第13話

……夢の中で、マリアライトと私が中庭でお茶を共にしている。


マリアライトは醜い容貌に変わり果てていた。それでも彼女は上機嫌に振る舞う。


──と、そこにマリアライトが召喚した光の精霊が集まり、マリアライトの中に取り込まれてゆく。


すると、マリアライトは空に手を掲げて力を放出し……目の前には輝く大樹が現れたのだ。


私が夢で見てきたものとは違う。なのに私には、それが生命の樹だと分かっていた──。


「……っ!」


眠りは夢を拒むように途切れ、私はびくりと身を撥ねさせて起きた。


「……あの夢……まさか、そんな……」


信じたくない。まだ子供のマリアライトが魔術に目覚めただけでも信じられないのに、生命の樹を呼び出す? しかも私の目の前で。


久しぶりの予知夢に胸がぶつぶつする。いや、懸念する心が見せただけかもしれない。けれどそれにしても生々しい夢だった。


「リヴィアお嬢様、お目覚めでございますか?」


ドアの向こうから、メリナが声をかけてくる。私は悪夢のせいか胃のあたりが騒いでいて、とてもではないが気分が良いとは言えなかったものの、寝過ごすなどメリナに迷惑をかけるし、伯爵令嬢としてはしたないので起きるしかない。


「……ええ、起きていてよ、メリナ。お入りなさい」


「失礼致します。洗顔のお湯をお持ち致しました。……リヴィアお嬢様、お顔の色が優れませんわ。お具合のよろしくないところがございましたら侍医を……」


メリナの表情が翳る。私は努めて平静な様子を見せて「それには及ばないわ、夢見が良くなかっただけなのよ」と断った。


「なら、よろしいのですが……ここのところお祈りにも時間を使われておりますし、ご無理はなさらないでくださいませ」


日曜日の礼拝だけでなく、私は自邸でも毎日数時間にわたって祈りを捧げるようになっていた。なのに、生命の樹はおろか魔術にさえも目覚められずにいる。


忸怩たる思いを抱えながら、表向きは穏やかにすごす。それでもマリアライトの力に期待を寄せるようになってきた両親からの、私への眼差しは励まして下さる言葉とは乖離している。


「……あの、リヴィアお嬢様」


「どうしたの?」


躊躇いがちにメリナが切り出す。こういう時は私には喜ばしくない場合が多い。果たしてメリナは「今朝はマリアライトお嬢様も朝食に出られるそうでございます」と告げた。


ここしばらく、お酒ばかり飲んで朝は起きられないのが常だったマリアライトが。


夢のこともあり、嫌な予感がする。かといって家族だ。来るななどとは言える訳がない。ましてや家長はお父様なのだ。私には権限があるはずもない。


「そう……久しぶりね、マリアライトが朝に起きられるだなんて」


「マリアライトお嬢様は、常にお酒に酔っておられましたものね」


何はともあれ、朝食に遅れてはいけない。私は重い気持ちと身体を騙し騙し奮い立たせて支度を済ませ、食堂に向かった。既にお父様とお母様がおられる。


「おはようございます、お父様にお母様」


「おはよう、リヴィア。席につきなさい」


「はい」


返事をして、席につく。すると、間を置かずに食堂のドアが不躾に開いた。


「おはようございます、お父様にお母様、──リヴィアお姉様」


マリアライトだった。


昨夜もお酒を飲んでいたのだろう、息がお酒臭い。けれど両親はそれを咎める様子はない。ならば、出しゃばった言動は控えた方が良いだろう。


朝食が運ばれ、食欲はないもののスープを口に運ぶ。マリアライトの様子を伺っていると、朝食には全く手をつけていない。適当にスープをスプーンでかき混ぜているだけだ。


「マリアライト、あなた体調が優れないのではなくて? 食事が進んでいないわ」


「いいえ、お姉様。今朝は特別気分が良いわ。──お姉様、久方ぶりにお茶を一緒に頂きませんこと?」


その言葉に、心臓を巡る血液が冷たくなった錯覚をおぼえる。嫌な胸騒ぎが私を襲った。


出来ることなら穏便に断りたい。だが、魔術に目覚めて実績を積んでいるマリアライトには、最近の両親は甘かった。微笑ましそうに「それは良い、姉妹の親睦を深めるのも家門の繁栄には必要不可欠だ。──リヴィア、朝食が済んだら祈りよりもまず支度をしなさい」とお父様が言った。


家長であるお父様の言葉は絶対だ。それに、ここで拒めば私の立ち位置が危うくなる。私は心とは裏腹に、鷹揚な様子で頷いた。


「はい、お父様。──マリアライト、美味しいお茶を用意させるわね」


「あら、ありがとうございます。では私はお先に失礼致しますわ」


どうやら、珍しく朝食に参加したマリアライトの目的は私を誘う事のみだったらしい。結局朝食には手をつけずに席を立った。


私はそっと溜め息をついた。


──お茶は朝食を終えて昼前に用意された。中庭にテーブルと椅子を出して、お茶やティーフードがメイド達によって手際良く用意されてゆく。私が先に着いて着席し待っていると、純白のドレスに着替えたマリアライトが現れた。


「お待たせ致しましたわ、お姉様」


「いいえ、私も着いたばかりよ。──座ってちょうだい」


このところ、マリアライトの私への態度が傲岸になってきているのは気のせいだろうか。丁寧な態度を取り繕っていても、言動や雰囲気の端々に私を見くだす様子が見て取れる。


それに、浴びるようにお酒を呑んでいる為か肌荒れが酷いのが陽光のもとで顕に分かる。頬や顎のラインにも張りがなく、顔色も、お世辞にも良いとは言えない。こんな状態で私を誘うとは。


「今日はね、お姉様に特別にお見せしたいものがございますのよ」


「……あら、何かしら?」


運ばれたお茶で舌先を湿らせる。マリアライトはお茶にもティーフードにも手をつけようとしない。


そして、おもむろに立ち上がり、──私に向かっておぞましいような笑みを浮かべた。


「ご覧あそばして。──精霊よ、私の契約の元に姿を現し、その力を見せよ」


やめて。──そう叫びたくなるのを必死に堪える。これではまるで夢の通りになってしまう。


だが、現実は無情だった。


マリアライトに光の精霊が集まる。小さな下級精霊だが、数が多い。


「ここからですわよ、お姉様。──精霊よ、我が望みに応えよ」


マリアライトに精霊が集い、マリアライトは供物のように精霊を取り込んでゆく。精霊は無表情のままマリアライトに従っていった。


「我が心に応え、顕現せよ」



マリアライトが空に手を掲げて魔力を放出する。空は晴れているのに、稲光が起きたかのような閃光がマリアライトのもとで凄まじい輝きを放った。あまりの眩しさに目を閉じ、瞼を通して伝わる光が収まった頃に、恐恐と目を開ける。


そこには、信じたくない光景があった。


「いかがです、お姉様。今朝は特別力に満ちた感覚が致しましたから、まずはお姉様にお見せしたかったのですわ」


「マリアライト……あなた……」


マリアライトの目の前に、まばゆい樹がそびえている。控えていたメイド達にも動揺が走り、「すぐに旦那様と奥様にお知らせを!」と声が上がった。


「ご存知かしら、生命の樹ですわ。──お姉様が呼び出せずにいる」


「──!」


目の前の──生命の樹は、銀色がかった淡い緑の葉を生い茂らせている。私が夢で見てきた大樹とは似ても似つかない。本当にこれは生命の樹なのだろうか?


それとも、私が夢で見てきた大樹が生命の樹ではなかった──。


「マリアライト、僅か13歳で偉業を果たしたと聞かされたが……」


お父様が真っ先に駆けつける。胸を張るマリアライトに向かって、「これは、まさしく生命の樹だ。なぜ呼び出せた?」と私にとって更なる衝撃の言葉を発した。


マリアライトは心もち目を伏せて、お父様を前にしおらしく振舞った。


「私はただ、この世の不平等を嘆き、国と民の為になりたいと望んだだけですわ、お父様」


その言葉を聞いて、椅子に座っているはずなのに目眩がして椅子から倒れそうな感覚に襲われた。


国と民の為に──聖女の条件だ。


私は、私の立ち位置や足許が音を立てて崩れてゆくのを感じた。


「よくやった、マリアライト。お母様もすぐに駆けつける。お前は生命の樹に魔力をそそいで子を宿していなさい」


「はい、お父様。私精一杯努めますわ」


屋敷では天と地がひっくり返ったような騒ぎに包まれた。聖女候補として皇太子様と婚約している私が魔術に目覚めるより早くにマリアライトが魔術に目覚めただけでも騒がれたが、何しろ生命の樹を呼んだのだ。無理もない──が。


ならば、私が夢で見てきた大樹とは一体何なのか。皇太子様がご覧になられた印は何なのか。


自信に満ち溢れた様子でマリアライトが生命の樹に手をあてる。魔力そのものだけでは目に見えないが、生命の樹が更に輝きを増してゆく事で魔力がそそがれているのが嫌でも分かった。


「──リヴィアお嬢様?!」


身体が傾ぎ、血の気が引いた頭が冷えきる。


メリナの悲鳴を聞いたのを最後に、私は無様にも気を失った。椅子から頽れる衝撃など、マリアライトが成した事への衝撃に比べれば──。


……この事は平民の新聞でも号外として発表された。


幼き令嬢、聖女の力に目覚める。──そうした見出しで。


お酒に溺れ、傲岸な態度を崩さず、わざわざ私に力を見せつける。──それは聖女とはかけ離れた印象を私に与えていたが、マリアライトが大きな力を顕現させたのは間違いなかった。


そして運命──信じてきたさだめは狂いだし、私は様々なものが崩れてゆく事を味わうしかなくなってゆくのだ。

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