の事故調査、撤去の間にも大きい余震が続いた。ある時、ときが新潟新幹線車両センターに戻った頃、200系が出てきていた。
「お、とき大丈夫だったか?」
「200系……ごめん……。」
「脱線したんだろ?でも皆が怪我なくて良かった。」
「あの200系、K25編成は大丈夫かな……?」
「……見たけどもうダメだろうね。」
「そっか……ごめんね。壊しちゃって……」
ときは200系の一部である一つの編成を廃車してしまうことに、申し訳なく感じていた。
「あれは仕方がない。ニュースとか見ただろ?」
今回の地震は、長岡市の南側にある川口町の浅い地下が震源だったらしい。そこは、新幹線のトンネルからかなり近い距離だった。地震の規模も大きく、震度7だったらしい。震度7を観測したのは、阪神淡路大震災以来、観測史上2回目だった。被害は死者68名、住宅被害の全半壊が約1万7000棟、道路破損6064ヶ所、崖崩れ442ヶ所、他にも数えきれないほどの被害があった。この震災は「新潟県中越地震」と名付けれられた。
日本の新幹線には、「ユレダス」と呼ばれる、地震が発生したらすぐに新幹線を停車させるシステムがあるが、今回は震源から非常に近かったため、作動して非常ブレーキしていたものの、間に合わなかったとのこと。
「だから、脱線があの規模で済んだのは奇跡だよ。」
その奇跡だと言われる要因に、200系が雪国対応の頑丈さ、対向列車が無かったこと、車輪と台車部品がレールを挟み大きくレールから逸脱しなかったこと、転覆しなかったこと、左側にではなく右側の融雪排水溝にはまり込んで転覆や横転、高架橋からの転落を免れたこと、らしい。頑丈な200系には感謝しか無かった。
そして今は、2005年8月2日。ときは東京行きの上越新幹線E4系の屋根の上に進行方向右側に座っている。
上越新幹線の復旧は続く余震によって、長引いてしまったものの、12月28日に臨時ダイヤで全線運転再開となった。また、脱線事故により廃車になったK25編成の代わりに廃車予定だったK31編成が入ることになった。
被害を受けた街は、日本国内外からの様々な応援により復興した。
長岡市では、1945年の長岡空襲の復興を願い、翌1946年8月1日に行われた戦災復興祭から始まった、「長岡まつり」が毎年8月1日に行われる。その翌日の2日と3日の二日間には「長岡大花火大会」が行われている。
「あさひ、始まるよ。」
ときが指をパチンと鳴らすと、新幹線は長岡駅を出ても加速しなくなった。意図的に運転室のATCを70km/h制限にしたのだ。そこまでしてときが、あさひに見せたかったもの。
「Every day I listen to my heart ひとりじゃ~な~い~」
ときが胸元に持っているラジオから音楽が流れると同時に、5か所から花火が上がり始めた。復興祈願花火「フェニックス」だ。曲は平野綾香の「Jupiter」。色とりどりの花火がドンドンと打ちあがる。
「ちょっと早いかな。」
ときは指を鳴らす。ATCを30km/h制限にし、ゆっくり見ることができるようにした。
「あさひ」
花火を見ながらときは話し出す。
「あの時、脱線事故のとき、助けてくれたんだよね?」
ときは隣にあさひがいるかのように話す。
「脱線する直前、左側に振られたのに、突然右側に振られて融雪排水溝にはまりこんだんだよ?他の車両は台車部品がレールを挟んだから大きく脱線することがなかった。」
この間にも、花火一つ一つの大きさがどんどん大きくなり、長岡の空が明るく照らされる。曲もフィナーレといったところだ。
「あれは、偶然じゃありえない気がするんだ。だからさ」
ときは、地震の事と、その後を思い出す。ずっとあさひが居てくれているような気がしたから、ここまで来れたと思っていた。ときは涙を流す。
花火のフェニックスが曲と共に、打ち上げが終わった。長岡の空が元通り暗くなる。
「ありがとう。あさひ。これからも一緒だよ。」
そう言って、ときは車内に移動し、ATCの指示速度を元通りにする。普段通りに東京へお客さんを運ぶ業務に就いた。
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