第27話  マルツェルの困惑

「アグニエスカが居ない?」


 ピンスケルさんを医務室へ送り届けて、急いで翡翠の宮へと向かった僕は、応接室で待ち構えていたイエジー殿下を見下ろした。


「アグニエスカは本当にいないの?」


「マルツェル、悪いんだがアグニエスカは居ない。今日は特に予定もないし、早めに帰らせた」

「なんで?予定あるよね?僕と会う予定というものがあったはずだけど?」


「マルツェル、ちょっと座りなさい」

「やだ」

「座りなさい」

「いやだ」


 呪いのせいで頭の先から爪先まで真っ黒となった殿下は、純白の白目と金褐色の瞳を僕に向けると、

「お前とお前付きの秘書官は付き合っているのではないのか?」

 と、意味不明な事を尋ねてきた。


 僕はソファに座ると、目の前に座る殿下の真っ黒な姿を見つめた。

「誰と誰が?」

「お前と秘書官のクリスティーナ・ピンスケル女史が交際しているのではないのかと訊いている」

「はあ?そんなわけないじゃないですか!」


 これはあれかな?魔法省の人間と秘書官が結婚する場合が多いから、僕も同じように秘書官を好きになったとか、そういう事を想像しているのかな?


「気持ち悪い事を言わないでくださいよ!僕はアグニエスカ一筋なんですから!」

「そうだよなあ」

 殿下は腕を組んで瞳を細めると言い出した。


「だけどな、今日のお前達は明らかに、交際してラブラブ状態の二人にしか見えなかったぞ?」

「はい?」


「離宮の前で、お前がピンスケル女子を愛おしそうに抱きしめているのを見たんだがな?」

「誤解ですよ!誤解!」


 間が悪いところを見られたんだな。


「書類の不備があって彼女が僕を追いかけてきたんですけど、途中で気分が悪くなっちゃって、結局貧血だったみたいなんですけど、立ち上がる事も出来なかったので、僕が医務室まで連れていったんです」


「医務室なら我が離宮にもあるのだがな?」

「それは、彼女が女医がいいって言うもので・・・」


「その意見に従い、本宮まで抱きかかえて連れて行ったと?」

「そういう事です」

「ふーーん」


 顎を上げた殿下は蔑むような眼差しで僕を見つめると、

「アグニエスカ嬢が、その様子を見ていたんだよね」

 と、言い出した。


 殿下の部屋を飛び出した僕は走った、走って、走って、走り続けた。

 僕にはアグニエスカだけなのに、彼女が誤解をする事だけは耐えられない。


 ポズナンから王都に移動した僕は、即座にジガ・キエブラに連行されて北の山岳地帯へと移動してしまったから、アグニエスカに全然会えていない。今日こそ会って話をしようと思っていたのに、タイミングが悪いにも程がある。


 僕は、具合が悪くなった女性を運んだだけであって、他意なんか一つも持っていやしないんだ。人命救助しただけだよ!


 食堂の前を通り過ぎて、本宮に向かって走って走って走っていると、建物の外の方からアグニエスカの声が聞こえてきた。

 良かった、まだ家には帰っていなかった。

 いや、例え家に帰っていたとしても、追いかけて行って話をしてもらうつもりだけど。


 王都カドウィにあるヴォルイーニ王家が住まう王宮は、政治機関も入っているために、幾つもの建物が連なっているような壮大な造りとなっている。


 王の執務室や謁見の間、舞踏会なども開かれる大広間がある本宮には主要な政治機関が入り、魔法省や軍部などは隣接された別の建物に入っている。


 本宮の後ろには王家のプライベートな空間となる後宮があり、王太子や側妃、側妃が産んだ子供たちがすむ離宮も広大な敷地内に点在している。


 政治の中心地といっても過言ではない本宮には外国からの要人も招き入れられる事が多いため、建物の周囲は美しい庭園に取り囲まれていた。


 表門に向かうためには、迷路のような本宮の中を通らずに庭園の回廊を利用する者も多い。


 アグニエスカは回廊を利用している間に、誰か知り合いにでも会ったのかと思っていたのだが、

「アグニエスカ?一体、君は誰と一緒に居るわけ?それって君を捨てた元婚約者だよね?」

 ベンチに二人並んで座るアグニエスカとサイモン・パデレフスキの姿を見つけて、思わず声が裏返ってしまった。


「マルツェル?」

驚いてこちらを振り返ったアグニエスカは、ポロポロと男の癖に涙をこぼすサイモンの顔を自分のハンカチで拭っていた。


 思わずアグニエスカの腕を掴んで引き寄せると、彼女を自分の腕の中に閉じ込めながら、バカみたいに涙を流すひ弱な伯爵令息を睨みつけた。そのついでに魔力が暴発して、花壇の一つが爆発した。


「きゃあっ」


 土が空へと舞い上がり、ぼとぼとと音をたてて落ちていく。


 土がアグニエスカの美しい朱色の髪に降り掛かららないように抱え込んで、爆発の衝撃で飛び上がるサイモンを睨みつける。


 僕は人に対して魔法の行使は出来ないけど、傷つかない範囲での魔法でのやらかしは出来るのだ。


「サイモン・パデレフスキ!今更アグニエスカに何の用だ?これ以上彼女を傷つける事は許さない!」

「いや・・傷つけるなんてとんでもない」


 サイモンはアタフタしながら言い出した。


「アグニエスカ嬢には色々と話を聞いてもらっただけなんです、僕はエヴァの嘘を信じて、彼女には本当にひどい事をしてしまっていた。謝っても謝りきれない状況で」


「ようやっとわかったのか!お前の所為でアグニエスカは家から追い出されて平民落ちしたんだ!お前が変な真似さえしなけりゃ、アグニエスカは無理に働かなきゃならない事にもならなかったんだよ!」


「本当にすみませんでした・・・」

 

 深々と頭を下げて涙を流すサイモンを見下ろすと、

「もういいのよマルツェル」

 と言って、アグニエスカが腕の中から抜け出そうともがきだした。


「終わった事だからもういいの」

「終わった事だからで済ませられないだろう!」


「いいのよ、エヴァは私からサイモン様を奪って満足したみたいで、今は新しい男探しに夢中みたい。なんだったらマルツェル、あの子に誰か紹介でもしてやってよ」

「嫌だよ!」

「なんだったらマルツェルが付き合えばいいじゃない」


 言っている意味がわからない。


「僕が付き合うわけないだろ?」

「あらそうなの?」


 氷のような冷たい声でアグニエスカは言い出した。


「マルツェルはポズナンでは町長の娘であるナタリア・ネグリと付き合い、今現在は魔法省の華とも言われるクリスティーナ・ピンスケルさんとお付き合いされているのでしょう?私、ポズナンで散々ナタリアに悪意を向けられて虐めまがいの行動をされてきたんだけど、ようやっと理由がわかったの。ナタリアは、自分が交際しているマルツェルと常に一緒に居た妹のような存在だった私に嫉妬していたのよね」


 ちょっと待って、ちょっと待って、言っている意味がわからないんだけど。


「王都に来てからは、あなたと秘書のクリスティーナ様が非常に親密な関係だっていう話は聞いているわ。周りの方々も貴方達の関係を認めていて、近々結婚なんじゃないかとも言われているのね?私みたいな平民で、新聞社に勤めている妻子持ちの上司と不倫関係にあったような女なんかより、よっぽどお似合いよね?良くわかるわ」


「ええ!アグニエスカ、家を出てから不倫なんかしていたの!」


 サイモンが驚いて叫ぶと、

「未遂よ!未遂!婚約者を異母妹に取られ、身分も剥奪され、家から追い出されてやさぐれていたのよ!心の奥底から傷ついて、それでもなんとか生活を成り立たせようと頑張っている時に優しく声をかけられたから絆されそうになっただけよ!」


 サイモンは自分の所為でアグニエスカが苦境に立たされた事を突きつけられて項垂れたけど、

「アグニエスカ!まだ上司に気持ちが残っているのかもしれないけど、不毛な関係は良くないって!新しい未来に目を向けよう!」

 僕はとにかく必死だった。


「僕を見てよアグニエスカ、僕は絶対に裏切らないから、僕にはアグニエスカだけだから、ね?本当に、本当に、アグニエスカだけなんだよ!」


「死ねバカ、クソ男!もう二度と私の目の前に現れるな!もし追いかけてきたら殺す!ひいおじいちゃんに言いつけるからな!」

と叫びながら、アグニエスカは走って行ってしまったのだ。


「え・・えええ・・えええええ」


 めちゃくちゃ追いかけて行きたいけど、アグニエスカがパヴェウさんの名前を出すような時は、極限状態に陥っている時なんだ。本当にどうしよう。


 

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