第16話

* * *


所は変わり、王城ではムオニナル皇太子が父王の執政室に呼ばれた。


父王は人払いをし、「アインバーグ伯爵家の事だが……アインバーグ伯爵からリヴィア嬢の代わりにマリアライト嬢をと言う提案を持ち込まれた」と切り出した。


ムオニナルにも呼ばれた時点で大体の見当はついていたので、毅然とした態度で「私は変わらずリヴィアお嬢様をと考えておりますが、陛下はいかがお考えでしょうか」と言下に切り捨てた。


リヴィアに異変が起きたことを察知して駆けつけた時の伯爵家を思い出すと今でも怒りが込み上げてくる。ムオニナルが屋敷に着いた頃には既にリヴィアは部屋に運ばれ寝かされていたものの、控えて看ているのは専属メイド一人きり。両親はマリアライトが生命の樹に力を注ぐところを歓喜しながら見守り、リヴィアを一顧だにしないどころか、リヴィアの容態を訊ねるムオニナルに向かって、マリアライトこそ次代の聖女と言って皇太子妃に勧めてくる始末だった。


ムオニナルの脳裡に、生命の樹に力を注ぐマリアライトが浮かび上がる。白いドレスから抜き出ているのは、意識を昂揚させているのとは何かが違う、不自然に赤い顔。肉に弛んだ顔は荒れて醜い肌を纏わせ、生理的な不快感を呼び起こした。


それだけでも厭わしいが、絶対的だったのはマリアライトの眼だ。油膜が張ったように濁った眼をぎらつかせ、何かをしきりに呟きながら生命の樹を見つめていた。


ムオニナルが幼い頃に見た聖女とは明らかに異相を呈しており、使用人達の無駄口から知った事実からも、多くの精霊達を取り込んで生命の樹を呼ぶなど、決してあってはならない事だった。聖女とは、他害を犯さず清らかな願いのみで生命の樹を呼び出すものなのだ。


父王の事だ、この程度の情報ならば、とうに手中にあるに違いないとムオニナルは踏んでいた。事実、断りを述べても父王は落ち着き払っている。


「先代の聖女にまみえた経験を持つお前ならば、立場の異なる伯爵とは違う目で物事を捉えているであろう。だが、次代の聖女を聖女として認知出来うる存在は聖女そのもののみ。その聖女が五年にわたり不在の今……アインバーグ伯爵家としては、幼くして力に目覚め生命の樹まで呼ばった娘にかける期待も大きいのであろうな」


「そうであろうとは思います。それこそが奇異である事には気づいておりますまい」


「──リヴィア嬢の様子は?」


「はい、大変健気で気丈に振る舞われております。目を覚ました当初は動揺を隠せずにおりましたが……それでも国と民の為に祈ると」


「国と民の為に、か。マリアライト嬢もまた、この世の不平等を嘆き、国と民の為に祈った結果だと申しておったとか」


「詭弁です」


ムオニナルからすれば、それに気づけないような父王ではない事を熟知している。それを裏付けるように、父王は苦々しそうな面持ちをしていた。


「ムオニナルよ、懸念すべきは今後だ。アインバーグ伯爵家では、マリアライト嬢を聖女として持ち上げて来るであろう。そなたの婚約者であるリヴィア嬢が、その裏でどのような扱いを受けるか。何しろ、潜在魔力の強さこそ顕現出来ておるものの、魔術にはいまだ目覚めてはいないのだからな」


「そこなのです、陛下。リヴィアお嬢様ほど素晴らしい力を秘めている令嬢が、日曜日の礼拝のみに留まらず日夜祈りを捧げていると言うのに、なぜ魔術に目覚めないのか……そこが、どうしても分からないのです」


普通、潜在魔力が強ければ強いほど魔術には目覚めやすくなる。ムオニナルは王室の一員として様々な貴族の者達が水晶の色を変える姿を見てきたが、真紅に輝かせてのけた令嬢などリヴィアの他に見た事がない。


おそらくリヴィアは、力に目覚めれば毎年でも生命の樹を呼べるだけの地力がある。だが、まずは目覚められなければ発揮もしようがないのだ。


ムオニナルからすれば、自ら見い出して選んだ婚約者だと言うのに、それが為に不遇をかこつのか。そう思うと心が痛む。リヴィアは誠実な心根の善良な令嬢なだけに、実の親からの裏切りを知れば──その時の悲しみは計りきれないだろう。


ムオニナルを呼んだ父王も察しているに違いない。だが、古くから忠臣として王に仕えてきたアインバーグ伯爵家を思えば、一応はムオニナルにも話を通しておくべきと考えたのだ。その道理はムオニナルも理解出来る。


「──相分かった。伯爵家にはマリアライト嬢が聖女たるに相応しいか、まだ判断するには時期尚早である旨言い渡しておく事としよう。そなたは婚約者であるリヴィア嬢が力に目覚めるには何が必要なのかを考えよ。何がしかのきっかけが必要に相違ない。──ただし、リヴィア嬢が遅くとも17歳のうちまでにだ。よいな?」


父王からすれば、これ以上に寛大な判断はあるまいとムオニナルも分かっている。だからこそ深々と頭を垂れて「は、かしこまりました。陛下のお心に感謝致します」と応えた。


「話は以上だ。下がってよい」


「はい」


礼をとり、執政室から退室するムオニナルに、ムオニナル付きの侍従が何かを運んでくる。片膝をついて捧げてきた物を受け取ると、リヴィア嬢からの文だった。奥ゆかしい令嬢は、礼拝の為のドレスへの礼をムオニナルに対して綴り、伝えて来ていた。


ふ、と口許が綻ぶ。あのいじらしい令嬢が自分の作らせた白いドレスを纏って祈る姿をムオニナルは想像し、きっと美しいだろうと確信していた。


が、控える侍従はどこか浮かない表情をしている。怪訝に思ったムオニナルが「リヴィアお嬢様に何か良からぬ事でも起きたのか?」と訊ねると、侍従は畏まりながら「お耳汚しかも知れませぬが……日曜日の礼拝にはベリアル嬢が教会に姿を現したそうで……それが、まだ力に目覚めぬ者達に対し自身の目覚めた力を見せつけるものであったとの事でございます」と話した。


ベリアル嬢と言えば水晶を淡い桃色に変えるのがやっとだった、ムオニナルの記憶には大して残ってもいない令嬢だが、その人物がリヴィア嬢をも傷つけたかも知れないと思うと、ムオニナルの胸はぶつぶつと騒いだ。


そうでなくとも、今はリヴィア嬢の精神面や身体面を支える存在が必要だ。悔しいが、ムオニナルにはムオニナルの為すべき事がある。リヴィア嬢に関しては、せいぜい支援する程度しか出来ない。


ベリアル嬢とやらは、随分と貴族令嬢らしからぬ振る舞いをしてくれたものだとムオニナルは口惜しく思う。リヴィアが、ベリアルとマリアライトの密会している姿を見ていた事実は知らずに。


「分かった。お前も話しにくい事であったろう」


「は……」


とりあえず、ムオニナルは憤りとリヴィアへの同情を抑えて己の執務に戻る事にした。


聖女たるに相応しい、だからこそ婚約者に選んだ。その枠を超えて、リヴィアという存在の美しさがムオニナルの心を揺さぶるようになりつつある。それを自覚した頃には、おそらくムオニナルは後戻り出来なくなっているだろう。


──歯車は回る。運命の歯車は世界ごと巻き込んで回り、先にしか進ませないのだ。


* * *


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