第2話

メリナがクローゼットの前であれこれと今日という日に相応しいドレスを選び始める。と、そこで控えめにドアをノックする音が聞こえた。


「どなた?」


問いかけると、ドアの向こうから「お嬢様、おはようございます。ショーンでございます」と返事があった。ショーンはメイド長としてお父様からも重用され信任を得ている。


「どうぞ、入って」


「失礼致します」


入室したショーンは、何やらラッピングされた大きな箱を大切そうに抱えていた。


「大旦那様より、本日はこちらをお召しになるようにとの仰せでございます。お誕生日おめでとうございます」


「お父様が?」


包みを受け取り、ラッピングのリボンと梱包紙を取り除いて箱を開ける。そこには、鮮やかで深みのあるコバルトブルーのドレスがしまわれていた。黄味がかったオフホワイトのレースで随所が飾られ、金糸と銀糸でドレスの裾に上品な刺繍が施されている。生地も縫製も、一目で分かる良質なものだった。


この色合いは、私の髪の色と白い肌を存分に引き立てるだろう。ショーンは笑顔で「旦那様は2か月も前からドレスの準備を進めておられたのですよ」と言った。


「さすがはリヴィアお嬢様と旦那様ですわ、旦那様はことの他リヴィアお嬢様を大切に思われておいでですのね」


広げたドレスを前に、メリナが興奮気味に声を弾ませる。確かに素晴らしいドレスだし、私の好みにもぴったりだった。


「ありがとう、ショーン。さっそく着替えてお父様にお礼を言いに行くわ」


恐らく、お父様専属の執事であるウィルドが託されたのだろうが、寝起きのレディを訪問して、そのしどけない姿を見てしまうのは失礼だとショーンに任せたのだろう。私としても恥ずかしいし、その方がありがたい。


「メリナ、着替えるのを手伝ってちょうだい」


「はい、お嬢様!」


「では、私はこれで失礼致します。朝食までには、まだお時間がございますので、ごゆっくり身支度をお整えくださいませ」


「ええ、ありがとう」


ショーンが深々とお辞儀をして部屋から出ていく。同時に、やはりマリアライトは私を寝穢いと見せるために敢えて早朝から訪れたのだと分かった。時計を見ると、確かにまだ普段ようやく起きる時間だ。


なぜあのようにマリアライトは私を敵視するのだろう?


考えていると、メリナが「ではお嬢様、コルセットを締めますね」と申し出てきた。マリアライトの考えはマリアライトにしか分からない。何らかの劣等感からかもしれないが、私にはどうしようもない。私は「では、お願いね」と夜着を脱いでメリナに背を向けた。今はせっかくのドレスに恥じないように装わなければ。


* * *


「お父様、お母様、おはようございます」


丁寧に装い、食堂に入ってお父様とお母様に挨拶をする。そこには王城で騎士として活躍する兄のスペサルトも待っていた。


「お兄様、王城からお戻りになられていたのですね。こうして久方ぶりにお元気そうなお顔を拝見出来て嬉しいですわ。」


「何、可愛い妹の記念すべき誕生日だ。祝わなくてどうする?」


「ありがとうございます、お兄様」


兄とは3つ歳が離れている。兄は光騎士として王城で鍛錬をする日々を送っていた。


「……あら、マリアライトの姿が見えませんが……」


あんなに早くに起きてきていたのに。疑問にはお父様が僅かに不快そうだったが答えてくれた。


「マリアライトは体調が優れないからと部屋で朝食をとるそうだ」


「そうなのですね、残念ですわ。せっかくですし、マリアライトにも新しいドレスを見て頂きたかったのですけれど……お父様、素敵なドレスをありがとうございます。私、とても嬉しいですし気に入りましたわ」


コバルトブルーのドレスに映えるように、派手すぎない金とサファイアで彩られた髪飾りを結い上げた髪にさしている。食堂にいる3人は眩しそうに仕上がった姿を見つめた。


「本当に美しく育ってくれたな。リヴィア、朝食の後に私の執務室に来なさい」


実の娘でもお父様の執務室に入ることが許される機会はほとんどない。特別な何かがあるのだろうか?


「はい、お父様」


記念すべき誕生日なのだし、悪いことではないだろう。緊張はするものの、不安はなく頷いた。


何かにつけて私を追い落とそうと皮肉を口にするマリアライトがいなかったからか、朝食はなごやかに進んだ。


朝食では私の好物ばかりが並べられていた。魚料理に砂糖を使わないパン、野菜を丁寧に煮込んだスープ、ベリーを使ったデザート。私は家族の思いやりに感謝しながら頂いた。


そして朝食が済むと、ナプキンで口許を拭ったお父様にいざなわれ食堂を後にした。お母様もお兄様も、一切口を挟まなかった。


執務室は広い。大きなテーブルには書類が山と積まれている。こんなにもお仕事に追われてお父様は大丈夫かしらと思いながら、後をついて行くと執務室の端にある本棚が何の仕掛けか動き出し、空間が現れた。


「お父様、これは……」


「15歳を迎えた子息が訪れる部屋だ。ここで、簡略だが儀式を行なうのが慣例になっている」


「儀式……でございますか?」


「何、身構える必要はない。生命の樹から産まれた子どもは、15歳の誕生日になると名前にちなんだ液体や鉱物を砂にしたものをワインに少量加えて飲み干す。魔力の目覚めと増強を目的としての伝統だ」


「そうなのですね……」


これは初耳だった。兄上のスペサルトも、ここでワインを飲んだのだろう。


「リヴィアにちなむ石は希少でなかなか入手出来ないものだったが、異国から取り寄せられた。体に害はないから安心して飲みなさい。リヴィアは酒は初めてだろう、飲みやすいように寒気に晒して凍らせた葡萄で作られた甘いワインを用意させた」


「お父様、お気遣いまで……ありがとうございます」


お父様がグラスにワインをそそぎ、石の粉を浮かべて混ぜる。それを恭しく受け取って一口舐め、それから甘いアイスワインを一息に飲み干した。


「誕生日おめでとう、リヴィア。力に目覚めるのを楽しみに待っている」


「はい。ありがとうございます、お父様。期待を裏切らないように努めますわ」


「うむ。──これで儀式は終わりだ。部屋に戻り、酔いを覚ますといい」


「かしこまりましたわ、お父様。細やかなご配慮に感謝致します」


お辞儀を深くして、蝋燭に照らされていた部屋を出る。一転した明るさに目がちかちかしたが、すぐに慣れた。


「それではお父様、失礼致します」


「うむ。お前の潜在魔力は赤子の頃から強かった。スペサルトも敵わないだろう。今しばらく不在の聖女にもなれるかもしれない。努力を怠らないように励みなさい」


「心に刻みますわ、お父様」


飲みつけないワインのせいか、足許が浮いているような錯覚を感じる。それでも醜態を見せずに礼を尽くして部屋を後にした。


──これが私の15歳の誕生日だった。


誰が考えただろう?


その先に待ち受けるものを。


マリアライトの悪意には気づいていた。けれど、仮にも貴族令嬢として育てられた子だからと油断し、甘く見ていた。


けれど、マリアライトはまだ13歳の幼さだ。何が出来ると思うだろう。


実際には、その考えこそが甘かったのだが。


私の日陰にこそあれ、マリアライトも伯爵家に引き取られたほどの潜在魔力の持ち主だ。


私は、そこを失念していた。


マリアライトは私の何を妬んでいたのだろう?


恵まれた容姿か、長女として寄せられる期待か。両方かもしれない。


私はワインで軽くなった足許に気をつけながら自室に戻った。酔いを覚まし、夕刻から予定されている王への挨拶と夜会に備えなければならない。15歳を迎えた新人類はみな、王に謁見して祝福と一種の儀式を受ける慣わしなのだ。お父様はおそらく、朝に贈ってくれたドレスとは別の特別なドレスを用意してくれているだろう。長女の晴れ舞台だ、それは容易に予測できた。


「リヴィアお嬢様、お顔が赤いですわ。お熱でも?」


メリナが心配そうに伺ってくる。私は口角を上げて笑みを作り否定した。


「大丈夫よ。お父様にワインを頂いただけだから。お水をもらえるかしら?」


「はい、ただいまお待ち致します」


メリナは素早く身を翻し、水差しの中身を見て「これでは、ぬるいわ。お嬢様、冷たいお水を頂いてまいりますので少々お待ちくださいませ」と水差しを抱えて部屋を出ていった。


私はベッドに横たわり、天井を見上げた。ふと夢に見た樹を思い出す。その記憶のせいか、儀式のワインのせいか、心持ちは高揚してきていた。


私はこの時、信じていた。


力に目覚めて、この世界で活躍出来ることを。


謀略、奸計にも気づけないままに。


何とおめでたいのだろう。


私は謁見と夜会の装いに、無邪気にも心を馳せていた。

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