第14話

──国中がマリアライトの事で騒がれている中、私は倒れて眠り続けていた。


漆黒の闇。手許さえ見えなくて足許など到底見えない。抜け出そうにも一歩も怖くて進めない。


これは今の私の心だ。


夢の中でそう思う。


いや、まだ絶望に支配されてはいけない。マリアライトが聖女と決まった訳ではない。あのような邪悪でお酒に溺れる聖女など、居てはならない。


「──!」


思い直すと、目の前に大樹が現れた。夢に見てきた馴染みのある大樹が。


大樹は光を生い茂らせ、闇を照らす。私は誘われるように大樹へと歩を進めた。今まで繰り返し夢で会ってきた大樹だけれど、近づくのは初めてだ。


一歩進むごとに大樹の光が増してゆく。大樹のもとにまで来ると、生い茂っていた光が私に集まり、取り囲んだ。慰めるように励ますように。


私は幹に手をあてて、──すると、大樹から脈動を感じた。そっと身体を寄せて、もたれるように大樹に寄り添う。樹木のはずなのに温かい。


どことなく、ほっとする。


けれどこれは生命の樹ではないのだ。──ならば、何だろう?


複雑な気持ちを抱いていると、大樹から声が聞こえた。鼓膜を震わして染み込む美しい声が。


〖──主よ、我を呼ばえ〗


「え……?」


取り囲んでいた光が私を包み、更に温める。訳も分からないまま、私は目を閉じて意識を沈めた──。




* * *



「……あ……」


目を覚ますと、見慣れた天井が見えた。私の自室だ。どうやら倒れた後に運ばれてきたらしい。


昨日までと、今朝までと何一つ変わらない部屋。敢えて言うならば──。


「リヴィアお嬢様、目覚められたのですね」


「ムオニナル皇太子殿下……?」


枕元には私を見つめる皇太子様がいた。


「……なぜ……」


「婚約者が倒れたのに駆けつけないほど冷淡に見えますか?」


皇太子様の声は優しい。優しさに甘えて涙が零れそうになる。


「けれど……マリアライトが……生命の樹を呼んで……」


「だからと言って、マリアライトお嬢様が聖女とは限りません」


皇太子様の言葉は力強い。なぜ言い切れるのだろうか。眼前に見せつけられた生命の樹、目を覚ましたら傍に居て下さった皇太子様。頭が混乱している。


力ない私の瞳を見つめて、皇太子様は仰った。


「先代の聖女は、全ての属性の精霊を召喚し使役出来ていました。ですが、マリアライトお嬢様はまだ光の精霊しか呼ばえていませんから」


精霊を呼ぶには大きな魔力が必要とされるのに、それを全ての属性で可能にしていた?──聖女とは常識を遥かに超えた存在なのだ。


いや、それも衝撃だけれど、今は。


「マリアライトが……生命の樹を呼ぶために光の精霊を犠牲に……いえ、贄にして……」


無表情でマリアライトに取り込まれる精霊達。あれは不自然にも程があった。


「居合わせた使用人も見ておりましたので、その話は聞きました。使用人達は精霊達が粛々と従っていたと誤解していましたが……精霊とて知性も喜びもあります。何かがおかしいと、私は考えています」


「では……殿下は私をまだ信じて下さっているのですか……?」


声が震える。皇太子様は慈愛を籠めた眼差しで私を見つめて下さった。魔術にさえ目覚められていない私を。


「まだ残された時間はあります。リヴィアお嬢様がどれほど真剣に祈りを捧げているかは、聞き及んでいますので」


「ありがとうございます……」


私は、まだ全てには見離されていない。そう思えるだけで救われる心地がした。と、ふと皇太子様が左手の人差し指に着けておられる指輪が視界に入った。その指輪の石は、皇太子様が下さったペンダントにはめられている石と同じだった。


「殿下……その指輪は」


話は飛躍するが、訊ねてみる。


「この指輪はリヴィアお嬢様に差し上げたペンダントと対になるものです。共に着けている相手に何かあれば、石は青く色を変えるのです。執務中に色が変化したので、嫌な予感がして駆けつけました。すると、リヴィアお嬢様が倒れられたと」


「そうでしたのね……」


お忙しいだろうに、駆けつけて下さった。傍にいて見守って下さっていた。両親でさえマリアライトに期待を寄せている中、私を気遣って下さった。これ以上何を望むだろう?


「殿下……王様の御前で力を顕現した際に殿下がご覧になられた印かは分かりかねますが……気を失っている間に夢を見ました。生命の樹ではない……マリアライトが見せたものとは全く異なる……けれど、普通の木ではありませんでした。幼い頃より夢で見てきた大樹でしたが……」


「──それは、光をちりばめた大樹ですか?」


「殿下、なぜそれを?」


「父王に控えていた儀式の時に、はっきりと見たからです。それは御印だと思い、そしてリヴィアお嬢様に求婚致しました」


「そうでしたのね……」


私だけが夢の中で見てきた大樹を、皇太子様もご覧になられていたとは。


「殿下、夢の中で見た大樹は温かく、そして『私を呼ばえ』と話しかけてきたのです。暗闇の中で輝いて」


「リヴィアお嬢様……それが生命の樹ではない事は私も見て知っています。ですが、あまりにも神々しかった」


皇太子様が私の手を取り、力強く握って下さる。あの大樹のように温かい。


「殿下、私は国と民の為に祈ります。これからも。ですから、どうかこの手をお離しにならないでくださいませ」


「もちろんです。私は私が見たものを信じていますから。──さ、もし起きられるようなら胃に優しいものを召し上がってください。何しろ、リヴィアお嬢様は半日以上眠り続けていたのですから」


「そんなにも……殿下は、もしかしてずっと傍に居て下さったのですか?」


「ええ、あなたの父君と少し話した時以外は。このまま目を覚まさないのではと不安になるほどでした」


私が聖女候補と思われたから──それだけの求婚だったのに、皇太子様はこんなにも私を大切にして下さる。心から皇太子様のご期待に応えたい、そう思えた。


「起き上がれますか?」


「はい……」


まだ目眩はするものの、ベッドで半身を起こすことは何とか出来そうだった。皇太子様は「あなたの専属メイドを呼びましょう。心配していましたよ」と私の背に手を添えて手助けして下さった。


「はい」


ベッドサイドに置いてある呼び鈴を鳴らす。ほとんど間を置かずにメリナがドアをノックした。メリナも控えてくれていたのだろうか。


「リヴィアお嬢様、メリナでございます」


「どうぞ、入って」


「失礼致します。お目覚めになられて本当によろしゅうございました……マリアライトお嬢様ときたら、リヴィアお嬢様がお倒れになられたのに生命の樹に子を宿すのに気が散るからと……」


皆まで聞かなくても察しはつく。


「それは今はいいだろう。リヴィアお嬢様にスープを。ベッドで食べられるようにしてくれ」


「はい、かしこまりました。失言をお許しくださいませ」


メリナがすぐに退室し、微かに「リヴィアお嬢様がお目覚めになられました、すぐに消化の良いスープを温めてください」と話しているのが聞こえた。


私は、まだ孤立無援ではない。


「リヴィアお嬢様、焦りは祈りを翳らせます。焦ってはいけません」


諭して下さる皇太子様の声と言葉が沁みる。私は「はい、心に刻みます。殿下、本当にありがとうございました」と頷いた。


ややあってスープが運ばれてくる。私は皇太子様に助けて頂きながら少しずつ口に運んだ。


──その時は知らなかった。


まさか、お父様が私の代わりにマリアライトを皇太子様の婚約者にしようとしているなどとは。


皇太子様が拒んで下さったお蔭で今なお私が婚約者でいられているものの、信じてきた家族──親が私を追いやって、あのマリアライトを新たなる聖女として見るようになっていたとは。


知らないという事は、なんとおめでたい事なのだろう。どんなに祈っても魔術にさえ目覚められていない私は、いつしか両親からの期待を薄れさせてしまっていたのだ。


私はその現実に、本当に気づいていなかったのか?


マリアライトが光魔術に目覚めて精霊を召喚する事に成功した時から、今までの何かが崩れ始めていたのに。


なのに、この時の私は皇太子様のお気持ちと優しさに浸っていたのだ。

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