第2話 思いはこだまする

 1992年3月14日。のぞみが華々しくデビューし、のぞみとひかりが感動の再会を果たした日、そこにはもう一人の少女の姿が隣のホームにあった。彼女の名前は“こだま”。東海道・山陽新幹線の各駅停車の役割を担う列車である。

 のぞみ301号は東京駅を6時丁度に出発し、ひかりは後を追うように6時7分に出発した。こだまはもう一本出発するひかりを見送り、6時21分に出発する。

 こだまは嫌気が刺していた。

「アタシ越していいのはひかりだけだったのに・・・・・・」

 こだまに今の感情が芽生えた理由は1958年まで遡る。

 1958年11月1日。東海道本線特急電車「こだま」として彼女は生まれた。当時としては高速かつ斬新な車両の20系電車、後の151系電車を使用した列車であった。この時のこだまは輝いていた。一般人から募集した逆T字の特急シンボルマークを誇らしげに掲げて東海道を往復した。運航開始後の乗車率は90%近くと、好調な走り出しであった。こだまは自信を付けて年々増発する。横浜から名古屋まで他の列車を追い越してノンストップ運転するのは優越感のほかなかった。1959年7月31日には狭軌鉄道世界最速記録となる163km/hを記録した。

「さあ、急ぎたい人はアタシに乗るんだよ!」

 これはこだまの売り文句だった。こだまは自分の列車名を誇りに思い、多くの乗客を乗せて東京と神戸を往復した。

 ただ、この栄光の「こだま」の時代は短かった。

 1964年10月1日。東海道新幹線が満を辞して開業した。ここで夢の超特急「こだま」が活躍するとこだまは思っていたが、こだまは各駅停車の名前となり、速達列車には「ひかり」の名が冠せられた。こだまはひかりに追い越され、追いつけない列車となってしまった。

 こだまがこれを知ったのは、在来線特急こだまが終了した後だった。

東海道新幹線開業当日、こだまは初めて自分より早いひかりを目にした。ひかりは輝くような笑顔で開業式に出席し、テレビや新聞社の注目の的だった。こだまはそれを後ろから見ていた。先に出発式するのはひかり。新幹線の栄光の第一歩はひかりに託されることになっていた。出発式間際、ひかりはこだまに急ぎ足で向かってきた。

「こだま!初めまして、ひかりだよ!挨拶遅くなってごめんね!」

「ああ・・・・・・」

 無愛想になっているこだまとか対照的な笑顔と敬礼で話しかけてきた。

「これからよろしくね!先に行くから、後で喋ろ!」

そう言ってひかりは一番列車に乗り込み、多くの人と目を輝かせる乗客を乗せて多くの人に見守られながら東京駅を後にした。「先に行く」というひかりの言葉にこだまはモヤモヤしながらこだま一番列車に乗務した。その日の日中は多くの乗客と見物客で慌ただしく、話す余裕は無かった。それ以上にこだまは話す気も無かった。

 開業日の慌ただしい一日が終わり、こだまは東京第一運転所の食堂で寝る前の一休みをすることにした。食堂には新幹線車両の検査をする人がチラホラいた。机の面とこだまの目線がほぼ同じため、全体的なレイアウトや人の居場所の把握はできなかった。とりあえず、こだまは静かなそうな雰囲気である、端の方の席に向かった。ちょうど良さげな場所にひかりが先に座っていた。

「こだまお疲れ〜」

 ひかりがこだまに気付き、笑顔で手を振る。基本的に明るいひかりだが、少し疲れたような表情までは隠せていなかった。

「ああ」

こだまは一人で居たかったが、声をかけてきたひかりと離れた席に行くのも気まずい。結局ひかりの向かいの席に座った。

「まさか山手線に越されるとは思わなかったよー」

「そうだ。あれは何があった?」

「お客さんが210キロ出せってうるさくてさー。時間調整でゆっくり走るしかなかったんだよー」

「一番列車だし、しかも最速210キロ出せるってのが新幹線の売り文句だからな。」

「しばらくはこれが続きそうだね〜。」

こだまは頬杖をつく。

「今日から始まったばかりさ。次のダイヤ改正で変わるだろ」

「ダイヤ・・・・・・かいせい?」

ひかりがキョトンとする。

「・・・・・・は?」

 こだまもキョトンとする。

 そこでこだまは察した。ひかりは初めて出てきた列車だということに。さすがに教えないで放っとくような野暮なことはしない。昨日までは特急シンボルマークを掲げて走っていた、栄光の特急こだまなのだから。

「ダイヤ改正ってのは・・・・・・」

 こだまの説明にひかりがうんうんと頷いて聞き入る。

「・・・・・・まぁ、こんなもんさ」

「へ〜日本ってそんなことするんだね〜」

「へ?日本?」

 まさかここで国際的な話になるとは思わなかった。

「私、ひかりってね昔は朝鮮で走ってたんだよ」

「は、はい?朝鮮って、韓国と北朝鮮のことか?」

「そうだよ〜。いっぱいお話ししたいけど、遅いからまた明日ね」

「あ、ああ。そうだな。」

 二人は運転所の休憩室で一晩を過ごし、新幹線二日目を過ごした。

 二日目の夜も食堂で一休み。こだまはひかりの昔の歴史を知った。まさか自分より歳上だとは思わなかったのだ。戦争の影響で廃止されるという、今じゃ考えられないような経験をひかりはしていた。ひかりはひかりで栄光を奪われた一列車であったと、こだまは思った。

 また次の日の夜。

「前のこだまの話を聞かせてよ!」

 ひかりが興味津々で聞いてきた。半分イヤイヤで話したが、今は過去の栄光を聞いてくれるのは、ひかりしかいなかった。

「前は151系っていう電車でな・・・・・・・。」

 話しているうちに得意げになってきてしまう。先週までは特急こだまとして走っていたが、遠い過去のように感じた。

「151系ってすごい子だったんだね〜。」

「今の新幹線電車と比べれば大したことはないけど、基礎は151系にもあるんだ。」

「私、電車をもっと知りたい!教えて!」

ひかりが目をキラキラさせて聞こうとする。

「ああ、また明日からな。」

「うん!」

 ひかりはとても純粋で、努力家であった。そんな彼女たちの性格に惹かれたのか、不貞腐れ気味だったこだまはひかりに心を許していく。ひかりになら追い越されてもいい・・・・・・そう感じていた。

 こだまとひかりは増加いていく乗客を捌きながら忙しい日々を送っていった。そんな中でも二人は会話を欠かすとこは無かった。

 会話の中でひかりについてわかったことがあった。ひかりは朝鮮時代、のぞみという列車と昼夜交代して走っていたらしい。

「のぞみと走れる時が来たらいいんだけど・・・・・・。」

 のぞみの事を語るひかりは寂しげで、諦めているような顔をしていた。普段から明るいひかりが、暗い表情をするのは見ていられなかった。

「まあ、今度開業する新幹線とかで復活したりするんじゃねえか?一緒に走れなくとも、東京で会うことぐらいはできるだろ。」

 まだ先だが、この時は山陽新幹線、東北新幹線、上越新幹線の話が出ていた。東海道・山陽新幹線として「のぞみ」の名が出てこなくても東京では顔を合わせられるだろうと、こだまは考えてひかりを励ました。

「それも・・・・・・そうだね。ありがとうこだま。」

「お前さんにそんな表情は似合わないよ。いつものように前向きしてりゃ、良い巡り合わせがくるさ。」

 こだまがそんなことを語れるのは特急時代の経験から。その時は東京と大阪の距離は今より遠く、人との出会いと別れは新幹線がある今よりドラマチックだった。そこから学んでいた。列車というのは、昔から人々のそれぞれの物語を運んでいる。

 そんな会話をしながらこだまとひかりは理解を深めていき、二人は良き相棒として、山陽新幹線が開業しても、国鉄からJRになろうとも変わらず走り続け、日本の大動脈を支え続けた。

 変化が訪れるのは、1992年3月14日のダイヤ改正の日だった。 

 ちょっと前から試運転で目にしていた、300系というVVVFインバータ制御、ボルスタレス台車・・・・・・こだまには理解出来ない新基軸を盛り込んだ新型車両が営業運転を始めた。列車名も新しいものが用意された。列車名は

「のぞみ」。


「のぞみー!待ってたよー!」

 と、のぞみに駆け寄るひかり。のぞみとひかりの再開はメディアを通して感動を与えた。そんなひかりとのぞみの感動の再開をこだまは隣のホームから見ていた。こだまは素直に喜べないところがあった。「のぞみ」という列車は、こだまどころかひかりより速く走る列車としてデビューした。ひかりに追い越されるのは良いとして、新列車にも追い越されるのは悔しい気持ちがあった。

 ひかりとのぞみが涙して抱き合っているのは隣のホームから見える。「一緒に走れなくとも、東京で会うことぐらいはできるだろ。」と言ったのはこだま自身だが、まさか同じ新幹線路線になるとは思っていなかった。ひかりがのぞみに取られたような気がした。こだまは一度栄光の特急こだまを失っている上、ひかりを取られる・・・・・・。こんな屈辱は無かった。

「アタシ越していいのはひかりだけだったのに・・・・・・。」

 そんな言葉が自然に口から出てきた。こだまは一瞬ハッとしたが、それが本心だということを理解するまで時間はかからなかった。

それからは、東海道新幹線にのぞみが加わり、三人による運行体制になった。

「のぞみおつかれー。」

「ただいま。ひかり、こだま。」

 ひかりは変わらず笑顔、のぞみはひかりに向かって微笑んでいた。

いつもの夜の食堂の休憩は、こだまとひかりとのぞみの三人で集まるようになった。ひかりとのぞみはすぐに打ち解けた。いや、既に打ち解けあっているせいか、ひかりとのぞみは仲が良かった。こだまも話さないことはないが、ひかりとの会話よりは盛り上がりが欠けていた。のぞみはまだ新幹線に慣れていないし、知識もまだ少ない。そんなのぞみには、ひかりが積極的に教えていた。

「主抵抗器っていうのはね〜・・・・・・」

「うんうん。そういう役割なんだね。300系のどこに載ってるんだろう。」

 のぞみは話を聞いて手元の300系の資料のページをペラペラとめくる。

「載ってない・・・・・・。」

「あれー?電車には乗ってるはずなんだけどなー」

 ひかりも資料をペラペラめくる。新技術には慣れていないようで、ひかりものぞみも300系の搭載品もイマイチ把握していない状態だった。

「・・・・・・。」

 こだまは在来線のツテで知っていた。300系には主抵抗器が載っていないどころか、0系100系とはシステムが全く違っていると。ただ、そんなことを自分から教える気は無かった。ひかりとのぞみで勝手に仲良く駄弁ってればいいと思っていた。

「アタシは邪魔になりそうだから先に休むよ。」

「うん。僕はもう少し勉強してから寝るよ。」

「私ものぞみと一緒に勉強するよ。こだまおやすみー。」

「・・・・・・ん。」

 正直、ここで「こだまももう少し一緒に勉強しようよー」とひかりに言われたかった。ただ、一瞬にいるのも億劫だった。二人の邪魔はしたくない、ひかりを取られたくない、そんな感情が渦を巻いて灰色の気分だった。

のぞみが運行を開始して間もない頃、300系関連のトラブルは頻発した。のぞみも対応に慣れておらず、運行再開までに時間がかかった。

「のぞみ大丈夫ー?」

 ひかりは復旧の手伝い行く。こだまも行って手伝いをする。知識は二人より多い自信はあり、トラブル対応はお手の物だった。だがのぞみがトラブルを起こすたびに「ザマァみろ」と思ってしまっていた。回数を重ねるごとに、それは自分にこだました。こだまは自分自身に嫌気が差してきていた。それでもこだまは各駅停車の仕事を黙々と続けていった。

のぞみのトラブルが減り、新型車両500系が導入されると、のぞみの知名度は爆上がりした。「のぞみ」は新幹線の代名詞と言えるほどになった。こだまにはお古の0系と300系を与えられていた。0系を求める鉄道ファンはいたが、500系の人気には叶わなかった。

悔しい憎い、寂しい、そんな感情がこだまに巻きつき、こだまは疲れていた。悶々としながら日々を走り続けた。

2010年1月29日、こだまはいつも通り乗務していた。午後になり、空がオレンジ色に始める時間。こだまには違和感があった。今の路線上にこだまは何本も走っている。のぞみの連続した故障の経験から、新幹線による事故は厄介なことになると考え、自分の列車を観察することにした。こだまは編成中程の8号車の車掌室に行く。

「車掌さん、ちょっと見回りに行ってくる。」

 こだまは一緒に乗務していた車掌に声をかける。行ってくるとは言ったが、身体自体はその場にいる。一人になって集中するため、声を掛けるなと言う意味だ。場合によっては、列車を見に行くために移動をすることもあるため、普段から声かけをする。

こだまは車掌のいる車掌室の向かいの車掌室に入り、意識を集中させた。全ての新幹線こだまの運行状況、車両の状況が頭に入ってくる。新幹線が異常を起こしたら集中しなくても感覚的に知ることが出来るが、事前に状況を知るには集中するしかない。

こだまは意識を集中させ、東海道・山陽新幹線の全てのこだま号の状況を片っ端から調べる。

「これか。」

 こだまは一本の列車に目をつけた。

 新横浜から小田原を走行中のこだま659号。

「車両になにかあるのか?」

 こだま659号を隅々まで見る。

「・・・・・・!」

「ボルトが・・・・・・ない・・・・・・。」

 300系のパンタグラフは正面から見るとTの字のような形をしている。12号車のパンタグラフのT字の“一”の部分は“舟体”と呼ばれている。Tの字の“一”と“I”の部品を結合するボルトが入っていなかった。すぐに外れそうな気がするが、新横浜出発しても外れずに留まっていた。

「このままじゃ、いつか舟体が吹っ飛ぶ。」

 こだま659号をすぐ止めようとするが、ふと思いがよぎる。

もう走りたくない・・・・・・と。

いっそ舟体が落ちればいいのに。新横浜〜小田原ならアタシを追い越すことはできない。のぞみもひかりも・・・・・・


 止まっちゃえばいい


「・・・・・・ハッ・・・・・・!」

 こだまの集中が途切れ、こだまの意識は車掌室に戻った。

「そう言ってる場合かよ・・・・・・」

 迷っている自分に苛立ち、自然に声が出てしまった。

「止めよう。何もしなかったらもっと大変だ。」

 こだまが再び集中し始めた時、頭にピリッとした感覚がよぎった。この嫌な感覚はこだまに何かが起きた時に出てくる。

「一部新幹線が停電した!」

 ひかりの声が頭の中に飛び込んでくる。ひかりからの知らせだ。

「僕も一部が停電したよ。今ブレーキ中。」

 のぞみの声も聞こえた。

 まさかと思い、再び集中しこだま659号の様子を調べる。

「パンタグラフが・・・・・・死んだ・・・・・・。」

 頭から血の気が引いた。そこで集中は途切れた。意識を車掌室に戻す。確定ではないが、停電の原因がこだま659号にあると理解した。

「アタシが止めなかったから・・・・・・」

 こだまは止めることを躊躇した。原因は自分にあると。

 とんでもないことをした。頭が白くなっていき、何も考えられなくなるような感覚。

「こだまは大丈夫?」

 のぞみからだ。

「アタシも一本が停電した。原因は・・・・・・。」

 また一瞬の迷い。

「わからない。」

 ああ、言ってしまった。

 嘘を言ってしまった。

 こだまはもう引き返せないことを悟る。

 新幹線が減速しだしたのを感じてビクッとした。この減速は停電による運転見合わせの影響だと思った。

 車掌室の扉がガラッと開いた。

「こだまー?」

「ヒッ・・・・・・」

 車掌だった。

「大丈夫?青が青ざめてるけど。」

「だ、大丈夫。」

「そう。もう次の駅に停車するけど、新横浜あたりで停電したらしいから、しばらく止まることになるかも。」

「・・・・・・了解。」

 車掌は扉を閉めた。こだまは再び一人になった。

 到着前の放送が流れる。

 どうするか悩み、一つ思いついた。

「そうだ。パンタグラフの詳しい状況はわからないから、実際に見てみよう。簡単な物なら直しちゃえばいい。」

 こだまは多少のことなら車両を直す知識は持っている。それを発揮しようとした。

「こうなれば、すぐにやってみよう。」

 こだまの周りが白い光に包まれる。

 こだまはこだま659号の12号車パンタグラフに向かった。白い光から抜けると、足元は300系の屋根、目の前に背丈ほどの大きい構造物が見える。

「これは・・・・・・。」

 こだまは一目で状況を理解した。

「アタシには・・・・・・直せない・・・・・・。」

 パンタグラフを横から見た“く”の字の上部分が千切れていた。

 屋根から新横浜方面を見ると、空に黒い煙が上っているのが見えた。遠くから消防車のサイレンの音も聞こえる。

「もしかしたら・・・・・・。」

 こだまは集中する。意識を新横浜方面に向けた。新幹線の線路脇で草が燃えていた。沿線火災だ。その隣で架線からケーブルが切れて垂れていた。

「これ・・・・・・架線が切れて草に火が付いたのか・・・・・・?」

 架線が切れたのなら、架線のせいで新幹線のパンタグラフが吹っ飛んだ、と説明できる。これで言い逃れが出来る・・・・・・と思った。

 こだまは架線に意識を向ける。

「いや、違う・・・・・・」

 こだまは架線ではなく、補助張架線が切れていることに気づいた。普通ならそう簡単に切れるはずのない線が切れていたのだ。

「これ、舟体が吹っ飛んで補助張架線が切れちゃったってこと・・・・・・?」

 こだまは頭を抱える。

「これじゃ・・・・・・何も言い逃れ出来ない・・・・・・。」

 こだまの頭はパニックになっている。

「どうしよう・・・・・・。」

 その時、視界に赤いパトライトが見えた。

「ヒッ・・・・・・誰か来る・・・・・・。」

 こだまは車内の車掌室に移動した。

 こだま659号の車内は停電のせいか、暗くなっていた。車掌室の扉越しに車内の声が聞こえた。

「車掌さん!いつになったら動くんだ!?」

 声がガラガラの男の人の怒鳴り声が聞こえた。

「申し訳ございません。まだ状況が分かっていなくて・・・・・・」

「夕方には結婚式の披露宴があるのに、どうしてくれるの!?」

 女性の怒鳴り声も聞こえた。車掌は状況が分からないようで、ひたすら申し訳ございません、と謝っていた。

「アタシのせいで・・・・・・こんなことに・・・・・・。」

 こだまは頭をかかえ、車掌室の椅子で縮こまった。

「どうしよう・・・・・・どうしよう・・・・・・。」

 感情が溢れ出し、頭が熱くなっていく。

 こだまは走りたくないと思ってしまったことを悔やんで目を閉じた。


 その頃、のぞみとひかりは停電により停車した列車と駅を行ったり来たりして、乗客の対応に明け暮れていた。

 停電から1時間程経った時、のぞみとひかりが同時に東京駅に姿を現した。

「今も車内は暑くなってきてて・・・・・・正直ヤバいかもです・・・・・・。」

 ひかりは駅長に列車内の状況を説明した。のぞみはひかりの隣で頷く。

「駅長さん、新幹線はまだ動かなそうですか?」

 のぞみは自列車以外のことは把握出来ていないため、駅長に聞いてみた。ひかりも同じだ。

「架線が切れることは無いからね・・・・・・。急に交換するのに時間がかかるんだと思うよ。」

「そうなんですか・・・・・・。」

 のぞみはまだ時間がかかりそうだと溜息をついた。

「そういえばこだまは?」

 駅長は二人に問う。

「「そういえば」」

 のぞみとひかりは目を合わせる。言われてみれば、停電直後の連絡から何もない。その事に気づいた。

「アタイならいるよー。」

 二人の後ろから声がした。二人は後ろをバッと振り向く。

「あれ、こだま・・・・・・。」

 のぞみはキョトンとする。

「スマンスマン。対応に忙しくてさ。」

 こだまは二人に近づく。

「アタイの列車のパンタグラフが死んだ。復旧にはまだまだかかるよ。」

「そうなのか・・・・・・。なんでパンタグラフが?」

 駅長がこだまに聞く。

「それが、舟体に入ってるはずのボルトがなかったんだよ。」

「え・・・・・・それってヒューマンエラーになるんじゃ・・・・・・。」

 のぞみは目を丸くする。のぞみも登場した時はトラブルを何度も経験していたため、ヒューマンエラー、整備不良の事の重さは知っている。

「起きてしまったものは仕方がない。架線を応急処置で直してもらって、こだま659号は打ち切りで車庫入りだな・・・・・・。」

「もう車両の状態はアタイが司令所に知らせたから、対応始まってるよ。」

「そうか。なら駅は私たちに任せて、三人は止まった列車の車掌さんの手伝いに専念していてくれ。」

「了解しました。」

「了解です。」

「了解。」

 のぞみ、ひかり、こだまの三人は返事してこだま659号に向かった。


 三人はこだま659号の後部運転室に着いた。

「暑い・・・・・・」

 のぞみは暑さに手を仰ぐ。

「1月でも2時間も経つとこんなになるんだね・・・・・・。」

「ああ。扉を開けて空気を入れないと。」

 こだまは先頭に立って客室に向かう。停電しているため、客室扉を手で開く。客室の扉を開いた途端に

「あ、こだまだ!」

「やっと顔を出したな!」

 こだまは足を止めた。ぐったりしていた乗客達の視線が先頭のこだまに飛んでくる。同時に罵声も混じる。

「ふざけんなよ!自分だけ涼しい外にいやがって!」

 優しそうな中年サラリーマンも怒り出す。そんな空気の中、こだまは何も言わずに歩き出す。

「ねえ、こだまってば。」

 のぞみがこだまの肩をたたく。こだまは何も反応しない。

「申し訳ございません。今復旧しております・・・・・・。」

 ひかりは一人一人に謝りながら進む。そんなひかりを見て、のぞみも謝りながらこだまの後ろを進む。

 三人は罵倒に、いつ動くかの問合せの声の渦の中を歩いた。

「あ、こだま。しかもひかりとのぞみも!」

 7号車のデッキに車掌が疲れ切った表情で立っていた。謝りながら歩いたのぞみとひかりも疲弊していた。

「車掌さん、どこの扉を開けたらいい?」

 こだまは車掌に聞く。

「そうだな・・・・・・。7号車の3箇所の扉を開けておいてよ。」

「了解。」

「助かるよ。」

 そう言って、車掌は7号車に向かった。

「アタイ達も行こう。」

 三人はまた罵倒と問い合わせに巻き込まれながら7号車の間に着き、こだまとひかりは7号車の向かい合わせのドアを、のぞみは隣の7号車の乗務員用扉を開ける事になった。

 こだまの背丈では非常用ドアコックの蓋に手が届かない。こだまは非常用ドアコックの下の壁に手を当てた。

 キュイッと蓋が開き、中の赤い取手が露わになる。

 プシュッ。

 取手が手前に引かれ、一瞬大きく空気が漏れる音がした。蓋は取手にもたれかかるように半開の状態になる。

 ひかりとのぞみも同じように車両の壁に手を当てて非常用ドアコックを扱う。空気が出たら扉を手で引く。扉からオレンジ色の空が見え、1月の冷たく乾いた風が入ってくる。

「涼しい〜」

 こだまは涼しい風で癒される。三人も一緒だ。

 ひかりは風が乗客にも行き渡るようにするために、客室扉を開く。中から

「空気が入ってきた。」「涼しい」などのさっきの罵倒とは打って変わって安らぐ感想が聞こえてくる。

 三人は開けた扉からたまに顔を出して外の見張りをする。停電時の対応だ。

 開けてから10分程した時、外を見ながらひかりが口を開く。

「ねえ、アナタは誰?」

 普段から明るいひかりの声からは想像できたいくらい低い声だった。

「ん?誰に聞いてるんだい?」

 こだまは外を見ながら返す。

「うん?」

 のぞみが扉越しに顔を出す。

「アナタのことだよ。こだま。ううん。アナタはこだまじゃない。」

「ん?ひかり何言って・・・・・・。」

「のぞみは気付かないの?」

 のぞみの発した言葉は簡単に遮られた。

「アナタはこだまじゃない。」

 ひかりはこだまの方を向く。ひかりは冷ややかな表情をしていた。明るい笑顔の面影は無いほどに。

「・・・・・・誰?本当のこだまはどこ!?」

 ひかりの声が強くなる。こだまは外を向いたまま。

「・・・・・・なんでアタイを疑うんだい?」

 こだまは静かに言う。

「簡単に聞き間違えそうだけど、こだまはアタイとは言わない。」

「言われてみれば違うかも・・・・・・。」

 のぞみは自信無さげではあるが、今のこだまの一人称に違和感を持った。

「私たちと東京駅で会ったとき、お客様対応に忙しかったって言ってたよね?でもさっき客室を通るときに、お客様は今日初めてこだまに会ったような反応してた。要するにお客様対応してなかったってこと。」

 ひかりは真っ直ぐこだまを見る。

「最後、一見こだまにそっくりだけど、ヘアピンの位置と前髪が違う。私も一瞬はこだまだと思ったけど、すぐに気付いた。人真似するならもっと真面目にやって。」

 こだまの見ている曇り空から太陽の光が差し込んできた。ひかりは目を細めた。

「ハア・・・・・・。」

 こだまは溜息をついた。

「ひかりってアホキャラなのに勘だけは良いんだね。」

「アホって・・・・・・そんな・・・・・・!」

 のぞみは扉から出てきてこだまに言う。そんなのぞみをひかりは片手で止めた。

「アホで結構。で、アナタは誰?なんとなく察してはいるんだけど。」

 こだまはひかりの方を向いた。

「アタイは・・・・・・。」

 こだまの顔は影になって暗い。それと相まって不気味な雰囲気を醸し出す。

「300系さ。」

「え、300系・・・・・・!」

 のぞみは驚く。

「驚く事はないよ。」

 ひかりは300系を睨みながらのぞみに話す。

「列車は私たちみたいに魂があるけど、車両にも魂はあるんだよ。ただ、こうやって出てくるのは滅多にない。ほとんどは引退の時に声を掛けるために姿を現すんだけど。」

「ご名答。」

 300系は静かに3回拍手する。

「でも惜しいかな。アタイ達が出てくる条件がもう一つ。アンタ達、列車に呼ばれた時さ。」

「でも、ボクとひかりは呼んでないような・・・・・・」

「当たり前だよ。この列車はこだまだよ?こだまの意思に決まってるじゃん。」

「こだまが・・・・・・?」

 ひかりは疑問に思った。

「なんで呼ぶ必要があるの・・・・・・?」

 300系はニヤけ顔から怒りの顔に豹変した。

「まさかわかってなかったのか!?」

 ひかりとのぞみは驚きに慄いた。

「ひかりとのぞみっていう列車が出来てこだまはどう思ったか!アンタ達にはわからないだろうね!」

「でもなんで300系が出てくるのか私には・・・・・・。」

「勘はいいのにそこには気付かないんだね。」

 300系はひかりの言葉に呆れる。

「もしかして、300系。のぞみからこだま運用になったことを怒ってる・・・・・・?」

 のぞみは恐る恐る聞いた。

「ひかりよりは分かるようだね・・・・・・。でもまだ50点かな。」

 300系は壁に寄りかかり、下を見る。

「アタイはのぞみと一緒にデビューしたね?それも華々しく。」

 300系はのぞみを見た。

「うん・・・・・・。希望の列車としてボク・・・・・・のぞみは誕生したよ。」

「のぞみっていう列車はいいんだ。問題はアタイさ。登場してから何があった?」

「何って・・・・・・。」

 のぞみはフラッシュバックのように300系との運用を思い出す。

「名古屋飛ばし、モーターのボルト折れ、カウル落失・・・・・・。」

 ひかりもこの時の出来事は覚えている。

「乗り心地と振動もいろいろ言われたよね・・・・・・。」

 ひかりも思い出す。乗客から批判されたことだってあった。

「そう、そういうことだよ。」

 ここでのぞみは気付いた。

「もしかして、最初は持て囃されたのに、後から批判されたり運用外れたりしたのが理由ってこと・・・・・・?」

 ひかりの瞳孔が大きくなり、同時に心拍数が上がるのを感じた。

「80点。アタイは2年後に引退する。ひかり、相棒の100系はどうなった?」

「100系は・・・・・・あっ。」

 ひかりは思い出す。100系が今どうなっているか。

「東海道で走らなくなっても短くなって山陽で走ってる・・・・・・」

「そう。500系もだ。でもアタイは短編成化されることなく東海道、山陽から引退する。もうアタイは用済みの失敗作なんだよ。」

「だから走りたくないって・・・・・・。」

「そう。正直走りたくないっていうか・・・・・・もういいかなってね。」

「こだまも・・・・・・もしかして・・・・・・。」

 ひかりは俯いて口を開いた。

「最初は特別な特急としてデビューして、新幹線では私とのぞみが出てきて持て囃されなくなったってこと・・・・・・。」

「・・・・・・そういうこと。」

 300系はひかりを見下ろすように腕を組んで立つ。

「そんな・・・・・・こだまが・・・・・・そんなこと・・・・・・。」

 ひかりは上着の裾を握る。

「ボクも原因なんて・・・・・・そんな・・・・・・。」

 のぞみの表情も暗くなる。

「オンリーワンを崩される屈辱。唯一の仲間を奪われる悔しさ、寂しさ。同じ思いを  持つアタイを呼び出すには十分な理由さ。」

「こだまは・・・・・・走りたくないって望んだの?」

 ひかりは俯きながら300系に問う。

「・・・・・・そう言ってたね。」

 裾を握る手がより一層強くなる。

「キミも・・・・・・300系もかい・・・・・・?」

 のぞみも300系に問う。

「・・・・・・ああ。」

 3人がいる空間が静かになる。風の音が煩く感じるくらいに。

「この事故は300系が起こしたの・・・・・・?」

 静かな空間を切り裂くようにひかりが真意を聞く。長い数秒が経つ。

「ああ」

 300系は簡単に答えた。それにのぞみは聞きたい事を聞いた。

「走りたくないのはわかったけど、どうやって・・・・・・?」

「パンタグラフの舟体のボルトを消した。」

「・・・・・・!?」

 ひかりとのぞみは300系がとんでもないことをしていたのに驚くが、声には出なかった。

「落とすな、燃やすな、開けて走るな。アタイをメンテする工場とか車両所でよく言われる言葉だよ。」

「それはボク達もよく聞いてるよ。作業する人たちも気をつけてるし。」

「そうだね。じゃ、落としたり燃やしたり開けて走ったらどうなる?」

「走れなくなる・・・・・・いや・・・・・・。」

 のぞみは首を横に振る。事の重大さについては何度も教えてもらった。

「大事故・・・・・・最悪人が死ぬ。」

「そう。アタイは走りたくはないとは言ったけど、死人を出すほど手を汚したくない。」

「台車や床下部品が落ちたら脱線して人が死ぬ。燃やすともちろんタダでは済まない。開けてもそう・・・・・・。」

 ひかりは俯いたまま言う。

「それで一番死人が出る可能性が低い舟体を飛ばそうとしたってこと・・・・・・?」

 ひかりは上を向き、300系を見る。

「・・・・・・そうだよ。ただ、意外にも舟体は外れずに東京と新大阪を1往復もった。いち早く気付いたのは、この列車を担当する・・・・・・こだまだよ。」

「こだまは・・・・・・どうしたの・・・・・・?」

「こだまはいち早く気付いて止めようとしてた。」

「そうだよ・・・・・・こだまならすぐに止めるはず・・・・・・いつも安全が大事だって言ってたもん!」

 ひかりは声の勢いで涙が出る。

「私たちたちの仲間なんだよ・・・・・・なんでこだまが・・・・・・。」

「ボクもそう思う・・・・・・こだまはツンツンしてるけど、ボクがトラブル起こした時はいつも早く駆けつけてくれてた。こだまなら止めるはず!」

 こだまを信じる二人。こんなことをお構いなしに300系は話す。

「でもこだまは同時に走りたくないとも思ってた。」

「そんな・・・・・・。」

 列車が走りたくないとは、考えられないとこだった。そんなこだまの思いに気付かず、今まで走ってきた。

「走りたくないと思った時に・・・・・・。」

「舟体が外れた・・・・・・。」

 ひかりの目が震えている。

「いや、アタイが吹っ飛ばした。」

 ひかりとのぞみの顔が歪む。今まで一緒に走ってきた仲間がそんな考えをするとは思わなかったから当然ではある。

「こだまは別に悪くないのに、自分のせいだと思ってやがる。面白いもんだよ。」

 ひかりは泣き崩れた。

「ボク達仲間を・・・・・・!」

 のぞみは300系に飛びかかる。片手はパーの形で上げている。普段からおとなしいのぞみからは想像できない怒りの表情だった。登場してから一緒だった300系でも見た事ないくらい。

 のぞみの手は自分に向かって振り落とされる。300系は覚悟したかのように目をそっと閉じる。

 その空間には乾いた音が響き渡った。


 三人が扉を開ける少し前、こだまは悩んでいた。

「なんでアタシは走ってるんだろ」

 こだまは1畳もない、窓が一つだけの薄暗い車掌室の中でつぶやく。

「最初は特急こだまとして最速だった。新幹線になってからは一番遅くなった・・・・・・」

 椅子の上で体育すわりで小さくなる。

「遅い列車なんて誰が乗るんだか・・・・・・客はみんなのぞみとひかりに乗るし」

 こだまは新幹線になってから存在意義が薄くなっているように感じた。特にのぞみが走り出した後は尚更に。

「アタシがいなくても新幹線はなんとかなるんだよな・・・・・・」

 こだまはひかりとのぞみが二人でいるところを思い出す。寂しいでもなく悲しいでもない、なんとも言えない気持ち。胸のあたりがモヤモヤする。

「そういえば特急の時はいろんな人に乗ってもらえて嬉しかったっけ。」

 こだまはふと昔のことを思い出した。当時はまだ客車の列車が主力だった時代。電車は画期的で速い存在だった。

「出張のサラリーマンには頼られたな。フッ。」

 昔のことを思い出し、つい笑ってしまった。少ししてこだまはため息をつく。

「頼りにされるって面倒だって思ってたけど、アタシってこんなに頼られるの嫌いじゃなかったんだ。」

 こだまは自分のことが少し知れたような気がした。

「でも・・・・・・アタシはお役御免なのかな。」

 こだまは列車にとって一番悲しいことを考えた。“列車のお役御免”とは何か、すなわち「廃止」である。新幹線の開業でいくつものブルートレインや在来線特急が廃止になった。在来線にも知り合いがいて、元在来線特急のこだまにとっては身近な話題だった。去年にも東海道を経由する最後のブルートレイン「富士・はやぶさ」が廃止になった。理由は乗車率の低下だった。列車はいくら残酷な運命だとしても、時代には逆らえない。

「アタシも・・・・・・新幹線が出来たときに廃止になっちゃえばよかったのに・・・・・・。」

 こだまは在来線特急から受け継いだ名前だ。これが偶然であったなら、東海道・山陽新幹線の各駅停車に「こだま」の名前は要らない。「こだま」である必要はないと思った。

「やっぱ・・・・・・走りたくない・・・・・・。」

 こだまの目が涙で滲む。

「もうこのまま廃止になりたい・・・・・・。」

 こだまの独り言が止まった。その時、近くから声がするのに気が付いた。でも、こだまは声を聞く心の余裕はなかった。その声はこだまの耳にノイズのように通り抜けるだけだった。

「・・・・・・まさかわかってなかったのか!?」

 少し大きめの声が聞こえ、こだまはハッと驚いて顔を上げた。でも、こんな状況では乗客のトラブルは付き物であった。こだまは気にしないようにした。

「ひかりとのぞみ・・・・・・車が出来てこだまはどう思ったか!アン・・・・・・から・・・・・・うね!」

 壁越しだから断片的にしか聞こえない。でもこだまは自分の名前がはっきり聞こえた。こだまは自分の耳を車掌室の扉に近づける。かすかに会話が聞こえた。

「ひかりとのぞみの声・・・・・・あともう一人いる気がする・・・・・・」

 こだまには聞き覚えのある声だった。あともう少しというところで顔が出てこない。

「・・・・・・アタイは短編・・・・・・く東海道、山陽から引退する。もうアタイは用済みの失敗作なんだよ。」

 この言葉で思い出した。

「この声・・・・・・300系?」

 こだまは過去に300系と会ったことがある。何度も故障を繰り返していた時期に、300系の技術を教えてもらおうと直接会って話をしたことがあった。

「そういえば、300系って病んでたことあったな・・・・・・。」

 こだまと300系が話していた時、300系は自分は失敗作なんだと愚痴をこぼしていたことが何度かあった。その時こだまは、「車両は故障からどんどん改良されて良い車両になることができる。そんな300系が羨ましい。」と300系に言った。300系の気持ちはこだまと似ていたから出てきた言葉だった。そんなことを思い出していると、

「パン・・・・・・フの舟体のボルトを消した。」

「ん?」

 こだまは今の300系の言葉に耳を疑った。車両が自分自身のボルトを消すのはあり得ない。

「私たちたちの仲間なんだよ・・・・・・なんでこだまが・・・・・・。」

「ボクもそう思う・・・・・・こだまはツンツンしてるけど、ボクがトラブル起こした時はいつも早く駆けつけてくれてた。こだまなら止めるはず!」

 ひかりとのぞみの声だ。まさかそんな風に思っていたとは、こだまは思っていなかった。

「でもこだまは同時に走りたくないとも思ってた。」

 300系の言葉だ。似た者同士、こだまの気持ちをよく分かっていた。そのあとひかりとのぞみが言葉を発していたが、小さくてこだまには聞こえなかった。

「・・・・・・アタイが吹っ飛ばした。」

 300系の言葉がはっきり聞こえた。

「300系が・・・・・・舟体を・・・・・・?」

 ここでこだまは、この事故は自分が早く止めなかったために起きたものではなく、300系が意図的に起こしたものだと確信した。

「あいつ・・・・・・そんなことを!」

 こだまは居ても立っても居られなくなり、車掌室の扉を開けて声のする方向を向いた。

「ボク達仲間を・・・・・・!」

 のぞみが見たことのない形相で300系に殴りかかっていた。300系は避ける気配がない。こだまは走り出す。こだまはのぞみを止めようと間に入り、300系を背にしてのぞみに向く。一瞬の出来事だった。その空間には乾いた音が響き渡った。


 300系は目を開けると、すぐ目の前には見たことある肩にかかる程度の結んでない黒髪。

「こ、こだま!?」

 300系の目の前にこだまの姿があった。300系は後ろに倒れ込む。こだまの頬は赤くなっている。

「こ、こだま・・・・・・。」

 のぞみは我に帰ったかのように、怯えたような表情になり、後ろに引いた。

「ごめ・・・・・・ごめん!」

 のぞみは青ざめた表情のまま膝から崩れ落ちた。こだまは首だけ後ろを向いて300系を見下ろす。

「これで満足か?300系。」

「聞いてたなんて・・・・・・ずるいよ」

「あんだけ騒がれりゃ、落ち着いて落ち込んでられんわ。」

 こだまは前を向く。

「顔を上げな。」

 こだまはひかりとのぞみを見下ろしながら声を掛けた。こだまは片膝をついて体勢を低くくし、ひかりとのぞみと視線の高さを同じにする。ひかりとのぞみはこだまの目を見る。

「すま・・・・・・」

「走りたくないって本当なの!?」

 こだまの言葉に被さるように、ひかりが前のめりで聞いてきた。

「・・・・・・ああ、そう思ってた。」

「ボクが・・・・・・理由なの・・・・・・?」

 のぞみは自信無さげに聞く。

「・・・・・・さっき300系が話したこと。全部本当の事さ。」

 のぞみの目線は下を向いた。

「ただ・・・・・・スマン!」

 こだまは頭を下げた。

「さっきの二人の言葉でわかったよ。」

 こだまの声が震えだす。

「アタシも・・・・・・アンタ達を信じる事が出来てなかった・・・・・・。」

 こだまの顔の下の床に水滴が落ちる。

「まさか、アタシの事を考えて貰えてたなんて・・・・・・。」

「当たり前だよ!」

 ひかりはこだまの首に腕を回して抱きついた。

「開業してから何年やってきたの!?あれだけ教えて貰ってたのにこだまを仲間って思わないわけないよ!」

 こだまの服の肩にひかりの涙が落ちる。ひかりもこだまとひかりの肩に腕を回した。

「ボクだって!ボクだって、こだまに助けられた事、何度もあるんだよ?それで仲間じゃないなんて言えないよ。」

「ひかり・・・・・・のぞみ・・・・・・。」

 こだまはひかりとのぞみの肩に腕を回した。

「・・・・・・ありがとう。」

 こだまは安心した。決して三人は別々じゃなかった。こだまは一人じゃなかった。

「やれやれ・・・・・・これでハッピーエンドかな。」

 三人を横目に300系は呟く。こだま、ひかり、のぞみの三人は呟きに気付いて300系を見る。

「これにて一件落着。こだま、アンタには良い仲間がいるじゃん。」

 そう言って、300系は姿を消した。

「300系は一体・・・・・・なぜ・・・・・・。」

 のぞみは呟く。

「さあ・・・・・・なんでだろうね。」

 こだまは日が沈み、暗くなった空を見ながら言った。

 ブオオォォン

 300系の照明が点いて、床下機器が作動する音が聞こえた。

「電気が・・・・・・点いた!」

 ひかりは喜びの表情に変わった。

 こだまは袖で目を拭いて立ち上がる。

「よし、これで動ける。」

 ひかりも立ち上がる。

「アタシ、走るよ。これからも・・・・・・ずっと。」

 こだまはひかりの涙を手で優しく拭う。

「うん。走ろう!」

 ひかりに輝く笑顔が戻った。

「走りたくないっていう気持ちはどうなったの?」

 のぞみは涙を袖で拭きながら聞いた。

「アンタらと走りた・・・・・・。」

 こだまは顔を赤くした。

「仕方がなくだよ、仕方なく!」

 この日は3時間程で運転再開し、こだま659号は運転を打ち切りになり、車両所に回送された。運転再開しても駅や列車内の熱りは冷める事なく、終電まで大波乱の一日になった。


 その2年後に300系は引退する。

 上げては落とされた300系はなんだかんだで人気者だった。

 さよなら運転で一緒に走ったのぞみが言っていたが、最終目的地の博多駅では、300系に別れを言う人が多くて大変だったと。最後はのぞみに感謝を使えて涙を流しながら消えていったらしい。

 そんな話を車両所の食堂で聞いた後、こだまは夜風に浴びたくなり外に出た。世闇の空には輝く月がポッカリと浮かんでこだまを見ていた。

「300系、いろいろと世話になったな。アンタが繋いでくれた絆、もう離しはしないよ。のぞみ、ひかり、そしてアタシ。三人揃ってこその東海道新幹線なんだからな。」


 300系が引退してから2年後。

 こだまはちょっとした気分転換に、愛知にあるリニア鉄道館に行った。そこにはこだまで運用したことのある新幹線が展示されている。

「久しぶり。アンタはまだ元気そうだね。」

 こだまの目の前には300系量産先行車がいる。

「あの時は用済みの失敗作とか言ってたくせに・・・・・・こんなに綺麗に手入れされちゃって」

 最初に完成した300系の量産先行車ではあるが、車体はホコリもないくらい綺麗に手入れされていた。こだまは労いの意味も込めて、300系の車体をポンポンと叩く。金属の無機質な音がする。

「あの時はアタシの事を気遣って、嫌な奴をやってくれたのか?」

 こだまは目の前の300系に聞く。でも答えは返ってこない。

 こだまが300系を眺めていると、

「ママー!300けいと、しゃしんとってー!」

 母親と男の子の二人親子が来た。何故か一緒に展示されている他の新幹線には目もくれず、300系と一緒に写りたがっていた。

「もう置賜しますか。」

 こだまは写真の邪魔にならないように、300系から離れた。

 300系のノーズのすぐ前に男の子が立ち、笑顔でピースサインを母親に向ける。そんな微笑ましい光景を見てこだまは微笑んだ。

「300系、どこが用済みの失敗作だって?」

 こだまは300系に問い掛ける。でも答えは返ってくるはずもない。

「アタシもこだまに乗る客なんていないと思ってた。でも違う。」

 こだまはいるはずのない300系が隣にいるように話始める。

「のぞみとひかりが停車出来ない駅から、アタシが客を乗せてのぞみとひかりに渡す。アタシがいなきゃ、新幹線を使う客は減ってただろうな。」

 写真を撮り終わった男の子はずっと300系を眺めている。

「300系だって、持て囃されては叩かれてた。でもその分、ちゃんと見てくれてる人はいる。今だって好きな人がいるじゃないか。」

 300系に天窓からの光が降り注ぎ、車体の淵が光り輝く。

「そんな300系が羨ましいよ。でも、アタシもちゃんと使ってくれてる人がいる。それで十分さ。」

 こだまは300系に背を向ける。

「またな。あの時はありがとう。」

 こだまはリニア・鉄道館を後にし、普段の列車業務に戻った。

 大切に保存されている300系は誇らしげにしていた。

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