第5話

「さすがはリヴィアお嬢様ですわ、あの皇太子様にダンスを申し込まれるだなんて……」


私が見ているのは現実なのだろうか?


令嬢たちが、うっとりとムオニナル皇太子様を見つめながら私の反応を待っている。──まさか、ここまで夢に見た内容と同じくするとは恐ろしくなった。


呆然としていた私が返事を忘れていた事に、皇太子様は何を思われて感じられたのか、微かに表情を切なげなものにした。


「レディ、いけませんか?」


「あ……光栄に存じますわ、ムオニナル皇太子殿下」


いけない、これは非礼に当たってしまう。私は声を振り絞った。皇太子様が嬉しそうに微笑み、手を差し伸べてきた。私の心情はともかく、なぜか展開は夢と変わらない。


「手が冷えていますね、緊張されているのですか?」


落ち着きのある柔らかい口調。夢で見ていなかったら、きっと私の心は舞い上がっていただろう。


「私、社交界の公の場は初めてですの……皇太子殿下の足を踏んでしまう非礼がありましたら……不安ですわ」


なぜ、夢の通りに私の唇は動き言葉を紡ぐのか。ダンスフロアに導かれ、緊張と押し寄せる不安というべきか言葉に表せない戸惑いに身体が固くなる。皇太子様は当然ながら違う受け止め方をしたらしい。私の返答を聞いて取り合った手に僅かな力を籠めて励ますように優しく語りかけて下さった。


「レディの細いお身体です、踏まれても鳥の羽根が靴に舞い降りたようなものですよ。それより夜会を楽しみましょう。私がリード致しますので、レディは身を任せて下されば大丈夫です」


昨夜見た夢は、ここで終わりだった。ならば後は知らない展開が待ち受けているのだろう。


皇太子様のリードは優しく力強く、完璧だった。こうした場に慣れない私でも踊りやすいように気遣って下さっているのが分かる。


参加者の注目が集まっているのを感じても、身体は軽く、しなやかにステップを踏めていた。


「リヴィアお嬢様、先ほどの儀式を見ていました」


踊りながら皇太子様が語りかけてくる。王族の方々が控えていたのだから、見ていても不思議ではない。けれど私は返答に困った。喜べば自慢げに思われてしまいそうだし、下手にへりくだれば嫌味になる。


「あのように水晶を真紅に輝かせた令嬢は過去にいなかったと父王は仰っていました。きっと素晴らしい生命の樹を呼び出すことになるのでしょう」


「恐縮ですわ。ただ、私自身も結果に驚いてしまっていて……」


あのとき。脳裡に現れた大樹は、どう考えても私の力を引き出した気がする。けれど、あの大樹が生命の樹ならば他の令嬢や子息も見るか感じとっていないとおかしい。


ずっと、いつか呼び出す生命の樹だと信じてきた。


けれども疑念が生じる。


15歳の誕生日を迎えるときに見た、あの光景。感覚。私を救った大樹のイメージ。そして今回の予知夢。全ては繋がっているように思える。


「リヴィアお嬢様、いかがされましたか?」


皇太子様が気遣わしげに声をかけてくる。我に返ると曲は終わっていた。慌てて礼をして頭を下げ、「申し訳ございません、あまりにも夢見心地でしたので……」と言い訳した。


「リヴィアお嬢様は令嬢としての教養や立ち居振る舞いも完璧と聞き及んでいましたが、初々しい愛らしさも兼ね備えているのですね」


「そのような……恥ずかしゅう存じます」


「いえ、今まで夜会などつまらぬものと思っていましたが、今宵はリヴィアお嬢様と踊る事が出来て大きな収穫がありましたよ。素晴らしいひと時を過ごせました」


私には過ぎた賛辞だ。私はうつむいて、「私こそ……皇太子殿下とファーストダンスを踊れて、夢のようなひと時でしたわ」と何とか応えた。


皇太子様は満足そうに笑み、私の右手を取るとうやうやしく唇を落として口づけた。その感触に私の心臓は大きく脈打ち、くずおれそうになった。夜会とは、こんなにも刺激的なものなのだろうか。遠巻きに見ていた令嬢から悲鳴のような歓声があがるのが聞こえてくる。


「──では、私は失礼しますので、レディはどうぞ夜会をお楽しみください」


「あ……ありがとう存じますわ」


ムオニナル皇太子様が注目を集めながら夜会の会場をゆったりと後にする。私は高鳴る鼓動を鎮めたくて、隅にある椅子に座って飲み物を頂こうと考えて椅子に向かった。


だが、休もうとして椅子についても、またしても令嬢たちに囲まれてしまった。皆、黄色い声で興奮している。


「ムオニナル皇太子様とリヴィアお嬢様のダンス、素晴らしかったですわ」


「そう、まるで美しい蝶が舞っているかのようで……羨ましさも通り越してしまいましたもの」


「リヴィアお嬢様、ご存知ですかしら、ムオニナル皇太子様は滅多に令嬢をダンスに誘いませんのよ。陰ではダンスは不得手だとも言われておりましたが、あのように素晴らしくリードなされて踊れるのですもの、噂はあてになりませんわね」


返事を返すいとまもなく次々と言葉をかけられる。どうやら、私はよほど恵まれていて貴重な体験が出来たらしかった。


「皆さま、ありがとうございます。不慣れな場に失礼のないよう必死でしたのよ、殿方との慣れないダンスに、皇太子様の御御足を踏まなくて済んで良かったですわ」


率直に言うと、令嬢たちは「あらまあ、リヴィアお嬢様あれほど麗しいダンスを披露していながら、ユーモアもございますのね。失礼と存じますが愛らしいですわ」と、軽やかに笑った。


「では、緊張で喉も渇きましたでしょう。──よろしいかしら、リヴィアお嬢様に冷たくて甘い飲み物を」


令嬢のうちの一人が飲み物をトレイに乗せて運ぶ者に声をかけてくれる。すぐに鮮やかな色の飲み物が出された。


「まあ、綺麗」


「こちらはアルコールの入っていないカクテルですのよ、お口に合えば嬉しいですわ」


取り寄せてくれた令嬢の気遣いが嬉しい。私は赤と黄色の二層になっている飲み物を珍しいものと眺め、「カクテルでも、お酒とは限らないのですね。とても美味しそうですわ。ありがとうございます」と感謝してカクテルをそっと口に運んだ。甘みが広がり、微かな酸味が引きしめる。後味も甘さの割りに爽やかで飲みやすく、美味しかった。


「まあ、美味しいわ」


「それは良かったですわ。それにしても、先ほどからリヴィアお嬢様に熱い視線を送る殿方の多いこと。全員に応えたら靴擦れを起こしてしまいますわね」


「私はダンスより、ご令嬢の皆さまとお話ししている方が楽しいですわ。それに、初めてのダンスに疲れてしまいましたの……お相手がお相手でしたし……早めに帰らせて頂きますわ」


「あら、お帰りになりますの?」


「ええ、儀式もありましたし、休みたくて……申し訳ございません」


「残念ですわ。けれど、今度私の主催でティーパーティーを致しますの。そちらにはぜひともご参加頂いて最後までお楽しみになられてくださいませね」


今私を囲んでいるのは侯爵令嬢と伯爵令嬢がほとんどだ。お付き合いも大切だろう。私は淑やかに笑んで「ぜひお誘いくださいませね、楽しみですわ」と応えてカクテルを半分まで飲み、飲み物を運ぶ使用人に返して席を立った。


「では、皆さまごきげんよう。今宵はありがとうございました」


「ええ、お気をつけてお帰りになって。……杞憂ならば良いのですけれど、ベリアル様がずっとリヴィア様を見つめておられますの」


「え……?」


指摘されて視線を巡らせると、離れたところから冥い眼差しで私を見つめるベリアル様が見えた。──あの、儀式の結果のせいだろうか?


同じ伯爵令嬢という立場でありながら結果が違いすぎた。妬まれても気持ちは分からないでもない。ベリアル様のお気持ちが落ち着いたら、いつかまた普通にお話し出来るといいのだけれど、それには時間が必要だろう。


「気をつけますわ、ありがとうございます」


お辞儀をして、ゆっくりと会場を後にする。お城を出て待機していた馬車のところへ行くと、「お嬢様、もうお帰りでございますか?」と訊ねられ、令嬢たちに話したものと同じ言葉で返して馬車に乗った。


今宵はあまりにも不可思議な事がありすぎた。水晶の儀式、予知夢。そして気になるのはベリアル様からの眼差し。


ただでさえ私は実の妹からまでも快く思われていない。気を引き締めなければ、何が起きるか分からないだろう。


──だが、気をつけようと考えてはいても、それさえ甘かったと後に思い知る事になる。所詮は真綿でくるまれるようにして育った世間知らずだったのだと。


それを知らない私は、安穏として帰りの馬車に揺られていた。


「そういえば、今宵はヘルデラ公女様がお出でになられると聞いていたけれど……お姿が見えなかったわ」


何気なく口にする。ヘルデラ公女様と言えば、15歳で光魔術に目覚めて次代の聖女候補としてもてはやされ、期待を一身に背負ったほどのレディとしてお噂はかねがね聞いていた。どれほどの素敵なお方だろうと楽しみにしていたのだけれど、考えてもみなかった返事が返ってきた。


「ヘルデラ公女様は夜会の直前に生命の樹を呼び出されなさったそうでございます。お子を宿すために力をお使いになられて、お疲れのためご参加は見送られたと伺いました」


ヘルデラ公女様は先月18歳の誕生日をお迎えになられていた。ご年齢を考えても、生命の樹を呼び出すことは不思議ではない。おめでたい事なのに夜会では話題として聞かなかった事は不思議ではあるものの。


「そうなのね……お祝い申し上げなければね」


生命の樹の存在を身近に実感して、私の声音は幾分動揺したものになっていたのかもしれない。


「リヴィアお嬢様も、儀式にて素晴らしい結果を出されましたので焦らずとも今は旦那様も奥様もお喜びでしょう。リヴィアお嬢様はどなたにも負けない生命の樹をお呼びになれます」


「ありがとう……」


儀式も初めての夜会も済んだ。とりあえず、今後のために毎週の礼拝が始まるのだから、落ち込んではいられない。


私はまだ、生命の樹を呼び出すほどの激情を知らない。強い思念を。けれど、あれほどの潜在魔力が認められたのだ。悲観する事はない。そう自分を励ました。


今後の人生も知らずに。

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