第1話
幼い頃から、同じ夢を見る。物心ついた時には見るようになっていた夢。
大きな樹。生い茂る葉の代わりに、無数の光が枝を彩る。様々な色の光。
私には、それが何の樹なのか分からないけれど、彩る光が特別なものだということは何故か分かっていた。
一定の距離を保ち、樹を見つめる。風もない夢世界で揺らめく光は美しく、最初はただ圧倒されていたものが、見慣れるうちに親しみと敬虔を抱くようになった。
樹に歩み寄り触れたことはない。触れてはいけないような気がしていた。それは勘なのか本能なのか?
新人類として生を受け、本来あるべき地球世界でいうところのヨーロッパ諸国に位置するラーシャに存在する生命の樹から産まれた私は、その国の伯爵家の長女として迎え入れられた。まだ赤子の頃のことだ。リヴィアと名づけられ、貴族としての教育を受けながら育ち、朝にも今見ている夢から醒めれば15歳を迎える。そう考えると、もう10年以上にわたって同じ夢を見ていることになる。
ラーシャでは本来の地球世界の、貴族や王族が大いに栄えた頃の文化を模倣し、国は工業や紡績が発達していて交易も盛んに行なわれる豊かな国だった。
生命の樹から産まれた子どもはもれなく、産まれた時の潜在魔力に応じた家格の貴族に引き取られ、教育を受ける。伯爵家のなかでも豊かで政治的な発言力も持ち合わせた家に入った私は、力の発現を期待されているのだろう。
もっとも、このしきたりはラーシャ独自のものだ。国によって生命の樹から産まれた子どもの処遇は異なる。共通点といえば、国により聖人や神子と呼び名をかえながらも大事に丁重に育てられることか。
──生命の樹から産まれた子どもは皆、この夢を見ているのだろうか?
夢のなかで夢と知りながら疑問を抱き、大樹を見つめる。生命の樹を呼び出せるようになるのは例外を除いて年齢的に成熟してからなのが一般的なので、まだ10代半ばの私は生命の樹を見たことはない。
もし目の前の大樹が生命の樹ならば、いずれは私も現実世界で呼び出すことになるのだろう。生命の樹を呼び出すには様々な例があり、呼び出せるようになる以前より、15歳の誕生日を迎えた日から毎週日曜日に教会で祈りを捧げて、新人類ならではの力に目覚めるまで祈りを続ける。
生命の樹を呼び出す条件は、人一人では抱えきれないほどの強く大きな感情だ。愛情により産まれた子どもは成長すると光魔術に目覚め、憎しみにより産まれた子どもは闇魔術に目覚めることになる。
どちらが善し悪しではなく、成長したときの役割分担の目安となる。光魔術に目覚めた子どもは聖職に就いたり治癒能力者として活躍したり、あとは稀に聖女と呼ばれることになる。闇魔術に目覚めた子どもは魔導師や国政を担う。ただ、どちらの場合でも産まれたのが男子ならば光騎士、闇騎士として訓練を受け国や要人を守る役割を持つことになる場合も多かった。貴族の跡継ぎは一人で事足りるし、国政を担う人材も必要な人数には限りがあるうえ貴族の家門を継いだものしか参与出来ないからだ。
ラーシャでは新人類を優遇する傾向が他国より若干強い。本来の地球世界の西洋で栄えた貴族文化を色濃く継いでいるからかもしれない。私はそれを享受しながら違和感を感じている。そもそも旧人類と新人類という区別化自体が何やら胡散臭いような作り話めいた歪みに感じている。
大樹を見ながら、ああ目覚めたら力に目覚めるまで祈りを捧げる日々が始まる、私の魔力は光か闇か。人生を左右する行方に思いを馳せていたとき──突如として、一陣の風が吹き抜けた。
こんなことは、長い歳月この夢を見てきたが一度もない。怖いような戸惑いのなか大樹から目が離せなくなっていると、大樹に宿る無数の光が枝から離れて、一斉に私へと向かってきた。
悲鳴をあげようにも、夢のなかだからか声が出ない。足も鉛のように動かない。風に乗って私へと飛んでくる光は、次々と私の全身に入り込み吸い込まれてゆく。
痛みはない。そもそも感覚がない。私は一刻も早く目覚めたいと恐慌状態に陥り──ふと、これはもしかしたら光魔術に目覚める予兆なのかと思いついた。恐れから期待へと心持ちが変化する。だって、私へと向かってくるのは全て光なのだから。
──これは、15歳を迎えようとする新人類の子ども全てが見ている夢なのだろうか。力に目覚めようとする子どもが体感する夢ならば……光か闇かでも違うだろうが、幸い私に吸い込まれてゆくものは輝かしく美しい光なのだから、恐れることなく喜んでもいいのかもしれないとも思えるような心のゆとりが、光を受け容れながら生まれてきた。
光はとめどなく取り込まれてゆく。それに伴い、体がふわふわと軽くなってきた。風に乗って飛べそうなほどだ。当初の鉛のような重さは、すっかり消えていた。
温かい、心地よい、何とも言えない多幸感。
──また強い風が吹き抜ける。ついに私の体は浮き上がり、そして触れたことのない大樹の、それもてっぺんへと向かい──覆い被さるように包み込むように、私は大きいはずの樹を抱きしめていた。
* * *
「……ん……」
寝返りをうち、自分が夢から醒めたことを知る。今までにない展開の夢はあまりにも不思議で、夢だったのに未だに温もりが胸を満たしていた。
朝日が窓からさしこみ、夜は開けて15歳の誕生日を迎えたことを実感する。
これからは、魔力に目覚めることを祈る日々だ。
幸先の良い夢だった──そんな気がする。その余韻を味わっていると、控えめにドアをノックする音が聞こえた。おそらく、洗顔のお湯を運ぶ、専属メイドとして長く仕えてくれているメリナだろう。
「お嬢様、お目覚めでしょうか?」
「ええ、入っていいわ」
許可すると、足音をたてない所作でメリナが入ってきた。旧人類のメリナは年頃だろうに結婚もせず私に仕えて細やかに働いてくれる。
「洗顔のお湯でございます、本日はおめでたいお誕生日ですので、このメリナがお嬢様を完璧なレディに仕上げますわ」
「メリナ、そんなに意気込まなくても良いのではないかしら……まだ、すぐに魔力に目覚めるとは限らないのだし」
「いいえ、お嬢様は素晴らしい魔力に目覚めるに違いありませんわ。それこそ聖女として認められるほどの……」
聖女は光魔術に目覚めた者でも特別だ。民や国への強い慈愛で生命の樹を呼んでしまえる。現在、ラーシャでは聖女不在の状態が5年ほど続いていた。聖女は希少で、滅多に候補さえ産まれない。
「聖女だなんて、気がはやりすぎよ」
顔をお湯で清めながら苦笑する。メリナは「お嬢様のお美しく成長なされたお姿を見れば、誰でも聖女様と思ってしまいますもの、目覚めても誰でも納得致しますわ!」と世話をしてくれながら力説してきた。
私の外見は、うねるような輝くブロンドに淡いすみれ色の瞳、長い睫毛が影を落とす目許に、身体も手足はすらりとしていて身長は高すぎず低くもなく、肌は北国の雪のようだと良く言われていた。
その自身の外見は私も嫌ではないし、むしろ伯爵家令嬢として誇らしいとさえ思っているので、褒めそやされても否定はしたことがない。美しいことは事実でしかない。化粧も最小限で済むほど顔立ちも華やかだ。
「お嬢様、本日のドレスはいかが致しましょう。髪型も美しく結い上げませんと。髪飾りは瞳のお色に合わせましょうか?」
「そうね……」
メリナは仕えて長い分、私の好みにも精通している。大まかな指示さえ与えれば私を十二分に引き立てる装いを仕上げてくれるだろう。
それを伝えようとしたとき──誰かがドアをノックした。
「リヴィアお姉様、おはようございます。ついにお誕生日ですね」
返事も待たずに入ってきたのは、1歳半年下の妹であるマリアライトだった。濃いとも淡いとも言えないブラウンの髪と瞳、印象の薄い顔立ちは私と全く似ていない。旧人類のように血を分けた姉妹なわけでもないのだから、仕方ないのだろうが。しかし、本人が精一杯に化粧やドレスで装っているのが却って痛々しいとも思えてしまう。成長する年頃なのだし、幼いうちから背伸びせずとも、これから美しく育ってゆく場合もあるだろうに。
「マリアライトお嬢様、リヴィアお嬢様はまだお支度の途中でございますので……」
メリナがやんわりと拒む。しかしマリアライトは悪びれなかった。
「あら、お姉様まだ起きられたばかりですか? 私は2時間前には目を覚まして身支度を整えてから朝のお勉強を済ませてまいりましたのに」
頬に片手の平をあて、小首を傾げる。これも生き抜く術なのだろうが、小賢しい。
「あら、マリアライトは勤勉ね。私もせっかくの誕生日なのだし早めに起きたかったのだけれど、昨夜は夜更けまで聖典を読んでしまったわ。いけないわね、小さな文字の古代語で記されているものを夢中で読むなんて」
「──まあ、お姉様は本当に勉強熱心ですね」
マリアライトの表情が微かに歪んだのを良しとして、私は彼女に「ごめんなさいね、これから着替えるのよ。朝食に誘いに来てくれたのでしょう、すぐに私も向かうから先に行っていてくれるかしら」と軽くあしらった。
「……そうですね、ではお父様たちをお待たせしないように、いらしてくださいね。お先にお待ちしております」
マリアライトが身を翻し、半開きのままにしていたドアを抜けて閉め、足音を遠ざからせる。メリナが「お嬢様はさすがですわ、朝から明瞭に言い返せるのですもの」と溜飲を下げたように溜め息をほうとついた。
妹であるマリアライトとは、いつしか一事が万事このような状態なのが当たり前になってしまった。幼い頃は共に同じ絵本を読んだりしていた記憶があるけれど、それも本当に幼いうちのみだった。
新人類は能力次第で未来が拓けるので、両親はマリアライトと私を外見の違いで差別することはない。それがお互いの救いだが、あまり敵対視されているのも言い返すのも、正直面倒くさいし、はしたない。これでマリアライトが魔力に目覚められれば──出来るだけ私の後に──話は好転すると思うけれど。
「──お嬢様、本日のドレスは控えめなレースのついた、裾にお花の刺繍を施したドレスに致しましょう」
気を取り直すようにメリナが声をかけてくれる。メリナの提案に異論はない。
「ええ、そうね。頼むわ」
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