第5話 金魚

 Nさんは魚が苦手だ。食べる方ではなく、見る方がだめで、だからNさんと遊びに行くときは水族館には絶対に行けないし、居酒屋でも生簀のあるような場所や生け作りが出るような店はNGなのだ。


 Nさんが小学生だった時のこと。近所にA君という男の子がいた。学年が一緒なので、なんとなく仲良くなって、そのうち家にお邪魔するようになった。

 A君の家は典型的な昔ながらの一軒家で、引き戸を開けてすぐ三和土、手前に二階への階段があり、奥にまっすぐ伸びた廊下と左右に部屋という間取りだった。その廊下の突き当りに大きな水槽があったのである。

 幅は大人が両手を広げたくらい。廊下の幅いっぱいに置かれた大きな水槽は、玄関の明り取りから指しこむ光も届かないような廊下の奥で規則正しい機械音を奏でていた。近づいても中は見えない。緑色の藻が水槽の表面にみっしり生えていて、まるで学校の近くの沼みたいだ、とNさんは思ったのだそうだ。

 Nさんが一心不乱に水槽をのぞき込んでいると、A君は必ず「やめろよ」といい、腕を引っ張ったという。何を飼っているのかという問いには、A君は視線をずらして、「金魚だよ」と言ったそうだ。


 ある日のこと。

 いつものようにA君の家に行くと、おつかいを頼まれた、すぐ帰ってくるので玄関で待っていてほしいと言われたのだそうだ。

 快諾したNさんはちょうど水槽を背にする形で三和土のふちに腰を下ろした。

 しんとした廊下に、水槽のポンプの音だろうか、ぽこぽことした泡がはじける音と、シューシューという機械音が響いている。すぐに帰るといったA君は一向に帰ってこない。

 その水槽の音に交じり、サアサアと水音が聞こえる。どうやら雨が降り出したようで、明り取りの窓に雨粒が当たるのが見えた。

 帰ろう。Nさんが立ち上がったその時。ぱしゃんと水音がした。

 ぎょっとして振り向いた。水槽から音がする。振り返る。きらきらとした黄金の尾が見えた。

 金魚だ。本当に金魚がいるのだ。


 Nさんはもっとよく見ようとして、その水槽を覗―――……。


 

 ***



 それ以来、どうも魚がだめなんだ、とNさんは苦笑いをした。Nさんの記憶は、水槽を覗いた少しあとで終わっている。しかし、それからというもの、一切合切の魚がだめになってしまったのだという。

 あのとき見たものは、多分夢だし、妄想なのだ。





 Nさんは最後にこう言った。

「だって、人差し指は、金魚には生えてないでしょう」



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