第11話

マリアライトとのお茶会は、中庭の柔らかい陽射しが降りそそぐ場所で行なわれた。


メリナがお茶の準備をする。他のメイドがティーフードを運んでくれた。シューにジャムを添えたもの、スコーン。


「あら、あなたは初めて見るわね。名前は?」


マリアライトに控えるメイドに声をかける。彼女は萎縮した様子で、「新しくマリアライトお嬢様の専属にならせて頂きました、リーファと申します」と答えた。何やら怯えているようにさえ見える。私が話しかけたのは彼女にとって重圧だったのだろうか。


「お姉様がメリナを下さらないんですもの、私とても不便な思いをしましたのよ」


マリアライトの言葉は厚かましく不遜だ。


「メリナは私の専属だもの、それに、その言葉ではメイドを物扱いしているようだわ」


「メイドなんて持ち上げた言い方をしてやるほどの偉いものではないでしょう?」


駄目だ、言葉が通じない。私は早くも自室に戻りたくなった。自室で一人お茶を頂いている方がよほど気楽だし疲れない。嫌な気持ちにもならずに済むだろう。


「お嬢様、お待たせ致しました」


「ありがとう」


メリナがお茶を運んでくる。慣れた手つきでカップにお茶を注いでくれた。水色も鮮やかなお茶だった。


「ちょっと、ミルクがないわ。私はお茶にミルクを入れるの。早く持ってきなさいよ、この役立たずが!」


「も、申し訳ございません、マリアライトお嬢様」


マリアライトがリーファに怒鳴りつける。リーファはマリアライトに付いたばかりなのだから、知らない事も多いだろう。前の専属は解雇されたと言うし、引き継ぎも出来ていないはずだ。


「マリアライト、声を荒らげるのは良くないわ。それに誰でも初めから完璧には仕事をこなせないもの」


窘めると、マリアライトは明らかに顔を歪めた。


「あら、リヴィアお姉様はお優しいこと。それも長年仕えてくれる、気の利くメイドがいるから余裕なのでしょうね」


「そんな……あ、」


不意に帰宅後に見かけたベリアル様とマリアライトのやり取りを思い出す。訊いて答えてくれるかは疑問だが、このままでは気持ちがすっきりしない。


「そう言えばマリアライト、ベリアル様がマリアライトのもとを訪れていらしたわね。二人は仲が良かったのかしら?」


当たり障りのないように気をつけて訊ねる。マリアライトは私の言葉に意地が悪そうな笑みを浮かべた。


「ええ、私ベリアル様と仲良しになりましたのよ。ベリアル様は儀式の事で落胆なされていましたし、私が励ましたのですわ」


「そう……」


励ます側が何かを頂くのも、おかしな話だが。マリアライトはこれ以上詳しくは教えてくれないだろう。私は曖昧に頷いた。


そこにリーファが温めたミルクを運んでくる。


マリアライトはリーファが恐る恐る差し出したミルクを受け取り、お茶に加えてスプーンでかき混ぜ──一口飲んで更に怒鳴った。


「何よこれ、お茶の濃さも熱さも滅茶苦茶だわ。こんな泥水を私に飲めと言うの!」


「きゃっ……!」


マリアライトがカップのお茶をリーファに思い切りかける。


「何をするの、マリアライト!」


「あら、躾ですわ。専属ならば仕える者の好みを知っているのは当然の事でしょうに」


私が非難の声をあげてもマリアライトは全く動じない。


「だからと言って、熱いお茶をかけるだなんて火傷してしまったら大変よ。あなただって火傷などするのは嫌でしょう?」


「私に火傷させる者など、屋敷にはおりません。私はアインバーグ伯爵令嬢ですから」


「……」


あまりの事に言葉が続かない。ふと、顔に火傷を負った前任のメイドを思い出した。マリアライトの傲岸な態度はやり慣れた様子だ。もしかして、前任のメイドもマリアライトの癇癪で、と思うと目の前のマリアライトが同じ人間に見えなくなってきた。


しかし、昨日の事については注意しなければ。


「──そう言えばマリアライト、あなた昨日メリナに不当な暴力をふるったわね?」


「暴力? 口答えするような生意気なメイドに正当な罰を与えただけですわ」


「けれど、メリナは私に仕えて長い私の専属よ。そのメリナを奪おうだなんて理不尽だわ。それに、相手が誰でも感情に任せて傷を負わせて良いわけがないでしょう」


「とにかくメリナはメイドに相応しくない態度を私にとりました。せっかく声をかけてやったのに何様かしら。お姉様の躾がなっていないのではなくて?」


これは……もう何も言いようがない。何を話してもマリアライトの心には響かない。


「リーファと言ったわね、着替えて来なさい。そのままでは熱いお茶で火傷が広がるわ。メリナ、マリアライトに新しいお茶をお願い出来る?」


「かしこまりました、リヴィアお嬢様。ミルクを入れるなら濃いめがよろしゅうございますね」


この状況では、とてもお茶もティーフードも喉を通らないが、共にする約束がある。もう少し我慢しようと己を抑えた。


メリナがマリアライトの新しいカップにお茶を注ぐ。マリアライトはミルクを入れて、──次の瞬間、新しいお茶をメリナにカップごと投げつけた。


「この木偶が、ミルクは冷めているし水色も最悪だわ!」


「何をするの、マリアライト!」


まさかリーファに続いてメリナまでお茶をかけられるとは。マリアライトの粗暴さに驚愕と恐怖を味わう。


「──もうお茶は結構ですわ、リヴィアお姉様。私はベリアル様から頂いた素敵なお品を部屋で楽しみます」


「素敵なお品……?」


「リヴィアお姉様には教えませんわ。ベリアル様とのお約束ですのよ。ベリアル様は素晴らしいお方ですわ、この屋敷でメイドごときに蔑まれている私と特別親しくして下さるのですもの」


お茶を頂く前に私の部屋へ入ってきた時のように、マリアライトが上機嫌な様子になる。


勢いよく椅子を引いて立ち上がったマリアライトは、「では」とだけ告げて身を翻した。私は愕然としながら嫌な予感に苛まれた。あの夢──必ずしも翌日に起こる出来事とは限らないらしい。けれど確実に起こる未来。


「リヴィアお嬢様……申し訳ございません、私が粗相を致しましたせいで……」


──そうだ、今は予知夢の事は後回しだ。メリナに治療を受けさせなければ。


「あなたは何も悪くないわ、メリナ。リーファと同じように早く着替えていらっしゃい。痛むところは良く冷やすのよ。痕が残ったら大変だわ」


「ありがとうございます、リヴィアお嬢様……」


メリナは幼い頃から私に付いていたからか、マリアライトの暴挙には慣れていない。相当な衝撃だったはずだ。


失意し落胆するメリナは明らかに悲しみをたたえている。そのメリナを励まし、慰めて着替えに行かせた。


テーブルにはカップとティーフードがほとんど手つかずで残されている。マリアライトのカップはメリナに投げつけられたのでテーブルにはないが、割れて無惨に破片が散っていた。


私の食欲など、とうに失せている。これらを他のメイドに片づけてもらう事にして、私は席を立ち重い足取りと気持ちで自室に戻っていった。


それにしても──ベリアル様とマリアライトの交友関係は意外でしかない。マリアライトはティーパーティー等には出席したがらない。必然として、友人もそうそう出来る訳がない。そのマリアライトに、儀式で失意にあるベリアル様が訪れる。礼拝にさえも来なかったのに、だ。しかも贈り物まで用意していた。


「リヴィアお嬢様、こちらは私どもが片づけますので、お部屋に。朝食もおとりにならず礼拝に務められてお疲れでしょう。すぐに新しく軽いものをお嬢様のお部屋に運ばせますわ」


補佐に入っていたメイドが声をかけてくれる。メリナとリーファの事は心配だけれど、もう自室に戻るしか安らげそうにない。戻っても心は平静には簡単になれそうにないが。


「ありがとう、頼むわ。あと、メリナとリーファに火傷の薬をお願いね」


「はい、それはもちろんですわ。マリアライトお嬢様も……前任のメイドに火傷を負わせたのに同じ事を繰り返すのですね……恐ろしいですわ」


……やはり、前の専属も解雇の原因はマリアライトなのか。そんな気はしていたけれど、なぜあんなにも気性の荒い子に育ってしまったのだろう。お父様、お母様、お兄様だってマリアライトを虐げてはいないのに。


暗澹とした気持ちで自室に向かう。途中で、リーファが何かのボトルを抱えてマリアライトの部屋に向かうのに出会った。


「リーファ、着替えと手当ては済んだの? 無理してはいけないわ」


私が心配で声をかけると、リーファは怯えるような表情を見せた。理由は全く分からない。心当たりもない。リーファは畏まりながら頭を下げ、「マリアライトお嬢様のご所望ですので……私めは着替えましたし、大丈夫でございます。お気遣いありがとうございます、リヴィアお嬢様」と、少し固い声で返事をした。


深く追及しても、はかばかしい返答はなさそうだ。私は「いいのよ、薬を渡すように言っておいたから、用事が済んだら火傷にきちんと塗っておいてね」と当たり障りなく言葉をかけて、自室に戻った。メリナは今頃着替えているだろう。


「マリアライトは13歳よね……?」


どうにも、リーファが抱えていたボトルがお酒に見えていたのだ。しかもまだお昼頃だから、不自然なのは否めない。


「……ベリアル様もお酒をたくさんお召しになっていたそうだけれど……」


──この時、私には魔の手が忍び寄っていた。あまりにも恐るべき謀略は、まだ15歳でしかない温室育ちの私には気づきようがなかった。


運命の歯車が狂いながら回り出す。軋みながら。


抗うには、私はまだ若すぎた。

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