花
アイ村テェ子
花
あの人に会う時には、必ず花を持っていく。
小雨が降り始めた。湿気が多くなると雑居ビルの隙間は生臭くなるから好きじゃない。
でも、この大通りから少し路地裏にはいったところ。その横にある階段。そこを登ればあの人がいる。
俺は人に紛れて、さらさらと街を歩く。
短いアーケードや、高架の下を通って、雨に濡れないように、歩く。
「私に会うときには、必ず花を持ってきてくれなきゃ。女に会うって、そういうものよ。」
いつもとおなじ花屋で花を買う。
華美な包装はいらない。
ただシンプルに、花のうつくしさがわかるように。
でっかいバラの花をありったけ。
彼女は、俺の恩人だ。
家に帰れなくて困っていたところを拾ってくれた。
家にあげてくれて、風呂に入れて、飯を食わしてくれた。
俺に服を選び、寝床を与えてくれた。
爪を切ってくれて、傷に絆創膏を貼ってくれた。
そして、女を教えてくれた。
自立できるように仕事をくれて、稼ぎがまとまってきた頃、おれは自分で家賃の安いアパートを借りて、そこを出た。
寂しがる彼女に、俺はたまに会いにいく約束をした。
彼女の部屋は雑居ビルの4階のネイルサロンの奥。みんなが陰で「親分」と呼ぶ人が用意した彼女のための部屋。
ネイルサロンでは俺みたいに行き場のない女の子を何人か雇って、風俗嬢相手に派手なネイルを施してやってる。
ネイルサロンの入り口の外にある灰皿でタバコを消す。
それから店の扉を開ける。すぐの正面はネイルサロンの受付だが、俺は入口の傍にある階段を登っていく。
ネイルサロンはドきつく甘い匂いがする。
複数の女性の匂いが混じる、独特なやつだ。
スタッフの女の子たちは俺がネイルをしにきたわけではないことを知っているので、軽く会釈をするだけで取り合わない。
そこにいくまでの間、おれはどぶくさい路地を通り、濡れながら行くのだ。花束を持って。
彼女はいつも花を待ってる。
花を渡すと彼女は「ありがとう」と言い、柔らかい笑顔で花を見つめて、花を花瓶に生けて、おれに温かい飲み物をくれて、
それから。
あの部屋は親分が彼女と会うための部屋でもある。他にも何人かそういう女がいるらしいのだけれど、俺は知らない。
親分という人を俺は見たことがない。
彼女は決して自分のことは語らず、俺にいろいろなことを聞いてくる。
仕事はどうだとか、きちんと食べているのかとか、恋人はできたのかとか。
適当な受け流しをすると、そういうのは女の子にモテないわよとか、男の子って感じでいいわね、とか、小馬鹿にしたようなことをいわれる。
俺は彼女に年下の弟のような、むしろ息子のような扱いをされるのがたまらなくいやだ。
でも本当の母親なら息子にあんなことはしない。俺だって、あんな母親はまっぴらごめんだ。
そうじゃなくて、
俺は、男として、一人の男として自分のことを見てくれるものだと、いつか思い込んでいた。
あの日も、花束を持って彼女のところへ行った。
兄貴分だと威張ってるヤツが、彼女に届け物をしろというのそれもついでに。
俺は紙袋を花束と小脇に抱えた。
こういうときの荷物の中身は見ない方がいい。知らされてはいないし、知る気もない。
いつも通り、外でタバコの火を消してからネイルサロンの扉を開けたのだが、明るい髪をした何人かのスタッフが俺を見て変な顔をした。
そして階段の上をチラチラと見てる。
なぜ、おれはその違和感に気がつかなかったのか。
構わず階段を登ると、布ズレの音がする。
細かく小さく聞こえる彼女の声。
それでも俺は部屋の中で何が行われているのか、扉を開けるまで気がつかなかった。
ソファの上では白く丸い膝が二つ天井を向き、その膝と膝の間で黒い男が細かく動いていた。
「あっ」
という彼女の声がすると、黒い男がこちらを向いた。
「よう、小僧。見ていくか?」
「ちょっとまって、あっ」
「その方がお前も興奮すんだろ。」
「やだやめて」
「ほら、締まるぞ」
黒い男がいっそう小刻みに動く。ニヤニヤしていやらしく、口にタバコを咥えたまま。
眉を八の字にしたまま、髪を乱した彼女がこちらを見ている。
腹の中がブワッと熱くなった。
と、同時に持っていた花束と紙袋を落としてしまった。
「はじめてか?んなわきゃねぇよな、こいつに、色々、仕込んでもらってるんだろう、から、よ、」
落とした紙袋から…中身が溢れた。
拳銃だ。
その瞬間、熱かった腹が冷えて頭の中がクリアになるのを感じた。
そうか、この人が親分って人だ。
この人が彼女に店を持たせてて。
要するに、愛人で、
要するに。
俺は拳銃を拾って親分の後頭部に突きつけた。
多分これが撃鉄。
親分の動きが止まる。
彼女は豊かな乳房をあらわにして、大きな目をさらに大きくした。
ごめん。
もう、俺は花を持ってこない。
花 アイ村テェ子 @green_nowon
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます