第3話 夜駅のひかりの中で待つシンデレラ

 私は上下左右どこを見ても真っ白な光に包まれた空間に立っていた。足元には2本の鉄のレールと枕木が私の視線のずっと先まで伸びている。不思議と恐怖感も何も感じない。このレールの先には一人の女の子が立って背を向けて立っている。手を伸ばせば届きそうな距離に、その女の子は後ろで手を組み、頭のポニーテールが揺れていた。不思議と落ち着きがあるその後ろ姿から、私はすぐ誰だか分かった。

「・・・・・・み!」

 私は女の子の名前を呼んだ。女の子がそっと私の方に振り返る。耳が私の方に向き、目元が見えそうになった時・・・・・・視界が暗い天井になった。私は普段寝ている車両所のベッドに仰向けになっている。

「またあの夢・・・・・・。」

 この夢を見た後は涙が出てくる。

「会いたいよ・・・・・・。」

 体を横に向け、また眠りについた。涙ぐんだまま。


 私はひかり。東海道新幹線が開業したのはもう昔の話。世界でも時速200km以上で走る定期列車として注目されてきた。斜陽とされてきた鉄道に活路を見せたのは私の、日本の誇りと思ってる。フランスのTGVに最高速度を越されたのは悔しいけど、私はあまり気にしてない。こうやって今も走り続けられるのが嬉しい。ただそれだけ。


「ひかり聞いたぞ。」

 私とこだまは一つの机に向かい合っている。こだまはテーブルに肘をついて前のめりに行ってきた。

「ほえ?」

 私は何のことかわからなかった。特に何も聞いていないから。

「CMに出るんだろ?大した出世じゃないか。」

「CM?」

「おい、まさか本人が聞いてないのかよ・・・・・・」

 こだまは呆れた。私はCMのことなんて・・・・・・ああ、思い出した。

「そういえばそんな話あったねー。車掌さんが言ってたような。」

 車掌さんがこの話をしてきたとき、私はボーッと車窓を眺めていたから、断片的にしか覚えていない。

「おいおい。自分のことなのにあんまり知らないのか。」

「私が映るんじゃなくて、ひかりが背景になるだけだったはず。だから大したことじゃないよ。」

「え、そういうことなのか?なんだ。」

 こだまはこの話への関心が無くなり、テーブルに頬杖して水を飲む。

 目の前にいる娘は「こだま」。前髪を切り揃えて肩の辺りまで髪を伸ばした、切れ長の瞳の綺麗な娘だ。ただ、

「せっかくならアタシも写りたかったのに。」

 口調も性格も少し強め。

「明日も早いし、アタシは休むわ。」

 こだまはあくびをしながら席を立つ。

「あ、うん。おやすみ〜。」

「おやすみ。」

 私は休憩所に向かうこだまの背を目で追った。

「さて、私も寝よ。」

 私はコップに残った水を飲み干して休憩所に向かった。

 今夜はどんな夢を見るんだろう。


 「・・・・・・」

 視界がボヤけてる。私は目を擦った。

「ふぁ〜ぁ・・・・・・」

 いつも通りの朝。休憩所のベッドの上に仰向けになっている。上半身を起こす。

「また夢ね・・・・・・。」

 私はベッドから降りて新幹線の乗務の支度をする。

 いつも通り、東京発の始発のひかりに乗り込む。朝は通勤の需要で忙しいから、眠気はすぐに覚める。駅と駅の間で少し休んでる時、見た夢を思い出す。こだまと初めて会った時の夢だった。

 こだまは東海道新幹線の各駅停車を担う大切な相棒だ。相棒とも言えるこだまとは、1964年10月1日に出会った。最初はあまり仲良く話す間柄じゃなかった。ただ、仲良くないまま仕事をするわけにはいかないから、私から話しかけに行った。でも運転初日は食堂の私の所に来たから、人嫌いでは無さそうだった。たぶんシャイなだけ。私は朝鮮半島から来たから、日本の鉄道は知らなかった。そんな私に日本の鉄道を教えてくれた。こだまの知識量は凄かった。まるで自分の目で日本中を回って見てきたかのように。こだまが教えてくれたおかげで、運行を始めたばかりのトラブルは対処しやすかった。こだまには「アホ」と言われながら手伝って貰っていた。こだまが教えてくれなかったら、今の新幹線の信頼性は無かったかもしれない。

 他にも私は日本の鉄道が新幹線に進化していく意味を知ることができた。それは私の存在意義を教えてくれることにも繋がった。こだまのお陰で私が走る意味を知った。こだまには感謝だ。

「今日は平和だな~。」

 私は比較的静かな車掌室であくびをしながら車窓を眺める。今は山側の車掌室にいる。天気が良く、山の向こうまで青空が広がっていた。あと、海側にいたら眩しくて暑い。

「わ。」

 窓が一気に暗くなった。丹奈トンネルに入った。新幹線の風の音がトンネルの中に響き渡り、車内に伝わってくる。トンネル特有の不規則な揺れが続く。揺れと音で眠気が覚める。少しだけ。

「今日はいい天気だから・・・・・・」

 私はトンネルに入る前の天気から、あることに期待する。車内に響く音が徐々に小さくなり、トンネルの壁が白い光に包まれる。丹奈トンネルの長い暗闇に慣れたせいで、急な光で目を細める。私は車掌室の座席を立つ。

「さて、仕事しますか!」

 私は体を伸ばして眠気を吹き飛ばす。車窓から三島の街が見えた。私は街の奥を見る。

「よし、いいね!」

 私は車掌室のマイクを手に取る。

「おはようございます。今日も、私をご利用頂きまして、ありがとうございます。お客様にご案内致します。只今、進行方向右側に、富士山がご覧いただけます。どうぞ、ごゆっくりご鑑賞ください。只今、進行方向右側に、富士山がご覧いただけます。どうぞ、ごゆっくりご鑑賞ください。」

 私はマイクを壁に戻した。

「ふう。こういう普段しない放送は楽しいね」

 私が一息ついた時、車掌室の扉がコンコンとノックされた。

「はーい」

 扉が開き、若い車掌さんが顔を出した。何故か顔がにやけていた。

「ひかり?放送なんだけどさ、フッ」

 車掌さんは笑いを堪えていた。

「なによ」

 放送で何もしてないのに、私を見られながら笑われるのは、ちょっと頭にくる。私は強めに行った。こだまみたいに。

「いや、『私をご利用頂き』って・・・・・・普通、『ひかり号』でしょ。」

「え?言ってない言ってない!」

 私は言った記憶が全くなかった。

「言ったって!俺は聞いたぞ。お客さんもそう言ってるぞ」

「言ってないってば!出てってよ!」

 私は絶対に言ってない。でも恥ずかしくなってきたから車掌さんを追い出す。

「そんなんで今夜の撮影大丈夫か~?」

 車掌さんは車掌室を出てまでもからかい続ける。

「大丈夫だってば!じゃ!」

 カチャ!と軽い金属がぶつかる音を出して扉を閉めた。私はさっきの車両さんの言葉を思い出す。

「・・・・・・あ」

 結構重要な情報だった。

「・・・・・・撮影今日だったー!」

 私は頭を抱えた。完全に忘れていた。

「なんか・・・・・・緊張してきた。」

 私は座席の上で膝を抱えて丸くなる。これが掛川のあたりまで続いた・・・・・・と体感で思っていたが、静岡通過前までだった。


 CMの撮影の時間がきた。

 とは言え、私自身がCMに映ることはない。私は撮影の回送列車の付き添いだ。回送なら付き添う必要はないが、CMのストーリー上の設定を「ひかり289号」にしているらしい。こだまから「シンデレラ」の物語はどんなものか聞いている。日本人なら知らない人はいないくらい、有名は童話らしい。

 継母と姉たちにいじめられていたヒロインのシンデレラが、魔法使いの力でドレス着て舞踏会に行く。ただ魔法の時間は午前0時まで。シンデレラは王子様に出会うも、午前0時になり、焦って出ていく時にガラスの靴を落とし、王子様はそのガラスの靴からシンデレラを探し出し、シンデレラは妃として迎えられる話。

 確かに、「ひかり289号」は東京駅を21時に出て、0時には到着してその日の新幹線の営業を終える。離れ離れに住む人たちが週末に会って日曜の新幹線で別れていく、という光景は度々見てきた。むしろ私にとっては週末の日常の光景だった。そんな日常を童話の「シンデレラ」と結びつけるなんてよく思いついたものだ。新幹線を舞台にした遠距離恋愛、ロマンチックなものだ。

 私は新幹線列車の「ひかり」であると同時に女の子でもある。そんな話を聞いて憧れを抱いた。

 まあ、現実にそんなことはないよね。

 だた、今は憧れる余裕なんて無かった。

「なんか朝から緊張するなと思ったら、これか・・・・・・」

 急遽私がCMに出演することになった。新幹線の横で、ただ立っていればいいらしい。映るのは5秒くらい。普段通りの仕事をこなすだけなんだけど、妙に緊張する。心拍数が無駄に上がる。

「カメラがいっぱいいる・・・・・・。」

 駅のホームには大きいテレビ用のカメラがたくさん置いてある。開業の時とか100系が登場した時に、たくさんのカメラを向けられたことはあったけど、今回だけは何故か緊張する。しかも、本当の「ひかり289号」は0系が使われていたけど、わざわざ最新の100系を使うなんて・・・・・・余計に緊張する。

「いつも通り自然にいるだけだよ。しっかりして私!」

 私は自分の頬を両手で叩き、よしっと気合を入れる。

「撮影始めまーす!」

 カメラが構えられてる所から声が聞こえた。私は一層緊張する。

「よーい、スタート!」

 お客さん役の人たちが動き出す。すごい。最終列車に急いで新幹線の乗り込む人、駅に到着して新幹線から降りる人、役者さんだと分かっていても、さっき見送った本物の最終列車をまた見送っているみたい。普段の夜の駅と変わりがなかった。

「カット!」

 この声が響き渡った瞬間、役者さんたちの演技が終わった。普段の駅の日常から撮影現場に変化した。

「終わった~」

 緊張した割にはあっさり撮影が終わった。役者さんたちに感心して終わってしまった。私は変に映ってないかな?どんな風に映っているか気になるけど、まあ、良い映像撮れたならいっか。

「ひかり、まだ仕事はあるぞ。」

「わ」

 後ろから朝の若い車掌さんから声を掛けられた。びっくり。

「そ、そうだ。名古屋と岐阜羽島でもやるんだっけ」

 私は100系に乗り込んだ。

 この撮影は何往復かして撮影を終えた。私はただ立っていただけだけど、すごい疲れた。あと眠い。

 終電後の撮影だからと、翌日は休んだ。運が良いことに、何も連絡は無かった。特にトラブルは無かったらしい。久しぶりに一日休んだ。


 私は休んだ日の夜に、いつもの食堂のテーブルでこだまを待った。

「あ、こだま来た。おつかれ~。」

「ああ、ひかりも昨日の晩はお疲れさん。」

 こだまは私の向かいの椅子に座る。

「ありがと~」

「で、昨日の撮影はどうだった?」

「順調にだったよ。あと役者さんたちがすごくてびっくりしちゃった。」

 私は昨日に思ったことを素直に言った。こだまは共感というより、なんじゃそりゃ、という反応だった。こだまも見たらすごいと思うんだろうな。


 しばらくして、CMが放送された。音楽に乗せて映像が流れる。新幹線のホーム上で、女性が彼を待っていてもなかなか来ず、とうとうホームに誰も居なくなったと思い、悲しい気持ちになっているところを柱からクリスマスプレゼントが入った箱を持って彼が出てくる。一組の恋人同士が感動の再開をする物語。

 私とこだまはいつもの食堂でいつの間にかテレビに釘付けになっていた。

「私たちが人と人の出会いに関わるなんてね、ロマンチックだね。」

「こんなの、よく見るやつじゃないか。でも・・・・・・」

 こだまが少し下を向く。

「ちょっと羨ましいかも・・・・・・」

 こだまが照れくさそうに言った。こだまが浮ついたことを言ったのは初めて聞いた。

「珍しい!こだまもそういうこと言うんだ!」

 私はこだまの手を取る。

「う、うるさい!そういう時だってあるんだよ」

 こだまの顔と耳が赤くなっている。かわいい。

「こだまは良い出会いがあるよ、きっと!」

「あ、アタシの出会いは・・・・・・」

 こだまの声が小さくなった。

「ん?なに?」

「・・・・・・なんでもない!寝るよ!」

 こだまが私の手をほどき、食堂から出て行った。

「こだまの反応・・・・・・もう既に素敵な出会いをしてるとか?」

 こだまの事が気になりだした。もし、こだまが出会っているなら誰なんだろう。少なくとも素敵な列車もしくは人に違いない。

 そんなことを考えていると、ちょっと寂しくなった。

「あーあ、私も素敵な出会いがあればな・・・・・・」

 机に伏せて静かに目を閉じると、夢で見る女の子の影が見えた気がした。ハッと目を開けて上半身を起こす。

「まさかね・・・・・・あるわけないよ。もう会えないんだから・・・・・・。」

 私も、もう寝ようと食堂を出た。

 翌朝、こだまは昨日の照れ顔は一切無く、「おはよう。今日は忙しいぞ。」と、普段通りだった。私はまた夢を見たせいかあまり眠れなかった。

 シンデレラ・エクスプレスのCMに合わせて、普段の最終ひかり289号は0系の運用だったが、日曜日に限り100系の運用になった。シンデレラ・エクスプレス・エクスプレス」と記載されている。車内チャイムもCMの曲がアレンジされたものが使われた。車両の運用が変わるのはまだしも、時刻表と車内チャイムまで影響するとは思わなかった。あのCMは思った以上に評判だったらしい。そのせいか最終ひかりで私を見たお客さんから「ひかりちゃんだ!CM見たよ!」とよく声掛けられている。今まで声を掛けられることはあったけど、最近はその機会がかなり増えた。ツーショット写真も頼まれるようになった。忙しい時は断ったりしていたけど、断られたお客さんの表情は決まって暗くなる。あまり暗い表情をして私に乗って欲しくは無かったから、中間駅とか忙しくない時は対応するようにしていた。「ファンサービス」っていうやつなのかな。正直、この時はアイドル気分で楽しかった。この時までは。

 翌年からシンデレラ・エクスプレスに続いて、新たなCMが作られた。また私は出演するとこになった。当然、数秒だけなんだけど。

 CMが放送されると、私の知名度は上がるのか、声を掛けられるようになる。去年と同じように、忙しくない限りは対応するようにしていた。

「おーいひかりちゃーん!写真撮ろうよ!」

 東京駅で最終ひかり号の出発準備中、私の後ろから中年くらいの男性に声を掛けられた。これ自体はよくあることなのだが、今日は平和なのに珍しいくらい忙しい夜だった。

「すみません。今日は忙しくてご期待に応えることはできません。」

 お客さんにファンサービスする余裕はなかったから、いつも通りにお客さんに頭を下げて断る。普段なら暗い顔をしながら「ああ、そうだよね。忙しいところごめんね。」って言ってくれる、のだが。

「忙しいって、写真くらいいいじゃねえか」

 わたしが頭を上げて下を向いている時に言われた。

「えっ」

 予想外の反応に頭を上げるが、私は言葉が出なかった。その隙をつくように中年男性の言葉が続く。

「俺だって忙しい中、仕事を終わらせて休みを取って東京までわざわざ来たんだ。新幹線の終電のまで長い時間待ったってのに断るって、どういう神経してるんだ。」

 私は新幹線の遅れとかでお客さんから怒られることは何度かあった。けど今みたいな状況で怒られるのは初めてだった。優しそうな明るい声を掛けられてから怒りの言葉が出てくるとは思っていなかった。怒られるのは何度かあったけど、やっぱり怖いものだ。今回は予想外のことで、ただただ怖かった。中年男性の言葉は続く。

「どうせ車内は楽々としてるんだろ。俺たち乗客は座れなかったら立ってるんだよ。その苦しみがお前にわかるかい!」

 私は中年男性の目を見て怖がるしかない。頭が真っ白になるが、言葉だけはちゃんと受け止めてしまう。私へのダメージには十分だった。

「泣きそうな顔してんじゃねえよ、この小娘が!」

私の耐力が無くなる。涙が出そうになり俯いた。

「アンタ、そんな言い方無いだろ。」

 聞き慣れた声がした。普段は強い口調だけど、今はすごく安心できる声に、私は顔を上げた。

「今日はたまたま忙しいんだ。申し訳ないけど、運が悪かったと思いな。」

 私の隣にこだまがいた。私はこだまを見ると、こだまも私の目を見て静かに相槌した。どうやらこだまに任せていいらしい。真っ白だった頭の中が色づいてくる。

 突然のこだまの言葉に中年男性はたじろぐ。

「アタシ達は夜に限らずいつもこの列車に乗っている。会いたければ、朝でも昼でも、ひとが少ない時間に来ればいいさ。ただ、通勤時間帯と日曜の最終は忙しいから許してくれ。」

 こだまの言葉は、相手を威圧するとともに、相手の目的を達成させる条件を教える優しさがあった。そんなこだまに面と向かって言われた中年男性は、すごすごと改札口に向かって歩いて行った。

 こだまはそれなりの体力を使ったのか、腕でおでこの汗を拭って溜息をつく。このこだまの姿が私には輝いて見えた。私は意図せずこだまに抱きついた。恐怖の後味が残っていたのと、安心感から涙がわっと溢れた。

「大丈夫。安心しな。」

こだまはそう言って私の頭を優しく撫でた。私はいつの間にかこだまの肩で泣いていた。帽子は抱きついた時の勢いで後ろに落ちていた。

 その夜、私はまだ恐怖の後味が残っていて、なかなか寝付けなかった。

「・・・・・・こだまはまだ起きてるかな?」

 枕を持って立つ。私はこだまの部屋の前に来た。扉を静かにノックする。

「こだま起きてる?」

「・・・・・・んー」

 微かに声が聞こえた。やる気のない時の返事だ。大丈夫だと確信して扉を開ける。

「こだま・・・・・・?」

「・・・・・・こんな夜にどうした?」

 こだまは横になって壁側に向いたままだ。

「・・・・・・一緒に寝て・・・・・・いい?」

 こだまにこんなことをお願いするのは初めてだ。どんな反応するのかわからない。断られたらどうしようと、更なる恐怖が上書きされる。

「・・・・・・ん。」

 こだまは壁側に動いた。背中のスペースに入っていいということが分かった。

「入るね。」

 私は枕を置いて、こだまの横に入って掛け布団をかけた。

「さっきはありがとう。」

 さっき突然のことで怒鳴られたところを、庇ってくれたことに感謝した。

「・・・・・・別に。あんなもん、ずっと見ていられないよ。」

 こだまは私に背中を向けながら話す。言葉自体は冷ややかなものだったが、不思議と私には優しく聞こえた。

「まさか・・・あんな反応されるなんて思わなかったよ。」

「そりゃ、みんな良い奴だけじゃないんだ。あんな奴だってたくさんいるさ。」

 あんな人がたくさんいると聞いて、急に怖くなってしまった。明日からどうしよう。そう考えると無言になってしまっていた。

「まあ、気にする必要はないさ。今までは良い奴ばっかだったんだろ?さっきは運が悪かっただけ。」

「でも・・・また怖い人が来たらどうしよう・・・。」

 寝返りをうってこだまの方に身体を向けた。

「その時は・・・」

 こだまが寝返りをうって体ごと私に向く。こだまの吐息が感じられるほど、一気に顔が近くなった。こだまはまっすぐ私の目を見る。

「その時はアタシがどうにかしてやる。」

 こだまは頼もしく、勇ましい表情だった。「怖いものなんかない、来るなら来い」、そう感じた。

「こだま・・・ありがとう。」

 今までの恐怖が安心に変わった。胸の奥がキュッとなり、目のあたりが熱くなる。今日は何度涙を流したか。こだまが私の顔に手を伸ばした。手で優しく涙を拭ってくれた。

「あの・・・さ、去年にアタシの出会いはあったか聞いただろ?」

 そういえばそんな事を聞いた気がする。去年のCMを見て思いついた質問だった。今思い出すと急に興味が沸いた。

「アタシの出会いはひかり、お前と出会えたことだよ。」

「わ、私・・・なの?」

 まさかの答えだった。完全に私だと思っていなかった。こだまの顔が赤くなっていく。こだまは目をそらし、寝返りをうって私に背中を向けた。

「・・・そうだよ。」

 こだまの出会いは私。嬉しかった。こだまがそんなふうに思ってくれていたとは思わなかった。かなりの勇気を出して言ってくれたんだろう。私は一年越しの答えに応えるために、こっちに向いているこだまの背中に手を添えた。

「嬉しい。私もこだまに会えて嬉しいよ。新幹線が出来てくれたおかげで、私たちは会えたんだよ。これからもずっと一緒に走ろうね。」

 こだまは無言になり、寝室は静かになった。私はこだまの背中で眠りについた。

 翌朝、私はぐっすり寝たおかげで気持ちいい朝を迎えた。こだまはというと、目の下にクマを作っていた。なんでだろう。

 それ以来、私に怒ってくる人は何人かいたけど、こだまがなんとかしてくれた。私もちゃんと断る勇気を持った。怒ってくる人より、笑顔になってくれる人の方が大勢いた。私はその笑顔から勇気を貰った。


 しばらく時間が経ち、寒い冬が明けて春の暖かい光が降り注ぐ頃、前々から聞いていた噂の新型新幹線が姿を現した。形式は300系。真っ白な車体に尖った三角形のノーズ、全車1階建て、聞いたことない音を出しながら走る姿は違和感しかなかった。少し前に見た「スーパーひかり」という新型車両のモックアップよりは現実的な姿をしていたが、走っている姿を見ると近未来を感じるよりも先に「なんだこれ?」という感情が先だった。

「あんなヒラヒラに軽そうな車両、すぐ吹っ飛びそうだよな。」

いつもの食堂での夜。こだまは笑いながら300系のことを話す。

「私もそう思うよ。0系と100系に見慣れるとあの車両は違和感しかないよ。」

「でもちゃんと研究してあの車両が出来たわけだから、近いうちに営業に入るだろ。」

「研究?いつの間にそんなことしてたの?」

営業中の新幹線のことしか知らないから、研究の分野なんて何をしているのかも分からなかった。

「研究といっても、昔から在来線を使って試験とかしていたらしい。」

「在来線で?」

「在来線の仲間から聞いたんだけど、在来線で使われている技術を300系にも入れたとか。」

「なるほどね。私たち新幹線も在来線の技術を基にしたから、今回もそれと同じような感じなのね。」

 聞けば納得だった。新しい物は初めから受け入れられるものではなく、違和感から徐々に人々に浸透していくものだと思った。


「なんかカントきつくない?」

 乗務に体にかかる横向きの力が前より大きいことに気づいた。今は最後尾の運転席に座っている。後ろの景色を見てみると、特に大きく変わった様子もないし、速度が速いわけでもない。気のせいかもしれないから、車掌さんに聞いてみた。

「よく気づいたね。300系の高速運転のためにカントを増やしたんだと。」

「わざわざそんなことするんだ。」

「まだまだ。ATCも変わるし、送電設備も変わるらしい。僕もまだ詳しく分からないけどね。」

車両が新しくなるのは理解できる。でも車両のために地上設備を変えるなんて思わなかった。

「そこまでやるんだ。300系って一体・・・・・・」

300系の存在がとんでもなく大きい物に思えてきた。

 その瞬間、車体が大きく横に揺れた。外を見ると、真っ白な長い物が流れている。

「お、噂をすれば300系だね。」

 300系はより屋根が低いため、運転席から屋根までよく見えた。300系は屋根まで真っ白で、5基のパンタグラフ以外、エアコンとか何も載っていないように見えた。パンタグラフは高く白い壁で覆われていて、本体は半分くらいしか見えなかった。

「しかも速くない?」

 普段すれ違う列車より流れが速く見える。すれ違いでヒュンヒュンと聞こえる音のリズムも速く聞こえた。

「さすが300系だ。ありゃ270キロは出てるな。」

「270キロ!?」

 私が乗ったことある車両の速度を大きく上回っている。飛行機でしか聞いたことないような数字だった。

 あんな速く走れる車両をスーパーひかりとして、私が乗務出来ると考えたら、ワクワクが止まらなかった。


 また時が経ち、夜の食堂。

「こだまこだま!」

 今日の乗務が終わったこだまがバタバタと入ってくる。こだまは飛ぶように私の向かいの椅子に座る。車両の留置線から走ってきたのか、息切れしてハアハアと息をしていた。

「おつかれ〜。そんなに慌ててどうしたの?」

 こだまが前のめりになる。

「新、列車の、噂、聞いたか?」

 息継ぎしながら途切れ途切れに話す。噂と言われても、なんの噂かわからなかった。でも一言に違和感があった。

「新列車?なんのこと?」

「300系の、列車名だよ。」

「列車名ってスーパーひかりじゃないの?」

「違うんだよ。」

「え?」

 この地点で噂が本当なら、私が300系に乗務することは無いらしい。残念。ワクワク感が無くなった。ただ気になるなら、

「なら、列車名はなに?」

「どうやら・・・・・・」

 こだまは息継ぎする。

「のぞみ・・・・・・らしい。」

「え!」

 私は思わず椅子から立った。驚きの声と椅子が動く摩擦の音が食堂に響き渡った。

「のぞみって、前から話してた・・・・・・のぞみのことだろ?」

 こだまは疲れもあるが、落ち着いた言葉で話す。

「のぞみは・・・・・・うん。そう。」

「なら嬉しいことじゃないか。また走れるんだぞ。」

「そうだね・・・・・・ごめん。もう寝るよ・・・・・・。」

 私はテーブルから離れる。

「お、おい、どうした。朗報だと思ってたんだが。」

 こだまが背中を向けた私に向かって言う。

「ちょっと・・・・・・落ち着かなくてね・・・・・・。」

 私は食堂を後にする。

 こだまから「のぞみ」の名前を聞いた時、噂が本当なら嬉しいことだった。でも私が知ってる「のぞみ」でないなら・・・・・・私はどうしたら良いのだろうか。嬉しさと不安が入り混じったまま眠りについた。

 この夜、またあの少女が出る夢を見た。少女の名前は・・・・・・「のぞみ」。


 翌日の乗務はあまり集中出来なかった。ずっとのぞみの事を考えていた。朝鮮にいた時以来、40年は経っている。仮に「のぞみ」があののぞみだとしても、私の事を覚えているのか・・・・・・。のぞみが姿を変えないまま出てきて、何もかも忘れていたらさすがにショックを受けると思う。

「車掌さん、もし大切な人が自分のこと忘れちゃったら、どうする?」

 隣にいた車掌さんに聞いてみた。

「忘れたら・・・・・・ね。そうだな。どうにかして思い出させるかな。」

 思い出させるか・・・・・・。その発想はあったけども。

「どうやって?」

「前の写真を見せるとか、思い出の物を渡すとか、記憶を無くす前の事を繰り返すとかね。」

「なるほどね。思い出か・・・・・・。」

 よくよく考えたら、思い出は全部40年以上前の朝鮮にある。今持ってくるのは無理だった。

「他には?」

「うーん・・・・・・。思い出せないなら、また0から始めるかな。」

「0から?」

「そう。もう一度自分自身のことを覚えてもらう所から始めてね。」

「それ気長だね。」

「でも、忘れちゃったものは仕方がないからね。」

 その発想は無かった。忘れたものは仕方がない・・・・・・か。ほぼ諦めみたいな感じで、あまり好きになれない方法だった。でものぞみが私の事を忘れていたら、一番有効なのは確かだ。

 まあ、私が記憶を持ったまま日本の新幹線「ひかり」になったから、のぞみもきっと大丈夫・・・・・・だよね?

 ネガティブになっても仕方がない。のぞみの復活をゆっくり待つことにした。


 何ヶ月か経った夏の夜。

「ひかりとのぞみって最初はどう会ったんだい?」

「突然だね。」

 何の脈絡もない会話から、唐突に昔の話になった。

「のぞみの事は何度も聞いてるけど、最初に会った話は聞かなくてさ。」

 そういえば、こだまには私とのぞみが出会った話はしてなかったっけ。

「すごく単純な話で、面白味はないけど・・・・・・いい?」

「別に面白さは期待してないさ。どんなもんな知りたいだけ。」

ちょっとションボリ。

「それじゃ、私の話が面白くないみたいじゃないかー。」

「わるいわるい。悪かった。」

「むー。」

 思いっきり拗ねたけど、話が始まらなくなっちゃう。

「ん〜。私が朝鮮出身なのは知ってるよね?」

 私が誕生した頃は、世界恐慌とか満州事変とか、今とは全く別の世界だった。

 私は朝鮮総督府鉄道、昼間急行「ひかり」として運行していた。蒸気を使って動く蒸気機関車で客車を引っ張っていた。新幹線とは違って、運転は全部アナログ。機関士さんの経験と勘で機関車を操っていた時代。機関室で機関士さんの手伝いしてたら、終電の駅に着く頃には真っ黒けになるのが日常だった。

 その頃の私は引っ込み思案で、機関士さんともあまり話さずに、ただ列車に乗っていた。石炭を配る作業は手伝っていたけど、体力が無かったから機関士さんと機関助手さんに「休んでていいよ。」と言われ機関室の隅っこに座っていた。そんな私に、なんで「ひかり」なんて名前を付けたのか。私はこんな名前が嫌いだった。

 のぞみと会ったのは、実は運行開始してからしばらく経った時だった。私は終点に着いたら、すぐ休憩所に帰っていた。そこしか居場所が無かったからね。

 のぞみに初めて会ったのは、私が何時間も遅れて到着した時だった。のぞみの存在自体は知っていた。私はのぞみに遅れたことで怒られると思って、すぐに逃げようとしてた。でも折り返しの夜行急行「のぞみ」として、のぞみが待っていた。機関車の停止位置、止まって機関室が来る位置にのぞみは立っていた。特徴的な黒髪のポニーテールは明らかにのぞみの姿だった。特に表情もなく、私を見上げていた。逃げられる感じじゃなかった。

 私は機関車の機関室から梯子を降りる。振り返るとのぞみがいた。

「ご、ごめんなさいっ・・・・・・。」

 私は下を見て謝りながらのぞみの横を抜けようとした。のぞみの真横あたりでガッと腕の動きが止まり、体が引っ張られた。

「ヒッ」

 のぞみに腕を掴まれていた。のぞみの口が動く。何を言われるか、この時はのぞみに恐怖した。

「君がひかり、だね。」

 私の名前を聞かれた。正直、違うと言って逃げたかったけど、嘘をつく余裕も無かった。

「う・・・・・・うん・・・・・・。」

「やっぱり!」

 何がやっぱり、なのか。早く手を離してほしかった。それどころか、のぞみは私と向き合い、両手を掴んだ。

「ずっと会ってみたいと思ってたんだ。」

「・・・・・・へ?」

 会ってみたかった。私と?

「強引に引っ張ってごめんね。また夕方になったら話そう。」

 そう言って私の手を離し、笑顔で私に手を振りながら機関車に向かった。

「・・・・・・え・・・・・・何・・・・・・?」

 予想外ののぞみの反応に、戸惑ってその場で立ち尽くした。そうしているうちに、機関車の入れ替えが始まった。機関室からのぞみが顔を出して手を振っていた。誰に振っているのかと思ったけど、私しか居なかった。私も手を振りかえす。のぞみは笑顔で頷き、機関士さんの手伝いに戻っていった。機関車を見送り、私は休憩所に向かった。怒られずに安心はしたが、頭の中が「?」だらけになり、結局落ち着かなかった。

 これがのぞみと私の最初の出会い。

 翌日にまた会えるかと思ったけど、時間が合わず会えず終いだった。でも転機はすぐに訪れた。

 大雨が降る中、私は普段のように機関室の隅っこに座っていた。雨が機関車に入っていたけど、私は機関士さんたちと距離を取るために、雨は気にせずに隅っこにいた。

 山の側を走っている時、この先に何かが起きた予感がした。私は線路の状況を調べた。すると、先には土砂崩れが発生していたのが分かった。止まるまでには十分距離があった。機関士さんは何も知らずに運転している。土砂崩れの事を知らせないとだけど、自分の喉から声が出なかった。今の機関士さんは小言を言うと怒るという事で有名な人だった。だから私はなかなか声を掛けられなかった。機関助手さんに言っても同じだった。でも事故になるよりは、と思い勇気を出した。

「あ、あの・・・・・・」

 私の勇気の声は機関車の音にかき消された。

「あ、あの・・・・・・!」

 少し大きめの声を出す。すると、機関士さんはギロッと私を見た。私の体は硬直した。

 その瞬間、機関車がガタッと大きく揺れた。見つけた土砂崩れまでには、まだ距離があるはず。横を見ると、現在進行形で土砂が崩れていた。さすがに私でも情報が間に合わずに脱線した・・・・・・。

 機関車は土砂崩れに巻き込まれて脱線してしまった。幸い速度が出せない区間だったから、先頭の機関車が土砂に乗り上げるだけで済んだ。まさか土砂崩れに巻き込まれんなんて思わなかった。

「おいひかり!」

 私の体が跳ねた。

「お前なんで言わないんだよ!早く言えば巻き込まれなかった!」

 機関士さんの怒号が続く。雨に打たれながら怒られた。機関助手さんは気まずそうに立っている。私は完璧に予想出来るわけじゃないのに。聞いてる私には理不尽に聞こえたけど、機関士さんの言う事ももっともだった。雨と怒号に耐えていると、

「もういい加減にしたら?」

 聞きなれない女の子の声で、機関士さんの怒号が終わった。

「早くお客さんを避難させないと。」

 私の横にはのぞみがいた。

「・・・・・・チッ・・・・・・客を近くの駅まで歩かせるぞ。」

 機関士さんは機関助手さんに顎で指図して客車に向かった。

「のぞみ・・・・・・」

「後でいいから、今は出来ることしよう?」

「のぞみ、私・・・・・・大変なことしちゃった・・・・・・。」

 私の涙が溢れる。

「君が悪くない。僕は知ってる。だから大丈夫。」

 そう言って、のぞみはお客さんの避難を誘導し始めた。


 数日後、大雨から打って変わって雲一つない晴れの日。事故から復旧して私、「ひかり」は運行を再開した。あんな事故を起こしておいて、私に乗ってくれる人は居ないだろう、そして廃止になるだろうと、そう思っていた。

 その予想は簡単に裏切られた。多くのお客さんが客車に入っていく。しかも、「やっと走ってくれる」「ひかりが走らないと不便だ」ってお客さんが安堵した表情で話している。

「気付いたかい?」

「わ」

 いつの間にか横にはのぞみがいた。

「ひかりはこんなにお客さんに求められてるんだよ?そう簡単に廃止にはならないよ。」

「・・・・・・。」

 私はお客さんの乗る姿に感動して涙した。

「ほーら。笑顔笑顔。ひかりには笑顔が一番似合うよ。」

「・・・・・・そ、そう?」

「そうさ。君は人々を明るく照らす光なんだから。」

 そんな事を言われたのは初めてだった。人々を明るく照らす光。

「私は・・・・・・ひかり。明るくいないと・・・・・・だね!」

「そうこなくっちゃ」

 こうして、苦労はしたけど私の引っ込み思案な性格を克服していった。終いには、いろんな人から「うるさい」と言われるくらいになった。

 それから自分の名前、「ひかり」の名前が好きになった。人々を運んで笑顔を守る、それが昼間急行「ひかり」号だ。

 これが朝鮮であった、のぞみとの話。


 まだ噂の域を出なかった、新列車の名前が「のぞみ」になることは決定となり、世間にも公開された。これで私は「のぞみ」を歓迎することに専念することにした。「のぞみ」でも、朝鮮の時と同じ「のぞみ」であるとは限らない。あの時の「のぞみ」ではなくても、私は歓迎して、また一からその「のぞみ」と関係を作ろう。奇跡が起きて、あの時の「のぞみ」だったら・・・・・・びっくりさせてやろう。

 そう考えていたら、のぞみ号が走り出す二日前になった。300系は続々と量産車が出てきて、車両所に真っ白な車両の姿が増えてきた。丸い顔の新幹線は「時代遅れ」とも言われているかのように、先進的な姿が車両所の所々で姿を見せるようになった。

 最終列車が到着した夜のホームには、300系の姿をよく見かける。私はのぞみの事を思い出す。明るく照らされたホームと東京の街灯以外は闇に包まれる夜。のぞみの登場に待ち焦がれる私が立っている。もしかしたら、0時前にパーティーから出て行ったシンデレラが現れるまでの王子様は、こんな気持ちだったのかもしれない。

 最近、のぞみが出てくる夢を見る頻度が増えてきた。ここ一週間は毎日見た。今日はのぞみの運航開始の二日前。今夜もまた夢を見るんだろうな。


 案の定、また夢を見た。いつもののぞみと再開する夢と一緒だった。たまたま、この時は夢だと自覚した。普段とは違って、のぞみは、私の方を向いていた。それに応えるように、私はのぞみに目を合わせようとした。私はのぞみに目を合わせておめでとう、の一言を言いたかった。でも、いつもの夢とはのぞみの様子が違った。普段はのぞみ輪郭がハッキリ見えるのに、今は白い光で見えない。しかもボヤけている。

「のぞみ?のぞみなの?」

 私は聞いてみた。目の前ののぞみらしき少女は何も言わない。体を私の方に向けて立っている。

「のぞみ、私はずっと会い・・・・・・。」

 突然、私の方に手を出してきた。

「うあっ!?」

 私の両肩にガッと掴まれた。目の前の白い光が眩しい。

「お前、俺より早くデビューしやがって・・・・・・」

 のぞみの声とは思えない声と喋り方。声は女性とは違う低い声だった。私は突然のことで怖くなり、何も喋れない。

「俺が何年あの世にいたか・・・・・・どれだけ寂しかったか・・・・・・その恨みを晴らしてやる」

 声のトーンがどんどん低くなっていった。

「わ・・・・・・私は何も・・・・・・一緒に走りたいって・・・・・・」

 私の体が震える。

「苦しみを味わえ・・・・・・」

 私は恐怖の中、声を振り絞る。

「あなたは・・・・・・誰・・・・・・?」

 私の肩を掴む手の力が強くなった。

「俺は・・・・・・のぞみだよ!」

 白い光が強くなった。

 私は眩しさに目を瞑った。

「うわあー!」

 叫びながら目が覚めた。ベッドの上で上半身だけ起きている。私は周りを見渡して、夜の休憩室だと認識した。その瞬間、背中と首筋に流れるように汗が出てきた。心臓のバクバクがすごい。心臓の動きがなかなか落ち着かない。息苦しさも感じて、鼻では間に合わず口で呼吸をする。

「何・・・・・・今の・・・・・・。」

 動揺が収まらなかった。たかが夢のなのに。

 怖かった。のぞみが恨みを持ったまま私の前に出てきたら・・・・・・そう思うと寒気がする。

 その寒気とは裏腹に、カーテンが少し明るくなった。いつの間にか夜明けだった。私はカーテンの端をめくって外を見る。

「いい天気になりそうね・・・・・・。」

 太陽の方の空はオレンジ色に染まり、反対側の空には夜の闇の空。真上には朝と夜の境目の空が広がる。


 当然、良い目覚めではなかった。たぶん、今までで一番の悪夢だろう。私は寝不足のまま、普段のように始発の新幹線の車掌室から晴れた富士山を眺める。

「あののぞみは本物?それとも偽物?」

 窓には私の姿が反射して映っている。窓に映る私に問いかけた。

「のぞみは私が嫌いだったのかな?」

 朝鮮の時には何度も迷惑をかけた。それが悪かったのか?でも、のぞみは気にしていないように見えた。

「訳がわからなくなってきた。」

 明日はダイヤ改正。のぞみがデビューする日。

「明日が怖いよ・・・・・・」

 私は椅子の上で三角座りになって、腕の中に顔を埋める。

 神様・・・・・・私の記憶からのぞみのことを消してください・・・・・・。

 いっそ、のぞみのことでずっと悩んでいるのなら、消えちゃえばいい。廃止になっちゃえばいいんだ。

 この世界に居るのか分からない誰、だか分からない神様にお願いする。もしダメなら

「私を・・・・・・廃止にしてください。」

 私は廃止の覚悟をした。涙が止まらなくなる。

 廃止になりたいのか、走りたいのか

「もうわからないよ。助けてよ。」

 そんな私のことは裏腹に、明日は静かに近づいてくる。


 その日の夜、私は枕を持ってある所に向かった。コンコンコンと扉をノックする。3秒ほどして扉が開く。

「なんだひかりか。」

 前回とは違って、こだまが出てきた。

「まあ、入りな。」

 私は静かに頷く。

「ちょうど寝るとこさ。来な。」

 こだまは私の表情と明日の事情から察したのか、すんなりと布団に入れてくれた。

「電気消すぞ。」

 こだまは枕元の電気を消した。部屋が闇に包まれる。こだまは壁側で壁に身体を向けている。私はその横で仰向けになる。少しして私は口を開いた。

「また夢を見たの。」

「ああ、例ののぞみの夢か。」

こだまは壁に向かいながら喋る。」

「そうなんだけど、のぞみじゃなかった。」

「じゃ誰だってんだい。」

「わからない。ハッキリと見えなかったし、声も違ってた。」

「ふ~ん。なんか言ってたのか?」

 私は昨日見た夢を思い出して、少し間が空く。

「私を恨んでるって・・・・・・。」

「恨み?なんで?」

「私が早くデビューしたから・・・・・・だって。」

「フッ」

 こだまが鼻で笑いだす。

「そんなんで恨まれたら、アタシたちは恨まれっぱなしだぞ。」

 背を向けていても、笑っているのがわかる。

「でも、そうのぞみが・・・・・・」

「のぞみじゃないのに、のぞみだと決めつけるのもおかしいぞ。」

 こだまが仰向けになる。

「アタシたちは夢じゃなくて、この現実の世界を生きているんだ。夢のクソ野郎なんてほっとけ。」

 私は言い返す余地がなくなった。こだまの言うことを静かに受け入れることにした。でも、まだ不安は残る。

「明日・・・・・・どうなるんだろう・・・・・・。」

 私の中の不安を言葉にして口から出す。

「アタシじゃ、ダメか?」

 こだまが私の方を向いて言った。

「こだま・・・・・・それってどういう・・・・・・。」

 正直、こだまの言うことが理解できなかった。

「あーもう、ここで天然出すな。」

「フガッ!? 」

 こだまに鼻を摘ままれた。

「・・・・・・のぞみに執着しなくても・・・・・・アタシがいるだろう・・・・・・」

 こだまは布団に顔を隠す。顔が赤くなっているのはバレバレだった。

「こだま・・・・・・」

 新幹線の開業当時、私はこだまに頼り切っていた。しばらくすると、頼ることは少なくなって、いつの間にかこだまに頼ることを忘れていたのかもしれない。

「・・・・・・そうだね。こだま。明日は私を見守っていてね。」

「ああ。アタシは最後に出発するから、ひかりが出発するまで見守ってるよ。」

 久しぶりに見た、こだまの頼りになる表情。今回もこだまに頼ろう。

「うん。ありがとう。」

 こだまは微笑んだ。その微笑みは優しかった。

「もういいだろ、寝るよ。おやすみ。」

「おやすみー。」

 私とこだまは眠った。ダイヤ改正、鉄道会の一大イベントの日だ。


 また夢を見た。いつもののぞみと再開する夢。今回も夢だと自覚した。

 のぞみは私に背を向けていた。私の目の前には、のぞみの特徴のポニーテールの髪が揺れる。のぞみの髪が大きく揺れて顔を左に向けた。私には横顔しか見えていない。

「先に行くね」

 のぞみはそう言い残して顔を正面に戻し、走った。

「のぞみ待って!」

 私はのぞみを追いかける。

「どこ行くの!?」

 でも上手く走れない。のぞみはどんどん遠ざかっていく。

「行かないでっ!」

 私はのぞみに手を伸ばす。でも届くはずもなく。

「はっ!?」

 目を覚ました。心臓がバクバクと動いている。苦しい。口で息をしないと間に合わない。今の夢が何を表すのか。

 私はなんとなく感じた。走り出すのぞみ号はあののぞみでは無いって。

 ここで、こだまが言ってくれたことを思い出した。

「夢のクソ野郎なんてほっとけ」。

 今考えたら、かなり汚い言葉遣い。この言葉を思い出したら少しクスりと笑顔が出てしまった。

「逃がさないよ。のぞみ。」 

 こだまが起きない程度に囁いた。外はボンヤリ青くなっている。のぞみが運行開始する朝が近くなっていた。


 私は毎朝のように始発列車「ひかり号」になる100系新幹線に乗り、東京第一車両所から東京駅に向かう。東京駅までは約5分。

 私は後部の運転席から、明るくなりつつあるオレンジ色と灰色の雲が混ざる空をずっと眺めていた。灰色の雲の切れ目から強烈な光が射す。眩しさに目を細める。

 この間こだまから聞いた話を思い出した。太陽の光は8分かけて地球に降り注ぐらしい。地球から太陽まで新幹線で行くと70年はかかるらしい。太陽の暖かさを感じるくらい身近なものだと思ってたのに、そんなに遠いとは思わなかった。同時に「光」をもってしても8分も時間がかかる。そんな「光」よりも早い「望み」。どんな列車なのか楽しみだったけど、不安でもあった。

 あの時一緒に走りたいと思った記憶が蘇る。昔昼と夜で交代して走っていた「のぞみ」である保証は一切ない。時間が経ちすぎている。仮にあの「のぞみ」だったとしても私を覚えているかもわからない。でも、それでもまたのぞみに会いたいと私は思った。また一からやり直せばいいと。でも・・・・・・私のことを覚えていないのは寂しいかな。そもそもあの「のぞみ」なのかもわからないけどね。

 ガクッと新幹線が減速しだした。私は頭の想像から意識が戻った。その瞬間、私の後ろにある運転席の扉が開く。

「ひかり、もう着くよ。」

 車掌さんが声を掛けた。

「あ、うん。わかった。」

 私は高い位置にある運転席から降りる。高い位置にある乗務員扉の窓見上げる。窓から東京駅の明かりが見えてくる。いつもの朝とは違い、人の賑やかな音が聞こえてくる。やはり300系のぞみ号の出発式は賑やかにやっているみたいだ。

 賑やかな中、列車は停車した。ホームは報道陣やらお偉いさんで賑わっているに違いない。

「私、別のドアから出ようかな。」

 私は普段乗務員扉から出るところを、今日だけは別の扉から降りようとした。でも車掌さんはお構いなしに、ドアノブに手をかけて私の背中を押す。

「え、ちょ・・・・・・」

 私はホームに身体が出てしまった。ホームにいた人々の視線の半分が私に向いた。でも、そんなことは一瞬でどうでもよくなった。

 服装は違うものの、私の目の前にはあの頃と同じ姿の「のぞみ」がいた。しかもその「のぞみ」は私を見て目を見開いている。長い時間が経った気がするけど、実際は一瞬のことだった。その間に私は理解した。あれはあの頃と一緒の「のぞみ」だと。私は心臓が締め付けられた。でも、今回は歓迎する番。私は精一杯の笑顔を作る。もちろんのぞみと会えた、嬉しさいっぱいの心からの笑顔。

「のぞみー!待ってたよー!」

 私はのぞみに手を振る。のぞみは出発式そっちのけで私に走ってきた。私は両手を広げてのぞみを受け止める。のぞみは私に抱き着いた。私ものぞみを抱く。

「ひかり、また・・・・・・会えた・・・・・・!」

 のぞみは涙を流していた。良かった。あの頃と変わらない、本物の「のぞみ」だ。私はのぞみの頭を撫でる。久しぶりなのぞみの暖かさを感じる。

「私もずっと会いたかったよ。のぞみ、これからは一緒だよ。一緒に走ろ!」

 のぞみはポロポロと目から涙を流している。のぞみから感情がうつりそうになる。私、もう少し耐えて。私はのぞみのひかりになるんだ。ひかりが泣いてどうする。のぞみを明るく迎えてやるんだ。私はのぞみの涙を手で拭いとる。

「うん、走る。ひかりを追いかける!」

 のぞみは涙を残しながらも、力強い言葉を私にくれた。正直、のぞみを追いかけるのは私になるんだけどね・・・・・・。

「あ・・・・・・」

 自然に声が出た。周りの人たちの視線に気付いた。そういえば出発式の途中だった。のぞみにとっては大切な歴史の1ページの途中だった。

「ごめんね。まだ出発式の途中だったね。」

 私はのぞみから離れる。

「え、でも・・・・・・」

「話はこれからたくさんできるでしょう?今は列車の1ページを決めないとね。」

 私はのぞみの目元に残る涙を手で拭き取る。

「ほら、アナタはいっぱいいる人達の希望の列車、のぞみなんだよ?」

「・・・・・・うん・・・・・・」

 のぞみは、出てくる涙を袖で拭いて私から報道陣の方に向いた。

「初めまして。ボクはのぞみです。一生懸命走るのでよろしくお願いします!」

 のぞみは敬礼する。光輝くような笑顔だった。少しして敬礼を下す。私は久しぶりにやりたかったことをやる。

「ナイス!」

 と朝鮮でやっていたように片手を顔の高さに上げる。これは昔やっていたアレだ。

「ひかり、これからよろしく!」

 のぞみは私の手に手を当てる、ハイタッチをした。これは入れ替わりのハイタッチではない。一緒に走るハイタッチだ。いつの間にか訪れた別れ。また会ったときにいつものハイタッチをしたいと私は望んでいた。

 そんなことをしている間に、のぞみ号の出発の時間が迫っていた。出発のベルが鳴る。

「じゃ、いってくる」

 のぞみは私にまっすぐな目を向ける。その表情はとても頼もしかった。

「うん。一番列車、しっかり走ってね!」

 のぞみは300系に向かう。乗務員扉からのぞみは私に手を振った。

 私も手を振り返す。やっぱり耐えられない。感情が溢れて決壊してしまった。私の目から熱い涙がこぼれた。

 300系のぞみ号は聞いたことない近代的な音を出しながら、新大阪に向かって走り出す。

「いってらっしゃい」

 私は敬礼する。見えなくなるまで目で追いかける。のぞみがカーブの奥で見えなくなった。私は敬礼をやめる。今更、涙がポロポロと流れてくる。とまらない。もういっそ今のうちに流しておこう。いつまでも引きずってはいられない。私は「ひかり」。人々に希望の光で照らし、目的地に早く安全に運ぶことが私の使命。

 涙の量が減ってきた。私は袖で涙を拭く。

 私は後ろに目をやる。そこにはこだまがいた。特に登場の機会もなく、寂しかったのか少し不機嫌そうな顔をしていたけど、私が笑顔で手を振ると、ほんの少しだけ微笑んで振り返してくれた。

「よし、いこう!」

 もう出発の時間だ。私は100系に乗り、今日も人々を運ぶ。

 私は、先に行ったのぞみを追いかける。

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