第6話
──私を乗せた馬車が屋敷に帰り着くと、夜なのに何やら騒がしく人びとが行き交っていた。
「これは、一体どうした事なのかしら?」
訳が分からずに呟く。すると、「王城から早馬が行きましたので、その為でしょう」と、にこやかに言われた。確かに門前には馬が立っていた──だが。
「私が見かけた馬は二頭いたようだけれど……」
片方は見覚えのある馬だった。お父様が使われている馬だと記憶している。おそらく、儀式の結果等を伝える早馬だろう。だとして、もう片方は何を伝える早馬なのか。葦毛の立派な馬だったが、見覚えはない。
「リヴィア、戻ったか。思いのほか早い帰宅だが、夜会は楽しめたか?」
屋敷に入るなり、お父様に出迎えられる。表情は喜色に満ちていて、こんなにも機嫌の良いお父様は初めて見たので驚きを隠せない。儀式の結果が、こんなにも喜ばしいとされたのだろうか。大袈裟な気もしたが、喜んで頂ける事はありがたく嬉しいので、私は控えめに微笑み、お父様にお辞儀をして「素晴らしい夜会でしたわ、ただ初めての事に慣れておりませんものですから、早めに帰ってきましたの」と応えた。
「儀式の事は早馬の知らせで聞いている。我が家から、このように誇らしい結果を出した者が現れるとは実に素晴らしい。良く務めを果たした」
「私は私の出来うる事に力を尽くしたにすぎませんわ、ですけれど、結果としてお父様達にお喜び頂けて本当に嬉しく思います。──お母様も起きておいでなのでしょうか?」
「もちろんだ。リヴィアの働きと未来に喜んでいる」
「……未来……とは?」
一体何の話なのか分からない。それに、屋敷の中は明々と灯りがともされていて、使用人達が楚々と立ち働いている。それがどうにも忙しそうだった。時間帯を考えると不自然すぎる。
「お父様、私には分かりかねますわ。お教えくださいませ。このような夜に賑やかな事、理解が追いつきませんの」
「──ああ、リヴィアはまだ知らないのだな。王城より遣わされた御使いにより、今この騒ぎになっているのだが……なに、不安になるような事は何一つない。一家の慶事だ。詳しくは応接間で聞かせよう。リヴィア、着替えを済ませたら来なさい。本来ならば休ませてやりたいところだが、御使いの方をお待たせする事のないように急いで欲しい。すまないな」
「?……はい、分かりましたわ。お父様の仰せの通りに」
「リヴィアお嬢様、こちらでございます!」
「メリナ、あなたまで興奮して……」
「話は後でございますわ、さ、早くお部屋に。お着替えのドレスをご用意してございますので、お召し換えをお急ぎくださいませ」
屋敷の雰囲気についていけないままに、メリナに急き立てられるようにして自室へと向かう。ふと視線を感じて、その方を見やると──マリアライトが燃えるような苛烈な眼差しで私を睨んでいた。
視線だけで人を殺められたとしたなら、私は即死している。そう確信出来るほどの眼差しに、背筋が凍った。私達は生命の樹から産まれた新人類だから、血の通った姉妹とは言えないかもしれない。けれど、同じ家で育った姉妹である筈なのに──何の間違いで、あれほど恐ろしく睨まれる事になったのか?
「──リヴィアお嬢様、いかがなさいましたか?」
私は思わず足を止めていたらしい。弾むようなメリナの声で、刹那止まった時が再び動き出す。「いいえ、何でもないわ……行きましょう」と押し出した声は幸いにも掠れる事なく、メリナにマリアライトの事を気づかれずに済んだ。
そうして自室に入り、──広げられたドレスの数々や装飾品に呆然とした。広々とした部屋は狭く感じるほどにドレスと宝飾品で埋まっている。
そして、13歳の頃まで礼儀作法等を教えてくれていた恩師でもあり、今ではマリアライトたっての願いでマリアライトの家庭教師を務めているモルダウ夫人が待ち受けていた。
「夫人、お久しぶりですわ。お会い出来て嬉しく存じます。──夫人も御使いの方の件で……?」
「リヴィアお嬢様には、お健やかなご様子で何よりです。はい、もちろんですわ。メリナだけでは時間が足りませんので。──さ、急ぎましょう。僭越ながら、ドレスと宝飾品は私で選ばせて頂きました。こちらにお召し換えを」
「……はい、ありがとうございます……」
何だか別世界に連れて来られたかのごとく、本当に周りの気迫が凄まじくて追いつけない。言われるまま、なめらかな白絹に裾から胸許へと深紅の絹糸で細かい刺繍がなされたドレスをまとい、鏡台の前に座って髪型と化粧を直してもらう。
「御髪は下ろして、サイドだけ編みましょう。髪飾りはお耳の上に、ルビーをあしらった金の花の物を。お化粧は一度落として、お粉を薄く。紅は最小限で良いわ」
「かしこまりました、モルダウ夫人」
てきぱきと用意が進められ、出来上がってゆく。夜目にも艶やかで淑やかなレディが困惑の表情を鏡の中から見せていた。それを察した夫人が、にこりと目を細めて「さあ、仕上げは笑顔ですわ。大丈夫ですわよ、リヴィアお嬢様にとって悪い話などではございませんもの。胸をはって、堂々と御使いの方のもとへ行ってくださいませ」と優しく肩に両手を添えて下さった。
「──はい。夫人にメリナも、支度をありがとうございました。お話を伺ってまいります」
「この屋敷の中の騒ぎようですから、緊張せずにとは難しいでしょうが……リヴィアお嬢様は私の一番優秀な生徒でしたわ。自信をお持ちになってくださいませね」
「はい」
自室の扉が開けられ、促されて足を踏み出す。歩いてゆくと、すれ違う者皆が腰を折り深く頭を下げてくる。主でも後継者でもない私に対しては異例の光景だ。
階段を昇り、長く続く廊下の手前にある応接間の前に着くと、私は深呼吸してから、そっとドアをノックした。先に応接間に来ていたお父様の声で「入りなさい」と言う返事がすぐに聞こえた。
「はい」と返すと、ウィルドが静かにドアを開いてくれる。私は礼儀通りに礼をして「リヴィアでございます。お待たせ致しました」と、たおやかな口調で挨拶した。
応接間は広さこそさほどではないけれど、屋敷の内では最も贅を凝らしている部屋で、ここで接待を受けられる客人は我が家にとって特別な者だと決まっていた。
「こちらこそ、夜分にもかかわらず急に訪れた非礼を許して頂ければと思います。リヴィアお嬢様──先ほどの夜会では、お会い出来て光栄でした」
──この、声は。
心臓が跳ねる。聞き覚えのある声は、今宵の夜会で初めて聞いたばかりの声だ。それも、間近で。
「まさか……ムオニナル皇太子殿下……で、ございますか……?」
最高級のソファーに腰をおろし、泰然としている御使い──を装った皇太子様の姿がある。目の間違いではない。
皇太子様は優雅に立ち上がり、こちらへと歩み寄って一礼し、私に手を差し伸べた。
「夜会とはまた異なる趣きの装いも淑やかで麗しく、私を魅了しますが……レディを立たせたままにしておく訳にはまいりません。どうぞ、お座りに。手短に済ませられる話でもありませんので」
どうやら、エスコートらしい。なぜ伯爵家の応接間に皇太子様がおられるのか。それも夜に。頭が混乱で爆ぜそうだ。
だが、ここで狼狽えて醜態を晒すわけにもいかない。話はゆっくり、しっかり聞かせて頂こうと心に決めて、皇太子様の手に自分の手を重ねた。
けれど──手を重ねる、ただそれだけの事なのに、皇太子様は蕩けるような笑みを浮かべて私を見つめた。あまりの美しさに、一瞬で顔へ体温が集中してしまうのが分かる。
しっかりなさいと自分を心の中で叱咤する。何とかソファーに腰をおろし、皇太子様が上座のソファーに座すのを見やり、あまり見つめるのも失礼だと、まずは呼吸を落ち着ける事に集中しているうちにウィルドがお茶の給仕をしてくれて──そのウィルドがお父様の背後に控えた途端に切り出された言葉に、私は完全に思考停止した。
「今宵、父王の御前で類稀なる力を顕現させた伯爵令嬢リヴィア様こそ、次代聖女候補とし、また私ムオニナル皇太子の近い未来の正妃として婚約する事をお許し頂きたく、夜会の後に父王より許しを得て馳せ参じました」
皇太子様は淀みなく、迷いもなく、はっきりとそう仰ったのだ……。
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