第19話
──前代未聞、王国に聖女候補が二人。ベリアル・グランツェ伯爵令嬢が貧民の暮らしを知り心を痛めて、この国の民を思い生命の樹を呼び出す。
その文言が踊る新聞は飛ぶように売れたらしい。
何しろ、マリアライトの時より具体的で真実味を帯びている。その為、ベリアル様こそが真の聖女になられるお方だともてはやす平民は多かった。
けれど、私にはどうにも不自然に思えてならなかった。貧しい暮らしに喘ぐ者からすれば、どれほど身を窶して訪れたにしても貴族令嬢と言うものは、そもそもの育ちや考え方が違うのだから異質な存在に見える筈だ。そんな彼女が貧民の暮らしぶりをつぶさに知る事は可能なのか。
皇太子様も王城にて国王陛下や臣下と話し合いを繰り返しておられるようだ。先に目覚められたマリアライト様こそ聖女だ、貧民に寄り添うベリアル様こそ聖女だ、王国に二人もの聖女が誕生するのであれば王国はかつてない繁栄を迎えられる、いや二人とも偽っている、──様々な意見が飛び交い、かと言って結論はなかなか出せないのが実状らしいと礼拝に訪れる貴族の令嬢や子息達は集めた情報を語り合っていた。
この件については、私も皇太子様とお話しする機会を持てた。皇太子様のお話しによるとベリアル様が召喚出来る精霊は闇の精霊に限られているらしい。先代の聖女様の力を考えれば、それだけで結論は出せそうなものだが──いまだ続いている聖女不在が、結論を出すには足枷になっているそうだった。次代の聖女を見い出し認定出来るのは聖女のみ。本物の聖女かどうかは聖女にしか確信出来ないと言う縛りは、大いに臣下を悩ませているとも聞いた。
一方で、ベリアル様が名乗りを上げた事により我が家──マリアライトは荒れ狂っていた。これまで以上にお酒を飲むようになり、酔って使用人に当たり散らす事も多いと言うのを通り越して日常になってしまい、屋敷で働く者達は皆、マリアライトに戦々恐々として怯えている有り様だ。
両親もまた、マリアライトこそが聖女だと言いながらもマリアライトの生活態度が酷すぎる事から、聖女たる者は堂々として広い心を持ち敬虔であるべきとマリアライトに言い聞かせ──マリアライトは逆上し泣き喚いた。
かと言って私への風当たりがやわらいだ訳ではない。何しろ私は、まだ力に目覚めることさえ出来ていない。必然的に荒れたマリアライトの矛先は私に向かった。両親はマリアライトが次代の聖女と妄信しているので、マリアライトの砒素のような毒の言葉に追随し、同調するまでになっていた。
「リヴィアお嬢様、本日もお夕食はお部屋でお召し上がりになるようにとの旦那様の仰せでございます……リヴィアお嬢様は何も悪い事などしておりませんのに、これでは幽閉なされているようなものですわ」
怒りを滲ませながらも申し訳なさそうにペティが告げる。その現実も日常の今となっては両親への信頼もなく落胆や絶望さえする気にならない。
「いいのよ、ペティ。むしろマリアライトやマリアライトを甘やかすお父様とお母様を見なくて済むのだもの、その方が心は穏やかに保てるものだわ」
読書の為のテーブルにペティが運んできた夕食を並べてゆく。料理は全て、念の為に毒味役を置いているので──これは皇太子様からの勧めによった──すっかり冷めてしまっている。それでも生命が脅かされるよりは断然良いので不満は持たない。
「どうかした、ペティ?」
給仕をしてくれるペティが、どことなく物思いをしているようで訊ねる。
「いえ、リヴィアお嬢様が……初めてお目にかかった時の印象とは少しお変わりになられたと思っただけでございますわ」
「変わった?」
「あの、悪い意味ではございませんわ。どう申せばよろしいのか、嵐が来ればなぎ倒される若木やお花のようにお見受けしておりましたリヴィアお嬢様が、風を受けてもたわむだけで根の強いものになられたような、と言いますか」
慌てて弁明するペティに、私は苦笑して「それは褒め言葉ね、ありがとう」と返した。
今となっては、衝撃を受けても、動揺し嘆くばかりの私ではなくなっている。皇太子様のお言葉と支えがあればこその変化と言えた。
「私には信じられるものがあるもの、失望があっても絶望はしないわ。お父様やお母様も、私をと言うより優れた娘と認められるものを愛でているだけだったのよ。だから今、マリアライトがどんなに横暴に振る舞っても、聖女候補だからと可愛がっているの。要は肩書きを愛するのよ」
「リヴィアお嬢様は達観なさっておいでですわ、私めでしたら実の親に邪険にされたら耐えられませんもの」
「言ったでしょう? 失望があっても絶望はしないと」
「──皇太子殿下が、リヴィアお嬢様を大切になさって下さるからでございますよね?」
「そんな、改めて言われると恥ずかしいわ。……けれどそうね、今の私は皇太子様のお心とご期待を信じ申し上げているのよ」
馬車での一件から、私は無為に境遇を嘆かずに負けない事を意識するようになった。
だからだろう、マリアライトは狼狽えない私を気に食わずに部屋へ押しかけて来て「出来損ないが厚かましく深窓の令嬢ぶるなんて恥を知れば良いわ」等と罵ってきたり、部屋の物を壊したり、ペティが並べてくれた食事をめちゃくちゃに払い落としたりと数々のあからさまな嫌がらせをして来るようにはなった。
内心では、マリアライトもベリアル様が聖女候補に上がって焦っているのだろうと分かるから、適当にあしらう事にしている。それもまたマリアライトの逆鱗に触れて悪態をエスカレートさせる要因になるのだが、マリアライトは感情に任せて癇癪を起こせば起こすほど自分の首を絞めている事には気づいていないようだ。マリアライトの悪行は皇太子様に筒抜けで、つまりは国王陛下にも伝わっているのだけれど。
「──リヴィアお嬢様、どうぞお召し上がりくださいませ」
「ありがとう、頂くわ」
毒味役の者は皇太子様より遣わされたのでマリアライトの息はかかっていない。冷めきった食事は美味しいとは言えないけれど、信用は出来る。私はカトラリーを手にして食事を始めた。
「──何でベリアルが出しゃばるのよ!」
ドアの向こう、マリアライトの部屋からだろう、マリアライトの怒号が耳に届く。私の部屋にまで聞こえて来るのだから、相当な大声だ。ペティが跳ねるように声の方角を窺った。
私は澄まして食事を続ける。すると、マリアライトが金切り声で何かを割る音と共に叫んだ。
「あの女狐、私を謀ったのよ!」
──それが指すのは、記憶を辿れば、おそらく私がかつて見かけてしまったマリアライトとベリアル様の密会に繋がる何かだろう。
マリアライトは心の幼稚さゆえに、その発言の孕む危うさを分かっていないのだ。
マリアライトの叫びを聞きながら食事を進めるのは気分の良いものではないが、実害がないなら関わらなければ済む話だ。品良くムニエルを口に運び、咀嚼する。
──と、ムニエルを飲み込んだ時に廊下で荒い足音が複数聞こえてきて、リーファの「申し訳ございません、お許しくださいませ!」と言う必死そうな訴えと、マリアライトの「あんたごときが私に物申すだなんて、役立たずを専属にしてやった恩も忘れて!」と言う罵声も届き、続く言葉は遠ざかり──ついには、リーファの大きな悲鳴が聞こえて、そしてリーファの声は途絶えた。
さすがにこれは尋常ではない。けれど様子を知りたいからと、逆上しているであろうマリアライトの近くにペティを行かせる訳にもいかない。危険過ぎる。私は考えた末、呼び鈴を短く鳴らした。運良く誰かが私の部屋の近くにいれば来てくれる。
食事を止めて待つと、すぐに誰かがドアをノックした。かなり早いテンポで、焦りを感じさせる。「どうぞ、入って」と許すと、屋敷では古参のメイドがドアを開き、怯えながら入って来るなり「大変でございます……マリアライトお嬢様が……」と声を震わせた。
「マリアライトが何をしたの?
ここは今のところ安全よ、言ってご覧なさい 」
「マリアライトお嬢様が……リーファを階段から突き落としました……リーファはどうなったか、まだ分かりません……」
私はペティと顔を見合わせた。ドアの向こう、階段からだろう、人々が駆けつけて騒ぎが大きくなってゆくのが聞こえてくる。
私の部屋では、私とペティと古参のメイドの三人が、三者三様の思いで無言になっていた……。
生命の樹を呼べない出来損ないは世界樹に愛される 城間ようこ @gusukuma
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