第8話

 で、その日の晩。


「そろそろ時間かな?」


 パソコンでゲームをしていた僕は花鈴ちゃんを起こす為に席を立った。


 草木も眠る丑三つ時だ。


 花鈴ちゃんは零時前に就寝したから、丁度いい時間だろう。


「おじゃましま~す」


 と、花鈴ちゃんの部屋に足を踏み入れる。


 この数日で荷解きも終えて、僕がオタクになった元凶であるお姉ちゃんのオタ部屋は、見違えるようにお洒落に作り替えられていた。


 こういう所を見ると、花鈴ちゃんは凄いなと思う。


 陽の者と言うか光属性と言うか。


 冴えないオタクの僕とは全然違う。


 部屋の中だって、ドキドキするような女の子の良い匂いがした。


 お姉ちゃんも女の子の匂いはしていたけど、向こうはなんか陰気と言うか湿っぽいと言うか、キノコ的な感じだ。


 て、いかんいかん。妹にドキドキしちゃだめでしょ。


 そう思いつつ、ちょっと前まで赤の他人だったのだからドキドキするなというのは無理な話だ。


 僕にとっては天敵だったし、クラスの男子もみんな花鈴ちゃんを恐れてはいたけれど、それはそれとして女子としての人気はピカイチだった。


 僕のクラスだけでなく、学校全体で見てもトップスリーに入る程だろう。


 そんな子と兄妹になって一緒に住んでるなんて、冷静に考えると夢みたいだ。


 おねしょのお陰でバカにされる事もなくなったし、僕にとってはおねしょ様様という感じである。


 そんな事言ったら花鈴ちゃんは怒るだろうけど。


 で、その花鈴ちゃんだけど、頭からすっぽり布団を被って眠っていた。


 そんな寝方をして苦しくないのだろうか。


「花鈴ちゃん、起きて~。おトイレの時間だよ~」


 気軽に起こすと言ったけれど、本来女の子に免疫のない僕だ。


 裸まで見た癖に、トイレに起こす為に身体に触れるのは躊躇われる。


 それでまずは声をかけるのだけど、花鈴ちゃんは全く起きない。


 布団の上から軽く揺すってみても同じ事。


 それで今度は部屋の電気をつけて布団を捲った。


 これなら眩しくて起きてくれるかもしれない。


 と、思ったのだけど。


「……花鈴ちゃん、本当に赤ちゃんみたいだ」


 布団の下で花鈴ちゃんは胎児みたいに丸まって眠っていた。


 しかも、親指を口に咥えてちゅぱちゅぱと美味しそうにしゃぶっている。


 これをもうすぐ高校二年生になる並の女子高生よりも発育の良い美少女の花鈴ちゃんがやっているのだから困ってしまう。


 なんというか、危ない扉が開いてしまいそうだ。


 花鈴ちゃんは全く起きる気配がないので、僕は勇気を出して肩に触れ、ゆさゆさと揺する。


「花鈴ちゃん。花鈴ちゃんってば」


「ん、ぁぅ? ママぁ?」


 寝ぼけながら呟く花鈴ちゃんは悔しいけれど可愛かった。


「ううん。お義兄ちゃんだよ」


「お義兄ちゃん……」


 あぁ、合法的にクラスメイトにお義兄ちゃんと言わせてしまった。


 ごめんね花鈴ちゃん。僕は悪いお義兄ちゃんです。


「そう、お義兄ちゃん。ほら起きて。トイレに行かないと」


「おこひてー」


 眠くて目が開かないのか、花鈴ちゃんは目を瞑ったまま甘えるように両手を広げた。


 多分だけど、こんな風にして義母さんにトイレに起こして貰っていたのだろう。


「良い子だから自分で起きて」


 花鈴ちゃんを起こすには正面から抱き合う形になる。


 それはちょっと、あまりにもエッチ過ぎる。


 花鈴ちゃんは明らかに寝ぼけている様子だし、そんな状態でそんな事をするわけにはいかない。


「やらぁ。おこひてよぉ」


 まぁ、花鈴ちゃんがそこまで言うなら仕方ない。


「全く、手間のかかる妹だなぁ」


 照れ隠しにそんな事を言いつつ、僕は花鈴ちゃんの上半身を抱きかかえて起こした。


 って、重っ!


 身長差があるから、結構大変だ。


「ほら、トイレ行っといで」


「ついてきてよぉ……」


 指を咥えたまま、花鈴ちゃんがイヤイヤと頭を振る。


 まったく、どれだけ甘えん坊なのだろう。


「トイレくらい一人で行けるでしょ?」


「暗いの、怖いよぉ……」


 言いながら、花鈴ちゃんはお腹の下を抑えてもじもじしている。


 もしかすると結構ヤバいのかもしれない。


 目の前で漏らされても困るので、僕は観念した。


「しょうがないなぁ。一緒に行ってあげるから、ちゃんと歩いてね」


「んー」


 と、僕より大きな花鈴ちゃんの手を引いてトイレへと連れていく。


「それじゃあ、僕は戻るよ」


「やらぁ、ここで待ってて」


 帰ろうとする僕のパジャマを花鈴ちゃんが掴む。


「待っててって、トイレの前だよ?」


 そんな所で待ってたら、色々聞こえちゃうと思うのだけど。


「一人、怖いの……」


「で、でも……」


 後で正気に戻った時に怒られたりしないだろうか。


「漏れちゃうよぉ……」


「わ、わかった! ここで待ってるから!」


 花鈴ちゃんをトイレに押し込み、扉の外で待つ。


 程なくして、景気の良いじょぼじょぼ音が聞こえてきた。


 ……僕は悪くない。


 これは花鈴ちゃんが望んだ事だ。


 僕は何度も断ったのだ!


 と、謎の罪悪感と戦っていると。


「…………ふぁぁっ!?」


 トイレの中から花鈴ちゃんの悲鳴が響いた。


「花鈴ちゃん? 大丈夫?」


「だ、大丈夫だから! 耳塞いで!?」


 どうやら目が覚めて恥ずかしくなったらしい。


 ……出てきた花鈴ちゃんに怒られませんように。


 そんな事を思っていると、トイレの扉が開いた。


 出てきた花鈴ちゃんは真っ赤になって俯いている。


「スッキリした?」


 ベシッと肩を叩かれ涙目で睨まれる。


「寝ぼけてたの! お願いだから、さっきのは全部忘れて!」


 そう都合よく記憶を消せるようには出来てないけど。


「忘れました」


 と、答えておいた。


 で、ついでに僕もトイレに入ったら、外で花鈴ちゃんが待っていた。


「先に戻っててもよかったのに」


「……あたしの聞いたでしょ。これでおあいこ」


 むくれた顔で言うけれど。


「そんな事言って、一人で戻るのが怖かっただけなんじゃないの?」


 図星だったようで足を踏まれた。


 本当に怖がりなんだから。


 そういうわけで、花鈴ちゃんを部屋まで送る。


 そして翌朝。


「漫太! 漫太! やったよ! あたし、おねしょしなかった!」


 大興奮の花鈴ちゃんが寝ている僕をぐいんぐいんと揺さぶる。


「ほらね。花鈴ちゃんはやればできる子なんだよ」


 おねしょをしないなんて当たり前の事なのだけれど、自信を付けさせたくて大袈裟に言ってみた。


 内心では僕も、やったじゃん! と思っていた。


「漫太のお陰! ありがとね!」


「……どういたしまして」


 普通にお礼を言う花鈴ちゃんが普通に可愛くて、僕は困ってしまった。


 僕の義妹がこんなに可愛いわけがない。


 そんな言葉が頭に浮かんだ。

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