第16話

 その日の夜。


「今日こそは絶対におねしょしない。今日こそは絶対おねしょしない。今日こそは絶対におねしょしない……」


 あまりにもおねしょが続くので、花鈴は声に出して決意した。


 元々おねしょは多かったし、クラス替えや不安な事があるとおねしょをしてしまう事は分かっている。


 でも、もう高校二年生なのだ。


 いい加減おねしょは卒業したい。


 漫太もお義父さんも全然気にしないと言ってくれるけれど、それでも花鈴は恥ずかしくて、一日でも早くおねしょを治したい。


 勿論、そんな事は以前から思っていたが、母親と二人きりだった頃は心のどこかで「でもしちゃうんだから仕方ないじゃん」と諦めていた。


 けれど今は、心の底から切実におねしょを治したいと思っている。


 年頃の男の子と一緒に住んでいるのに、毎日おねしょでは恥ずかしいし恰好がつかない。


 漫太はバカにしないが、それでも家族なのだから、情けない姿は晒したくない。


 漫太だって、義妹が高校生にもなっておねしょをしているとバレたら馬鹿にされてしまう。


 そんなのは絶対に嫌だ。


 それで花鈴は今夜こそ! と意気込んでいる。


 まぁ、それも毎晩の事なのだが。


 ともかく、トイレはたった今行った。


 水分は二時間前から断っている。


 不安になるとおねしょをしてしまう事は花鈴も分かっている。


 だから、出来るだけリラックスして寝ようと思うのだが……。


(……リラックスしすぎておねしょしちゃったらどうしよう……)


 だらっと身体の力を抜いていると、ふとそんな事を考えて不安になった。


 だって、自分のお股はゆるゆるなのだ。


 リラックスして寝たらそのままじょわ~っと出ちゃう気がする。


(って、バカ! 余計な事考えちゃダメだってば!)


 そんなんだから不安になっておねしょをしてしまうのだ。


 でも、考えないようにするのは結構難しい。


 布団の中で丸まって目を瞑っていると、勝手に色々考えてしまう。


 ちなみに、花鈴が布団を被って眠るのはオバケが怖いからだ。


 布団から顔を出していると、オバケに見つかりそうな気がして怖い。


 布団から手足を出していると、オバケに捕まりそうで怖い。


 何故か分からないが、昔からそんな気がして怖い。


 布団の中なら平気なのかという突っ込みは勿論あるが、それについては考えないようにしている。


 時々、布団の中に幽霊がいたらどうしようと考えてしまって怖くなり、そういう時はお母さんと一緒に寝ている。


 それはともく、花鈴は困った。


 リラックスしないとダメなのに、リラックスしたらおねしょをしそうな気がしてしまう。


 こういうのを矛盾と言うのだろうか。


 それで色々考えて、夜中にトイレに起きればいいのだと結論付けた。


 実際、春休み中はそれで上手く行っていた。


 漫太の手を煩わせるわけにはいかないから、自分で起きるしかない。


 これまでだって時々おしっこをちびりそうになって慌てて起きて間に合った事がなくはないのだ。


 でも、そんな都合よく起きる事が出来るだろうか?


 ……無理な気がする。

 ……って、諦めちゃだめだって!

 ……そうだ、夜中に目覚ましをかけるとか?

 ……でも、夜中に目覚まし鳴らしたらみんなに迷惑かけちゃうし……。


 なんて事をつらつら考え、最終的に花鈴はトイレの事を考えならが寝る事にした。


(おしっこしたくなったらトイレに行く。おしっこしたくなったらトイレに行く。おしっこししたくなったらトイレに行く。おしっこしたくなったらトイレに行く……)


 ……でも、そんな事考えながら寝たらトイレの夢見ておねしょしちゃうんじゃ……。


 あり得そうな事だし、実際何度もあった事だ。


 だから花鈴はトイレの夢が大嫌いだった。


 夢の中でホッとして、あたしって偉いじゃん! っと思うのに、目覚めるとお尻や背中がぐっちょり濡れて冷たくなっている。


 本当に最悪の気分だ。


 他にも、トイレに行ったのに便器の蓋が開かないとか、服が脱げないとか、トイレの順番が待てなくて漏れしてしまうとか、色んなパターンがある。


 そういう時は漏らしている最中に目覚める事もある。


 なんにしたって最悪な事には変わりないが。


(って、バカバカバカ! なにおねしょの事考えてるの! そんなんじゃ絶対おねしょしちゃうじゃん! おねしょフラグじゃん!)


 もう、花鈴の心は完全におねしょモードで不安で不安で仕方がない。


 だって、昨日も一昨日もその前もおねしょをしているのだ。


 普通に考えて、今日だってしないはずがない。


 心配するなとか、不安になるなと言われても無理だろう。


(……またおねしょしちゃうのかな……)


 そう思うと、花鈴は今から悲しくなってきた。


 一つおねしょをするごとに、漫太の中での好感度や尊敬度が失われていく気がする。


 今はまだ優しくしてくれているが、その内呆れて見放されてしまうかもしれない。


(……そんなの、やだよぉ……)


 悲しすぎて、花鈴はちょっと泣いてしまった。


 お股だけでなく、涙腺まで緩いらしい。


 そうこうしている内に、時間だけが無駄に過ぎていいく。


 おねしょが不安で、花鈴は中々寝つけなかった。


 そのせいで、おねしょが続いている時はいつも寝不足になってしまう。


 そうなると心に余裕がなくなってイライラしてしまう。


 男子に怖いと言われる理由の一つはそれだ。


 クールとか言われるのも、実は眠くてぼーっとしているだけだったりする。


 恥ずかしくてそんな事は言えないが。


 おねしょも不安だが、寝付けないのも不安だ。


 あまり遅くなると寝坊してしまう。


 おねしょをしたら後片付けが大変だから、寝坊なんかしたら大遅刻になってしまう。


 漫太は優しいから、花鈴だけ置いて行ったりはしないだろう。


 そうなると漫太まで遅刻する羽目になる。


(そんなのだめ! 絶対ダメ! そんな事になるくらいなら、おねしょしてもいいから早く寝ないと!)


 いや、おねしょは勿論したくないが。


 同じくらい早く寝るのも大事である。


 で、ようやく少しうとうとしてきた頃……。


(……ちょっとおしっこしたいかも)


 本当に少しだけなのだが、花鈴は尿意を感じていた。


 寝る前にトイレに行ったし、水分だって摂っていないのに……。


 でも、理由はなんとなくわかっている。


 不安になると、花鈴はおしっこが近くなるのだ。


 本当になんとなくの尿意だけれど、その少しが物凄く気になって、このまま眠ってしまったら絶対におねしょをしてしまう気がする。


 それで渋々、花鈴はトイレに起きた。


 なのに今度は中々出ない。


 その癖、お腹の奥の方ではなんとなくおしっこが溜まってる感じでうずうずする。


「うぅ……早く出てよぉ……」


 情けない声でお願いしならお腹を押して、ようやくちょろっとおしっこが出た。


 出たのはいいが、ちょろっとなので、全部出ていない気がして不安だ。


 じょばっと出てくれれば安心して眠れるのに。


 それから暫く粘ったけれど、もう一滴も出てこなかった。


 それで諦めて花鈴はトイレを出るのだが。


「……喉乾いた」


 最後に水を飲んでから何時間も経っている。


 そうでなくとも花鈴はおねしょが怖くて、普段からあまり水分を取らないようにしている。


 喉が渇くのは当然だ。


「……いや、ダメでしょ。寝る前にお水飲んだら、絶対おねしょしちゃうじゃん」


 普通の人ならそんな事はないのだろうが、花鈴にとって水分はおねしょの元にしか思えない。


 それで喉の渇きを我慢して一度はベッドに潜り込むのだが、やはり喉が渇いて仕方がない。布団をかぶって寝るから暑くて汗もかくし、余計に渇く。しまいには喉が渇き過ぎて咳が出てきた。


 これでは眠れないし病気になってしまうかもしれない。


 それで仕方なく花鈴はちょっとだけ水を飲む事にした。


 コップの半分……の、半分だけ。


 それくらいなら大丈夫なはず……。


 そう思ってコップに水を注ぐのだが。


 カラカラの喉で飲む水が美味しすぎて、思わずゴクゴク飲んでしまった。


「……ど、どうしよう……」


 こんなに飲んだら絶対おねしょをしてしまう。


 こうなったら、もう一度おしっこがしたくなるまで起きているしかない。


「……でも、もう遅いし……」


 時計を見ると、もう午前三時だ。


 睡眠時間の事を考えると、一秒だって早く眠りたい。


 でも、おねしょはしたくない。


 板挟みになり、花鈴は泣きたくなってきた。


 そして物凄く心細くなり、漫太に慰めて欲しくなった。


 でも、それは無理だ。


 こんな事で気持ちよく眠っている漫太を起こせないし、そんな事をしたら嫌われてしまう。


 とりあえず、花鈴はベッドに戻った。


 何事もなく眠れたならそれでいいし、おしっこがしたくなったらトイレに起きればいい。


 花鈴としては、早くトイレに行きたくなって、さっさと出してしまいたい。


 でも、そんな時に限って中々トイレに行きたくならない。


 おしっこを我慢しないといけないときはすぐにしたくなるくせに!


 意地悪な膀胱が憎くて堪らない。


 それで花鈴は思ってしまった。


(……オムツ履いてたら安心して眠れるのに……)


 漫太に言われた時は否定したが、母親と二人だけだった頃は、花鈴は普通にオムツを履いていた。


 毎日ではない!


 でも、おねしょが始まった時はいつもだ。


 そうしないとこんな風に不安になって眠れないし、そのせいでまたおねしょをしてしまう。


 漫太が言う通り、負のおねしょループにハマってしまうのだ。


(……こんな事なら、見栄張らないでオムツしてるって言えば良かった……)


 と、今更になって思うのだが、もしあの日に戻れたとしても、やっぱり花鈴は誤魔化しただろう。


 高校生にもなっておねしょをしていると言うだけでも死ぬほど恥ずかしいのだ。


 その上オムツまでしているなんて、絶対に言えない。


 漫太だって、流石に引くに決まっている。


 漫太は優しいから平気かもしれないが、そうでない可能性が少しでもあると思うと、危ない橋は渡れなかった。


(……大丈夫だもん。絶対にトイレに行って、今日こそおねしょしないもん!)


 不安で泣きそうになりながら、花鈴はそう決意した。


 とにかく、あと三十分か一時間くらい起きていよう。


 そうすればトイレに行きたくなるはずだ。


 それなのに、起きていようと思った途端、花鈴は急に眠くなってきた。


(……だめ。起きてないと、おねしょしちゃう……)


 うとうとしながら、頑張って起きようと努力する。


 その甲斐あってか、程なくして尿意を感じてきた。


(……トイレ、行かなきゃ……)


 頭ではそう思う。


 でも、物凄く眠かった。


(……トイレ……と……い……れぇ……)


 続きは夢の中だった。


 花鈴はばっちりトイレに起き、じょわ~っと出してスッキリした。


 なのに不思議とお尻や背中が温かい。


 それでハッとして目覚めた。


「……どうしよう。またやっちゃった……」


 ぐっちょり濡れたおねしょシーツの上で、花鈴はポロポロ泣きだした。


 お義父さんになんて言おう。


 お母さんになって言おう。


 なにより漫太になんて言おう。


 みんなに合わせる顔がない……。


 恥ずかしくておしっこ臭い布団の中に隠れていると、いつものように漫太が部屋をノックして、優しい言葉で慰めてくれた。


「……くすん。ごめんね漫太……。またやっちゃった」

「しょうがないよ。不安になるとしちゃんだし、花鈴ちゃんは悪くないって。それより早く支度しよう」

「……ぅん」


 漫太の優しさが嬉しいけれど、同じくらい辛かった。


 漫太の中で、自分がおねしょ女になっていくのが悲しい。


 おしっこの臭いを嗅がれる事も、おしっこ塗れの姿を見られる事も、お姉さんのベッドを汚してしまう事も、パンツや寝間着を汚す事も、なにもかもが情けなくて恥ずかしい。


 ……こんな思いをするくらいなら、オムツを履いた方がマシかもしれない。


 ふとそう思い、花鈴は言う。


「……ねぇ、漫太」

「なぁに?」


 無邪気な顔で尋ねられ、声が詰まった。


「……なんでもない」


 高校生にもなってオムツがしたいなんて、言えるわけがない。

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