第九話 赤鬼も穴に落ちる

大きい枝にしっかり掴まり、変身を解く。大樹はしっかり安定しており年頃の男女二人の体重をしっかりと支えていた。

氷室さんは逆バンジーより怖い大ジャンプを命綱なしで行った恐怖からしばらく黙っていた。


、大丈夫?舌噛み切ってない?」


氷室さんが俺の紳士的な言葉に眉を顰める。


「あなた、通常時と異能の発動で喋り方を変えているの?」


え?喋り方を変えるだって?


「さっきも普通に話してたろ?もしかしてオネエみたいな話し方してた?」

「いや...私のこと呼び捨てにしたし、喋り方変わったし...」


確かに異能発動時は宝くじ3枚買って3枚当たったときくらいテンションが上がる。けど喋り方は変えていないつもりだ。


「異能の副作用かも。ごめん。」

「いや、いいのよ。それにしても上から見ると、その、すごく――――

「滑稽、だな。」


予想通り、大樹の上は異能の範囲に含まれていないらしい。上から見る校舎までの長い道はずいぶん短かった。


「風景が切り替わるようになってるのかな?前には進めないようになってたのか?」

「わからないわ。“ランニングマシン”とか...そういう異能じゃないかしら。」


異能がランニングマシンて...。俺がランニングマシンの能力で受験しろってなったら泣いてたわ。


「さて、受験生が不自然に止まってるあそこが道の端っこだろう。あそこを飛び越えれば校舎に向かえるはずだ。」

「え。」


氷室さんは硬直。その隙にもう一度異能を発動する。氷室さんは再び逆バンジー―――今度は飛び降りるからバンジーか―――をしなければいけない事実を受け止めきれないようだ。


「少し待ってくれ。なかなか発動できねえ。」


先ほど一発で成功した報いがやってきたのか、二、三回変身に失敗。「小鬼形態ゴブリンモード」と唱えようやく成功した。


「落ちるぜぇ。捕まっとけよ。」

「あうううううううっっ!!」


木の上からの大ジャンプ。臍の下あたりに込み上げる浮遊感に再び声にならない悲鳴をあげた真冬はすでに涙目だ。彼女の「死ぬまでにやってみたいことリスト」からバンジージャンプが消えた。

膝を曲げて着地。マットレスもびっくりな衝撃吸収。猫のような美しい着地を褒めるほどの元気が真冬にはなかった。



ー・ー・ー



薄暗い部屋。二人の教師。片方はタバコを吸い、もう片方はコーヒーを啜っている。


「受験者は1000人、合格者は100人。最初の関門を超えたのはまだたったの53人だぞ?」


片方がタバコを指に挟み怒鳴るようにいうと、もう片方は宥めた。


「まあまあ。まだ関門が始まっていることすら気づいてないんですから。しょうがないでしょう。」


タバコを持っている男は否定とも肯定ともつかない唸り声をあげた。


「例年は200人以上通過しますし、大丈夫ですよ。」


タバコを持っている男―――再び咥えたが――はフンと鼻を鳴らしてモニターを監視する作業に戻った。



ー・ー・ー



「なんだこれ?」

「穴?」


ランニングマシンエリアを通り抜けた俺たちは校舎を目指そうと歩き出したが、俺たちの前にランニングマシンエリアを通過した人々が立ち止まっているようで足止めを余儀なくされた。なぜ止まっているのか。答えは火を見るより明らか。大きな穴が空いているからだ。底は闇に覆われていて、深さは見当がつかない。


「やばいわね。」

「ああ。やばい。」


今日試験がなければ『全日本穴にどれだけ近づけるかチキンレース大会』を開催していたところだけどそうはいかない。

穴の向こうに誰もいないのを見るに、初めから穴が空いていたということだろうか。場を通り抜けた全受験生がここで停まっている。今は何時だろうか。間に合うのか?

デキる男の百目鬼クンは腕時計をしっかり巻いている。


「あ」


さっき小鬼形態ゴブリンモードに返信した時に壊れてしまったらしい。デキる男百目鬼クンは腕時計を壊すサルまで降格した。


「どうすればいいのかしら。」


氷室さんが呟く。困惑のあまり思わず呟くが漏れたということか。


「大丈夫。試験が終わったら時計屋に修理を出すよ。」

「あなたの腕時計なんか誰も気にしてないわ。この穴をどうやって越えるべきか、ってことよ。」

「パンフレット持ってる?試験の詳細が書いてあるやつ。」

「持ってるわ。」


氷室さんは背中のリュックからパンフレットを取り出した。試験開始時刻は...


――――――――――――――――――――

試験開始時刻は9:30。9:00には教室について着席していること。いかなる理由があっても試験開始時刻に遅刻した場合、その受験生を失格とする。

――――――――――――――――――――


「「は?」」


この記載通りに解釈するなら、試験開始時刻にさえ間に合えば失格にはならない。近くにいた受験生の腕時計を盗み見ると8:50。あと10分で校舎に着けば―――。

ピシピシピシ。

突然、穴から俺らの足元に向けて亀裂が走る。穴が広がっている。


「え、ちょ」


ボロボロと足元が崩れていく。


「ゴっ、小鬼ゴブリンモーどおおおああああああ!」

「さっき落ちたばっかああああああ!」


穴の周りにいた受験生はなす術なく大穴に落ちた。もちろん俺も。

百目鬼伊織の死ぬまでにやってみたいことリストからスカイダイビングが消えた。

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