第12話

──翌朝、マリアライトは朝食の場に姿を現さなかった。


「マリアライトはどうした?」


お父様がメイドに訊ねると、メイドは言いにくそうに「マリアライトお嬢様は頭痛と……胸がお悪いようで」と答えた。


「どこか具合が悪いのか? 侍医を呼ばせるが」


「いえ……ご病気ではなく、昨日はお酒をたくさんお召しになられておられましたので、二日酔いかと……」


「マリアライトはまだ子供だろう? なのに痛飲したと言うのか」


「申し訳ございません、お止めしたのですが……」


お父様が憤慨した様子で溜め息をつく。お母様も困り顔をされていた。


「リヴィアは品行方正に育ったと言うのに……しかも昨日はメイドに不適切な態度をとったというではないの」


熱いお茶を浴びせるのは、不適切どころではないが。口を挟むのはマリアライトの為にも、この場の空気の為にも良くないと沈黙する事にした。


朝食の場は重苦しかった。その場の空気をやわらげるためか、お父様が私に話しかけてきた。


「リヴィア、初めての礼拝はどうだったか?」


「はい、お父様。残念ながら魔術には目覚められませんでしたが、とても有意義でしたわ」


「そうか、ならば良かった。焦ることはない。これからも敬虔に祈りなさい」


「はい」


柔らかく頷き、お父様が満足そうな顔をする。──と、ショーンが慌てた様子で入ってきた。普段滅多に物ごとに動じないショーンには珍しい。


「旦那様、大変でございます」


「何かあったのか?」


ショーンは動揺を隠せない表情をしている。一体何が起きたのか。


その理由を、ショーンが繋いだ言葉で、私は驚愕をもって知った。


「マリアライトお嬢様が、光魔術にお目覚めになられましてございます」


──光魔術。教会に礼拝しに行くことを初めた私でさえ兆しすらない。それを、わずか13歳のマリアライトが?


「ショーン、それはまことなのか? マリアライトはまだ幼いだろう」


「はい……お目覚めの後に、すぐ光の精霊を召喚なさって……まだ下級精霊でございますが、確かです」


「──そうか、ならば祝わなくてはならないな。マリアライトに良くやったと伝えるように。後で私もマリアライトの部屋を訪れよう」


「はい……」


ちらりとショーンが私を見遣る。明らかな気まずさが見てとれた。


私は血の気が引いてゆくのを、まざまざと感じていた。フォークを持つ手が震えるのを、かろうじて堪える。


「……そう、マリアライトが魔術に目覚めたの。それは姉として祝福しなければね」


声が震えなかったのが奇跡のようだ。お母様も驚いているようだったが、一人でも多く、この家門に優れた力の持ち主がいる事は喜ばしいのだろう。「マリアライトには何か贈らなければね。ドレスでも宝石でも好きに選ぶように伝えなさい」と朗らかにショーンへ命じた。


朝食の続きは、衝撃で何を頂いているのか分からないほど、全く味がしなかった。砂を噛むような朝食だった。それでも半分ほどは頂いたけれど、もう耐えられずカトラリーを置いて「申し訳ございません、お先に失礼致します」と詫びて席を立った。お父様もお母様も、私の気持ちは痛いほど分かってくれているのだろう。咎めもせず「リヴィア、お前の力の強さは証明されている。落胆しないように」と慰めて下さった。


席を立ち、自室に戻る。すると、何やら甘い香りがした。不思議に思っていると、ウィルドとメリナがお茶の準備をしている。


「ウィルド、メリナ、朝食の直後にどうしたの?」


声をかけると、ウィルドが答えた。


「ムオニナル皇太子殿下より賜り物でございます。昨日の礼拝でお疲れだろうとお気遣い下さりました」


「皇太子様が?」


見ると、テーブルには砂糖をまぶした菓子がある。見た目も可愛らしく、私は先ほどの衝撃から心が浮上してゆくのを感じた。──同時に、魔術に目覚められずにいる自分への落胆も。矛盾しているが、人間は同時に異なる感情を抱けるものらしい。


「嬉しいわ、皇太子様にはお礼を申し上げなければね」


「リヴィアお嬢様、こちらのお菓子は皇太子様自ら王室の菓子職人に命じて作らせたものだそうですわ。朝でも食べやすいように油脂は極力お控えになられたとか」


正直、朝食は食欲も失せて頂くどころではなかったけれど、菓子の香りは優しく私の鼻腔をくすぐる。皇太子様のお心遣いが身にしみた。


「では、お菓子に合うように少し濃いめのお茶をご用意致しますので少々お待ちくださいませ」


「ありがとう、ウィルドにメリナ」


「リヴィアお嬢様ならば、立派な魔術に目覚められますわ。どうか気落ちなさいませんよう」


私がマリアライトについて知ったのは、つい先ほどだったのに、メイドの間では話が回るのが早いらしい。それにしても早いと思っていると、メリナが「昨日あれほどマリアライトお嬢様に怯えていたリーファが我がことのように自慢しているのですよ。現金すぎますわ」と怒りをにじませた様子で話した。


「まあ、落ち着くのよメリナ。──ところでマリアライトはどうしているのかしら? 朝食にも来られないほど体調が優れなかったようだけれど……」


「それが、お目覚めしてすぐに光の精霊を召喚なさって魔力を使い果たしたそうで、寝込んでいるようなのです」


「そう……」


精霊の召喚には大きな魔力を使うことになる。下級精霊と言えど、魔術に目覚めたばかりのマリアライトには大きな負担だっだだろう。しかも痛飲して二日酔いの身だったのだ。寝込むのも無理はない。


「なら、お見舞いは控えた方が良さそうね」


メリナがお茶を淹れてくれる様子を見ながら呟く。メリナは「そうですわね。行かれたところで、きっとマリアライトお嬢様の自慢を聞かされてリヴィアお嬢様が嫌な思いをなされるという懸念もございますし……」と同調してくれた。


確かにマリアライトは私より幼くして魔術に目覚めたのだから、それ見た事かと慢心しているだろう。お見舞いに行ったところで、かなりの嫌味を聞かされる可能性が高い。


「──さ、リヴィアお嬢様、お召し上がりくださいませ」


「ありがとう、メリナ。頂くわね」


菓子は上質な粉砂糖を用いているようで、口当たりも良く、さっくりとしていて食べやすい。いくらかをゆっくり頂いて、ウィルドは退室していたのでメリナにも勧めた。


「そんな、皇太子様より賜りましたお菓子をメイドごときが頂いては……」


恐縮しきりのメリナに、「今は一人では落ち着かないのよ。メリナも一緒に頂いてくれると気持ちも落ち着くのだけれど」と半ば強引にテーブルにつかせた。


「まさか、このような夢みたいなご相伴に預かれるだなんて……」


喜ぶメリナを眺めながら、私はそれでもマリアライトよりも強い魔術に目覚めてみせると固く決心していた。王の御前で、あれだけの力を発揮出来たのだ。何より、皇太子様がご覧になったという印の事もある。許された期間は二年しかないけれど、焦ってはいけない。


「さすがは王城のお方が作られたお菓子ですわ、なんて上品な味わいなのでしょう」


「そうね、とても美味しいわね」


表向きなごやかな時を過ごす。


──だが、私の考えは甘すぎた。


夜会から帰宅した時の、マリアライトの苛烈な眼差しを失念していたのが間違いだったのだ。


マリアライトは私を貶める為ならば何でもしかねないと言う事を、姉妹だからと甘く見ていた。


……この後、マリアライトは光の精霊を度々召喚する事に成功する事になる。私が魔術に目覚められずにいる間に。


召喚するのは、ほとんどが下級精霊だったが、度重なる召喚の成功に両親のマリアライトへの期待は高まり、それまでのマリアライトへの見方が大きく変わってゆく事になる。


私と言えば、毎週礼拝に通いながら、ひたすら祈るしかなかった。


その間に、マリアライトは昼夜問わずお酒に溺れるようになり、初めの頃こそ両親は苦々しい顔をしていたが、発揮される成果の連続により甘やかして大目に見るようになった。


私は皇太子様が信じて下さっている事に縋り、足掻き続けていた。


──そして、見てしまったのだ。久方ぶりに、不可思議な夢を。見たくはなかった夢を。

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