第10話

司祭様のお話しは、まず世界の成り立ちについてだった。


「まず、この私達が生きる星、地球には本来ある正なる地球世界が存在します。正地球と言われていますが、それには数多くの異次元世界があり、私達の生きる世界はそのうちの一つです。私達の世界は正地球の人類の発展を、遥か昔に特殊な出来事により知りました。それ以降、正地球のありようを尊んでいます」


淀みなくお話しされる司祭様は、この説明を長い間にわたって毎週続けてきたのだろう。穏やかな中にも、どこか淡々としている。


お話しを聞いている皆も、繰り返し聞いてきたと思われる人は退屈そうだ。もっとも、司祭様のお話しの内容は貴族ならば幼いうちから学んでいるので、初めての礼拝でも目新しさはない。


「私達の世界は、正地球の人類が目指した世界を尊重します。神の教えを歪めた迫害も殺人行為も決して許されません。新人類は特別意識でもって旧人類を虐げてはなりません。共に生き共に栄えることを目指すものです。新人類の皆さんは生命の樹を呼ばう事で子孫を残します。ですが、なぜ新人類は生命の樹をもって新たな命を産み出すのかは残念ながら解明されていません。また、新人類には旧人類のように男女による繁殖がない為、身体に男女の違いがあれども生命の樹以外で子を産み出す事はありません。まずは力に目覚める事が第一です。──皆さん、神の御許で祈りを捧げてください。そして力に目覚め、より良い世界へと歩みましょう。よろしいですね?」


ここで司祭様のお話しは一段落し、集っている皆様は「はい、力に目覚め正しく清く、己の本分を全う致します」と声を揃えて敬虔に返事をした。


「よろしい、では皆さん未来を信じ神に祈りを」


祈り──それは、見てくださっている神様が存在する事が前提だ。お会いした事も、お声を聞いた事もない存在だけれど、それでも信じて祈るしかない。信じて信じて信じる、──それは、聖女の心得にも通じるかもしれないと、ふと思った。信じる心がなければ、国と民を思う心だけで生命の樹を呼ぶ事など出来ないだろう。


私は胸許で手を組み、目を閉じて祈った。一日も早く力に目覚められるように、それが光魔術でありますように、そして皇太子様や両親の期待に応えられますように──流れ星に願いをかけるように繰り返し心で唱えた。


同じ言葉だけを繰り返すには一時間という時間は長い。この世界の事、平和について等、思いつく限りの事を加えながら祈りを捧げていると、祈りというものに少しの疲れを感じた頃に司祭様が「──皆さん、お時間です。大変よろしく出来ましたね。皆さんに神のご加護があらんことを」と終わりを告げた。


「司祭様、ありがとうございました」


また来週、という言葉はない。また来週にも礼拝に訪れる事は、つまり魔術に目覚められなかった結果なのだから。


私は皆様に倣って席を立ち、しずしずと教会の外に出た。すると、何人もの令嬢が私に集まってきた。


「リヴィア様、皇太子様とのご婚約おめでとうございます」


「羨ましい限りですわ、あのような素晴らしいお方と結ばれるだなんて」


「リヴィア様がお見えになるまでは、皆様そのお話でもちきりでしたのよ。ベリアル様の話題で訊ねそびれましたけれど……出来ましたらご求婚のお言葉等をぜひ伺いたいですわ」


皆様が堰を切ったように話すものだから、圧倒されてしまう。けれど、皇太子様から頂いたお言葉やお品について話してしまうのは、慎みがない。私は「皆様、お祝いして下さり、ありがとうございます。私まだ夢のようで実感がなくて……ご求婚頂いた時も夢見心地でしたので、詳しく申し上げる事も出来ませんのよ。吹聴するような行ないをして皇太子様に不遜な事を働いてしまう事も控えなければなりませんし。……本当に申し訳ございません、お祝いのお気持ちをありがたく頂戴致しますわね」と言って、やんわりと断った。


皇太子様への失礼があってはならない。令嬢の皆様も、それを弁えきれない育ち方はしていない。知りたい気持ち、興味は津々な表情をしていたものの、「それもその通りですわね、リヴィア様を困らせてはいけませんし。皇太子様の素晴らしさは、きっと今後の夜会等で拝見出来ますわよね。何と言ってもリヴィア様のパートナーをお務めになられるのですもの。それを楽しみに致しますわね」と引き下がって下さった。


「ありがとうございます、皆様」


ふわりと微笑む。すると、支度を整えた帰りの馬車へとウィルドに勧められて、私は丁寧に挨拶をしてから馬車に乗って教会を後にした。


とにかく、初めての礼拝は無事に終えられた。内なる力を感じる事も奇跡が起きる事もなかったけれど、そんなに簡単に事は進むものではない。十七歳のうちまでに、という重圧はあれど、焦りは心を乱すもので禁物だ。


自室でも時間を作ってお祈りをしようか等と考えていると、程なくして馬車は屋敷に着いた。降りてみると、見慣れない馬車がとめられている。お父様かお母様への来客だろうか。そう思いながら屋敷に入り、──私は歩みを止めた。


ベリアル様が、マリアライトと何かを話していた。


ベリアル様の手には紫色の何かが詰められた瓶がある。それを、マリアライトに手渡す。マリアライトが瓶を抱きしめて哄笑する声が響く。聞いていて頭が割れそうなほどの声だ。全身の血が冷えきる錯覚に襲われた。


──また、予知夢なのだろうか。


マリアライトが促し、ベリアル様がマリアライトの部屋へ共に入ってゆく。ドアがばたりと閉められた。


何を話していたのか、それは声をひそめていたようで聞き取れなかった。こんなところまで夢に見た通りだ。


なぜだろう、嫌な予感に胸騒ぎがする。目眩がして、二人の死角になっていた壁に寄りかかっていたが、マリアライトとはお茶の時間を共にする約束もある。自室で着替えをして、心をなだめなければ。私は気力を振り絞り、かろうじて自室に戻ることが出来た。


広い自室に、今一人でいる事が恐ろしい。不安で仕方ない。呼び鈴を鳴らしてメリナを迷わず呼んだ。幸い、メリナはすぐに来てくれた。


「おかえりなさいませ、リヴィアお嬢様──いかがなされましたか? お顔が真っ青ですわ。何かございましたか?」


「いいえ……礼拝も無事に済んだわ……大丈夫よ、着替えを手伝ってくれるかしら」


「はい、……あの、お身体のお具合がよろしくないようでしたら、侍医を呼びに行きますが……」


メリナが心配して気遣ってくれる。しかしこの現状は侍医がどうこう治療出来るものでもない。


「身体は本当に大丈夫なのよ、気にしないでね。初めての礼拝から緊張が解けただけよ」


「はい……でも、ご無理はなさらないで下さいませ」


「ありがとう、メリナ。──この後はマリアライトとの約束ね。私が出かけた後にマリアライトから何もされなかった?」


「それは大丈夫ですわ。私などへのご心配より、リヴィアお嬢様はお身体をおいといになられて下さいませ。何でしたら、マリアライトお嬢様とのお約束はまたの機会に変えても……」


「大丈夫、大丈夫よ。マリアライトには、これまであまりに向き合って来なかったもの……話す機会が出来たのだから、きちんと対話する事も大事だわ」


本音を言えば、あのマリアライトの烈しい笑い声が脳裡にこびりついていて怖い。まるで全てを嘲るような笑いだった。けれどマリアライトは家族だ。逃げてはいられない。


私を心配してくれるメリナの優しい声を聞いていると、少しだけ心が休まる。気を確かに持たなければと思い直せそうだ。


私はメリナの手伝いで着替えを済ませた。気になって窓から外を見ると、あの見慣れない馬車が立ち去るところだった。ベリアル様の馬車だったのか、と思う。朝には起きられないほどにお酒が残っていたようだけれど、それなりに回復したのだろうか。──と、その想像を証明するように遠慮なくドアをノックする音が響き、マリアライトが無遠慮に勢いよくドアを開いた。


「リヴィアお姉様、お帰りになったのですね。私待ちくたびれましたわ。早くお茶を頂きましょう」


私とメリナは瞬間視線を合わせて──私はマリアライトには気づかれないように溜め息をついて「ええ、そうしましょうか」と頷いた。


マリアライトは珍しく機嫌が良さそうにして見える。笑顔だが、逆に不吉で不穏にしか見えなかった。

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