第10話 「ベトベトの服を身にまとった俺は名俳優へと変身する」

 ひとくちに駅の近くにある高架橋といっても、あまりに範囲が広すぎる。

 目印になるのは『Money』の落書きだが、アート用のスプレー缶で描かれた落書きもあちこちにあった。


「手分けしましょう。あなたはここから右側へ、私は左側へ行くわ。見つけ次第、すぐに連絡して」

「分かった」


 ラーメン屋にて、メッセージアプリの友達登録を済ませてある。

 天神の言う通り、俺は向かって左側へと歩き始めた。

 丹念に観察し、ひたすらに『Money』の文字を探す。

 ただ、目印を見つけることも大事だが、盗賊団の目につかないことも重要だ。

 どこにメンバーが潜んでいるか分からない。

 見つかって場所を変えられてしまえば、天神の妹をはじめ子供たちの救出は振出しへと戻る。

 何としても、今から数時間後に行われる引き渡しの現場を押さえなくてはいけない。


「だいぶ駅から離れたな……」


 振り返ってみれば、かなりの距離を歩いている。

 しかし目的の落書きは見つかっていない。

 さらに進もうとした時、スマホの通知音が鳴った。


 ――あったわ。すぐに戻ってきて。

 ――りょーかい


 進みかけていた足を止め、Uターンして元来た道を小走りで駆けていく。

 すると先ほど二手に別れた辺りで、天神が物陰に隠れて待っていた。


「ここはさっき別れた場所だろ?」

「顔が割れてると言ったじゃない。どうして、わざわざ待ち合わせ場所で堂々と待ってるしかないのよ」

「それもそうか。場所はどの辺りなんだ?」

「ここから400mくらい先に進んだところね。まっすぐに歩いて行けば見えてくるわ。さあ、早くこれを着て向かって」


 天神はバッグから何かを取り出す。

 そしてそれをぐいっと俺に押し付けてきた。

 街灯に照らしてみれば、渡されたのは服だ。

 やけにベトベトしていると思ったら、これはさっきの盗賊団の男の服じゃねえか。


「これを……何だって?」

「着るのよ。あなたがあの男のふりをして、引き渡し現場に行くの」

「初耳なんだが」

「言ってなかったもの」

「そうだよな。俺の記憶がおかしくなったかと思ったぜ」

「それは嫌味かしら? それとも本気で頭が悪いだけ?」

「好きに受け取れ。……ったく、着なきゃいけないんだろ」

「そうよ」


 天神は微塵も悪びれることなく、早く着ろという視線を浴びせてくる。

 俺は小さくため息をつくと、彼女の目に付かない場所へ行って着替えた。

 俺が作りだしたはずの粘液が、どうしようもない不快感をもたらしてくる。

 再びため息をついた俺は、割り切ってやるしかないかと脱いだ服を天神に押し付けた。


「せめてこれは持っててくれ」

「仕方ないわね……。あなたは今から、その格好で取引場所へ向かってちょうだい。背格好も声も似ていることだし、出来る限り盗賊団のメンバーを演じるのよ。私は近くに潜んでいるから」

「でも結局、戦いは避けられないんだろ?」

「おそらくね。今から取引先に連れてこられる子供の救出、そして新たな情報の入手。これを考えると、戦闘の準備はしておく必要があるわ。でも、不意を突くに越したことはないでしょう?」

「だな。まじでベトベトするけど……じゃあ、行ってくる」

「ええ。私も裏から回って隠れるわ」


 2人別れて歩き出す。

 まっすぐ進めば目印があるんだよな。


 新世界になって以降、能力を用いた犯罪、ダンジョンを利用した犯罪というものが急増した。

 強い能力を持つ者は、たいてい探索者としての人生を選ぶ。

 必然的に、暴走する力を抑えるための力が手薄になった。

 警察などの公的機関も、能力に対する対策をある程度まで整えたものの、やはり限界がある。

 天神がラーメン屋で言っていたことは間違っていない。

 前の世界が真に安全だったとは言えないが、ある面から見れば今の世界よりも良かったのである。

 メリットとデメリットがあるとはいえ、この世界を壊したいという天神の気持ちを理解できないわけではなかった。

 ましてや、天神は自分の妹が命の危機に追い込まれているのだから。


「あった」


 天神の言っていた通り、数百メートルで『Money』の落書きへとたどり着いた。

 時刻は12時半。壁に寄り掛かって座り、約束の時間が来るのを待つ。

 そして30分後。

 カツンカツンという足音が高架下に響き渡った。

 顔を上げてみれば、大きな何かを引きずった人影がこちらへ歩いてきている。

 よく目を凝らせば、その何かはかなり大きなスーツケースだと分かった。


「ご苦労」

「あ、どうもご苦労様です」


 やってきたのは大柄な男。

 ダンジョンで捕まえたメンバーは自分のことを下っ端中の下っ端と言っていたから、せいぜいへつらうふりをする。


「まずはいつも通り、今日の収穫を受け取ろうか」

「あ、その、それが……」

「どうした? 早く収穫を出せ。ここに長居するべきでないのは、お前も分かっているだろ」

「じ、実はしくじりまして」

「何?」

「も、申し訳ありません!」


 男の声が低く、その目が鋭くなったのを感じて、俺は深々と頭を下げる。


「小ダンジョンでしくじるとはな……。何があった?」

「その、襲った探索者が小ダンジョンレベルではないくらい強くて。子供も保護されてしまったので、どうしようもなく逃げてきました」


 ここまですらすら言葉が出てくると、我ながらびっくりする。

 それも内心では全く怖いと思っていないのに、自然な雰囲気で声と体を震わせている。

 もしかして役者になれるんじゃないか……?


「情けない奴だ。ただまあ、今までお前がミスしたことはなかったからな。それに免じて、今回ばかりは許してやる」

「あ、ありがとうございます!」

「いいか? 次はないぞ」

「は、はい!」

「バカ。大きな声を出すんじゃない」

「す、すいません……」


 ここからはまるで見えないが、天神もこの会話をどこかで聞いているはずだ。

 それもいつでも飛び出せるように、刀に手を掛けながら。


「処理は俺がしといてやる。新しい囮だ。次はしくじるな」


 男からスーツケースが差し出される。

 まさかとは思っていたが、これに誘拐された子供が入っているのか。

 何というひどい扱いだろう。


「どうした? 早く受け取れ」

「すみません。ありがとうございます」


 スーツケースは、ずっしりと重い。

 ただ、中で何かが動いている様子はなかった。

 睡眠薬か何かで眠らされているのかもしれない。

 ひとまず、この場へ連れてこられた子供はこちらの手に渡った。

 あとはこのスーツケースを守りつつ、天神が必要とする情報を聞き出すだけだ。


「じゃあ、また明日のこの時間にこの場所でな」


 男は後ろを向いて去って行こうとする。

 その背中に俺は呼びかけた。


「あの、一つ聞きたいことが」

「何だ?」

「この囮に使ってる子供たちって、誘拐した後はどこに隠してるんですか?」

「……何でそんなことを聞く?」


 男はずんずんとこちらへ詰め寄るように戻ってくる。

 聞き方を間違えたか……。


「お前がそれを詮索する必要はないはずだ。何が目的だ? 誰に買収された?」

「あ、いや、その」


 答えに窮していると、男のさらに背後へふわりと影が着地した。

 街灯の光で浮かび上がるのは、腰に日本刀をぶら下げた特徴的なシルエット。


「全く……。聞き方が雑過ぎるわ」


 天神渚の登場だった。


「お前は……!」


 どうやら顔がバレているというのは本当のようで、男は振り向いて懐から短剣を取り出す。

 対する天神の方も、刀の柄に手を掛ける。


「【水波斬り】!」

「【光円居合】」


 2つの刃物が激しくぶつかり、豪快に火花を散らす。

 しかし、その激しさとは対照的に勝負はあっけなく決した。

 短剣がきれいな弧を描いて宙を舞う。

 天神は刀を鞘に納めると、鋭い視線で男を睨みつけた。


「ひっ……!」


 小さく悲鳴を上げた丸腰の男は、俺の方へと駆けだす。

 こちらなら突破できるという算段だろう。

 でもそうは行かない。

 もうへつらう時間は終わりだからな。名俳優の演技を楽しむ時間は終わった。


「【雷撃泡エレクロバブル】」


 全身をすっぽり包まれ、男は泡の中に閉じ込められる。

 彼のこちらを見る目はこれ以上ないほどに見開かれていた。


「お前……! 葛城じゃねえな!?」

「気付くのが遅いな、くそ盗賊」


 男は泡の中を脱しようと、必死に膜を蹴り飛ばす。

 しかしその程度で壊れるほど、俺が鍛えた泡はやわじゃない。


「【雷撃泡エレクロバブル・麻痺】」

「ぐああああっ!」

「大丈夫。死にはしないさ」


 泡の中を走った電流が、一時的に男の体を麻痺させる。

 死なないと言っても相当な痛みだろうが、子供をむごく扱う奴らだ。

 懲らしめにはこれでも足りない。


「うおうお……おおあああえ……」

「麻痺してるからな。解けるまで喋れねえよ」


 すたすたと俺の横へやってきた天神は、スーツケースを開けると中の子供をそっと抱きしめた。

 またしても女の子だ。


「妹か?」

「いいえ。違うわ」

「そうか。残ね……」

「残念ではないわよ。この子の命を守れたのだから」

「そうだな。それにしても、思いのほかあっさり出てきやがって」

「勝てると判断したからよ」

「じゃあ、勝てると判断しなかったら出てこなかったのか?」

「そうね。見殺しにしてたかもしれないわね」

「お前な……」

「冗談よ」


 天神は眠る子供を優しく抱きしめながら、俺の方を見てわずかに微笑んだ。


「妹を助けるための、そしてこの先《新世界の宝物ザ・ニューワールド》を見つけるための大切な仲間を見捨てるほど、私は愚か者じゃないわ」


 何となく分かった。

 天神渚とは、少しひねくれているだけの、優しく強い少女なのだ。

 いや、美少女なのだ。

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