生かしたい
前回さらりと、人間の優劣、というようなことを書いてしまったが、後であの表現はちょっと、と反省していた。
人間に、優劣なんて、ないからだ。
人間に優劣はない。生産性でも、能力でも、生まれもった何かでも、まったく優劣が変わることはなくて、ひとの価値はすべて平等だ。例外はない。すべてのひとに至るまで。
生産性とか、能力とか、そういうごく一部分にフォーカスした場合の優劣、勝ち負けというのは、もしかしたらあるのかもしれない。けれども、そのことは、けっして人間の価値を分けるものではない。
だが、それでもなお、間違ってるかもしれないけれど「優劣」と言いたくなる何かというものが、感覚的に存在して、それは本当は「人間の優劣」ではなく、「生き方の貴賤」なのかもしれない。
職業に貴賤はないけれど、生き方には貴賤がある。そう言った職人さんがいらっしゃるらしい。
私は、確かに、賤しい生き方はあるのだと思っている。
最たるものは、ひとを差別すること、そして、ひとからうばうこと。
先日、とある授業で話し合いをした。どうすれば、世界の経済的格差をなくせるのか。そういうテーマで話をした。
経済の循環が、うまくいかなくなっている。滞っている。全員に行き渡るべきものが、行き渡らなくなっている。
ひとつの結論は、いわゆる富裕層の所得を下げる、というものだった。どちらかだ。貧困層と呼ばれる人たちの所得を上げるか、富裕層の所得を下げるか。そして、後者しかないよね今はもう、という意見が出た。
私も、その結論に、同意した。もう、世界はそこまできている。本来は、ひとを富ませて幸せにするはずだった経済が、他者を傷つける、そういうところまで、きてしまっている。
なかなか理解されづらいだろうとは、思っている。富裕層の所得を下げる、と書いた時点でもう、頭のなかに大量の反論がうわんと響く。
ばかを言え、と。
自分たちは努力の結果、この富を手に入れたんだ。いわば努力のあかしだよ。
貧困の連鎖が起きている? 親が貧しければ子どもも貧しいと、ああそう、でも自分は親が貧しかったけれど努力して経済的に成功したよ。
結局、怠慢なんだよ。努力しようとしていないのさ。だからいつまでも貧乏なままなんだよ。自己責任だよ。
なんで貧しいやつらに金をくれなきゃならないんだ。自分たちが汗水垂らして手に入れた大事な大事なお金を。
自分が生きるので精いっぱいなんだよ。自分と、家族とがさあ。
他人のことなんて気にしている余裕はないし、他人のために、稼いでるわけじゃない。
結局、成功する人っていうのは、愛されてるのよね。才能に、あるいは誰かに、愛されているのよ。
もちろん貧しい人たちのことを忘れてはならないわ。彼らは「可哀想」な人たちだもの。才能にも、誰にも、愛されなかったの。
だから休日にはボランティアをするの。
それで充分すぎるほど充分でしょう? ほら、「可哀想」な人たちのために、こんなに色んなことをして。成功者の余裕っていうのは、こうでなくちゃね。
それをお前、よりにもよって自分たちの努力の結晶を、生活の糧を、才能あるいは愛のあかしを、なぜ、渡さなきゃならないのだ、と。
それこそが不正だと、言いたい。となりに死にそうなひとがいて、明日食べるものもなくて、それなのに、まだまだもっとほしがっている。
野原かどこかで、となりのひとが餓死しかけている。そんなときに、大量の食べ物を投げ捨てながらどんなに大きな家を建てようか相談するのが、どんなに残酷なことか、わかるはずなのに、わからないと言う。
あいつらのせいだ、と言う。
さいごには、「人間じゃない」とまで、言い出す。
稼げるひとは、素晴らしいと私は思っている。
それだけの、なにかをもっているのだ。それは並大抵のことではない。
だからこそ、不思議だ。なぜ、それだけの何か素晴らしい賜物をもっていながら、他者にはそこまで、無関心なのか。気づかないのか。対話を、ひらこうとも、しないのか。
たとえば年収一億円のひとと、無収入のひとでは、前者のひとのほうがより賤しい生き方をしている可能性が高い、と私は思う。
もちろん、可能性の話だ。年収や資産がいくらあったって、使い方をよくよく聞けば、何か正しい生き方をしている、とわかるのかもしれない。
でも、もし、稼いだお金を資産のままにしていたり、自分たちの共同体のためだけに使っていれば、それは不正だし、きっと、賤しい。
貧しいから正しいとか、もちろんそういうことが言いたいのではなくて、ただ、他者から不当にうばっていないという点で、その生き方は尊い、のではないか。
他者から、うばっているのだ。自覚がなくとも。自分は必死にがんばっているだけのつもりでも。なんと、理不尽で、でも、見つめなければ、いけなくて。
また、大量の反論が、うわんうわんと響いてきそうだけれども。
電車がもうすぐ着く。今回はすこし、強めの記事になってしまったけど、他者を生かすということに関して、まだまだ、なかなか、冷静に話せない私の弱みがあるのかもしれない。
高い学歴を得てエリートになりたがっていた若い私がこんなこと聞けば、だから、哲学や宗教を真面目にやりすぎると思考がちょっとおかしくなるんだ、哲学科に行くのはいいけど程々にしようね、気をつけようねと目を細めて、終わりだろう。
生かしたい。世界を。他者を。だれひとり取り残されることなく。
私はきっと変なひとで、こんなことを言い続けてるから嫌われる。でも、その結果、ひとりでも誰かを生かすことにつながるならば、それでいいのかもしれない。嫌われることも非難されることもけっして嬉しいことではないけれど、それが、もし本当に私の使命なら、喜んで引き受けたい、おかしいのかもしれないけれど、そう思うのだ。
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