第2話 鳥取城渇え殺し!メディアが放送できない惨劇とは?

「こぉ〜ろしてくれぇ〜〜〜」


おぞましい声が戦場に響き渡る・・・


万策尽きて餓鬼に落ちぶれた男女が地獄の鳥取城内から飛び出して柵際で後生だと苦しみ喘いでいた。


前代未聞の兵糧攻めにされた鳥取城内の食料不足は深刻で、牛や馬を食い尽くし、そればかりか木や草、さらには土壁に塗り込められた藁までも口に入れたという。


不衛生からくる悪臭と、唸る暑さの夏季に餓死者、戦死者など放置したままのため死臭が漂い、疫病が蔓延していた。


元雑兵や農民の男女は飢えのため、眼が窪んで眼球が異常にギョロリとし、頬が痩けて妙に額が張り出し、手足は痩せ衰えて骨と皮だけの醜悪な妖怪と化していたのだった。


反対側の崖から秀吉軍の鉄砲隊が柵際で泣き叫ぶ餓鬼を武士の情けと射殺する。


するとまだ虫の息にも関わらず、他の餓鬼が刃物を持ってその"生の人肉"に群がり、手足、首などを引きちぎる。


そして盗られまいと眼球をギラリさせて牽制しながら抱え込んだ肉に食らいつくのだった。


その惨劇は見るに堪えないものがあったという。


最初は戦死して土葬した死体を掘り起こして食したが腐敗した肉は流石の餓鬼でも苦痛だったようで死にたてか、死ぬ間際の新鮮なうちに食らいついていた。


そのため、柵際で絶叫する”生肉”は餓鬼どもの垂涎の的となり、不気味な笑みを浮かべ、血でドス黒くなった刃物を持って撃ち殺されるのを待っていた。


生き地獄を彷徨う餓鬼にとって一番の美味は頭部で数人が殺気立って奪い合うほどだったとか。


この眼を背けたくなる地獄絵図を秀吉軍はただ固唾を飲んで明日は我が身かもと同情の視線で見守るしかなかった。


城主吉川経家は、何の大義あって自軍の雑兵や農民が人間の皮を脱いだ餓鬼に化けてしまったのかと自問自答するのだった。


そして切腹と共に城兵を助けてほしいということで降伏することになったのである。


これが日本史でも極めて稀な残酷史、秀吉の有名な"鳥取城飢え殺し"の実態だったのだ。


実は鳥取城は当時難攻不落と言われた名城だったが黒田官兵衛の新しい攻城戦によって完全に無力化されていた。


しかし、この作戦は最初からうまくいっていたわけではなく、三木城干殺しという失敗例がこの成功の根底にあった。


1578年から1580年の約2年にわたって羽柴秀吉軍が別所長治が籠城する三木城を取り囲み、兵糧攻めをおこなった。


籠城した三木城には、東播磨一帯から約7500人が集まった。


この中には、別所氏に同調した国人衆の他に、その家族や浄土真宗の門徒なども含まれており、いわゆる諸篭りだった。


このため多くの兵糧を必要とし、合戦中、瀬戸内海の制海権を持つ毛利などによって兵糧の海上輸送が行われていた。


秀吉は補給路を断つ作戦に出るが荒木村重の謀反などもあってなかなか三木城の備蓄の兵糧を減らすことができずにいた。


それによって兵糧攻めに2年近くも浪費してしまったのだ。


結果的に1580年1月にようやく食料が底をつき、干殺しを完成させたが時間も軍資金もしこたま浪費していた。


その点、鳥取城渇え殺しはたったの4ヶ月というゾッとする効率の良さを発揮している。


その背筋に戦慄が貫く作戦とは次の通りだった。


城兵1800が籠る鳥取城だが、黒田官兵衛は町や村を放火することで付近の農民ら2000以上を城に追いやった。


さらに河川や海からの毛利勢の兵糧搬入ももちろん、阻止。


さらに鳥取城の兵糧の備蓄は籠城前からおおよそ平時城兵3か月分しかなかった。


実は因幡国内の米は黒田官兵衛の密命によって潜入した若狭国の商人によって全て高値で買い取られていた。


吉川経家の家臣、中村春続、森下道誉の両愚将はその高値に釣られ、備蓄していた兵糧米を売り払って迫り来る戦のため武器を買い込んでいたのだ。


籠城戦の用意が皆無の農民が舞い込んだことでさらに兵糧は激減していた。


しかも黒田官兵衛は下手に戦を仕掛けるようなことはしなかった。


補給路を断ち、兵糧を減らすことに徹しており、鳥取城の装備は完全に無駄になっていた。


そんな鳥取城は包囲網により糧道を断たれ、陸路および海路を使った兵糧搬入作戦も失敗。


なんとたったの1ヶ月で兵糧は尽き、2ヶ月目には城内の家畜や植物も食べ尽くし、3ヶ月目には守城兵の餓死者が続出し始めた。


城内は……


「餓死した人の肉を切り食い合った。子は親を食し、弟は兄を食した」


という眼を覆いたくなるような地獄絵図となっていたのだ。


そこまでしてなぜ吉川経家は織田側に抵抗したのかが解せない。


実は唖然とさせる理由があったのだ・・・


実は吉川経家は鳥取城の城主となったのは秀吉軍に取り囲まれるたった3ヶ月前に着任したばかりのほぼ客将に過ぎなかった。


しかも数ヶ月の間に山名豊国、牛尾春重と城主が入れ替わる異常事態となっていた。


それは愚将中村春続、森下道誉の両名が己の既得権益を死守するためだったのだ。

それで織田側に寝返るのを拒否し、毛利側へ名のある名将を派遣してほしいと要求していたのだ。


羽柴秀吉は中村春続、森下道誉の両愚将は切腹で良いが、名将吉川経家は自軍に引き入れたかったようだ。


だが経家は責任をとって切腹した。


ようやく開城となった鳥取城からゾンビのような城兵が地獄から解放されていた。


秀吉はお粥を振る舞ったという。

がしかし、これがさらなる大量虐殺につながるとは秀吉自身も気づかなかった。


空腹の勢いに任せてお粥をかきこんだ餓鬼たちはなんと急激な栄養補給で生じる一連の代謝合併症を引き起こし、次々と死んでいった。


古文書には助かった城兵の半分以上が死んだと記録されている。


夢にまで見たまともな食に枯れたはずの涙を流しながら、美味を堪能したはず!


がしかし、それがまさか死神の甘い罠だったとは羽柴秀吉さえも「そんなつもりはなかった」と唖然とせざるを得なかっただろう。


余談だが実はこれ、アウシュビッツが解放された後のユダヤ人の間でも同様の大量死が確認されている。


アウシュビッツについてはまた詳しく紹介する。

仰天の裏事情が隠されているから……


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