ひとり

西野ゆう

みちづれ

 目が覚めた。でも、目は閉じたまま。

 怖いから?

 ううん、心地いいから。

 目を開けなくても分かる。私は空に浮かぶように揺れている。

 耳の近くで海鳥が繰り返し鳴く。波のリズムは複雑に大きな響きと細かい囁きを交えながら、私の鼓動のメロディを支えている。

 目は覚めている。でも、鼓動は遠い。

 それも仕方がない。もうすぐメロディも終盤なのだ。

 静かに、静かに、波に揺られて、肉体は海に溶け、魂は空に消えていくのだろう。

 耳の近くで海鳥が繰り返し鳴く。鳴きながらそのくちばしが私のふやけた耳をかじる。

 もうそのまま消えていくつもりだったのに、私は思わず目を開いて海鳥を掴んだ。逃げないようにきつく掴んだつもりだったが、滑らかな羽根に滑り、海鳥はひときわ大きな鳴き声を上げて去っていった。

 一艘の船は、一枚の板になっていた。

 私は今この世の中で一番のひとりぼっちだ。

 進むべき道を示す羅針盤はここにはない。私の視界の中にはない。

 沈んでしまったのだろう。多くの物と一緒に、多くの仲間と一緒に、あの人と一緒に。

 海鳥のせいで、心地よく揺らされているだけだった私が、命ある私に引き戻されてしまった。

 嫌だ。

 悔しい。

 憎い。

 なぜ命を奪われなくちゃいけないの?

 なぜ命が消えていく様を見なくちゃいけないの?

 どうして私は何もできないの?

 どうして最後に現実を見せつけるの?

 ――大丈夫だ。俺が皆を導く光になってやる。この島の皆の羅針盤だ。

 ――『導く光』って言うんなら羅針盤じゃなくて灯台じゃないの?

 ――あ? 灯台じゃ動けねえだろが。

 ――まあ、確かにね。羅針盤か。せいぜい狂わないようにしてよね。

 とめられなかった。狂ってしまった。狂わされてしまった彼を。民族の羅針盤という重責を担った彼を。私は止められなかった。

「生きているのか?」

 確かに聞こえた。何日ぶりかに聞く人の声だ。

 身体を起こす力のない私は、首だけその声の方へ向けた。

 大きな船。

 見覚えのある旗を掲げている。青地に乗せられた血の色は、星と月で白く型抜かれている。

 彼を狂わせた国の旗だ。

 私から、私以外の全てを奪った者たちだ。

 ――俺について来いよ。

 駄目だよ。そっちに行っちゃ駄目だよ。

 力に狂わされて、お金に狂わされて、間違った方向を指してしまった羅針盤。その羅針盤の声が何度も響く。

 ――ついて来いよ。

 ――おいでよ。

 ――みんないる方に。

 ――彼が指し示す方に。

 ――羅針盤に導かれて。

 ――俺に、ついて来い!

 引き揚げられた私は、たったの一人も道連れにできずに、海に捨てられた。

 もう、波のリズムも聞こえない。メロディも聞こえない。

 私は眠っている。でも、目は見開いたまま。

 怖いから?

 うん。独りが怖いから。

 海の中に仲間を探している。

 ゆっくり沈みながら、探している。

 光を探している。

 空を漂いながら、探している。

 耳を澄ませて「ついて来い」という声を。

 目を凝らして羅針盤の針を。

 時を歩みながら、皆が進むべき道を。

 きっとあなたも探していると信じて。

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ひとり 西野ゆう @ukizm

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